四代目の就任式の最中、わたしは遠くに居た。ミナト先生なんてまるで見えないところに。時間の経過で、今は何が行われているのかを何となく想像するくらいだった。
新しい里長の足下に広がる群衆の中には、きっとカカシが居るだろう。カカシにとってミナト先生は直属の上司だった。その晴れ姿を眺めるのに、わたしが居ては煩わしかろうという配慮――というのはただの後付けで、今ならオビトやリンたちと、『カカシが来るかもしれない』と焦ることなくゆっくり話せると思ったからだ。
リンの墓には、いつも綺麗な花が供えられている。リンの友達や仲間や、恐らくカカシも、よくここに足を運んでいる。花の数は、リンの人望を表しているようだった。
次に向かった慰霊碑には、わたしが供えた花束以外、ほとんど見ることはない。人望の違いなどではなく、単にここが誰でも出入りできる墓地とは違う演習場の中にあり、墓ではなく慰霊碑だからだろう。
死者の家族は、各々の家に写真などを立て、毎日花を生けたり、声をかけたり、世話をしているはずだ。わたしの家もそうだ。父の写真の前に、母が庭で育てた花を飾っている。リンのお墓に顔を出すときに、父のお墓の前にも手を合わせるけれど、仏となった父に会うにはお墓より仏壇の方がしっくりくる。
オビトには、家で毎日、自分の死を悼んでくれるその家族がいなかった。うちはの一族で弔いはあっただろうけれど、きっと、他のうちはの一族とひとまとめだろう。その上、オビトの家はもう他人が住んでいる。そしてオビトの体も骨も、里のどこにもない。ならばオビトに花を手向けるには、たとえ骨などなくともここが一番相応しい気がした。
「オビト。ミナト先生、火影になったよ」
先生とオビトは、火影になると言う夢を抱く同志だった。わたしとクシナ先生も、同志だった。
二人はその夢をとうとう叶えた。おめでたいことだ。火影に選ばれるには、ただ強いだけでは足りない。ミナト先生の人柄、能力、実力の全てが、火影に相応しいと認められた証だ。
祝福しなければ。思うけれど、そんな気分にはとうていなれない。
わたしたちは、置いていかれたね。
死んでしまったオビトには、もう二度と叶えられない夢。それはわたしにとっても、永遠に叶わない夢になってしまった。
そんな状況で、他人の幸せを祝福できるほど、わたしはできた人間ではない。最後までリンを守ろうと必死に抗ったカカシを、一方的に恨むくらいだ。ろくでもない人間なのだ。
四代目に代替わりして十日。賑やかなお祭りムードもすっかり落ち着いてきた。『四代目饅頭』なんていう、ただ『四代目』の名を冠しただけの饅頭が並ぶのを見ながら、商魂逞しいなと、里の人たちの活気みたいなものが失われていないことに、少しだけ可笑しい気持ちになる。
人が居てこそ里は成り立つ。木ノ葉隠れの住人の底力を感じる姿が、あの戦争で絶えずに済んでよかった。これからも、この里は大きな樹のように、太く長く、育っていく。
火の国の復興にも目途がつき、里から遠く離れることも以前よりは少なくなり、任務の内容もレベルもずっと安全なものになった。
といっても、平和条約に反感を持つ者は尽きないため、小競り合いは今でも続いており、周辺警備には相変わらず力を入れている。戦が終わっても、本当の意味での平和の訪れはまだ少し先だろう。
あまり顔を合わせたことがない相手とのスリーマンセルによる、夜更けから明け方までの警備任務を終えたわたしは、朝日を浴びながら里に戻った。穏やかな眠りから目覚めていく里は、太陽が昇っていくに従い、どんどんと賑やかになっていく。
報告を済ませたあと、明日の任務を確認する。任務内容、集合時刻、具体的なスケジュール、共に組む仲間の名前を覚えたあと、受付所を出た。
明日の朝まで非番だ。家に帰ってシャワーを浴びたらひと眠りしよう。あんまり寝ると夜にまた寝られなくなるから、昼頃には起きるようにしなければ。
頭の中で、家に帰ってからの段取りを練りながら、住宅地の狭い通りを歩く。この辺りに住んでいる者くらいしか通らない道は、人が二人並んで歩くのがせいぜいの広さだ。
その通りの向こうから、聞き慣れたやかましい声が響いてきた。
「聞いたぞ! お前、四代目様付きの暗部になるんだってな!」
ガイだ。朝っぱらから、元気を通り越してうるさい。最近よくガイに遭遇する気がする。多分、うるさいから目立ち、存在感が強いから意識に残りやすいのだ。
そのうるさいガイが声をかけているのは、ガイより先を歩く、ポケットに手を突っ込んだカカシ。木ノ葉に暮らす銀色の頭の住人はそうそういないし、隣に立つ全身緑の男子が声をかけているとなると、まず間違いなくカカシだ。
「誰から聞いたか知らないけど、暗部のことを無闇に口に出すな。常識でしょ」
「おお、すまんすまん。暗部といえば、火影様に選ばれた者だけが配属を許される部隊だからな。ライバルが暗部に招集されるなんて、悔しくもあるが、オレも鼻が高いぞ!」
「だから――」
口に出すなと言ったあとで、ペラペラと喋るガイに、カカシが足を止め振り向いて、もう一度「黙れ」とでも言おうとしたのだろう。だけど、自分たちの後方を歩いているわたしの存在に気づき、言葉を失った。
カカシとは、リンが死んで以降、今やっと顔を合わせた。どことなく覇気がなく見えるのは、恨み言をぶつけたわたしが目の前に現れてしまったからだろう。
「なんだ? おお、サホ! おはよう!」
「……おはよう」
やたらと白い歯を見せ、笑顔で挨拶を送るガイを、さすがに無視はできない。わたしは挨拶を返して、進行方向に居る二人の方へと歩いた。
「これから任務か?」
「逆。さっき帰ってきた。今から家に帰って寝るの」
「そうか! お疲れ!」
「うん。ありがとう」
大きな声だ。朝早いとはもう言わない時間帯だけど、住宅地は元から静かな場所だから、ガイの声はやたらに響く。ご近所迷惑になるのもごめんなので、さっさと追い越してしまおう。
そう思っているのに、わたしの腰に手を当て仁王立ちするガイが立ちはだかるので、足を進められない。
「おい、サホ」
「なに?」
「カカシが暗部に入るんだ」
「聞こえてた。ねえ、本当にもう口にしちゃだめだよ。誰が暗部だとかは、一応秘密なんだから」
『暗部』と略される、『暗殺戦術特殊部隊』が存在していることはみんな知っている。彼らは一律に動物の顔を模した面を掛けて、表で任務をこなす正規部隊とは違い、裏で密かに動いて事を成す部隊。
なので暗部の詳細は公に出ることはないし、暗部のことについて探ったり、口外することがご法度というのは周知されているはずなのに、ガイはいまいちその重大さを理解していないのだろうか。
「親友の出世だぞ。オレたちで祝ってやろうじゃないか!」
親友――そうか。わたしとカカシは親友――だったか。なるほど。二人の関係に名前を付けるなら、親友だったかもしれない。
チラッと、カカシに目をやると、彼はこちらを見ていたようで、かち合った右目はそっと下にずれた。
「暗部になるんだ」
そう口に出すと、カカシは無言で、頭を小さく縦に振った。
「そう」
カカシが暗部になる。ということは、正規部隊として組む機会はきっとないだろう。なら、これからこなす任務は、気まずい思いをしないで済む。
「早く帰りたいから、どいてくれる?」
「お? お、おお……すまない」
ガイに詰め寄ると、勢いに圧される形で後ろに下がったので、空いた隙間を縫って二人の間を通った。カカシから見て左側を通ったので、すれ違うときに彼がどんな顔をしたのかは分からない。
会ってしまったらどうなるだろう、と不安があったけれど、別にどうってことはなかった。
カカシはカカシでいればいい。暗部にでもなればいい。
ミナト先生に説得されても、わたしはどうしてもカカシを許せそうにない。
だったら、距離を置いた方がいい。カカシのことを思うのなら、恨むわたしと接触する機会を減らすことが、カカシのためになるのではないだろうか。
ミナト先生も似たようなことを考えてカカシを暗部に呼んだのかは分からないけれど、今となってはミナト班の最後の一人であるミナト先生の傍につく方が、わたしの存在が厄介なカカシの心も安定するに決まっている。
カカシが暗部に招集されたおかげで、鉢合わせたらと内心冷や冷やしていた受付所へも、気軽に出入りできるようになった。
そうして今日も受付所にて事務処理を済ませ、必要に応じて作用する結界を張る任務を命じられたわたしは、里を数日離れることになった。
里を離れると言っても、中忍のわたしが担当するくらいなので、戦闘に巻き込まれる可能性はほとんどない。連携を重視したらしく、久しぶりにヨシヒト、ナギサとのスリーマンセルだ。
「クシナ先生は里から出られないみたいだね」
「公式には発表されていないけど、火影夫人だからな。そりゃあ特別な理由でもない限り、里から出ることはないだろ」
一応、クシナ先生が上忍師を務めるクシナ班はまだ解散していない。ただ、里の大半の人間が知らないとはいえ、火影の妻となった今は、わたしたちと共に里を離れることなど、もう有りはしないのだろう。
寂しさはあるけれど、クシナ先生と共に行動しないで済むのなら、今はまだその方がいい。クシナ先生を慕う気持ちは前と変わらないけれど、カカシのことを何か言われるのはいやだ。
「最近会ったけど、具合も良くないみたいだしな」
「え? 病気、とか?」
二人の会話を耳に入れつつ加わる気がなかったけれど、ナギサの言葉が気になって思わず反応すると、ナギサはそのときのことを思い出すように少し黙ったあと、
「いや、どうだろうな。俺が診ようかと申し出たけど、大丈夫だからと断られたし」
とクシナ先生とのやりとりを振り返った。
「ナギサの顔が怖かったのかもね。君の顔立ちはますます厳ついものになってしまったから」
「ああ? ぶっとばすぞてめぇ」
「しかし、そういう美しさもあるというのは、僕はすでに知っているから、安心するといい」
「あーあー。ぶっとばしてぇ。マジでぶっとばしてぇ」
「ぶっとばしたらナギサの仕事が増えるだけだよ」
「うるせぇサホ。ぶっとばすぞ」
ナギサにとっては『こんにちは』レベルの口癖は、今も変わらずだ。だけどヨシヒトが言うように、鋭い双眸が目立っていた顔に、わずかに残っていた子ども特有の丸みがなくなった。大柄の体はさらに大きくなり、首は太く肩幅は広く、以前よりも圧迫感が増している。
ヨシヒトの中性的でどこか艶めいていた容姿も、さすがに男らしいものに移りつつある。とは言っても、本気を出して女の格好をすればまるっきり女性になるだろう。それくらいに、彼の顔の作りはまだ女性に近い。
わたしは、相変わらずそのヨシヒトに『美しさ』の指導を受けている。長年鍛えられ、彼が掲げる基本的な美意識は身に着いてしまっているので、昔より指摘を食らう回数も減った。でも、会う度に全身をチェックするのは、いい加減やめてほしい。
「サホはまだまだ、まだまだまだまだ美しくなれるからね。立ち止まってはいけないよ。美は一日してならず。一生涯をかけて取り組む、壮大な物語なのだから」
「ぶっとばす」
「ナギサは何年経っても捻りがないね。さすがの僕も付き合いきれなくなるよ」
「うっぜぇ! うっぜぇ! ぶっとばすぞ!」
どこからどう見ても、何の実りもない、取りとめもない会話。
こんな会話が、当たり前のように戻ってきた。
やっとだ。やっと、戦争は終わった。
オビトが終わらせたかった戦争が、やっと終わったよ。
いつかリンと行こうねと約束した海にも、やっと行けるようになったよ。
二人が居ないと、やっと訪れた平和に、まだ確かな価値を見出せない。
けれど二人の命と引き換えに手に入れたこの平和を繋いでいくのが、わたしたちの役目なのだろう。
里に戻って、わたしがまとめた報告書を提出した。結界に関する任務だから、報告書の作成や提出などはわたしがするべきだと押し付けられ――もとい任されたので、不備があったらと不安だったけれど、無事に受け取ってもらえた。
「あ……。お待ちください。皆さんに伝言です」
「伝言?」
「はい。月下中忍、海辺中忍、かすみ中忍は里に戻り次第、ご自宅に来るようにと、うずまき上忍から」
受付の職員の女性が、メモらしいものを取って読み上げる。後方で提出が終わるのを待っていたヨシヒトとナギサの下へ戻り、先ほど告げられた伝言をまるっと復唱すると、二人も顔を見合わせた。
「呼ばれてるなら、とにかく行こうぜ」
ナギサの一言を合図に三人で受付所を出て、真っ直ぐにクシナ先生とミナト先生が住んでいるお家を目指した。
伝言が一体いつ残されたものなのか聞くのを忘れたので、もしかしたら今は在宅していないかもしれないことを懸念したけれど、それは杞憂に終わった。先生宅の窓は開けられていて、中から掃除機をかける音が聞こえる。
呼び鈴を鳴らすと、「はーい」と声が返ってきて、玄関のドアが開いた。
「どちらさま……あら、みんな!」
忍服ではなく、長い赤い髪を下ろして、簡素なワンピースに体を通しているクシナ先生は、訪問者がわたしたちだと知ると笑顔を向けた。
「こんにちは。先ほど任務を終えまして、戻り次第こちらへお訪ねするようにとの伝言を受け取りました」
「ああ、伝言を残しておいてよかったってばね。みんなに声をかけようとしたら、ちょうど任務に出たばっかりだったから」
ヨシヒトが挨拶を兼ねて訪問の目的を告げると、クシナ先生は「上がって上がって」と中へと通す。先生はリビングで使っていた掃除機を出早く片付け、キッチンでお茶の用意を始める。手伝おうかと声をかけたけれど断られたので、二人と共に静かに待った。
掃除の途中だったとは言え、リビングはきれいに片付いている。チェストの上には、写真館で撮った白無垢姿のクシナ先生が、ミナト先生に寄り添って微笑んでいる。クシナ先生は美人だし、ミナト先生も格好いいから、文字通り『絵になる二人』だ。
しばらくしてクシナ先生がわたしたちに淹れたお茶を淹れてくれて、全員の手元に行き渡ると、空いている椅子に腰を下ろした。
「先生。わざわざご自宅に呼び出したということは、僕たちに何か改まったお話でしょうか?」
一口飲んだあと、ヨシヒトが訊ねる。
「うん。そうなの。色々と話さなきゃいけないことがあるんだけど……まずはね」
クシナ先生は頷いたあと、目を横に動かしながら、わたしたち三人の顔を一度じっくり見た。そのあと、右手をそっとお腹に当てる。
「私のお腹に、今、赤ちゃんが居るんだってばね」
「えっ!?」
予想外の言葉に、驚いて声を上げてしまった。
「ということは、クシナ先生は……」
「うん。もうすぐ母親になるってばね」
ナギサの言葉を引き継ぐように、クシナ先生は自分の口で、母親になるのだと言った。少し照れているのか、赤い髪よりは薄いけれど、頬に朱が差す。
「じゃあ、もしかして具合が悪そうに見えたのは」
「あのときはまだ検査はしてなかったんだけど、きっと悪阻だったのね」
続けるナギサに、クシナ先生はそのときのことを振り返るように、少しだけ天井に目を向けた。悪阻は、名前だけは知っている。吐いてしまうとか、そういう状態のことだという程度の認識しかないけれど。
「色々と事情があって……とにかく私は、もう任務には出られないわ。それに伴って、私たちの班は正式に解散が決まっているの」
クシナ先生は、さっきまでの照れていた顔を引っ込めて、真剣な表情で、わたしたちクシナ班の解散決定を伝える。
元々、火影夫人となったクシナ先生が任務に出ることはもうないだろうと、わたしたちも分かっていた。ただ、先生抜きでも班自体は残るだろうと希望を抱いていたので、あっさり打ち砕かれて、ほんの少し泣きたくなった。
「我ながら、それぞれの分野ではかなり腕が達つ子が育ったからね。幻術、医療忍術、封印術。これからは、各々の特技を生かしたチームでの活動が多くなると思う」
幻術のヨシヒト、医療忍術のナギサ、封印術のわたし。一人一人の顔を見ながら、クシナ先生は誇らしげに、にっこりと笑った。
『腕が達つ』と言ってもらえるのは素直に嬉しいけれど、正直わたしはまだまだ学ぶことも覚えることも多い。今まではクシナ先生という師匠が身近にいたけれど、これからはどうしたらいいだろうか。
「じゃあ、俺たちが組むことは、もうないわけですね」
「ないこともないだろうけど……そうね」
希望を残す言い方をしたものの、クシナ先生の言い分はほぼ『ない』と言っているようなものだった。
解散、か。この三人で、クシナ先生の下で班を組んで五年くらいになる。出会った当初は、同期じゃない人たち相手にやっていけるだろうかと不安だったけれど、今となっては、二人と組めないことが不安になる。
けれど、いつまでもずっと同じチームではいられないものだ。それぞれの特技を生かすためには、適したチームで構成しなければ。
それに、絶対に可能性がないわけではない。特にナギサは、どのチームにも一人は入れておきたい医療忍者だ。ヨシヒトとだって、直接戦闘を避ける際に必要な幻術と結界術の縁で、何かしら関わることもきっとある。
「あなたたちには、私の都合に随分付き合わせていたわよね。私の、『事情』のせいで」
喋り続けていたクシナ先生は喉が渇いたのか、自分用の湯飲みに淹れたお茶を飲んだあと、神妙な表情を見せる。
「今更だけど、三人には伝えておくわ。私はね――人柱力なの」
さらっと、信じられないことを仰った。妊娠を教えられたときよりも驚いて、今度は声を飲みこんだ。一瞬にして、場の空気がガラッと変わる。
とんでもないことを聞いてしまった。わたしたちの脳内は、恐らくまったく同じことを考えただろう。
「九尾のことは知ってる?」
「は、はい……九つの尾を持っていて……木ノ葉隠れが所有しているという……」
「そう。その九尾の人柱力が、私だってばね」
問われて、わたしが持っている知識で答えると、クシナ先生は自分の胸に手を当て、九尾の人柱力だと言う。
「先代は、初代火影様の妻の、うずまきミト様。そして今代が、うずまき一族の中で最も適していると判断された、私なの。うずまき一族は元来、生命力が強く封印術に長けていて、人柱力としての役目を十分に果たせるだろうと、ミト様の中に封印されたのよ。ミト様がご高齢になって、次は私の中に。だから、私は里から遠く離れるわけにはいかなかったの」
ミト様――と聞いて、すぐには誰だか分らなかった。初代火影様の妻で、九尾の人柱力。木ノ葉の里の歴史の授業で触れたかもしれないけれど、先生が人柱力だと知って混乱している脳では、たとえ教えられていた内容だったとしても表に引き出すことはできない。
「人柱力であることは、不要な害を避けるために、口外しないよう関係者のみが知っているわ。もちろんミナトも知っているわよ。実はね、女性の人柱力が妊娠し出産する際、その封印の力は一時的に弱まるの。そういうことも含めて、人柱力である私が結婚したり、妊娠していることを知っている人は、なるべく少ない方がいいのよ」
新たに情報を追加されて、処理が追いつかないけれど、何とか頭に押し込めた。
つまり、妊婦となったクシナ先生の存在が公になっては困る。何故なら人柱力だから。
やっと、クシナ先生とミナト先生が、結婚していることを公にせず隠し通そうとする理由が分かった。『うずまき』の姓のままなのも、姓が変わる、つまり結婚すれば当然、妊娠し出産する可能性が出てくる。封印が弱まることを外部に知られたら、よからぬことを企む者が、ここぞとばかりに手を出してくるかもしれない。
「あの……でも、それなら、どうしてわたしたちに……?」
「あなたたちは私の可愛い部下で、生徒だってばね。三人とも優秀な木ノ葉の忍だし、そのうち特上や上忍になって、どうせ知ることになるもの。それがちょっと早かっただけだってばね」
明るくウインクを飛ばされ、わたしは呆気に取られてしまった。たったそれだけの理由で、この木ノ葉の、重要機密と扱っても構わない秘密を、あっさり喋ってしまわれた。
――あっさり、でもないか。クシナ先生と出会ってから数年の間、何度もクシナ先生の諸事情は気にかかった。けれど言えないと本人が仰っているから、詮索してはいけないのだろうとわたしもナギサもヨシヒトも訊ねたりはしなかった。
だからだろうか。クシナ先生は、どこかスッキリした顔をしている。ずっとわたしたちに言えず、先生も思うところがあったのだろう。
クシナ先生の秘密を教えてもらえたということは、わたしたちは信頼に足る人物だと思ってくれている証だ。
「あ、あの。何かお手伝いが必要なことがあれば、何でも仰ってください」
先生の方へと身を乗り出して言うと、クシナ先生は驚いたように、パチパチと瞬きをした。
「わたし、ミナト先生にお願いされたんです。もしクシナ先生のお腹に赤ちゃんができたら、その間はきっと大変だろうから、支えてあげてほしいって。だから、本当に、何でも、頑張ります」
まだ二人の結婚をわたしくらいしか知らなかったときに、ミナト先生にこっそり頼まれた。あのときの『もし』が来たのだから、わたしは全力でクシナ先生を支えるつもりだ。
「僕も、声をかけてくださったらいつでも駆けつけます」
「妊婦については正直勝手が分かりませんが、できる範囲で先生をサポートさせてください」
ヨシヒトとナギサもわたしに続き、クシナ先生に申し出る。先生はわたしたちの顔を見回したあと、本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。じゃあ、よろしくお願いするってばね」
わたしと、ヨシヒトと、ナギサで、身重となったクシナ先生を支える。これは解散になるクシナ班の、最後の任務だろう。
オビトやリンの命と引き換えに得た平和の証は、クシナ先生のお腹で育つ、戦争を知らない次の世代の子どもたちだ。
クシナ先生の子どもが幸せに暮らせる日々を作ってあげられれば、今までの悲しみや苦しみの全てが、意味のあったものだと受け入れられる。
そうすればきっと――わたしはカカシのことをやっと、許せる気がする。