それもあって、わたしたちクシナ班は、ミナト先生とクシナ先生のお家にたびたび顔を出した。一番頻度が高いのはわたしだろう。
「いつも来てもらって助かるけど、サホもちゃんと休んでるの?」
買い出しから帰り、食料品や生活用品の買い漏れがないか確認してもらおうと、ダイニングテーブルの上に並べていたら、クシナ先生はテーブルに手をつき、わたしに顔を突き出してくる。
「休んでますよ。ちゃんと家に帰って寝てますし」
魚やお肉を冷蔵庫に詰めながら答えると、先生はそうじゃないと、首を横に振った。
「あのね。サホにはサホの休日があるでしょう。それを私なんかに使ってばっかりじゃよくないってばね」
クシナ先生が仰る通り、わたしの最近の休みの日の過ごし方は、決まって先生のお宅に向かい、掃除をして洗濯物を干して取り込んで、庭の手入れをして買い出しをしている。自宅の家事は全て母に任せていたため、最初はクシナ先生にやり方を教わりながらで、今ではすっかりクシナ先生直伝の家事の腕を奮っている次第だ。
だけど、先生としては、休日の度に家に来るわたしのことが気になるらしい。言葉をそのまま受け取れば、『自分の休日をすべて私に使わなくていい』という意味だろうけれど、もしかしたら、わたしがしょっちゅう家に来ることで、先生はちっとも落ち着かないのかもしれない。
「すみません。ちょっと顔を出し過ぎてますよね」
基本的に、ナギサやヨシヒトは先生に頼まれない限り顔を出したりはしない。上司と部下とはいえ、一応異性だから、という理由だ。
対してわたしは同性だし、ミナト先生からも、『火影の仕事が忙しくてなかなかついてやれないから』と改めて頼まれたので、休みはほぼすべてクシナ先生の下に通っている。
よくよく考えなくても、妊娠中という貴重な時間を、夫婦二人で過ごす時間を奪っているのではないだろうか。それはまずい。考えただけで背筋がヒヤッとした。
「そういうことじゃないってばね! 家に来て、掃除してくれたり、料理を手伝ってくれたり、買い出しに行ってくれたり、すっごく助かってるってばね。だけどね、そういうことじゃないってばね!」
謝るわたしに、クシナ先生は、言いたいことが伝わっていないという苛立ちからか、声が大きくなり、興奮するとよく出る口癖もやたらと出ている。
「サホの時間の全部を私に使っていたらだめだってばね。サホにはいずれ、私の封印術の全てを教えてあげたいと思っているの。だから自分の勉強もしてほしいし、せっかく戦争が終わったんだから、友達と楽しく遊んだりしてほしいってばね」
やはり、言葉通りの意味だったらしい。自分の時間を自分のために使えと仰っている。ちょっとホッとした。
「ほら、里にもかわいいお店が新しくできてるでしょ? 戦争中でできなかった分、たくさんオシャレしてほしいし」
「その新しい店なら、もう全店行きましたよ。ヨシヒトに付き合わされて」
「そ、そうなの……相変わらずね」
今、火の国の他の町から木ノ葉へ新規出店をする際、申請が通れば多少の援助が得られるようになっている。木ノ葉の里の活気を少しでも多く取り戻そうと、四代目が考えたことだ。
戦争の影響で閉店し、空き店舗が多かったけれど、そこにどんどんと新しい店が入るようになり、わたしは開店してすぐにヨシヒトに連れ回された。
同じ火の国と言っても、やはり里の中と外とでは流行り物が違うらしく、新しい店巡りはそれなりに楽しめはした。けれど、任務明けに呼び出されて疲れていたこともあり、ろくに考えもせずに選んだ服を着て行ったせいでボロボロに貶され、店に入ってすぐに服を買わされ、その場で着替えさせられた。可愛い服だったし、ヨシヒトの見立てに間違いはなかったけれど、ひどい話だと思う。
「ま、まあ、それはいいとして。……サホには、もっと使うべき相手に、時間を割いてほしいの」
「使うべき相手……?」
「カカシと、最近話した?」
突然その名前を出されて、全身が強張る。豆腐のパックを掴んで持ったまましばらく動けなかったけれど、それに気づいて冷蔵庫に仕舞い、パタンと戸を閉じた。
「暗部に入るくらいのときに、一度」
「何を話したの?」
「ガイがカカシに『暗部に入るんだろう』って話しかけていて、それで、『暗部に入るの?』って訊いて、あっちが頷いて……」
「それで?」
「……それだけです」
「それだけ?」
追い立てられるような気分で、わたしは冷蔵庫に向かい合ったまま、一度こくんと頭を振った。後ろで、クシナ先生がふうと長い息を吐いたのが音で分かった。
「サホ。私は心配なのよ」
「……わたしなら大丈夫ですよ」
「……そうね。サホには、ヨシヒトもいるし、ナギサもいるし、家族もいるわね」
そこで一度区切ったあと、先生はわたしの手を取り、自分の方へとわたしの顔を向けさせる。双眸は意思の強さにきらめいていて、引け目を感じてまともに見ることもできない。
「でもカカシには、もうサホしか残っていないってばね」
ずきん、と胸が痛くなった。
「そんなことないですよ。ミナト先生がいて、クシナ先生もいます。ガイも、アスマも、紅も。ヨシヒトやナギサだって、カカシの傍に――」
「だけど、カカシと痛みを分かち合えるのは、サホしかいないわ」
頭の中に、幼い頃の記憶が蘇る。
茜色の空の下、畑と林が広がる道を二人で歩いた。平屋の一軒家。さざ波のような竹の葉擦れ。カカシのサンダルだけの玄関のたたき。ギイ、とやけに響いた床板。開きっぱなしの障子戸。新しい写真と、古い写真が並んだ仏壇。こすったマッチと、煙をたなびかせる線香の匂い。ありあわせの供え物の、セロハンに包まれた白い飴。早く帰れと急かすカラス。藍色の空。サンダルを履いたわたしに眉を寄せるカカシ。「いつも待ってるからね」とカカシに言ったわたし。
わたしは結局、カカシを一人にしてしまった。
幼い子どもには広すぎる静かな家に一人で居るカカシに、いつも待っているよと言ったのに。
あのとき、その気持ちに偽りはなかった。純粋にカカシの居場所であろうとした――おそらく、今も。あのときと同じく、カカシを一人にしてはいけないという気持ちはある。
「平和になった今、時間はたくさんある。だからって、このままカカシと話さないでいたら、どんどん距離が離れて、もう本当に前のような関係には戻れなくなるかもしれないわよ」
先生の言葉は尤もだと思う。こうやって会わずにずっと過ごしていたら、話しかけるタイミングも分からなくなって、距離感も失って、どんな顔をして向かい合っていたか忘れてしまう。そうして以前のような関係に戻ることが難しくなる。
「でも、カカシは暗部になっちゃいましたから。会うことなんて、もうほとんどありませんよ。それより先生。今日教えてくださる封印術はどんなものなんですか?」
わたしはクシナ先生に嘘をついて、もうこの話は終わりにしましょうと、無理矢理に別の話題を振った。先生はそれ以上言っても無駄だと悟ったのか、その日は帰るまでもうカカシの名前は出てこなかった。
暗部になったとはいえ、休みはあるからカカシも今まで通り里の中を出歩くし、リンの墓やオビトの名前が刻まれている慰霊碑に顔だって出すに決まっている。
だから嘘だけど、暗部になったというのは、今までの縁を薄くするには意外と相応しい理由だと考えて、それで押し通したい。クシナ先生の言い分も理解できるけれど、やっぱりまだ放っておいてほしい。
やられた、と思うのは、失礼だろうか。
今日もいつものように、休みを使ってクシナ先生の家に向かった。思えば、家に向かう前からいつもと違っていた。わざわざクシナ先生が忍鳥を飛ばしてきて『明日は絶対に来てね』と、念を押されたのは初めてだった。
家に着いて呼び鈴を鳴らすと、やけに機嫌のいい先生に迎えられ、
「あのね、洗濯物を干してほしいってばね」
と、普段だったら『これくらい自分でやらないと体力が落ちてしまうから』と拒むことが多かったのに、洗濯物がたっぷり入った籠を持たされた。
不審に思いつつも、頼まれたのならやるしかないわけで。わたしは両手で籠を持って、物干し台が置いてある上階のベランダへと向かった。
ベランダには物干し竿を並べるスペースがあり、もうすぐ咲き始める蕾が顔を出している鉢が行儀よく整列している。籠を置いて、一番上にあったタオルを手に取って干していく。
次々と干していくうち、ふと気配を感じた。パッと顔を上げ、先生の家の屋根を見る。
――人が居る。逆光で詳細は掴めないけれど、全身を外套でくるんでいる。明らかに不審者だ。
「大丈夫よ、サホ」
印を結ぼうと構えると同時に、一緒に階段を上ってきていたのか、ベランダに面した掃き出し窓から、クシナ先生がわたしを制する。
「あの子はね、ミナトが手配してくれた、私の護衛よ」
「護衛?」
もう一度、今度は手で庇を作りながら、不審者を見上げる。強い光が遮られ、ようやく相手の正体が見えてきた。顔を動物の面で隠しているけれど、外套の隙間から、銀色の髪が白く浮いて見えている。
「カカシ……?」
口の中だけで響いて消えるほど小さな声で、その名を呼んだ。不審者――もとい、ミナト先生が手配した護衛は、初めて見る暗部姿のカカシだった。
それからというもの、わたしはやたらと外に出された。
洗濯物を干すのはもちろん、洗濯物を取り込むのもわたしの仕事になった。
花に水をやったり、雑草を抜いたりという手入れもわたしだ。
こんな仕事やりたくないというわけではない。お腹が大きくなると屈む姿勢はつらいらしいから、わたしにしてほしいと言うなら喜んでやる。
ただ、こうもあからさま過ぎると、無言のプレッシャーみたいなもので背中が痛い。正確に言うと、カカシの目につく場所に居るわたしを窓から見守る、クシナ先生の視線が背中に刺さって痛い。
「先生……。カカシは護衛についているんですから、話す機会なんてないですし、作っちゃいけないんじゃないんですか?」
今日の分の洗濯物を干し終わり下階に戻って、ソファーの上で妊婦向けの本を読んでいるクシナ先生に、ずっと考えていたことをとうとう口にした。
詳細な任務内容は知らないけれど、護衛対象と接触し常に付き従う場合と、護衛対象から少し離れて必要ない限りは接触しない場合と、相手や目的によって護衛対象との距離の取り方が違う。
恐らくカカシは後者だ。雨が降って、近くの木の下で雨宿りすることはあっても、家の中に入ってこようとはしない。クシナ先生が「一緒にお茶でも飲むってばね」と声をかけても、カカシは首を振って断った。
それらから察するに、カカシに話しかけても無視されるに決まっている。だったら、先生が望む話などできない。
なのに先生は、きょとんとした顔を見せたあと、にっこり笑顔を向けた。
「話さなくても、顔を合わせるだけでも違うわよ」
「そう……ですか?」
「そうよ。サホとカカシには、時間が必要なのよね」
座って、とクシナ先生の隣の席を指差されたので、スカートに余計な皺がつかないように静かに腰を下ろした。
「だから、今は顔を見せ合うだけでいいの。お互いの存在をちゃんと認識して、元気でいますよって、ね」
「なんですか、それ……」
「サホが元気だって分かると、カカシも安心するんじゃないかしら」
忍なら任務中に命を落とすことはそれほど珍しいことではない。一人しか帰ってこなかった、全員帰ってこなかったという悲しい帰還報告は、戦時中に何度も耳にした。情勢が落ち着いている今でも、親しい友達なら、しばらく会っていなかったら無事かどうかは気になるだろう。
「そんなこと、カカシは思っていませんよ」
「あら。どうして?」
「……わたし、カカシに言いました。オビトの目で、リンを殺してしまったあんたを、絶対に許さないって」
親しい友達なら安否は気になる。けれどあんなことを言った相手を、カカシはまだ友達だと思うだろうか。
「自分を恨んでいる相手の心配なんて、するわけありませんよ」
もう友達じゃないかも。同じ木ノ葉の里の、ただの同期の忍。もしかしたらそれ以下かもしれない。そんな相手が元気でいるかどうかなんて、むしろ元気でいない方が嬉しいものだろう。
「カカシの心はカカシが決めるものよ。サホが決めつけるものじゃないわ」
さっきまで優しげだった声は、咎める言葉に合わせて、少しだけきつくなり、わたしの肌の毛をぶわりと逆立てる。
「サホだって、私に『本当はカカシのこと、そこまで恨んでないのよね』なんて決めつけられたらいやでしょ?」
その問いには、イエス以外の回答が思いつかない。素直に頭を縦に動かした。
「サホが、カカシを許せないって言うのなら、それは仕方ないことなのよね。あなたの恨みは、あなただけのものよ。他の誰かが口を出すことじゃなかったわ」
「ごめんなさいね」と付け加えたあと、クシナ先生はわたしに腕を伸ばし、そっと自身に寄せて、わたしの頭をゆっくり撫でる。顔に触れる肩からの熱と優しい手つきに、目頭がツンと痛んだ。
「オビトが好きだったのよね。リンも好きだった。カカシも好き。三人とも大好き」
うん。心の中で頷いた。『他人が決めつけていいものじゃない』と言ったばかりなのに、三人が好きだろうと口にするのは矛盾しているだろう。だけどこれは決めつけではなく、事実を言い当てられただけだ。オビトも、リンも――カカシも。今でもわたしの大事な友達であり、同じものを守ろうとした仲間だ。
「心って、簡単じゃないわ。好きなのに恨んだり、許せなかったりするのよね。ううん。好きだから、許せないのよ。余計に。信じていたのに、裏切られた気がして」
クシナ先生は、頭の中に思いつくことを、そのまま口に出しているようだった。先生の肩口に顔を押し付けているので、表情は窺えないので分からないけれど、先生もまた、自分が発した言葉に、何かしらの感情を込めているような気がする。
「たくさん時間が必要よね。オビトに目を託されて、リンを死なせてしまったカカシを受け入れる時間が。ただ、その間にカカシと離れてはいけないわ。サホもカカシも、きっとだめになる」
今度は決めつけだった。わたしもカカシもだめになるなんて、そんなこと分かりはしない。
けれどそんな気もする。このままカカシと距離が開いていけば、オビトとリンと、四人で過ごした思い出を語れる相手はいなくなる。
顔を少しずらせば、クシナ先生のお腹の膨らみが見えた。出産予定日はまだ先だけど、もうはっきりと妊婦のお腹だと分かるくらいには大きくなった。
『先生たちの子どもが産まれたら』と、妊娠を告げられたときにも考えた。先生の子どもが産まれたあとでなら、許せるかもしれない。たとえ許せなくても、許せないと恨む気持ちごと、カカシを受け入れられるかもしれない。
わたしはきっと、理由が欲しかった。
カカシを許せる理由を。『だから許すよ』と言えるだけの体のいいきっかけを。
いつまでも経っても、わたしは人に縋ってばかりだ。誰かを理由にして、自分を納得させてきた。カカシを、オビトを、そして今度はクシナ先生の子どもを。
もっと強くなりたい。一人で立って、どんな悲しみにも堪えたい。
目を閉じて浮かぶのは、リンとオビトと、カカシと並んで何度も歩いた、夕陽に焼かれた帰り道だった。
クシナ先生から頼まれた買い出しの途中、ばったり会ったナギサに手伝ってもらい、帰りは荷物の大半を持ってもらった。
「ナギサに会えてよかった」
「本当にな。お前、これ全部をどうやって持って帰るつもりだったんだ?」
荷物の総数は、袋で換算すると七つ。ナギサの両腕に二つ、両手に二つで四つ。わたしも両腕に二つかけて、残り一つは手で交互に持ち替えている。ナギサの太くたくましい腕は、見た目通り怪力なので軽々と持っているけれど、わたしがそんなに持ったら歩くのもままならないと思う。
「何度か往復すればいいかな、と思って」
「クシナ先生も、なんで一気にこんな量を……」
買ったものは、食材、日用品、衛生用品と、家庭で消費されるもので、商品によっては物自体が大きくて荷物も嵩張ってしまっているけれど、それには実は理由がある。
「あ。わたしがしばらく里を出るから、いつも買っているもので、日持ちするものとかストックできるものは今のうちに買っておこうと思って余分に」
「ならこの量はお前のせいか。ぶっとばすぞ」
「ごめんごめん。助かってる。ありがとう」
本当なら、クシナ先生の買い出しメモ通りに買えば、荷物は多くても三つ。わたし一人で持って帰られる量だった。だけど明日から任務で里外に半月ほど出るので、その間に買い出しに行く頻度が少なくなるようにと、塵紙やら洗剤やらをストック分として余分に追加したのだ。
腐る物でもないし、必ず消費するものだからいいかなと思ったけれど、まあ確かに買い過ぎてしまった。
クシナ先生から預かったお金より当然オーバーして、足りない分は自分で出した。そのお金は返してもらわなくても気にはならないけど、クシナ先生が気になってしまうかも。妊娠中だからあんまり気を遣わせたくないのに、かえって悪いことをしてしまったかな。
「心配する気持ちは分かるけどな、妊婦だって運動は必要なんだよ。出産は体力使うからな。買い出しに出るために毎日歩くくらいがちょうどいい運動になるんだから、あんまり何でもかんでもお前が手を出すなよ」
医療忍者のナギサにそう言われると、ぐうの音も出なかった。クシナ先生に楽をさせたいと先回りするのは、先生のためによくないなら、意識を改めないと。
「やっぱりやりすぎかな? クシナ先生にも、もっと自分のことに時間を使いなさいって言われてるんだ」
「そりゃあな。先生なんだから、お前が自分のために働いてくれるより、お前が忍として成長してくれることの方が嬉しいんじゃないのか」
「成長かぁ……」
クシナ先生も、わたしにこれからも封印術を教えたいと言っていたし、実際にお家で教わっている。自分の世話より勉強しなさい遊びなさいとも言われた。つまり、忍としても人間としても成長してほしいという意味と解釈していいはず。
「ナギサは、これからどうしたいとか、ある?」
「ああ? 『どうしたい』って、何だよ?」
「だから……どんな忍になりたい、とか」
封印術の素質があると言われてから、わたしは漠然と『ならば封印術が得意な忍を目指そう』という目標を持った。ただそれは先生から素質の有無について教えてもらったから目指そうと思えただけで、自分から見つけた目標とは言えない。
わたしが唯一、自分で見つけた目標と言えそうなものは、『オビトの代わりにリンを守ること』だったけれど、それは絶たれてしまったし、永遠に叶うことはない。
ナギサとは何年も班を組んで親しいけれど、ナギサが将来どういう忍になりたいかなんて、具体的な話をしたことはなかった。ヨシヒトは分かる。里一番の美しい忍とかいう、ヨシヒトらしい目標を今も掲げている。
「まあ、少しはな。考えてるよ」
「えっ。なになに? 教えてよ」
「何でだよ。ぶっとばすぞ」
「ぶっとばす方が意味分かんないよ。教えてくれたっていいじゃない」
照れ隠しなのか、ナギサの口調は荒っぽい。慣れない相手なら怯むかもしれないけれど、生憎わたしはナギサのきつい態度にも、『ぶっとばす』にも恐れる感情は失っている。
ナギサは喋らないと頑なに拒み続けていたけれど、それでも引かないわたしに根負けしたのか、クシナ先生の家に続く道の、最後の角を曲がったら、やっと口を開いてくれた。
「クシナ先生が妊娠してるって知ったとき、戦争が終わって、これからは傷ついた忍を治療するばかりじゃなくて、産まれてくるものを守る時代が来たんだなと思ったんだよ」
一度体を弾ませ、両腕の荷物を持ち直しながら、ナギサはぽつりぽつりと続けていく。
「命ってさ、すげぇよな。腹の中で、最初は米粒より小せえのに、それがどんどん人の形になってくんだよ。そうやって産まれてきた子どもは、みんなビービー泣いて、誰かに守ってもらわなきゃ生きていけないくらいに弱いのに、十年も経てば走り回って、二十年経てばまたそいつらが子どもを産んでさ」
命の巡りを自分の言葉で語る横顔は、ワクワクと興奮する子どもみたいだった。ナギサは十七になるから、忍の中ではそろそろ子ども扱いはされなくなる。そうでなくても、大柄な体格と、鋭い目が険しく見せるきつい顔立ちで、もうすっかり少年ではなく青年だ。
「医療忍者っつーのは、傷を負った忍を治療して、前線へ戻すための医者みたいなもんだけどよ。そういう、命を育てて、繋いでいくのを支える仕事もいいかもな、って考えたわ」
青年が、自分の道を見つけ始めている。その瞬間が、今。
ナギサはちゃんと自分の言葉で、自分の考えと、これからの自分の在り方を語れる。わたしみたいに、素質があると言われたから目指します、という浅い考え方じゃない。経験から発見したり考察して、自分にうまく取り込んでいる。
「おい。何か言えよ」
黙るわたしに、ナギサが乱暴に声をかける。ハッと顔を向けると、ナギサの耳が赤かった。
「や……すごくいい話を聞いたなと思って……言葉が出なくて……」
「あー。やめろやめろ。ぶっとばすぞ。クソッ、言うんじゃなかった」
肌が浅黒いナギサは、顔が赤くなっても分かりづらい方だけど、今は明らかに真っ赤になっている。こんなに照れているということは、本当に本音を喋ってくれたからだろう。わたしの問いに真剣に返したせいで、こうやって恥ずかしいと後悔してしまっている。
「わたしも、クシナ先生の子どもが産まれたら、そしたら、やっとあいつを……って、考えてる」
真剣に答えてくれたのなら、わたしも心の内を明かすべきではないだろうか。同じ班として七年近く一緒にやってきた仲間なのだから。
ぼかした形にはなってしまったけれど、五年以上も一緒に居たおかげで、カカシとの今の関係についてだということは伝わるだろう。
「おう。いいんじゃねぇか」
そっと背中を押す言葉は、過不足なくわたしを勇気づけてくれる。
クシナ先生の家が見えてきた。上階のベランダに、外套を被ってしゃがんでいるカカシが居る。わたしたちに気づいて、面の顔をこちらに向けた。
表情も見えない、声も届かない。何を考えているのかも分からない。
今までと比べたら他人以上に開いたこれくらいの距離が、今のわたしたちにはもう少しだけ必要だった。