最果てまでワルツ | ナノ
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 九尾の爪は里に深い傷跡を残した。攻撃を受けた家屋は全壊、もしくは半壊し、三代目様の命により、家をなくした住人のための一時的な住居が用意された。
 わたしの家は運よく無事ではあったけれど、それを喜ぶ気になどなれない。戦争は終わったはずなのに、再び炊き出しを行い、瓦礫の撤去を行うなんて、誰が想像していただろうか。見知った木ノ葉の里は、たった一晩で知らない風景に変わってしまった。

 クシナ先生とミナト先生の自宅もほぼ全壊した。火影の家ということもあって、たとえ撤去作業であろうとも、暗部以外は近づけなかった。火影は里の長。機密資料の漏洩を防ぐには、信用のある者でなければならない。
 家の中には、産まれてくるナルトのために、クシナ先生たちが用意した赤ちゃん用品がたくさんあった。男の子だからと、青色や水色の上下が繋がった服。汚れのない純白の肌着、小さい小さい靴下。白木でできた柵付きのベッドと、そこに敷かれた清潔な布団、その上でカラカラと可愛い音を立てて回る玩具。愛情と一緒に包まれるような、先生が手作りしたおくるみと、わたしも一緒に作った綿のよだれかけ。
 幸せの準備は十分に整っていた。あとはあの家に、お腹の凹んだクシナ先生と、寄り添うミナト先生と、腕に抱かれたナルトが帰ってくるだけだった。それだけだったのに。
 崩れた家にあったはずの、先生たちの痕跡を、ただ離れた場所から見ることしかできない。
 あれこれ考えて揃えた物は、天井や屋根などの下敷きになって、もう使い物にならなくなっただろうか。せめて何か一つでもナルトへと渡るといいのに、ナルトに関する情報はわたしの下にまでは降りてこない。
 ベランダに並んでいた鉢の一つの、先生が話してくれたコイヤブレの花の行方も分からない。あの花が咲いたのか、枯れたのか、種をつけたのか。わたしには知る術は何一つなかった。



 九尾事件から少し経った頃。朝方までの任務を終え、家に帰ろうと里を歩いていたら、リンのお母さんに呼び止められた。

「サホちゃん、おはよう」
「おはようございます」

 挨拶をかわすと、リンのお母さんはゆったりと微笑んだ。リンのお母さんと会うのは、リンが死んでから一度、お家に顔を出したとき以来だ。リンのお母さんは少しふっくらした顔だったけれど、今は頬がこけて、以前の面影も薄いくらいに痩せてしまっている。

「急な話なんだけど、私たち、引っ越すことにしたの」

 リンのお母さんは力なく笑い、寝耳に水なことを口にした。

「え? ど、どこにですか?」
「里の外に住む親戚が、うちよりもっと広い畑を持っていて、そこを手伝う形で近くに住むのよ」
「でも、今のお家の畑は?」

 リンの家は農家だから、名乗るに相応しい大きな畑を持っている。それを手放して、木ノ葉を去る理由が分からなかった。

「あの事件で、大分ね。せめて収穫したあとだったらよかったんだけど」

 濁した言い方だったけれど、十分に伝わった。九尾が出現し、暴れたせいで、リンの家の畑が被害に遭ってしまったのだろう。それも収穫前の作物とあれば、得られるはずだった収入が一夜にしてなくなったのだから、気落ちするなどという話ではない。

「補助金を出してくださって、必要であれば、土遁っていうのかしら? それが得意な忍を寄越してくれて、畑を元に戻すとも言ってくださるんだけど……」
「なら――」
「でもね、私たちももう、つらいことが続いて、木ノ葉隠れの里に居るのが、苦しくなっちゃったのよ」

 痩せた頬には、笑うと大きな皺ができた。リンのお母さんはただ痩せたのではなく、はっきり見える形でやつれている。
 娘を亡くし、畑をだめにされ、直近の収入も失った。この里に住み続ければ、それらの悲しい記憶は何度も呼び起こされる。
 それなら家や畑を手放し、里を離れてしまいたくなる気持ちは理解できた。そもそもわたしは引き留める立場にないので、何も言えずに口を閉じるしかない。

「そうだわ。サホちゃん、時間があるなら、ちょっとうちに寄っていってちょうだい」

 リンのお母さんが言うので、あとは家に帰るだけのわたしは迷わず了承し、リンのお母さんと共にリンの家に向かった。
 引っ越しは本当のようで、リンの家の玄関には、荷造りのための道具や箱がたくさん置かれていた。
 家中がごちゃごちゃしているから待っていてと、上がらずに黙って玄関で待っていると、リンのお母さんが何かを持って戻ってきた。

「ここを出ると決めて、ようやくリンの部屋の整理を始めたんだけどね。これ、サホちゃんに」

 差し出されたのは瓶だ。縦長の透明な瓶の形は、ジャムの類が入っているものと同じ形だ。蓋は銀色で、ところどころに錆が見られた。
 中には、主に白色が多く、薄ピンクや淡いオレンジが重なり合っている。よく見かける扇型のものの他、巻いたものや、角が丸くなった色ガラスも入っている。

「貝殻……」
「リンがね、戦争が終わったら、サホちゃんと海へ行って、貝殻を拾う約束をしたんだって、言ってたのよ。本当に嬉しそうで、すごく楽しみにしてたわ」

 リンのお母さんの言葉で、頭の中に、一緒に海へ行こうねと約束した際の、楽しそうなリンの顔が浮かんだ。
 海へ行く約束をしたあとも、リンと何度も海について話をした。だからわたしは、一度も見たことがない海にとても詳しくなった。リンが語る海は素敵で美しくて、いつかリンと正しくなぞるのだと待っていたのに。

「もらってくれるかしら」
「いいんですか?」
「ええ」

 わたしの伺いに、躊躇うことなくリンのお母さんは頷いた。
 差し出された瓶を受け取る際に、リンのお母さんの骨ばった指に触れる。元はふっくらしていたのに、肉がなくなって皮膚の厚みだけが残る指が、リンのお母さんの心労がどれだけ募っていたのか表している。

「サホちゃん。リンと仲良くしてくれて、ありがとう」

 微笑んだリンのお母さんは、深々と頭を下げる。わたしも慌てて頭を下げて、

「わたしも、リンが友達でいてくれて、すごく、すごく楽しかったです」

そう返すと、リンのお母さんが顔を上げ、もう一度「ありがとう」と言った。瞳が潤んでいて、それを認めるとわたしの目も潤み始めた。抱いた貝殻の瓶がカラカラと擦れ合うのが、まるでリンの笑う声のように軽やかに響いた。



 リンのご両親が引っ越ししても、里にあるリンの墓はそのまま残された。リンは忍として生きて死んだため、その墓も木ノ葉隠れの里が用意し、管理することになっているからだ。
 わたしがご両親に、リンのお墓の手入れをすると約束し、よろしくお願いしますと頼まれた。
 それもあって、わたしはリンの墓や、オビトの慰霊碑に頻繁に足を運んだ。頼まれたのだから、しっかり務めは果たしたい。

 意気込みを持って、今日もリンの墓へ向かうと、銀色頭の先客が立っていた。遠目からでも猫背なのが分かる。昔はもっと背筋が伸びていたのに、最近はずっと背を丸めているのは、色々と背負っている重みのせいだろうか。
 カカシに気づいても足は止まらず、リンの墓の前に立てば、自然とわたしはカカシの横に並んだ。
 カカシの顔はリンの墓に向けられ、わたしが来たことなど、風が吹いたくらいにしか感じていないようだった。

 こうしてリンの墓に、カカシと並んで立つようになったのは、ごく最近のことだ。
 今まではお互いに接触を避けていたため、相手が先に来ていたなら去るのを待った。それが暗黙のルールみたいなものだった。
 だけど九尾事件のあと、オビトの慰霊碑の前で並んで立ったあの日から、わたしはカカシが先に来ていても、去るのを待たずに横につくようにした。
 今までになかった行動に、初めは、何か言われるのではないかと構えていたようだけれど、カカシと話をしに来たわけでもないので、わたしはわたしの気が済み次第リンやオビトの前から去っていた。
 それを繰り返していくうちに、カカシの方も、わたしが先に居たとしてもわたしが去るのを待ったりはせず、わたしの横に立って、じっとオビトやリンの名前に目を向けるようになった。
 会話をするわけではない。あくまでも、会いに来たのはオビトやリン。カカシが居るから少し待とう、あとで来ようと、カカシに構う気持ちがなくなっただけ。

――というのも、わたしには時間がないのだ。
 クシナ先生が亡くなったことで、封印術に特化した上忍が一人いなくなってしまった。これは実は、結構重要な問題だ。
 上級の封印術を扱うには、特殊な一族であるか、素質が必要だ。クシナ先生と顔を合わせたときも、最初に言われた。うずまき一族のクシナ先生は前者に当てはまり、わたしは後者に当てはまる。
 上級封印術を扱える者が少ないということは、またいつか九尾が出現した際や、封印が緩んだ際に、再び封じ込められる者が少ないということになってしまう。今はまだプロフェッサーと呼ばれる、あらゆる術の巧みであるヒルゼン様がいらっしゃるとしても、後進が育たないのでは意味がない。
 まだ九尾の残した傷跡に畏怖を抱いている者が多い中、この問題は先送りできない。クシナ先生の後釜になれるだけの、封印術の力を持つ者が必要だ。
 なので今現在、封印術を専門に学んでいる者は、とにかく修業、修業の日々だ。わたしも非番や休みの日も、朝から晩まで巻物を読んで、印を組んで、だけどなかなかうまくいかない。
 封印術に特化した者の中でも、わたしはまだ下の方にいるから、さほど期待されていないだろう。だけど、亡くなったクシナ先生の穴を少しでも埋めたい。その努力を続けるには、全然時間が足りない。

 だから、先にカカシが立っていようが、あとから来ようが、構っている暇はない。オビトたちに会える時間は、全てくまなくオビトたちへ使い切りたい。
 今日はカカシが、無言で先に去って行った。四代目様付きの暗部だったカカシは、今でも暗部に所属している。通常だったら、カカシは四代目様直属なので、四代目様が居ない今は外されてもおかしくないけれど、きっと何か理由があって暗部に残ったままなのだろう。
 
 リンのお家が引っ越したこと、伝えた方がいいのかな。

 カカシがリンの家に行ったかどうかは知らない。リンが死んでから、一度くらいは顔を出したのかもしれない。
 まあでも、そのうち気づくだろう。忍は情報に敏感なタチなので、任務に関係なさそうな、ご近所の噂も自然と耳聡くなる。リンの家が空き家になったことは、誰からともなく聞かされるか、自分の目で見て知るだろう。
 放っておこう。リンやオビトの前に居るときは、二人のことだけを考えていたい。



 クシナ先生が亡くなって、もう半年は経った。
 毎日やることが多くて、気づけばわたしは十五になる頃だ。
 下忍になったのがたしか八つの頃だから、忍になって七年ほど。
 もう新米とは言えない。下忍や後輩たちの手本になるような振る舞いもしなければならないし、必要であれば指導もしなければいけない。一人でも多くの、戦争を生き抜いた忍が、後輩たちに色んなことを伝えていかなければいけない。

 そんな状況なのに、忍を辞める若い世代がじわじわと増えている。
 戦時中でも、負傷によって体が思うように動かなくなった、心的外傷によって忍を続けられなくなったなど、心身が忍として足り得ないと判断された人は居たし、今だって辞める理由のほとんどがそれだ。
 だけど最近は、『戦争が終わったから』という人が増えてきた。
 戦争中は『この戦争を終わらせるために』という使命感があった。一人一人が、里や火の国のためにと一心不乱だった。
 でも戦争が終われば、前線へ送るための忍の大量確保の必要もなくなる。ろくに傷が塞がらないうちに額当てをつけて里を出ることもないし、殺される恐怖で竦む体を、脳に作用する薬で誤魔化して無理矢理に体を動かさなくてもいい。『自分が忍でいなくても』という考えが出てくるのは、決しておかしい話じゃない。
 それに平和を取り戻せば、それまで高ぶっていた神経はようやく緩む。体や心に負った傷と向き合う時間を得られ、戦時下では悲しむどころではなかった親しい者の死を、忍もそうでない者も、ゆっくり悼んで受け入れていた。わたしだってそうだ。誰だって、そうだったろう。
 その矢先に起きた九尾事件。
 逃げ惑う人々、悲鳴、崩れる音、死への恐怖。
 再び、戦時下での忌まわしい記憶が呼び起され、多くの人たちに揺り戻しのような現象が見られた。もちろん忍にも。

『またいつか、戦争が始まるかもしれない』
『またいつか、死んでしまうかもしれない』

 忍本人がそれを望み、あるいは忍の家族や恋人に望まれ、額当てを外す者が目立つようになった。特にわたしと近い世代が多い。九尾事件で、わたしたちの親世代などのベテランの忍が犠牲になり、有能な忍の数が減ったのに、さらに若い世代も減ってしまうのは、里の危機とまではいかないが良い状況とは言えない。
 無論、忍であることを貫こうと、より意志が固まった者も居る。戦争が終わっても、今後何があるか分からない。だからこそ、忍である自分たちがいなければと、よりいっそ里を思う気持ちを強くする者も。そういう子たちの多くが、今年もアカデミーに入学している。

 辞める人を責める気はない。わたしも大事な人を何人も亡くした。死にそうにもなった。
 その悲しみや恐怖で、前線から身を引くことを、弱虫だと嘲笑うつもりはない。心が折れたのに無理をし、任務の最中にその心がとうとう死んでしまったら、任務どころのはないではない。なら先に辞めてくれていた方がいい。
 みんな分かっている。誰が悪いわけではない。辞める者は『臆病者』と詰られることはない。
 だから、辞めるなら、何も言わずに辞めればいい。逃げる自分を正当付けようと、残る者に説くなどしなければ。



 イライラする。苛立つ。ああ、もう。放っておいてほしい。
 機嫌の度合いが目に見えるとしたら、恐らく今のわたしは全身から棘を放っているだろう。それくらい、今は穏やかな気分などなれそうにはなかった。
 わたしはとにかく足を進めた。いつもよりずっと速足だ。

 今日は朝から、木ノ葉隠れの里を視察に来た大名の護衛チームとして里を歩き回った。昼と言うよりおやつの時間になっているけれど、今から遅めの昼食を終えたら、すぐにアカデミーに向かい資料整理を言いつけられている。
 今日は慌ただしい日だけれど、そのことについてイライラしているのではない。大名の護衛もスムーズに終わったし、資料整理は嫌いじゃない。
 
 今の時間だと、ほぼすべての店のランチタイムが終了していて、一部の店は夕方が過ぎるまで休憩を取っており店自体が開いていない。
 仕方なくわたしは、アカデミー近くのパン屋に入りサンドイッチを買い、別の商店でお茶を買った。アカデミーの休憩所に戻って、そこでさっさと食べてしまおう。
 休憩所には大きな窓際に設けられていて、小さな丸いテーブルと椅子がいくつか備えられている。運よく誰も居なかったので、人目を気にせず落ち着いて食べられそうだ。
 窓際に一番近い席に腰を下ろして、お茶を一口飲んだ。苦みのある冷たさが一瞬頭をクリアにしてくれるけれど、苛立ちはそれくらいじゃおさまらなかった。
 お腹が満たされれば違うかもしれない。パッケージを剥いで、サンドイッチを一口、二口と食べ進める。

「なんだ。今頃メシ食ってんのか?」

 声をかけながらわたしの方へ歩いてきたのはアスマだ。わたしの手元のサンドイッチとお茶を見て、昼食を食べ損ねたのだと察したようだ。

「さっき午前の任務が終わったの」
「『午前の』ってことは、午後もあるのか?」
「そう。だからアスマみたいにのんびりうろつく暇もないの」
「何だよ、随分機嫌が悪いな」

 アスマはわたしの了解を取ることなく、近くの椅子を引いて座る。腰を下ろすということは、本当に暇なのだろう。

「何かあったのか?」

 背中をべたりと背もたれにつけ、アスマが問う。口調は軽いものに聞こえるけれど、雰囲気は尋問官に近い。

「色々あった」

 ざっくりした返しでは会話が続かないのは分かっていた。でも説明が面倒だ。それにわたしはサンドイッチを食べなくてはいけないから、話すよりも食べるために口を動かさなくてはならない。
 素っ気ない返しは、それ以上問うなという牽制でもあったのだけど、アスマにはそんなものはないものと同じだったらしく、

「色々って言うなら、こっちで勝手に解釈するぞ」

などと、面白そうに口元が弧を描いた。この男がこういう顔をするときは、大体よからぬことを考えているに決まっている。

「それってどういうこと?」
「カカシとなんかあったんだろ」

 たまらずに問い返すと、カカシの名前を出されて、動かしていた口が止まった。ほら図星だろう、とアスマの目が笑う。その態度が鼻について、わたしは止まっていた咀嚼を再開し、しっかり胃に送り込んだあとに口を開いた。

「残念でした。あいつは関係ないよ」
「へえ」

 言うと、アスマから大して感情の籠っていない相槌が返ってくる。恐らく嘘だと思っている。誤解させたままでも構わなかったけれど、カカシと何かあったと聞くと、やれ友情だ青春だとうるさい人間が一人いる。そいつにまで話が回ると厄介だから、ここできっちり訂正しておかないと。

「同期の子が、また一人辞めるの、知ってる?」

 仕方なく話を切り出すと、アスマは「いや、知らない」と否定した。辞める子は女子だから、同期とはいえ異性の情報は伝わるのが遅いのだろう。

「忍を辞めて、料理人になるために弟子入りするって」

 アカデミーを卒業して下忍になるのは、ほとんどが十歳前後だ。一般の学校は十五や十八くらいまで通って、ようやく職に就くようになる。
 元忍者は、一度は職に就いた身であるため、わたしたちくらいの歳の子が一般の学校に入学することはほぼない。忍だった腕を生かして新しい職を探したり、自分が学びたい勉学のために、誰かに弟子入りするパターンが多い。
 今回、わたしに辞めることを告げた同期も、料理に興味があるから、これを機に料理人を目指すと言っていた。

「忍を辞めて、別の道に進む奴はたくさんいるからな。今の時期は他にも辞める奴がちらほらいるし、一番いい辞め時なんだろう」

 アスマの言うとおりだ。一人だけ挙手して辞めると宣言するのは何だか居心地が悪いけれど、他にも手を挙げる者が居れば、自分だけじゃないし悪目立ちしないと安心できる。今が一番、負い目を感じることなく辞められるタイミングだ。
 それに若い世代はスムーズに忍を辞められる。上忍まで昇格した者はカカシなどのほんの一握りで、大半が中忍止まり。忍としての年数の短さや立場から考えても、辞めたとしても木ノ葉に支障がないものばかりなので、ほとんどが労いの言葉をかけられ一般人に戻ることを許される。若ければ若いほど一般職に就ける道がたくさんあるので、むしろさっさと切り替える方がずっと賢い。

「その子が言ったのよ。『まだオビトやリンのことを引きずってるの』って」


「ねえ、サホ。オビトやリンのことは残念だったわ。だけどね、いつまでも二人のことばかり考えていてはだめよ。死んだことは、本当に悲しいわ。でも前を向かなくちゃ」

「ねえ、サホ。私ね、忍者を辞めることにしたの。料理人とかいいなぁって思ってて、弟子入りすることになったのよ。だって、平和になったんだもん。忍なんて続けなくったっていいの。新しいことにチャレンジできる時代がきたのよ。なのにいつまでも忍なんて、サホのお母さんも心配じゃないかな? うちはね、忍を辞めるって言ったら、『よかった』って言ってたよ。女だから、余計に心配だったみたい」

「ねえ、サホ。サホが忍者を辞められないのって、オビトやリンのせいでしょ? 戦争が終わっても忍を辞めないのは、今辞めたら死んだ二人に申し訳ないからでしょ? でもさぁ、二人だって、いつまでも自分のせいで、サホが忍にしがみついてたら、逆に悲しいんじゃない? 絶対そうだよ。二人って優しかったもんね」

「ねえ、サホ。時代は変わったんだよ。いつまでも忍なんて続けなくっていいんだよ。私たち十五だよ。まだ違う道を考えたっていいんだよ。忍者を辞めるってのもいいんじゃない。リンたちのことばかり考えないで、自分のことをまず考えなくちゃ」

「ねえ、サホ」


「ねえ、サホ」


「ねえ、ねえ、ねえ――」



「そんなの、わたしの勝手よ」

 わたしが忍を続けることも、オビトやリンたちのことを考えるのも、あの子にはちっとも関係ない。
 だってそうじゃない。あの子が忍を辞めて料理人を目指そうが、あの子の親が忍を辞めてくれてホッとしていたとか、そんなのわたしには関係ない。
 わたしは、新しい道に進もうとしているその子を応援しようと思っていたのに、勝手にオビトやリンの気持ちを想像して決めつけて、わたしの母も自分の親と同じことを考えるんじゃないかなと問いかけて、忍を辞めることは悪いことじゃないよと訴えた。
 それって、辞めることに後ろめたさを感じるから、『自分がこうして辞めることは、理に適っていますよ』と、自分が間違っていないことを、声高々に証明したいだけじゃないの。
 辞めると決めたなら、言い訳しないで黙って辞めればいい。『さようなら、私の分も頑張ってね』くらいだったら、わたしだって彼女が居なくなることに寂しさを感じただろう。あんなことをつらつら並べられた今じゃもう、わずらわしさしか残らない。
 イライラする。言われた内容にも、こんな別れ方をすることになった、そのこと自体にも――あの子の言うことが、正しいということにも。


「ねえ、サホ。カカシくんを恨むのは筋違いじゃない? カカシくんだって傷ついているんだよ。同じ班だった友達も、先生もいなくなって、一番かわいそうなのはカカシくんだよ。あんなに仲良かったんだから、こういうときこそ支えないと」


 一番つらいのは、一番苦しんでいるのは、友達に命を救われて、友達を自らの手で死なせて、先生までもを失ったカカシ。そのカカシを慰めるどころか、自分勝手に傷つけるわたしは最低だ。
 黙っているアスマの表情を窺えば、難しい顔をしていた。アスマとしては、彼女に賛同していて、だけどわたしを前に『オレも同意見だ』と言うことはさすがにできずに、どんな顔をしていいか分からなくてそんな表情になっているのかも。
 わたしはまだ残っているサンドイッチを一口頬張って、何度も何度も噛んだ。

「『自分もそう思う』って言いたいなら、言えばいいよ」

 胃に落とし込み、口を空にしてお茶を飲んでから言うと、アスマは「そういうつもりはない」と言い切った。

「お前の気持ち、今なら分かるさ。完全に理解はできないけど、似たことは考えてる」

 口元にサンドイッチを近づけていた手を止めて、アスマの方に目を向けると、膝に肘を置いて頬杖をつきながら、わたしではなく大きな窓越しの木ノ葉の里を見ていた。アスマの目もカカシのそれに似ていて、瞼が厚いのか眠たげなのか、少し気だるげだ。

「オレもいざ母親を亡くすと、色々考えちまうもんさ」

 その言葉で、そういえばアスマは三代目であるヒルゼン様の息子だったことを思い出した。クシナ先生の出産に立ち会い、ナルトを取り上げたのが妻のビワコ様だったらしく、あのときに亡くなられている。

「紅も、オレと同じだ。九尾で親父さんを亡くした」

 紅のお父さんも、わたしたちに前線に出ないようにと結界に押し込んだあと、九尾との戦いで命を落とされている。

「なんだかなぁ。戦争が終わって、誰も死ぬ心配がなくなったと思ったのにな」

 口には出さなかったけれど、同感だと胸の中だけで答えた。
 戦争が終われば――それだけを目指して、わたしたちは必死で前線に出ていた。それが叶って、ようやく穏やかな日常が訪れたはずなのに、どうして今になって命を奪われてしまうのか。戦時中に亡くなってしまったときと、また違うやりきれないものがある。

「忍になったら、身内の死と対面しなきゃいけない法則でもあるのかと、考えちまうさ」

 わたしとガイと紅は父を、アスマとヨシヒトは母を、カカシに至っては両親を。他にも、同期に限らず、色んな人が身内を亡くしている。亡くなった者もまた忍ばかりだから、一般人よりも死んでしまう可能性が高かったとはいえ、アスマが考えるような法則もあるのではないかと、笑い話ではなく本気で思ってしまう。

「サホが、オビトやリンを引きずることをとやかく言えるほど、オレは誰かを憎んだことがなかったんだな」

 頬杖をやめて、アスマが再び背もたれに体を預ける。アスマが憎んだ相手は誰だろう。九尾だろうか。ビワコ様は、ヒルゼン様たちが駆けつけたときにはもうすでに事切れていたと言う。九尾に襲われたのか、別の誰かに襲われたのか定かではない。
 アスマは黙って、窓の外に目を向け続ける。九尾出現から半年。破壊された建物の瓦礫のほとんどは撤去され、新しいものが建設されている。
 里にはまた静かな時間が戻ってきたけれど、皆、今度はこれがいつまで続くのかと、心の端っこに不安を抱えたままだ。

「だからオレは忍を辞める気はねぇよ。オレも紅も、残された者として、やらなきゃいけない何かがある限りはよ」

 アスマは、自身の覚悟を吐露すると、窓からわたしへと視線を移した。

「その“何か”が、サホにとってはカカシを恨むことなら、口を挟めねぇよな」

 フッと力を入れずに笑うアスマは、身勝手な怒りでカカシを殴りつけているわたしを、もう止めるつもりはないと宣言した。
 今まで、わたしのカカシへの恨みに寄り添ってくれたのはクシナ先生だけだった。ヨシヒトやナギサは、わたしを否定しないけれど肯定もしないから、理解者というには少し足りない。
 別にみんなにもそうしてほしいと思っていたわけではないけれど、クシナ先生という最大の理解者が亡くなってしまった今、新たな理解者が得られたことは単純に嬉しかった。

「――とか言ってるけど、実際はカカシにも言われてんだよ。お前とのことに口を出すなって」
「えっ」

 一種の感動すら覚えていたら、思わぬことを言われ声を上げてしまった。アスマは悪戯が成功した小さな男の子のような顔を見せたあと、両腕を組むと天井を仰いだ。

「お前の恨みを受け止め続けるのが、あいつにとっての“何か”なのかもな」

 カカシにとって、残された者としてやらなければいけないことが、わたしからの恨みを受け入れることだとしたら。

「だとしたら、オビトやリンは、わたしがカカシを恨むことをやめてほしいって、思うかな」

 オビトやリンは、仲間思いだ。オビトはカカシを庇って死んでしまったし、リンは傷つく忍を助けたいと自ら医療忍者を志願した。
 そんな二人からすると、今のわたしがやっていることは、二人が決して望まないことだと、何となく分かっていた。
 もし二人が生きていたら――そうだったらカカシのことを恨むことはなかっただろうけれど――恐らく二人はわたしとカカシの仲を取り持とうとした。そしてわたしも、二人が居てくれるのであれば、カカシと元に戻れただろう。

「やめられるのかよ」

 アスマの短い問いには、答えもすぐに出た。

 やめられるわけがない。

 だってオビトとリンはいない。
 カカシはオビトの目で、リンを殺した。
 答えはいつも決まっている。『クシナ先生の子どもが産まれたら』というきっかけを逃したわたしは、カカシを恨むのをやめたり、許したりなんてできない。わたしが恨み続けて、『死んだら許さない』と睨んでいないと、あいつは左目と共に死んでしまうかもしれない。里を守らず、オビトとの約束も守らず。
 食欲が失せてしまい、結局サンドイッチを全て食べきることができず、作り手に申し訳なさを覚えながらも、残りをゴミ箱へと捨ててしまった。
 感情もこうやって捨てることができたら。

――いつだったか。たしか、オビトの死を受け入れたとき。
 あのとき、オビトの死への悲しみやつらさ、衝撃を、紅茶に落とした角砂糖のように思った。少しずつ瓦解して、飴色の中に溶けて、わたしの身と混じり合うようなものだと。
 今のわたしには、その角砂糖があまりにも多すぎる。
 リンの死も、カカシがオビトの目でリンを死なせたことも、クシナ先生とミナト先生が亡くなったこと、希望そのものだった赤子の行方も。そしてオビトはたしかに、カカシの中で生きているということも。
 次々に、ぽちゃんぽちゃんと投げ入れられた事実を、わたしはうまく自分へと溶かしきれず、角砂糖は紅茶よりも嵩が増し、ついにはカップから溢れて、ソーサーにまで零れていく。
 溶かしきれないザラザラした感情に、逆に溺れてしまったわたしは、呼吸を止める。悲願の海で、カカシを踏みつけて息継ぎをしていたわたしには、溶けきれない砂糖の中で窒息するのもまた、きっと罰の一つだから。
 感情を捨てることなどできはしない。やめられない。許せない。わたしは何一つ、止めることをできない。



34 去る者と留まる者

20180815


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