最果てまでワルツ | ナノ
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 オビトやリン、クシナ先生やミナト先生が亡くなって以降に築いた、カカシとの殺伐とした関係が、ほんの少し丸みを帯びてきて、ちょうどいい距離感を掴み始めていた。
 それも、カカシのあの一言で全て水の泡になった。
 わたしはカカシが在宅していると分かったら、絶対に窓もカーテンも開けなかったし、資料整理という名目でアカデミーの書庫に籠ったり、一人暮らしをしている女友達の部屋に泊めてもらうことが増えた。
 カカシは何度かわたしに接触しようとしているらしいが、応じる気はない。

「カカシ先輩、本当に悪かったと思っているみたいですよ」

 夜中に訪問してきたテンゾウは、カカシとわたしの関係が再び悪化したことに困りきっているようだ。
 けれど、いくらテンゾウが悲しい顔をしたところで、カカシと向き合う気にはなれない。

 きっとわたしたちは、距離を置くべき関係なんだ。近づいた分だけ傷つけ合うんだから。

 わたしはどうしようもなかったリンの死を責めてカカシの心を傷つけた。カカシもわたしのオビトへの想いを馬鹿にして心を傷つけた。
 傷つけ合ったのはどちらも、『距離が近づいたとき』だった。カカシをカカシと呼んでずっと親しくなった、隣に住むようになって荒立っていた仲が柔く凪いできた、そのときだ。
 針のある鼠が身を寄せ合うと相手を刺してしまうみたいに、一定の距離まで近づくと傷つけ合う。わたしたちはそういう星の下に生まれたのではないかとさえ思えてくる。
 だったら近づかない方がいい。テンゾウがカカシを心配するのなら、わたしなんかをカカシに会わせるべきじゃない。わたしはどうやったってカカシを傷つけてしまう人間なんだから、カカシを守るためにわたしなんか遠ざけておくべきだ。
 距離を取るなんて簡単。リンが死んでしまってからのわたしたちをなぞればいい。チリチリと焦げるような痛みも、そのうち慣れるだろう。



「はい、引いて」

 ようやく緊張せずに入室できるようになった上忍待機所で、女性の先輩上忍に差し出されたのは棒がたくさん入った筒。くじ引きらしく、何のくじ引きなのかと問うたけれど「いいから引いて」と言われ、渋々引いた。

「おっ、あったり〜」

 わたしが引いた棒の先は、赤く塗られていた。先輩上忍曰く、当たりらしい。

「あの、これって何のくじ引きなんですか?」
「毎年この時期になると、アカデミーの子たちへの特別授業をするのよ。ほら、アカデミーの頃に受けた覚えない?」

 言われて思い返す。確かにアカデミー時代に一度だけだけど、教師ではなく前線で活躍する忍の人たちが教室へ来て、何人かで班を作り、色々と指導をしてもらった記憶がある。

「一応、希望者を募るんだけど、毎年引き受けようって奴が誰も居ないから、こうしてくじ引きするようになったの」
「へえ……どうして皆さんやりたくないんですか?」

 アカデミー生への指導は、通常受けるAやSランク任務と違って危険も少ないし、一日だけで済む。そう考えると実に楽な任務だから、やりたがる人が多いイメージだ。

「これ、任務じゃなくて完全ボランティアなのよ。無償よ無償。なのに報告書は提出しなきゃいけなくて面倒だし、おまけに相手はアカデミー生だからね。クソガキも当然居るの。アカデミー生の頃に、覚えない?」
「えーと……」

 あるかないかと言われたら、そういう子たちはいつの時代にも何人かは居る。それを『クソガキ』と称するか、『やんちゃな子』と称するかは、受け手側の判断次第だ。ちなみにわたしは『クソガキ』でも『やんちゃな子』でもなく、強いて言えば『普通の子』だったろう。

「そいつらの班に当たったら、そりゃあもう血管の一本二本はぶち切れそうになるわよ。少し前までは、クソガキたちもちょっとマシだったのよ。大戦の頃の雰囲気を覚えてたから、人は案外あっけなく死ぬものだって理解できてた。戦後にアカデミーに入った子たちは戦時中の記憶なんてほとんどないし、子どもたちにとっては所詮は過去の話なのかしらね。危機感もあんまりないから、口だけはよく回る子が多いのよ。覚えない?」
「いえ……わたしは戦争中に下忍になりましたから……」

 忌々しそうに眉間に皺を寄せる先輩上忍は、どうやら以前、特別授業の講師としてアカデミーに向かい、血管の一本か二本がぶち切れそうになったようだ。わたしは戦後にアカデミーに入った世代ではないので、先輩が言うような子たちに覚えは全くない。

「というわけで。特別授業の講師、よろしくね」

 にっこり笑って、肩にポンと手を置かれた。そんな話を聞かされたあとで、こんな笑顔を送られても、自然と顔が引きつってしまう。



 アカデミー生への特別授業の講師として向かったわたしは運が良かったらしく、聞き分けのいい、素直な子たちばかりの班に当たった。
 わたしと同じく、くじ引きで当たってしまった特上のゲンマが、「オレの千本が火を噴きそうだ」と真顔で呟いたのを、後ろを通りかかった際に聞いて、思わず苦笑いになってしまった。

「チャクラの練り方も、印の結ぶ速度も、何度も練習を重ねていけば、きちんと上手くなるよ。逆に言えば、毎日の鍛錬を怠っていると、咄嗟のときに体がついていかなくなる。なるべく自分に合ったやり方を見つけて、習慣付けるのがいいの」

 額当てもしていない、顔に幼さ特有の丸みを持つ子たちは、小さな手の形を一所懸命に変えていく。

「先生。あたし、辰の印がうまく結べないんです」

 班の内の一人の女の子が、不格好な辰の印を見せながら、わたしに困った顔を向ける。『先生』と呼ばれるくすぐったさに堪えながら、彼女に視線を合わせるために少し背を曲げた。

「辰の印か。どの辺が難しい?」
「あの、親指を、いつも左が上なのに、右を上にしちゃったり、あと小指同士がうまくくっつかなくて……」

 辰の印は、人差し指、中指、薬指は左右組み、小指は伸ばして腹同士を合わせ、親指は左を上にして軽く重ねる。小指をきちんと合わせること、親指は左を上にすることが大事なのだけど、この子の小さな手では、まだ思うようには動かせないらしい。

「そうだなぁ……あなたは今はまだ、うまく指を動かせないかもしれないけれど、それこそ体に叩き込むように、毎日毎日繰り返したら、絶対に結べるようになるよ」
「本当ですか?」
「うん。わたしも、昔は丑の印がうまく結べなくてね」

 不安そうな少女に、わたしは自分の経験を思い出しながら言葉を向けた。アカデミーに入ったばかりの頃、わたしは丑の印がどうしてもうまく結べなかった。そのせいで一緒に組んだ班の男子に責められて、そこをオビトが助けてくれた。わたしの淡い、恋の思い出の一つだ。

「わたしもそのとき、相談した先生に『手が小さいからまだうまくできないだけ』って言われたの。それで、諦めないでずっとずっと練習してたら、今は――ほら」

 少女に見せるために、わたしは一瞬で丑の印を結んだ。わたしにとってはもう普通の速度だけれど、アカデミーの子たちからすれば目を輝かせるに値するほどのものらしく、感嘆の声を上げている。

「ね? 大きくなれば、指の動きも滑らかになるし、きっと結べるよ。でも、体が成長しても、結ぶ癖がついていないと意味がないから、やっぱり毎日の積み重ねが大事なの」
「はい!」

 辰の印が苦手な女の子は元気よく返事をして、班の他の子たちと一緒に、子から順に印を結んでいく。他の子たちも不得意な印はあるようで、つっかえながらではあるけれど、一つ一つをしっかりと繋いでいく。
 ふと、彼女たちに説明をしながら、いつの間にかすっかり丑の印に困らなくなった自分を見つけた。日々練習を重ねていくうちに、丑の印が苦手だったことは過去になっていた。
 あのときの教師が言ったとおりだ。かつて小さかった手は、切り傷はもちろん、マメが潰れた痕や、クナイや刀をで作られたタコがあって、ふっくらと柔らかい白魚の手とは決して言えない。
 それに封印術は高度なものになると印の数も増える。丑の印がどうだのと言っている暇はない。何度も突き指しそうになりながらも、無理矢理にでも結んでいかなければ。
 印を熱心に結ぶ子たちには笑顔が溢れている。アカデミー生はまだ血生臭いものには縁がない。どこぞの里と違い仲間同士で殺し合うなんていう風習もないし、一応戦争がない今は昔より平和な学校生活を送っているはずだ。
 子どもたちを見ていると、自分の昔がどんなものだったか考えてしまう。
 オビトが居て、リンが居て、わたしが居て――カカシも、居た。少なくとも半年近くは共に過ごした。
 小さい頃から、口が良いとは言えなかった。けれど、マスクで隠している唇が発するのはいつも正しいものばかりだった。


「オビトオビトってうるさい割には、あっさり鞍替えするんだね」


――だったのに、あんなこと言うなんて、誰が思っただろう。
 カカシはよく厳しいことを言うけれど、傷つけるようなことは言わなかった。咎めるにしても、ただひどい言葉を投げるのではなくて、道理を説く口調は落ち着いていた。少なくともわたしにはそうしてくれていた。
 それなのに、鞍替えとか、器用だとか、あんなに嫌味めいたこと言い方するなんて。思い出すだけで胸がチクチク痛むし、苛立つし、気分が落ちて、何だか全部がいやになる。

「先生、変化の術を見てもらってもいいですか?」

 班の男の子が声をかけてきたので、カカシのことを考える頭の舵を無理矢理に動かした。カカシにはもう関わらない方がいい。考えるのもやめなければ。目の前の生徒たちのことに集中しよう。



 アカデミーでの特別授業は夕方には終わった。班の子たちを含めた全員から「ありがとうございました」と頭を下げられ、今回特別講師として参加した特上や上忍たちは、各々のペースで校舎を背にした。達成感と充実感を携えるわたしと違い、隣を歩くゲンマは両肩を落としている。

「ゲンマ、お疲れだね」
「あいつらを串刺しにしなかったオレを褒めて欲しいぜ」

 くわえているいつもの千本を上下に揺らしながら、ゲンマは顔を顰めている。

「そんなに大変だったの?」
「オレはどうやら『クソガキ班』に当たったらしいからな。推して知るべし、だ」

 その説明だけで、ゲンマが相当に大変だったことが窺える。ゲンマは軽口を叩くことはあるけれど、基本的に誰かを貶しめる人ではない。そのゲンマにこんな顔をさせ、こんなことを言わせるのだから、件の『クソガキ』たちはかなり手強かったらしい。

「先輩が『今の子は口だけはよく回る子が多い』って言ってたよ」
「まったくだ。あいつらクナイを握ってる時間より喋ってる方がずっと長かったぞ」

 相当お喋りな子たちだったらしい。わたしが受け持った班の子たちもよく喋っていたけれど、あくまでも忍術のことについてだったし、全員真面目な子だった。
 この様子を見ていると、特別授業の講師に立候補する人が居ないのも分かる気がしてくる。わたしはたまたま運が良かっただけで、もしかしたら『クソガキ班』に当たって、懐かしの校舎へ足を向けたくなくなってしまったかもしれない。

「時代は変わっていってるからな。目に見える形の戦争が終わったんじゃ、アカデミーの生徒も、具体的に何をどう目指せばいいのか分かんないだろうよ。そりゃ、手より口が動くわな」

 ゲンマが顔だけ振り返り、後ろの校舎を一瞥して言う。わたしも同じように校舎を見やると、夕焼けに照らされて朱く染まる壁や、反射する窓が見えた。
 戦争が終わって、五年以上が経った。今回担当した子たちが八歳だったから、その子たちが三つの頃の話だ。アカデミーに在籍している生徒全体で考えても、戦時中の記憶がはっきりと残っている年頃の子の方が少ない。
 時代は変わっていってる。思うと、足の動きが重くなってきた。

「あー疲れた。サホ、飯でも食いに行くか」

 鈍くなった足は、ゲンマとの距離を空ける。少し先で止まってわたしに振り向くゲンマが食事に誘う。
 うん、行く。返事はすぐに出るはずだった。
 でも喉でつっかえて、開きかけた口を一度閉じる。

「ごめん。これから用があって」

 咄嗟についた嘘を、ゲンマは見抜いたかもしれないけれど、「そっか。じゃあな」の一言だけを返し、わたしを置いて、食事処が多数ある通りへと足を向けて行った。
 誘ってくれて、断れば文句を言うでもなくあっさり引いてくれたゲンマに、じわりと罪悪感が湧く。
 だけど、ゲンマと二人で食事に行く気にはなれなかった。カカシに尻軽扱いされたことを考えると、異性と二人で食事をするのは、それを裏付けているみたいで癪に障った。
 肺に溜めた息を深く吐く。考えたくないのに、すぐにカカシのことを考えてしまう。
 こんなにも引きずるのは、プライドを傷つけられたから? 有り得ないことを言われたから? いくら考えても分からない。
 ただ、カカシ以外に言われたらと仮定しても、多少腹は立つものの、そこまで根に持つことはない。毎日が割り切りの連続である忍生活を続けているし、先日の『エリート狙いで身の程知らずの、傲岸不遜な女』として陰でヒソヒソされていたのもあり、ろくに親しくもない相手からの悪口などはサッと流せる癖が身に着いた。
 だから、わたしがこんなにも、あの言葉にショックを受けて傷ついたのは、カカシだからだ。
 わたしがオビトをどれだけ好きだったか、他の誰でもない、カカシが一番分かっているはずだと思っていた。わたしの恋をずっと近くで見ていて、カカシを恨む理由だってオビトのことだと分かっている。不本意だろうけれど、カカシはわたしの、一番の理解者のはずだった。
 リンを守るという約束は破った。だけどいつも、カカシは正しくて、信じていた。恨んでいるのに、それでも『はたけカカシ』という人間の正しさを、わたしは心の底では信じていた。
 そんなカカシにあんなことを言われて、だから悲しかったのだろう。そうでなければ、どうしてこんなにもつらいのか。分からない。カカシの考えていることも、自分のことも。



 ゲンマと別れたあと、ゲンマが向かった方向とは逆の通りを歩いた。ここのところ毎日遅くまで任務が続いて、家に帰るのは夜中だった。夕方とはいえ、明るい里も久しぶりだから、少し散歩でもしてから帰ろう。ついでに買い出しも済ませよう。
 狭い通りが続くこの住宅地に、キクおばあちゃんの家があるのを思い出した。上忍になる前から忙しくてほとんど会えていない。少し顔を出して、それから買い物にでも行こう。
 思いついて、キクおばあちゃんの家へ向かったら、家はあるのに表札がなかった。キクおばあちゃんの名字が彫られた木の板が掛けられていた石柱には、その部分だけが切り取ったように一際明るい跡が残っている。

「もしかして、引っ越した……?」

 表札がないということは、この家は空き家。少なくとも、もうキクおばあちゃんは住んでいないようだ。
 では、おばあちゃんはどこに引っ越したのだろう。おばあちゃんには里の外で暮らす子どもが居るから、もしかしたらそちらで一緒に住むことになったのかもしれない。

「その家に何か用?」

 おばあちゃんの家をぼんやりと眺めていると、隣の家の門から、おばさんが一人顔を出してわたしに訊ねる。

「あ、はい。あの、こちらに住んでいらっしゃったおばあさんは、今どちらに?」
「あんた、キクさんの知り合い?」
「はい。子どもの頃からお世話になっていて、飴を頂いたり、荷物を家まで持ったりして……」

 わたしの正体が気になっているおばさんに、正直にキクおばあちゃんとの関わりを説明した。特に疑われるようなことをした覚えはないし、木ノ葉隠れの里の忍の証である額当てもしている。あちらもそれは分かっているのか、一つ大きな息をついてから口を開いた。

「キクさんね、ひと月前になるかしら。風邪をこじらせて、そのまま亡くなっちゃったのよ」

 突然の訃報に、両肩に力が入った。指先にも力が入って、重ねていた手に、グローブ越しでも片方の爪が食い込む。

「他所の町に住んでる息子さんと娘さんが来て、パパッと葬儀をして、挨拶をして回ってね。それで、この家はもう空き家になったのよ」

 おばさんは言いながら、キクおばあちゃんの家――だった空き家を見やった。雨戸は全て閉められていて、玄関に置いてある鉢は、よく見るとどれも枯れている。長いこと手入れをしていない証拠だ。

「今年は風邪をこじらせて、ってのが多くてね。カロクさんも、ジロウさんも、フミさんも、みんな風邪がもとで亡くなってるのよ」

 次々挙がる名前は、どれも知った人だった。正確に言うと、オビトが親しくしていて、ついでにわたしもお喋りしたりするようになったおじいさんやおばあさんたちだ。
 その人たちが亡くなっていることも、今初めて知った。最後に会ったのは、何ヶ月も前にはなるけれど、みんな元気だった。いつもみたいに、飴をくれたり、お煎餅をくれたり、荷物を持ってあげたりして、ニコニコと「サホちゃん」と呼んでくれていたのに。
 何度見ても、石柱には表札はない。やけに白く際立つ長方形が、もう誰も残っていないよ、とわたしに囁いている。



 キクおばあちゃんの家の隣のおばさんに、教えてくれた礼を言ってから、おばあちゃんの家だった場所から去った。
 買い物に行く予定だったけれど、そんな気になれるはずがない。だけど部屋の冷蔵庫は寂しいし、今後の予定を考えると日持ちするものを買っておきたい。
 商店街に足を向けてはみたものの、何が食べたいなどという気も湧かず、だから食料を買う気にもなれず、ただブラブラと店先を覗いているだけだ。

 キクおばあちゃんが亡くなったこと、オビトに伝えなきゃ。

 キクおばあちゃんだけじゃない。カロクおじいちゃんも、ジロウおじいちゃんもフミおばあちゃんも、オビトのことをすごく好きだった。オビトが死んだことを告げたときも、みんな自分の孫を想うように泣いてくれたし、オビトとの思い出話は定番だった。
 みんなが亡くなっていることを教えなくては。だけど、先に死んでしまったオビトは、もしかしたらもう知っているかもしれない。

 おばあちゃんたちは、オビトに会えたかな。

 だとしたら、羨ましいなと思ってしまう。
 死にたいとは思わない。今ここで死んでしまうのは、オビトの意志を継ぐと決めた自分に反する行為だ。
 ただ、オビトに会いたくなる。オレンジ色のゴーグルと、うちはの家紋の赤色がよく似合う、太陽みたいに笑うオビトにまた会いたい。
 懐かしさに駆られて、いつもオビトやリンたちと入った、お菓子の店に足を向けた。分厚い眼鏡をかけたおばあちゃんのお店。子どものお小遣いで買える、安価なお菓子ばかりを取り扱っていて、修業を早めに切り上げた日はみんなでお菓子を買ったあと、店先の長椅子に座って食べたものだ。
 あそこは、オビトとの思い出の一つだ。額当てを付けていない、小さかった頃のオビトが、長椅子に座っている。

 会いたい。会いたい。オビトに会いたい。

 気づけば足は駆けていて、普段は息切れなんてしないのに、呼吸の感覚は短くなっている。
 あの角を曲がればすぐに。道行く人たちにぶつからないように、体の向きを調節して進み角を曲がれば――

「……ない」

 店の前に出されていた長椅子がなかった。それどころか店の戸は閉まっていたし、看板も下げられている。戸に白い貼り紙があったので、急いで寄って読むと、先月末に、店主の都合により閉店する旨が記されてあった。

「そんな……」

 そんなことってあるだろうか。キクおばあちゃんたちが亡くなって、オビトとの繋がりを必死に求めたのに、またオビトとの思い出が消えてしまった。
 戸に手をつけても、木の板の乾いた感触しか伝わってこない。戸が開く気配も、その奥に誰かが居る気配もない。

「どうして……どうして……」

 崩れそうになる体を、柱の一つに寄りかかることで何とか支えた。その柱には、随分と色褪せてかすれているけれど、いまだ残る印があった。

「これ……オビトの……」

 印は、横に一本引かれていて、そばには小さく『オビトちゃん7歳』と書いてある。
 これは、わたしたちがこのお店によく通っていた頃、おばあちゃんがオビトのためにつけた印だ。
 親が自分の身長を計ってくれて、家の柱に印をつけるという、わたしもリンも経験している思い出がオビトにはなかった。計ってくれる人が居なかったからだ。その話を聞いたおばあちゃんが、それならと、店の入り口の柱に、オビトの身長を計って印をつけてあげた。オビトはとても喜んでいた。
 それから毎年一度は計るようになっていたけれど、印は『オビトちゃん11歳』で終わっている。その頃から下忍としての任務や修業で忙しく、計る機会がなくなってしまったのだろう。
 幼いわたしより、いつも高い位置にあった印全てを、わたしはもうとっくに追い越している。

 オビトとの繋がりが、どんどん消えていく。
 色々なものが変わっていく。色んな人がオビトを置いていく。
 わたしも、オビトを置いて成長している。
 オビトの年齢を追い抜いて、オビトの身長も追い越して。


「戦後にアカデミーに入った子たちは戦時中の記憶なんてほとんどないし、子どもたちにとっては所詮は過去の話なのかしらね」


「時代は変わっていってるからな」


「キクさんね、ひと月前になるかしら。風邪をこじらせて、そのまま亡くなっちゃったのよ」


「カロクさんも、ジロウさんも、フミさんも、みんな風邪がもとで亡くなってるのよ」



 オビトが死んで、七年経つ。
 七年という年月は、戦争を知らない子がアカデミーに入り、新しい時代築かれ始め、おばあさんおじいさんたちが亡くなり、いつまでもあると思っていた店がなくなるには、十分な時間だった。
 わたしも七年かけて、少女から女へと変わった。低かった背は伸びあの頃のオビトを越え、すとんとしていた丸太のような体は膨らみとへこみができて、化粧もすっかり習慣になった。一人暮らしをするようになって、知らない男の人から告白されることもあって、背中には大きな傷を負って上忍になった。

 オビトだけが、あのときのままだ。
 額当ての上にゴーグルをして、早く写輪眼が欲しいと願っていて、カカシとよくケンカして、リンを大好きで、わたしが大好きな、十三歳のオビトのまま。

 急に怖くなった。胸が苦しくて、苦しくてたまらない。
 オビトは取り残されている。あの日のまま。あの岩の下で。
 時の流れの残酷さを前にして、わたしの全身に恐ろしさが駆け巡る。

 だめ。
 だめだよ。
 オビトが一人ぼっちになっちゃう。
 まだあの岩の下に居るのに。
 みんな置いていっちゃう。時代も、人も、里も――わたしですらも。



48 右から二番目の星は砕けていた

20181202


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