最果てまでワルツ | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



 封印術というのは、口伝を主体として受け継がれている。巻物や本などで得られる知識は、中忍が使える程度のものしかない。それより高度な封印術を学ぼうとすると、既に習得している者から直接教わるか、わずかな文献から自分で知識を補い覚えるしかないのが現状だ。
 わたしはいずれクシナ先生から教わるはずだったけれど、残念ながらクシナ先生は他界してしまった。亡くなられてすぐは、まだ書物からの知識で賄えていたけれど、里で保管されている書物のうち、わたしが理解できるだろうものに目を通し終えてしまうと、一人での修業は頓挫してしまった。
 そこで、わたしが新たに師事したのがセンリ上忍。クシナ先生が亡くなって以後、高度な術が扱える封印術者を育てる名目で、里内の封印術者はよく顔を合わせており、その集まりをきっかけに修業をつけてもらえることになった。

「サホは素質型なのね。いいよいいよ。一族タイプはクセがあるから得意不得意に差が出やすいけれど、素質型は一族特有のものは使えなくても、本人の努力次第では万遍なく扱えるからね」

 センリ上忍はクシナ先生よりいくらか年嵩の女性で、くるくると癖のついた長い黒髪が特徴だ。
 クシナ先生はうずまき一族の“一族型”。わたしとセンリ上忍はいわゆる“素質型”なので、自分に近いタイプだからか感覚が似ており、クシナ先生のときとは違う形で相談しやすい。

 新たな師を得たわたしの修業は、一人で巻物に向かい合っていた頃よりも格段に充実していた。
 何でもズバズバ言うセンリ上忍からは、

「印の結び方、下手ねぇ」

「チャクラの量を一定に保てないなんて、アカデミーからやり直してくる?」

「これ覚えてないの? 中忍なのに? 中忍なのにィイイ?」

などと精神的にグサグサと刺さるきつい言葉もかけられる。淡々と指摘するとか、やんわり指摘するというのは得意ではないらしい。
 しかし、下忍時代からヨシヒトより、

「ものすごくオブラートに包むけど、今日の肌って木の皮?」

「髪のうねりはチャクラのうねり。チャクラの練りが悪いのは自分に手を抜いているから」

「その格好でよく僕の前に立てるね」

と容赦ない言葉をぶつけられていたわたしは、学ぶことに関しては早々に折れない頑丈な根性を手にしていたから、何てことはなかった。
 それにセンリ上忍はわたしが上手くやれば手放しで褒めて喜んでくれるし、弟子のわたしを彼女なりに可愛がって指導してくれていると伝わっているからつらくない。
 上忍が扱うレベルの封印術は、さすがに難しさが桁違いだ。今は並行して二つの術を学んでいるけれど、どれもまだ身についていない。

 もちろん、封印術だけではなく、他の忍術や体術も鍛えている。最近は風遁だけでなく、火遁の術もいくつか習得した。いざというときに前線に出られず、木ノ葉隠れの里を守れなかったなんてことにはなりたくない。
 幸いにも風遁の術に関しては、ミナト先生のおかげで基礎や応用がしっかり出来上がっていたので、書物を読んで繰り返し練習すれば、独学でも上級忍術に手が出せるようになった。
 幻術、体術の面は、暇を見つけてはヨシヒトやナギサに付き合ってもらっている。
 それと、うるさいけれど、もう一人。



「サホ! 今日の鍛錬は、実に有意義なものを考えてきたぞ!」

 全身を緑色のタイツで包み、腰には額当て。その腰を支える様に両側に手を当てて、ガイは仁王立ちし、大声を上げた。

「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ」
「そうか!」
「だから……」

 ガイに何を言っても無駄だ。今居るのは屋外の広い鍛錬場だし、大きな声を出してもさして問題はない。けれど、常に腹式呼吸で生きているようなガイの声はよく通るから、鍛錬している他の人たちに何事だと注目されるのがいやだ。

「まあ、いいよ。それで? 有意義なものって、何?」
「うむ。サホを鍛えるのは、オレの復習にもなり、自分が気づかなかった一面を知ることができて勉強になる!」
「そう。それはよかった」

 ガイが『鍛える』と言っているように、わたしが全力を出しても、ガイが満足するような相手は務まらない。忍術に関してはわたしの方がほとんど勝てるけれど、体術は同期の中でもガイがずば抜けている。

「ということはつまり、サホもまた、他人の鍛錬や組手を見ることで、自分に足りない部分を探すことができるのではないかと思うのだ」
「ああ、なるほど。それはそうかも」

 見ているだけより、実際にやってみる方が理解できる。そして全体をざっくり理解して経験を積んだ上で、今度は客観的に見ると、また新たな気づきが出てくる。一部では『脳みそも筋肉でできている』などと揶揄されているけれど、ガイは意外と頭が回る方だ。いわゆる直感型だけど、物事の真意を見極める目は優れている。

「だけど、体術でガイと組手をやれる相手なんて、もう上忍くらいしかいないんじゃない?」

 今はまだ中忍のガイだけど、体術だけで言えば上忍クラスだ。最近では忍術の面でも日夜努力を積み重ねているようで、特別上忍や上忍になるのも遠くないだろう。

「そうだ! そこでだな、上忍で、尚且つ時間を取ってくれと気軽に頼める相手。そしてオレのこの熱き魂が燃える相手――相応しい者が一人いる!」

 ガイは握り拳を震わし、目を爛々と輝かせ、抑えきれない興奮で口元は緩んでいる。

「まさか……」

 その様子とガイの言葉で、一人該当した『相応しい者』が頭に浮かぶ。同時に、鍛錬場の出入り口から、目立つ銀色が現れた。
 銀色の頭は鍛錬場の中をぐるりと見回し、自分と同じように目立つ、全身緑色のガイを目に留めると、こちらへと歩いてくる。その途中で、ガイの向こうに居るわたしと目を合わせ、一瞬足を止めたけれど、すぐに歩みを再開し、

「よお、カカシ!」

と元気よく迎えるガイを鬱陶しげな目線で刺し、わたしたちの近くに着くと、機嫌の悪い声を響かせた。

「ガイ。どういうこと?」
「言ったではないか。この前の礼に、鍛錬に付き合ってくれと」
「いやま……言ってたけど……」

 カカシがガイに訊ね、ガイが説明すると、言葉を濁して黙ってしまった。

「オレたちの戦いを見学することは、サホの勉強にもなる。オレはカカシとの今日の鍛錬で自らを高みへと近づけ、さらにライバル勝負に置いても念願の勝ち越しを手に入れる!」

 ここに三人で集まった理由を話すガイは、わたしの勉強のためという尤もらしい理由を述べてはいる。しかし、カカシとのライバル勝負に胸を躍らせている姿を見せられると、あまり説得力はなかった。どう考えてもガイの頭の中では、『わたしの勉強のため』より『カカシとのライバル勝負』の比率が大きい。

「というわけでサホ! お前は近くで見学していてくれ!」
「あー……うん。分かった」

 わたしは見ているだけだから別に被害はない。言われた通り少し離れた位置まで移動し、そこから二人の組手を見学しよう。
 カカシは何か言いたげではあったけれど、ガイと約束していたということもあり、背中を丸めて大きなため息をついたあと、仕方ないとばかりにガイと向き合った。ガイが「この勝負に負けたら、オレは目隠しをしながら里を全速力で100周する!」と高らかに宣言して、カカシは開始前からすでに疲れた表情を浮かべた。


 二人の組手は、正直参考にはならなかった。レベルが違いすぎる。せめてもう少し手を抜いてやってくれたなら、手の動き、足捌き、体の使い方などに目が追いついただろうけれど、どちらも本気だから、高速で動く二人から目を離さないのがやっとだ。
 そのうち、もはやボーっと見ているだけになってしまった。ガイがわざわざ考えてくれて、場を整えてくれたのに申し訳ないけれど、今のわたしはただの観客の一人だ。

「サホ、こんなところで突っ立ってどうした?」

 両手を後ろ手で合わせて、今日の夕飯のメニューが何だったら嬉しいかなぁなんてぼんやり考えていると、後ろから声をかけられた。

「あれ? シイナさん。こんにちは」
「よっ。一昨日ぶり」

 わたしの隣に立って笑顔を見せるのは、わたしと同じく結界忍術、封印術を得意とする特別上忍の先輩。以前、結界の張り直しで火の国を回った際、一緒に五日ほど班を組んだ人だ。
 あのとき、シイナさんは中忍だった。根っこから明るく、お調子者な面もあるけれどいい先輩で、わたしと同じようにクシナ先生から色々と教えてもらった生徒仲間という縁もあり、あれから色々とお世話になっている。

「シイナさんも鍛錬ですか?」
「まあな。仲間とやる予定なんだけど、任務がまだ終わらないみたいだから、先に来て一人で何かするかな、と思ってさ。お前も一人なら俺に付き合ってくれよ」
「あー……その、一応見学中なので……」

 誘われたけれど、ガイとカカシの組手を見学することが、今のわたしの鍛錬でもあるので、それを放ってシイナさんに付き合うのはよろしくないはず。

「見学って、こいつらの?」
「はい」

 シイナさんは、組手を続ける二人を指差す。頷くと、シイナさんは動き回る二人の顔を視認して、驚いたような声を上げた。

「へえ。あれって、はたけカカシだろ? んであっちはマイト・ガイだっけ」
「知ってるんですね」
「そりゃどっちも有名だからな。はたけカカシは十二で上忍、すぐに暗部入りだろ。で、あっちは全身緑だし」

 カカシはともかく、ガイの方は完全に見た目の話だ。でも、全身緑の見た目のインパクトが強くて、その他がかすむのは分かる。かすんだその他も、切り揃えられたやけに艶々としたおかっぱ頭だったり、極太の眉だったり、びっしり生えている下睫毛など、とにかく個性の塊だから、よほどじゃないと忘れられない容姿をしている。本人は相変わらず、特定の者以外の顔を覚えられないのに。

「確か言ってたよな、昔。はたけカカシは同期の友達だって。俺の同期はどいつもパッとしねぇ奴ばっかりだから、自慢できる奴が居て羨ましいよ」

 昔――そう、昔、初めてシイナさんと顔を合わせた任務の中で、シイナさんに話した。わたしの話をしていくうちに、わたしの友達の話を。リンの話をして、オビトの話をして、カカシの話もした。

「友達じゃありませんよ。ただの同期ですから」

 あの頃は純粋に友達だった。わたしがオビトを好きだと知っている数少ない理解者で、色々と気持ちを汲んでくれて、わたしはたくさん助けられた。
 だけど今は友達とは呼べない。今のわたしはカカシを恨む最低な同期だ。
 シイナさんは、わたしの言葉からカカシとの仲があまりよろしくないことを察し、一瞬冷えたこの場の空気をどうするべきかと言葉を捜している。ふと、鍛錬場の出入り口で、きょろきょろと周囲を見回す男性が見えた。

「シイナさん、仲間の人が来たみたいですよ」
「お? おお。じゃ、また集会でな」
「はい。今度は遅刻しないでくださいね」
「分かってるって。じゃあな」

 男性はやはりシイナさんの待ち人だったようで、シイナさんは普段と変わらない笑顔で手を振り、その男性に向かって駆けて行く。タイミングよく来てくれた男性に小さく感謝しながら、組手を続ける男子二人に視線を戻した。よくもまあ、あれだけ激しく動いているのに、スピードなど衰えもせず続くものだ。
 そのうち、やっと勝負がついた。勝者はカカシ。ライバル勝負でのガイの勝ち越しは残念ながらお預けになった。

「うおおおお……!! あのとき、左足をさらに曲げていれば!」
「いや、人体の構造的に折れるから」
「諦めるな! 努力せずに決めつけるとは何事だ!」
「努力も何もないでしょ……」

 ガイは頭を抱え、惜しかった点を思い出して悔しがっている。先ほどの組手で自分の失敗や反省すべき点を確認したあと、「今後の課題ができたぞ!」と喜んだ。自分の失敗点などにいつまでもくよくよせず、これからやるべきことが決まったと前向きに考えられるところはガイの美点だろう。

「どうだ、サホ! 何か得られる物はあったか!?」
「うん、まあ……わたしはまだまだだなぁと思ったよ」

 二人と比べて足りないところを挙げたらいくつもある。腕力、脚力、素早さ、反射神経――もうほとんど全部だろう。二人の凄さを自分に取り入れるには、自分の体が追いついていかない。

「よし! それじゃあ今から三人で団子屋にでも行き、反省会を開こうではないか!」
「じゃ、オレはこれで」
「カカシ!」

 ガイはいち早く立ち去ろうとするカカシの後ろの襟を掴んで、強引に引き留める。カカシの口からぐぐもった声がして、放せと乱暴にガイの手を払った。

「たまにはいいだろう!? 昔のように、三人で友情を育もう!」
「甘いの好きじゃないし」
「なら煎餅屋で煎餅でも買うか!」
「いや、いいから。オレは行かない。二人で行ってくれば」
「こら、カカシ! 遠足は家に帰るまでが遠足だ! 組手の約束も、反省会までが約束だ!」

 カカシが甘いものがだめというのは事実であり、そしてただの断り文句だ。察しのいい人なら、やんわりと断っているのだと伝わるだろうけれど、ガイはそういうことに気づきにくい。甘いのがだめならばと代替案を持ち出し、とうとう直接『行かない』という言葉を繰り出しても、訳の分からない理屈を出して、何とかカカシを連れて行こうとする。
 一際大きな声で喋るガイの騒がしさに、鍛錬場に居る人たちからの無遠慮な視線が突き刺さる。シイナさんも何事だとこちらに目を向けていて、恥ずかしくて仕方ない。

「はぁ……ガイ。あそこでお茶売ってるでしょ。お茶買って、飲んで、解散。それで我慢しなよ」

 鍛錬場の傍には、鍛錬を終えた忍たちのためにと用意された、簡易的な売店がある。売っているものはお茶と携帯食料くらいで、ただ喉を潤すため、腹を満たすための最低限の品物が販売されている。そこで買って飲み終えるまでなら、わたしも付き合っていい。

「むっ! うーん……そうだな。腰を据えてゆっくり語り合いたいものだが、移動するのも些か手間がかかるしな。カカシ、それならどうだ?」

 ガイはわたしの提案に乗っかり、カカシに是非を問う。カカシは言葉を詰まらせたように黙り込んだあと、

「サホがいいなら」

とわたしに目を向けないくせにわたしに振るので、ガイの顔がパッとこちらを向いた。

「……じゃ、そういうことで。ほら、行こう」

 注目されたままいつまでもここに居たくない。ガイとカカシを追い越し、出入り口を目指して歩いた。後ろから機嫌のよさそうなガイと、何を考えているのか分からないくらい静かなカカシの、両極端な二人がついてくる。
 売店でお茶を一本ずつ購入し、近くの長椅子にわたしとガイが座り、ガイを挟んだ位置でカカシは立ったまま、それぞれのペースでお茶に口をつけた。カカシはマスクをしているのに、わたしたちには決して口元を見せずに飲むので本当に器用だ。

「勝負のあとのお茶は美味いな!」

 ガイの一言に、わたしもカカシも何も返さない。口を開かないわたしたちをガイは交互に見やったあと、一つ唸り声を上げた。

「むぅう……そういえばサホ。お前、さっき話していたのは誰なんだ?」
「え? さっき?」
「オレとカカシが組手をしているときに、お前に話しかけていた男が居ただろう」

 話しかけていた男。

「ああ、シイナさんね」
「シイナと言うのか。初めて見る顔だな」
「……ガイからすれば、初めて見る顔の人は多いかもね……」

 何度顔を合わせた相手でも、忘れるときは忘れるのがガイだ。
 以前ガイに『そうやって人の顔を覚えられないのは困らないのか』と訊ねたことがある。返ってきたのは『毎回新鮮な気持ちになれていいものだぞ!』という、どこかずれた回答だった。忘れられていた経験がある者としては、本人はまるで困っていないというのは、複雑な気持ちだ。

「やけに親しかったな」
「そう? 組手の最中なのによく見てるね」
「まあな! 目の前のライバルに全身全霊を注ぎ込みつつも、周囲への注意を怠らない。それが忍者というものだ!」

 わたしだったら、ガイやカカシ相手に組手しているときに、周りの状況も把握するなんてことはできない。目の前の相手に応戦するだけで手一杯だ。
 シイナさんのことが気になっているらしいガイに、別に隠すことでもないので、お茶を飲んで一息ついてから口を開いた。

「定期的に、封印術者の集まりがあるの。九尾が現れたから、ね」

 九尾事件から、もうすぐで二年が経つ。残された傷痕は、目に見える分にはなくなったけれど、人々の心の中には深く刻まれたままだ。

「新しい人柱力の中に封じられたけど、いつまた封印が解かれるとも分からないでしょ。だから、封印をかけなおしたり、抑え込める封印術者を増やすために、集まって勉強会や情報交換をして各々のレベルを高めて……そういうことをしてるの」
「なるほど。そういえばサホは、封印術が得意だったな」

 言われて頷く。わたしの顔だけじゃなく、情報もちゃんと覚えてくれているようになったのは割と嬉しいことだ。いちいち説明する手間がないし。

「でも、高度な封印術を扱えるようになるのはまだまだ先だから、たくさん勉強しないと……」

 特殊な力などない平凡な忍家系のわたしが、上忍以上が使える封印術を習得するには、血が滲むどころか枯れるほどの修業を積まなければいけない。
 素質型には素質型のいいところがあると言われたけれど、やはり一族型の、特別な力というのは羨ましい。

「木遁が使えたらなぁ」
「木遁?」
「ほら、初代火影様だけが使えたっていう、木遁忍術」

 もし、一族型のような特別な何かが得られるとしたら、わたしは木遁忍術がいい。

「木遁は尾獣を抑え込む力があるから。木遁じゃなくても、人柱力にかけられた封印を抑え込む術はあるけど、木遁が使えたら……」

 封印術の文献を紐解いていくと、当然ながら尾獣の封印についての記述もあった。尾獣の封印は、条件が揃っていれば、木遁忍術で容易に抑え込むことができるらしい。
 けれど今の木ノ葉の里に、木遁を使える者はいない。過去を遡っても、初代火影である柱間様だけだ。
 もしわたしが木遁を使えていたら、クシナ先生から九尾が出てしまうのを防げたかもしれない。
 そうしたら、あの夜に犠牲になった人たちはみんな無事で、産まれた赤子が人柱力になることはなかった。この里を明るく導く光の子として里に受け入れられ、わたしとカカシの仲も、あるいは――

「木遁……」

 ガイの向こう側から、風下に居るわたしやガイの耳に呟きが届いた。

「どうした? カカシ」

 訊ねられたことに、カカシは驚いていた。思わず口に出していたようで、呟いたことも自覚がなかったらしい。

「いや、何でもない」

 カカシはいつのまにか飲み干したお茶の容器を、売店に備え付けられているゴミ箱に捨て、そのまま歩き去って行こうとする。

「おいカカシ!」
「これから任務だから」

 一言告げて、カカシは背を向けたまま行ってしまった。一応、ガイの希望通り三人でお茶を飲んで、反省会のようなものに付き合った。それは分かっているようで、ガイもさすがにもう引き留めることはなかった。

「あいつ、付き合い悪くなったと思わないか」
「昔からじゃない?」
「いいや。もう少し勝負に熱い男だった」

 真剣な顔で悩むガイは、その顔の濃さゆえに、何とも言い難い圧を感じる。わたしもお茶を飲んで今すぐにでもお暇しよう。

「なあ、サホ。お前の気持ちも分かるが……」

 早く帰ろうというわたしの考えを察したのか、もしくはいつもの通り、わたしとカカシの険悪な仲をどうにかしたいという欲求からか。ガイのその切り出しはもう何度も耳にしていて、正直聞き飽きるほどなので、もう反発心すらも湧かない。

「カカシは同じ里の仲間だろう。親友や師を失ったあいつを、オレたちが支えてやらないと」
「親友や師なら、わたしも失ったけど」
「だから尚更だろう」

 反論するも、さらに言い返されて、わたしは沈黙を選んだ。
 いわゆる、同類同士の傷の舐め合いを求められているのだろうか。同じ色の涙を流して慰め合えとでも言うのか。

「カカシはお前に優しいのに、なぜお前はカカシに優しくなれないんだ」

 意外なことを口に出されて、わたしは思わずガイの方に顔を向けた。

「カカシがわたしに……?」
「ああ」

 ガイはしっかりと頭を縦に振る。

「普段のカカシだったら、オレが反省会なんて言い出したら、放ってさっさと帰っただろう。だが、今日はサホが居て、サホがここでお茶にしようと言ったから、帰らずに付き合った。それはカカシがサホに気を遣っている証拠だろう」
「……どうだか」

 とは言うものの、ここで反省会とやらにしようとわたしが言ったあと、カカシが『サホがいいなら』と言ったのは事実だ。あれはまるで、『自分が一緒でも構わないなら』という、下手からのお伺いみたいに聞こえた。

「カカシはお前のこと、気にかけているぞ。さっきだって、お前が男と話していることに気づいたのはカカシの方が先だった」
「カカシの方が目がいいからじゃないの?」

 ガイ曰く、目の前の相手だけでなく、周囲にも気を配るのが忍者だと言うなら、上忍であるカカシには朝飯前だろう。

「オレの視力を侮るな! 一里先の烏が、雀の逆襲に遭っていたのを見たことがあるんだ!」
「へえ、すごい」
「ああ! 心の目を研ぎ澄ませれば、見えぬものなどないのだ!」
「ちょっと待ってよ。視力の話じゃないの?」
「そんなことは今はどうでもいいんだ!」

 本当に常人じゃないなと思っていたら、いきなり『心の目』などと言うから、つまり何を言いたいのかさっぱり分からないのに、ガイは話を勝手に終わらせて『どうでもいい』と大声で切り捨てた。なんて奴だ。

「木ノ葉隠れの里が、戦争や九尾によって幾度も危機に瀕したんだ! 仲間同士でいがみ合っているときではない! オビトやリンや、四代目様たちの死を嘆くのなら、悲しみや怒りを飲みこんで、共に支え合い木ノ葉を守るべきではないのか!」

 ガイの言葉には一つの迷いもなく、自分の言葉が間違っていないと確信している。わたしもガイの言っていることは正論だと思う。

「支え合うより、それぞれの足で立って守る道だってあるよ」

 慰め合って、肩を貸し合って木ノ葉を守るんじゃなくて、お互いに背を向ける守り方だってあるだろう。暗部のカカシは裏で、正規部隊のわたしは表で。自分の立ち位置や特技を生かして木ノ葉を守る。わたしの方が正論を言っているというわけではなくて、単に考え方の違いだ。

「そうではなくて……そうではなくてな!」
「わたしも帰るね。今日はありがとう。100周頑張って」

 まだ何か言おうとするガイを置いて、わたしも空になった容器をゴミ箱へ捨て、その場から去った。後ろから「任せろ! 応援ありがとう!」と元気な声がかかる。
 ガイは単純でいい。しかも前向きで明るい。みんな成長し、幼さを孕む無邪気を捨てて、だんだんと捻くれた部分が出てくるのに、ガイの底抜けの明るさは昔から何も変わらない。
 しかし単純ゆえに、どんなときも直球で正論を投げてくるから、こういうときはガイと一緒に居るのが苦しくてたまらなくなる。
 自分はどうして、ガイのように正しくいられないのか。悩んで答えが出たところで、きっとわたしは変われないのに、ガイを見ているとどうしようもなく胸が騒ぐ。



35 並ばぬ背

20180824


Prev | Next