成人の儀は、該当する者の参加が義務付けられている。そのため、一般人であろうと忍であろうと、その日だけは仕事が一切免除され、完全な休日を与えられる。
里内の呉服店では成人の儀が始まる何ヶ月も前から美しい着物が並び、同じ年頃の女性や男性たちが、何を着ようかと選ぶ姿がよく見られる。
幼い頃は、成人した女性の晴れ姿に憧れたものだ。きらびやかで豪奢な柄を身に纏い、髪をまとめて凛と立つ姿はとてもきれいだった。わたしもいつか大人になったら、あんな素敵な着物を着るのだと胸をときめかせた。
けれど成人の儀の当日、わたしは額当てをつけ、木ノ葉の忍ベストを羽織る、いつもの姿で会場へ赴いた。
「ちょっとサホ! あんた、なんで着物じゃないの?」
入ってすぐに、貴重な同い年の同期で、今も忍を続けている友人が声をかけてきた。友人は赤地の着物で、普段より少し濃い化粧をしている。友人と話していた、彼女の友達らしい子たちも、みんな色とりどりの着物姿で、着物ではないわたしを見て驚いている。
「このあと、任務が入ってるの」
「任務? 私たちは免除されてるでしょ?」
友人の返しに「本当だよ」と返すと、信じられないとばかりに疑わしげな顔を作るけれど、
「そういえばサホ、上忍だものね。上忍じゃないとだめな仕事なら……だからって、こんな日くらいはちゃんと調整してくれたっていいのにね」
と、自分で推論を立て、わたしに任務を命じた者へ向け非難を始めた。
「いいのいいの。すぐに終わるし。それに着物を選んでみたけど、どれも素敵で選びきれなかったから、ちょうどよかったよ」
友人の怒りの矛を下ろさせようと、逆に任務が有難かったと述べると、友人は「でもさぁ」と口を尖らせてみせる。けれどすぐに頭を切り替えてくれて、わたしが親しかったアカデミーの友人たちもすでに来ていると、手を引いて人の輪へと連れて行ってくれた。
「ええー! サホ、着物じゃないの?」
輪の中の友人たちにも、着物ではないことに驚かれ、その度にわたしは苦笑いを返すばかりだった。
「サホの着物姿、見たかったなぁ」
「ねー。絶対きれいなのに。写真は? 写真くらいは撮ってるよね?」
グイグイと迫ってくる二人は、元忍の子たち。忍を辞めてしまった子たちとは会う機会が減ったから、二人の雰囲気も随分変わったように思える。
「うん……まあ、そのうち」
「まだ撮ってないの!? だめだめ! 着物を着られなかったのはもう仕方ないけど、成人の写真なんて、一生に一度なんだよ!」
着物を着ないどころか、写真すら撮っていないと知ると、友人たちは信じられないとばかりに、わたしを取り囲んだ。いつの間にかわたしは輪の一人ではなく、輪の中心に立っている。
「サホのお母さんだって、サホの着物姿を見るの楽しみだったんじゃないかなぁ」
それを言われると、何も言えなくなってしまう。
遠く、火の国の他所の町で暮らしている母から、手紙は届いた。成人祝いとして贈られた封筒にはお金が入っていて、着物や写真の代金の足しにでもしなさいと。暗に、着物姿で撮影したその写真を送ってほしいという意味も込められていただろう。
だけど着ることができなかった。撮ることができなかった。
成人の儀を終えてしまうと、わたしは完全に“大人”になってしまう。
オビトやリンは、子どものままなのに。
考えると、胸を踊らせきれいな着物を選び、化粧をして澄ました顔で写真を撮るなど、とてもできなかった。
リンだって、いつか成人の儀で晴れ姿の写真を撮りたかっただろう。リンには菫色がよく似合う。菫色の着物を纏ったリンは、間違いなく里一番の美人になったはずだ。
あの化粧、何の意味もなかった。
リンがいつも施していた頬の菫色の化粧は、二十歳になるまで無事でいられますようにと占い師が言ったから、リンは言いつけ通りに毎日化粧をしていた。恐らく死ぬ直前も。
占いなんて、所詮気休めでしかない戯言。リンが死んでしまった日から、わたしはこの世で一番、占い師という職が嫌いだ。
「サホ! なんだ、サホは着物じゃないのか!?」
やたら大きな声が、わたしの名前を呼ぶ。声の出所はここから大分距離があるのに、届いたということはそれだけ大きな声を上げたということだ。
声と同じく、大きく手を振るのはガイ。着物じゃないのか、という割に、ガイもわたしと同じくいつもと変わらない格好――緑色の全身タイツに、木ノ葉のベストを合わせている。
ガイの横には、こちらも普段の私服と変わりないカカシが立っている。斜めに着けた額当ては、オビトの目を隠している。
オビトの目を、随分と見ていない。見たいけれど、その前にあいつと顔を合わせなければいけないのがいやで、ずっと我慢している。
正装している者ばかりの中、全身緑色のガイはよく目立つ。きらびやかな着物よりもずっとインパクトのある容姿のせいか、こちらへ向かってくる彼を避けるためにと、自然と道が作られ悠々と歩いてきた。
「いつもと同じ格好なんて勿体ない。着物はどうした?」
「うん、ちょっとね」
「『ちょっとね』ではなかろう! 晴れの日に晴れ姿をせずに、一体いつするというのだ?」
「ガイだって普段通りじゃない」
そっくりそのままお返しすると、ガイは腕を組んで不敵に笑った。
「ふっふっふっ。これはこの日のための特注タイツだ! いいか、ほら、ここをよく見ろ! いつものタイツと違い、金の糸を織り込んでいる!」
「へえ……」
タイツを少し摘まんで伸ばして見せるので確かめると、確かに金の糸がキラキラしていた。でも、遠くから見たらいつもと変わりない姿でしかない。
「よし! せっかくだから、オレたち三人で青春に満ちた写真を撮ろうではないか!」
ガイがわたしの腕を引っ張って、カカシの下へと連れて行こうとする。言葉よりも早く足に力を入れて踏ん張って、
「わたし、お世話になった先生たちに挨拶してないから。今から行くところなの」
「むっ。なに、あとででも構わんだろう」
「だ、だめだめ。こういうのは、きちんと先に済ませてからじゃないと」
わたしが苦し紛れに出した理由に、ガイは「それもそうだな」と納得してくれて、すぐに腕を解放してくれた。挨拶が終わったら待っているからな、と白い歯を見せられたけれど、返事はしなかった。
お世話になった先生への挨拶や、三代目火影であるヒルゼン様からの言葉を頂いたあと、わたしはすぐに会場を後にした。なんなら瞬身の術を使った。ガイに捕まったら終わりだから、なりふり構っていられなかった。
原則に従い任務を受けることができなかったため、わたしは自主的に『次の会議で使用する、封印術に関する資料の確認』という任務を、人気のない資料庫の隅で遂行している。
もちろん正式な任務じゃないので、わたしがこんなことをしていることがバレたら何か言われるだろうけれど、バレなければいいだけだ。
成人の儀で、三代目は『戦争を経験している者だからこそ見えること、聞こえること、感じることを忘れないように』と仰っていた。
あの壇上で、そんな風にわたしたちに言葉をかけたのはミナト先生だったかもしれない。正しい未来は、ミナト先生だった。一足先に成人になっていたオビトやリンと、カカシと四人で、お酒を飲みに行ったりしたはずだ。
現実は、一人ぼっちだ。
わたしの傍にはオビトもリンも居ない。ミナト先生は火影室に居ない。クシナ先生は、ナルトを連れて里を歩いたりしていない。
わたしに唯一残されたカカシは、わたし自身が遠ざけた。
大人というのは、何でも一人でできるようにならなければいけない。一人で暮らしたり、任務も一人でこなしたり、一人で買い物して遠出できなければいけない。
だからこうして一人ぼっちになるのは、大人の証だ。
大人になりたくないのに、みんなが居ないから、わたしは大人になってしまう。
さすがに何時間も資料の確認などしていられないので、意を決して、『任務が終わったら来て』と指定されていた居酒屋に向かう。女だけで集まって飲んでいるから、絶対に来るようにと何度も念を押された。
居酒屋はいわゆる大衆向けではなく、女性向けの綺麗な内装だった。どちらかというと大人のカフェと言ったところ。
木ノ葉の里にもこんなオシャレな居酒屋ができたんだなぁと、店員に案内された個室に着くと、賑やかな声が飛び交ってかなり盛り上がっていた。
「あっ、サホ!」
「サホ〜! お疲れ〜!」
あちこちからわたしの名前が上がって、持っているグラスを掲げられたり、手を振られるので、その勢いに圧されてか、小さく頭を下げる挨拶を繰り返してしまう。
みんなもう着物は脱いでいて私服だ。わたしもせめて私服に着替えてくればよかったかなと思いはしたけれど、いちいち部屋に帰るのも億劫だ。
「はい、サホここね。何飲む?」
「え、えーと……」
「とりあえずビールじゃない? すいませーん! 生一つ!」
手を引っ張られて空いている席に座らされ、メニュー表を手渡されたけれど、豊富な品数からすぐに決めろと言われても難しい。わたしの返事を聞く気もなく、別の友人が勝手に生ビールを注文した。まあ、決めきれなかったし、何でもよかった。
わたしの手元に、細かい泡が立つジョッキが来て、乾杯の声が響いた。ガチンガチンとガラスの触れ合う音があちこちで響く。
「みーんなサホのこと待ってたんだよ!」
「あ、そうなんだ。ごめんね、遅れて……」
「いやー、もうさ。男子どもが、ほら、サホきれいになったでしょ? だから声かけたかったみたいだけど、あんたさっさと帰っちゃうからさぁ!」
「そ、そうなんだ……」
友人たちは皆、大声でわたしに話しかける。大きな声じゃないと、周りの騒がしさに負けて届かないから仕方ないけれど、圧倒されてわたしはまともに会話ができない。
この店に集まったのはアカデミーに通っていた子たちが半数で、自然とわたしたちはアカデミーに通った子、そうではない子と二手に分かれ、それぞれの思い出話に花を咲かせた。
アカデミー時代の先生の話、授業の話。卒業してからのことや、今の職のこと。わたしと同じく、今も忍なのは二人だけ。二人とも中忍で、上忍になったわたしに「すごいよね」と感心する言葉を向けてくれた。
「今も忍を続けてるなんて、それだけでもすごいのにね」
そう言ったのは、戦争が終わってすぐに、料理人になると言って忍を辞めた子だ。わたしに散々『言い訳』をしていたことを思い出すと、鎖骨の辺りがモヤモヤとするけれど、わざわざそれを表に出す幼稚さはない。昔のことだ。
「戦争が終わってよかったけど、色々あったよねぇ」
カランと、誰かのグラスの氷が鳴る。戦争で失った同期は何人も居る。オビトとリンも、その内に含まれる。
「そういえばサホは、リンと仲良かったよね」
誰かがわたしに言う。みんなの視線がわたしに集まって、それから逃げるように少し顔を俯かせた。
リンのことには触れてほしくない。だけど、ここで変な態度を取って、空気を壊すことも憚られる。幼稚さをなくして、“大人”としての処世術を学んで知っているわたしは、無言を選んだ。
「確か……カカシくんに、だっけ」
ああ、リンの死のことを、話す気でいるんだ。
この場から逃げ出したい。今すぐ席を立って、お金を置いて店を出て行きたい。聞きたくない。聞きたくない。
「あれは仕方ないことだったって聞いたけど……まあね。サホがカカシくんにきついのも、理解できるかな」
わたしの隣に座る友人が、カカシがリンを死なせたことを『仕方ないことだった』の一言で済ませた。そして、わたしに対して気を遣って、『理解できる』とも言った。
何が仕方ないものか。何が理解できるというのか。
何も知らないくせに、寄り添わないでほしい。わたしの心はどんどんと殺伐としていく。必死で抑えているけれど、早くこの話題を終えて、別の、何でもないどうでもいい話に変わってくれないだろうか。
「好きな人の手で死ぬって、どういう気分なんだろうね」
この卓についている全員が、リンのことに思いを馳せて口を閉じていると、その静けさを破ったのは、誰かの呟きだった。
「え……?」
何を言っているか一瞬理解できずに声と共に顔を上げると、みんながわたしの方を向いて、目を丸くしていた。
「あれ? サホ、知らなかった? リン、はたけくんのことが好きだったんだよ」
斜め向かいの友人の言葉に、わたし以外の他のみんなが頷いて「アカデミーの頃からだったよね」「うんうん」と頷き合っている。
「え……うそ……」
知らない。知らなかった。そんなの、初めて聞いた。自分の口から漏れる声は震えていた。みんなは、わたしの声や表情などから、本当に知らなかったのだと分かり、驚いている。
「あんなに仲良かったのに、気づかなかった? リンっていつもカカシくんを見てたじゃない」
「はたけくんが組手で勝ったりすると嬉しそうだったし、時々うっとりしてたよね」
「でもさ、近くに居ると、逆に分かんないものなんじゃない?」
「あーそれはあるかも。それにリンって、みんなと仲良かったしね」
「それでもやっぱりカカシくんを見る目は違ったなぁ。ほんとに好きなんだなぁって思ったもん」
皆、口々にリンがカカシを好きだったという思い出を振り返る。リンの好きな人のことを今ようやく知ったわたしは、当然それには参加できない。
そうして話はやっと、リンのことから別の誰かの思い出話になって、最近のことになって、今度みんなで遊びたいねという、過去から現在、未来の話へと移っていった。
リンって、ずっとカカシを見てたの? オビトじゃなくて?
だって、オビトはリンに、火影になる自分を見ていてほしいって頼んで、それでリンも、うん分かったって、言ってたよね。
うっとりしてた? カカシに? 本当? 知らない。見たことない。
どうしてわたし、気づかなかったんだろう。あんなに近くに居たのに。
ああ。そっか。
オビトがリンばかり見ていたように、わたしはオビトばかりを見ていた。
だから気づかなかった。わたしが見えていたのは、オビトとその視線の行方だけ。リンの視線の先までは見ようともしなかった。
もしかしたら、オビトはリンがカカシを好きだったことを、知っていたのかもしれない。わたしが好きな人の好きな人を知っていたように、オビトもまた、リンの好きな人のことを。
だから、あんなにもカカシをライバル視していたの? 張り合って、『カカシだけには』と。
全てのパズルのピースが、一つ一つ嵌めこまれていく感覚に、頭が支配される。
オビトはリンが好きで、リンはカカシが好き。
カカシは、オビトの左目で、オビトが好きだったリンを死なせた。
リンは、好きな人の手で、好いてくれる人の目で、自ら命を絶った。
なに、これ。何なのこれ。ひどい話だ。ひどすぎて、言葉も出ない。
あの三人は、三人だけで完結する悲劇を作ってしまった。
分かっていたことだけど、わたしは、あの三人の中に入る余地が本当になかった。
わたしは一人ぼっちだ。
大人になってもならなくても、もう最初から、一人ぼっちだった。
わたしはいらなかった。ずっと前から、あの三人に必要なのは、三人だけだった。
リン。あなたは、あのときどんな気持ちだったの。カカシの右手に貫かれたとき、何を思ったの? あなたが最期に見たのは、『オビトの目』じゃなくて、『はたけカカシ』だった?
今のわたしやカカシを見て、どう思うだろう。あなたの親友だと誇らしげに、あなたの好きな人のことを憎んで責めるわたしを。生きているというだけで、あなたの好きな人と共に大人になったわたしを。
言葉にできない罪悪感が、わたしの中で、どんどんと膨れ上がっていく。