烏野を含めて五校のバレー部が集まっているので、人数も単純計算でいつもの五倍以上。マネの仕事をしつつ、他校の部員の顔や名前を一致させるなんてほぼ無理で、『音駒のセッター』『梟谷の四番』など、高校名とポジションや番号を組み合わせて覚えるので精いっぱい。
合宿中はいろんな学校ととにかく試合を重ねるのだけど、烏野は連敗続き。合宿に行く前から調子が悪いというか、もどかしさは感じていたけれど、他校との試合ではより目に見えて分かる。
仁花ちゃんや清水先輩から聞くに、前回の合宿をきっかけに変化が表れたので、他校との試合や交流が刺激になったのだと思う。
この合同合宿に元々参加していた学校は、それこそインターハイや春高で全国に行けるだけの実力あるバレー部だから、否が応でも自分たちとの差を意識させた。
烏野だって弱くないけど、でもきっと、まだ足りないものがたくさんある。
みんなが頑張っていることはいやというほど伝わってくる。だけどなかなかうまくいかない。肌を焦がすのは真夏の熱だけではなく、先の見えない焦燥感。コートに立たない私ですら、息を詰めてしまう場面が何回もあった。
日中の試合が終わったあとも、自主練に励む部員は少なくない。清水先輩と仁花ちゃんがそのサポートする間、私は二人の分まで雑務に精を出した。
今回は長期合宿のため、いつものビブス以外の洗濯も行う。洗うのは練習で使うシャツやボトムス、フェイスタオル、バスタオル。部員の数だけ量があるので、洗濯室は他校と譲り合って洗えるうちに洗っている。
今日は夜までになんとか回し終えた。あとは乾燥機から出して畳むだけ。記名されているので確認しながら、一年、二年、三年、マネの分と、洗濯室のベンチに畳んだ山を作っていく。
「ああ、終わったぁ」
洗濯カゴが空になり、ようやく一息吐く。名前をいちいちチェックするのは地味に疲れる。書く場所を統一していないから、裾とタグの両方を見なければならない。また機会があるのなら、今度は記名場所を指定させてもらおう。
自主練に付き合っていた清水先輩と仁花ちゃんは、今頃はきっと遅めの夕飯やシャワー。一足先にそれらを終わらせた私は、あとは洗濯物を男子の教室まで持っていって、女子マネの部屋に戻れば今日の仕事は終わり。気づけば就寝時刻はすぐそこ。
カゴに畳み終えた洗濯物を詰め戻し、洗濯室を出る。重量もあるが、何より嵩張っているので持って歩くのも一苦労。
せっせと運ぶ途中で、自販機が目に入った。ぼんやりと白い電灯に照らされ並ぶドリンクを見て喉が渇き、ポケットの中の小銭入れを取り出す。
ジャスミンティーを買って、すぐそばのベンチに腰を下ろした。合宿場所の森然高校は郊外にあるとはいえ、ちょっと動くと夜でもすぐに汗が噴き出る。
冷えたお茶が喉を通ると気持ちいい。ツンと香る、強調されたジャスミンが鼻を抜けていくと、頭がリフレッシュされて好きだ。
「疲れた……」
そのまま休憩していると、ドリンクを買いに来たらしい他校の男子が前を通っていく。すれ違う際、軽く会釈されたので黙礼で返す。
硬貨を投入する音、ボタンを押す音、取り出し口に落ちていく音。それらが響いたあと、男子は去っていく――かと思ったら、空いている別のベンチに座った。手にしているのはグリーンのフィルムが巻かれた、緑茶のボトル。
別に私だけの休憩所ではないので彼が座ることに文句はない。ただ、他校のよく知らない男子とこの空間に居るのは緊張する。
「あの」
そろそろ行こうかなと思った矢先に、男子が声をかけてきた。おでこがよく見えるほど短い前髪は、吊った眉や目もはっきりと晒している。
「違ってたらごめん。中学の頃、こっちに住んでたりした?」
「へ?」
唐突な質問に、声をかけられたときと同じくらいびっくりした。驚きすぎてすぐに答えられなくても、男子は急かすことなく静かに返事を待っている。
「……中一までは東京でした」
「もしかして、杜中?」
「えっ……そうですけど」
「そのときの名字ってさ」
男子が口にしたのは懐かしい名字だった。物心ついたときから名乗っていた、最初の名字。
「なんで知ってるんですか?」
「俺、同じクラスだったアカアシ」
あかあし。あかあしくん。一年生とき同じクラスだった、赤葦くん。
「あ、赤葦くんって、赤葦くん? 出席番号一番の」
「そう。その赤葦」
記憶を遡って思い当たる男子は一人。当時私は出席番号が三番で、赤葦くんは一番。
「そっか、そうなんだ。うわぁ、ごめんね、全然気づかなかった」
「まあ、女子はともかく男子はいっぱい居るから、分からなくても当然だよ」
まさかの再会で興奮する私に、赤葦くんはちょっと表情を緩めた、ように見える。
中一のときの赤葦くんと私は、出席番号順だと間に一人挟んでいたので日直でペアになったことはない。ただグループワークの際、うちのクラスは出席番号順で振り分けた班で固定していた。そのため、私は理科室や調理室、校外学習のときも赤葦くんと同じ班で、ほぼ喋らない男子より交流があった。
「よく覚えてたね、私のこと」
「教室でジャスミンティー飲んでたことあったよね。俺、ジャスミンティーなんて飲む人ほんとにいるんだって衝撃で、それで覚えてた」
赤葦くんが、私の手元のペットボトルを指差す。私の周りでジャスミンティーを好む人はあんまり――というか、見たことがない。特徴的な香りは強いし、人によっては芳香剤だという人もいる。それでも私は、麦茶と同じくらい夏に飲むジャスミンティーが好きだ。
「似てるなって気づいたけど、名字が違ったから他人の空似かなって。でもジャスミンティー飲んでるの見て、もしかしてと思ってさ」
言うと、赤葦くんはちょっと気まずそうに視線を床に落とした。
「名字、変わったんだ」
「……うん」
それがどんな意味になるのか、高校生になれば大体察せられる。そこで留めて詮索しないのは、私が中一の頃に知っていた真面目な赤葦くんそのままで、彼は本当に赤葦くんなんだなと改めて思う。
名字は変わった。ただ、赤葦くんが知ってる一番目の名字から今の名字に変わったんじゃなくて、本当はもう一つ名字があった。
でもそれは、ここに居る誰も知らない。その名字を私が名乗っていたことも知らない。宮くんのすぐそばに居られた名字は、兵庫に置いてきた。
「マネやってるのは意外だったな。中学のときは女バレとかでもなかったよね?」
「合唱部だったよ。バレーは授業でくらいしかやったことないけど、興味あって入部したんだ」
「へえ。どう? 実際に入って」
感想を求められ、少し考える。
そろそろ一か月になるけど、ようやくルールや専門用語も頭に入り、試合の流れも理解できるまでになった。清水先輩の隣でスコア付けも始めて、何が反則でどれがアウトなのかも間違えなくなった。
そんな、まったくの素人から少しだけ知識のついた私が知ったバレーは、一言で表すなら『目が離せない』にまとまる。
ボールの行方からも、それを追う選手からも目が離せない。
きれいなフォームから放たれる強烈なスパイクや、勢いを殺して打ち上がるレシーブが決まると自然と声が漏れて、真正面から叩き落とすブロックや、ぴったりとスパイカーの手に添うトスを見ると握る拳が痛くなる。
烏野のみんなから、相手チームのみんなから、すべてから目が離せなくて、ときどき自分でも怖くなってしまうくらい――
「――バレーって、おもろいね」
勝っても負けても、うまくいってもダメでも。烏野のみんなが見せてくれるバレーは、全部面白い。
月並みな私の感想に赤葦くんは「そっか」と薄く微笑む。赤葦くん的には満足のいく答えだっただろうか。
「もっと早く知ればよかった」
宮くんのバレーは、どんなバレーなんだろう。
テレビ越しじゃなくて、目の前で跳ぶ宮くんのバレーは、どれほどおもろいだろうか。
県を越えて観に行くのは無理でも、予選は兵庫で行われていたのだから、一度でもいいから足を向ければよかった。
バレーに胸を躍らせるたびに、少しの後悔が小さく灯る。