最果てまでワルツ | ナノ
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 改めて考えれば、サホがオレをいらないなんて最初からだったのに、近頃は距離を詰められている気がして、少し舞い上がっていた。その頭に冷水どころか氷山をぶつけられた。それだけの話だ。
 こうやって、サホの中でのオレの価値のなさを思い知るのは何度目だろうか。自分は相当懲りない男だ。
 サホがオレをいらないなら、じゃあやっぱりオレは傍に居ない方がいい。あいつの不調は気になるがオレは何もできないし、かえって目障りかもしれないなら、あいつの日常からオレを消してしまった方がいい。
 だから部屋にはしばらく帰っていない。帰るとするならば、サホが任務で里を出ていると確証が得られている場合のみで、そのときもシャワーを浴びて仮眠を取り、着替えてすぐに出る。
 あれ以来、任務が終わってもそのまま詰め所に残って体を休めるか、前の家に向かうか。最近はテンゾウの部屋に泊めてもらうことも増えた。

「泊まるのは構いませんけど、さすがにずっとは困りますよ。ルームシェアとかあまり好きじゃないんで」

 オレのために予備の布団を敷きながらテンゾウが言ったのは、四回目か五回目の日だった。
 先輩のくせに後輩に迷惑をかけるなんてと恥ずかしくなり、テンゾウの部屋に厄介になるのはこれで最後にしようと思っていると、

「でも、困る以上に心配です。だから行くところがないなら来てください」

などと言ってくれるので、先輩の威厳はどこへやら、遠慮なく甘えさせてもらうことにした。

「一応訊いておきますけど、またサホさんですか?」

 部屋に帰らぬ理由を問われ答えに窮して沈黙すると、察したテンゾウから「分かりました」とだけ返ってきた。その顔が少し呆れていたのは見間違いではないだろう。



 部屋にろくに帰れずとも、大きな問題は起きなかった。冷蔵庫の中身は空にしているし、多忙だったため洗濯物も元から部屋干しが基本だった。サホがいない隙を見て換気をし掃除もしている。部屋の中で飲食をしなければゴミも出ない。郵便物の類を回収するのも五分もあれば可能だ。
 慰霊碑や墓地へ顔を出す際は、マンションと違って隠れる場所がないため気配に注意していたが、不思議とサホに遭遇する機会は一度もなかった。オビトやリンの下に、オレンジや赤や、薄紫や白の花束が供えられることもなかった。
 あっちもオレを避けているのだろう。サホが二人の下を訪れない理由はそれくらいしか思いつかず、自分とてサホと接触しないようにしているくせに、いざサホから避けられると気が落ちる自身に気づき、こうも女々しい奴だったかとますます情けなくなる。
 感情を律しようともなかなかうまくいかないせいか、部隊長会議だというのに、いまいち集中できずに何度も聞き逃しをしてしまった。
 隊長がこんなことではロ班全体の評価も下がってしまう。気を引き締めねばと考えつつ会議室を出る際、周囲より頭一つ分低い、懐かしい顔と目が合った。

「イタチ、隊長はどうだ?」

 出会った頃より随分と身長は伸びたが、それでもまだ目を合わせようとする自然と下を向く。
 ロ班に所属していたイタチは、まだ幼いといえるほどに若いのに、新設された班の隊長を担っている。少年特有のあどけなさは残っているが、彼の物静かな態度や隊長としての振る舞いは大人のそれと変わらない。

「まだ班を完璧にまとめているとは言えませんが、おかげさまで上手くやれているつもりです」

 うちは一族はこれまでにも優秀な忍を輩出してきたが、イタチはその中でも特に飛び抜けている。
 オレよりもずっと若く暗部入りした当時は心配していたが、先ほどの会議でも臆することなく質疑応答し、隊長を務める班も特に失態を犯したなどは耳に入っていない。私事に意識を囚われ続けている自分と大違いだ。

「同じ隊長として、何か相談に乗れることがあったら遠慮なく言ってくれ」

 役に立つかは分からないが、オレは下忍になったときや上忍になったとき、暗部入りして隊長を任ぜられたときも、それなりに苦労を感じた。
 あのときの経験がイタチにとって助言になるかは分からないが、かつて部下だった奴だ。やはり何かしら手を貸してやりたいと思う。
 イタチはオレに目を合わせたまましばし黙った。何と答えるべきか迷っているのだろうか。
 逡巡したイタチが出したのは、

「ありがとうございます」

という当たり障りない礼だったが、表情の変化が乏しいその顔が、ほんの少し微笑んで見えた。
 イタチがロ班から抜けた当初は、子どもと称してもおかしくない年齢で隊長として部下を率いていけるのか気がかりだったか、そんなものは杞憂だった。
 むしろ、任務中は常に感情や私情を挟まないイタチをオレが見習うべきだ。立派になったその背を見送って、オレはロ班の下へ足を向けた。



 ある夜。木ノ葉隠れの里の一端に、血の匂いがひどく漂う、凄惨な光景が広がった。
 一人の少年による同族殺し。少年の名はイタチ、一族はうちは。
 かつてのオレの部下が、共に暗部で隊長を務めるあいつが、弟一人を残し、両親を含めた一族全員を手にかけた。

 うちは地区への立ち入りが制限されて数日。遺体の回収、現場検証等はすでに終わっており、生き残った子どもや、突然からっぽになった、血に塗れた居住区について上役たちで会議が進められた。
 議論の末、イタチの弟のうちはサスケは里側が保護し、新しい住まいを用意をすることに。さらなる話し合いの中で、うちは地区は近々取り壊されることが決定した。
 血生臭い現場とはいえ、早急に彼らの痕跡を崩す必要などあるのだろうか。
 かといって、お偉方の主張を覆す方法も思いつかない。忍の間ですら同族殺しの話は肝が冷えるものだというのに、非戦闘員の一般市民にすればその恐怖は比ではないだろう。里の住まう者のことを第一に考えた上での結論に文句などつけられない。

 うちはイタチは暗部の隊長を務めていた。表向きは平時と変わらぬ様子を維持しているが、暗部全体にどことなく重い空気が流れている。
 イタチの班は解体され、属していた仲間も他所の部隊へ転属になったと聞いている。一族殺しを行った者の部下ということもあり、隊長であるイタチから受けた影響を考えてのことだろうか。
 今回の件で、全班の見直しが行われ、ロ班からは一人抜けていった。以前から自分の班を持ちたいと言っていたシンマだ。念願かなって新しく編成される班の隊長を務めることになるらしいが、諸手を上げて喜べる状況ではない。

 たった一夜。
 けれどそれは、うちは一族や、一人生き残ったうちはサスケにとって、長く悲惨な一夜。
 たった十二時間かそこらで状況は一変し、在ったものは絶えた。いつまでも続くはずだった日常は、何の前触れもなく途切れる。
 オレたち忍は、日常というのはそういうものだと知っている。戦争を経験した者は、突然仲間が息絶えることを何度も経験した。
 しかし、ただ一人の生存者であるうちはサスケはまだアカデミーに通うほどに幼く、同族を殺したのは何より彼の兄だ。
 たった一夜で両親や同族を喪い、生まれ育った馴染みの地が形を崩し、凶行に及んだ兄は里抜けした。小さな子どもには重すぎる現実だ。


「ありがとうございます」


 あのとき、イタチはすでに一族を手にかけることを考えていたのだろうか。礼を述べ微笑んだように見えたのはオレの錯覚だったのかもしれない。
 今でも信じられない。口数は決して多い奴ではなかったが、穏やかで不必要な争いを好まないイタチが、何故あんなことを。

「オレはいつも、結局誰も救えない」

 暗部の詰め所から出て、テンゾウの部屋へと転がり込んだオレが零すと、テンゾウは自身の洗濯物畳む手を止めた。
 床に座るオレの前にはテーブル。その上には小腹を満たすべく部屋主が用意してくれた小鉢があるが、手を付ける気にはなれなかった。

「ボクは救われましたよ。『テンゾウ』になれました」

 止めていた手を動かしながらテンゾウが言う。初めて会った頃、テンゾウは『根』に所属し『甲』と名乗っていた。
 物心つくよりずっと前に、大蛇丸らの手によって実験体の一人として扱われたテンゾウは、自分の本当の名も親の顔も知らない。『甲』というコードネームも、目印や区別のために割り振られた番号の一つだ。
 それは『テンゾウ』も同じなのだが、これに関してはテンゾウ自身が深い親しみを覚えている。

「テンゾウにしてくれたのはあの子でしょ」

 根からロ班へ転属した際、『テンゾウ』と名乗るように言ったのはオレだが、本当の名付け親はユキミという一人の少女だ。今は傍に居ない、自身の弟に似ているからと勝手に呼び始めたのがきっかけだ。
 ユキミはイブリ一族の少女だった。イブリ一族は体を煙へと変えることができる非常に珍しい能力を持っており、その稀有な力を大蛇丸が実験に利用していた。

「そういえば、ユキミはあれからどうしてるか知ってるの?」

 イブリ一族はその特質故か、風に吹かれると体を維持できなくなり死んでしまう。だからユキミたち一族は風の通らぬ洞窟から出ることはほぼなかったが、大蛇丸の研究に付き合ったことで長く生きられるようになったという。
 しかし結果的に、ユキミ以外のイブリ一族は大蛇丸の手により殺されてしまった。ただ一人生き残ることができたユキミとは、木ノ葉の里に戻る前に別れた。
 今まで暗く狭い洞窟の中で生きてきた彼女は、これから明るく広い世界で生きていくと、笑顔を見せていた。

「知りません」

 タオルの端をきっちり揃え、折る毎に折り目をつけていきながら、若干突き放すようにテンゾウは言う。

「知らなくていいの?」
「知らない方がいいと思うんです。下手にボクが知っていて、彼女に何か事が及んだら怖い。ボクとは何の繋がりもない方がいいんですよ」

 返ってきた言い分は寂しいものだが、もし仮にオレがテンゾウの立場であれば、オレもそうしたかもしれない。
 テンゾウにとってユキミという少女は名付け親でもあり、姉のような存在でもあるだろう。そんな彼女が天涯孤独の身となり、ろくに世間を知らないのに一人でやっていけるのか。
 だが、手を貸し縁を持ち続けることが助けになる反面、彼女に害を及ぼす可能性もある。
 例えばテンゾウに恨みを持つ者が探りを入れ、ユキミとの縁を知って彼女を利用するかもしれない。
 自らの生業や立場を考えると、『弱点』を増やしてはならない。
 やっと自由に生きられるようになったユキミのため、テンゾウは関わらないという道を選んだのだろう。

「あるけどね。『テンゾウ』って名乗ってる時点で」
「そうですけど……」

 意地の悪い言い方をするオレに、テンゾウは口をへの字にしてみせ、「でも先輩が『テンゾウ』を選んだわけですし」と、もごもごと何か喋っている。こいつも体は大きくなったが、時々見せる表情は出会った頃の面影を残している。

「羨ましいよ。オレはオビトとでしかあいつと繋がれない」

 今までもこれからも、ユキミとの再会はないかもしれないが、テンゾウが『テンゾウ』である限り、あの子との縁は細くとも長く確実に続いている。
 でもオレは違う。サホはオビトの目だけを望み、オレ自身は拒んでいる。
 幼い頃より同じ里に住み続ける隣人のオレたちよりも、たった一度会っただけでこの先もずっと顔を合わせないだろうテンゾウたちの方が、ずっと深いところで繋がっている。

「隣が気になるから部屋に帰りたくないなら、いっそ引っ越せばいいんじゃないんですか?」

 部屋に戻らぬ理由が分かっているのなら、それをなくせばいい。実に合理的なアドバイスではあったが、聞こえないふりをした。
 契約している部屋を解約し、別の部屋を借りるのは簡単だ。金に糸目をつけずに探せば、今とそう変わらぬ条件の物件はすぐに押さえられるだろうし、他人の部屋に身を寄せる状況を解決するのに一番手っ取り早い。
 けれど、あの部屋を出れば、オレは隣人でいられなくなる。ただでさえ少なく細い繋がりを自ら断ち切る気にはなれない。我儘なのは重々承知だが、あの部屋は誰にも明け渡すつもりはなかった。



 特に望んだ覚えはないのだが、気づけば誰かに『恋人になってほしい』と声をかけられるようになり、年々その数も増えてきた。
 気が向けばの軽い誘いから、真っ赤な顔をして震えて告げる者、知人を介した者も居た。
 呼び止められた時点で『あ、これはそういう話だな』と察するようになったのはいつからだったか。背が伸びるに連れ、周りがオレに向ける目が徐々に変わりつつあった頃からだ。

 今日もまた、一人の中忍に声をかけられた。火影室付きの事務方の女性だ。三代目と話を終え、詰め所に戻る前に必要資料を取りに向かうため、資料室へ続く廊下を進んでいると、慌てた様子で彼女が追いかけてきた。
 多種多様、臨機応変を求められる里の業務を円滑に進めるためか、事務員の数は二十人近い。火影と直接やりとりするのは事務長を含めた数人程度で、あとは事務長の指示に従って雑務をこなす平だ。
 彼女は平の中でも若手で、歳もオレと変わらないくらい。たまに事務室に書類を提出する際に、もしかしたら接したかもしれない、というほどに関わりが薄い。

「少しお時間をください」

 合わせた指先を忙しなく動かしながら、事務員の彼女は蚊の鳴くような声で乞うた。赤く染まった頬は、化粧のせいだけではないだろう。

「仕事は?」

 事務方の就業時間は、繁忙期や火急の際以外は常に定刻通りであり、まだ退勤時間ではないはずだ。
 職務中に私事に耽ってよいのかと暗につついてみると、彼女の顔はさらに茹でた蛸のように赤くなり、瞳はじわりと潤んだ。

「ひ、昼休みをまだ取っていなかったので……」
「……あ、そう」

 ホントかどうかは知らないが、本人がそう言い張るのなら、それ以上咎められない。

「なに?」

 単刀直入に訊ねると、事務員は辺りをチラチラと見回した。廊下は閉鎖されておらず、今はなくとも通りかかる者はいくらでもいる。
 場所を変えたいと彼女が言うので、近場にあった倉庫に入った。年に一回使用されるか否かの備品が棚に積まれた部屋は埃くさい。
 照明のスイッチを入れれば、パキンパキンと爆ぜるような音と共に、天井から青白い光が降り注いだ。

「オレも忙しいから、そんなに時間は取れないんで」
「は、はい。すみません、お忙しいのに」
「いいから、用件は?」

 我ながら棘のある物言いではあったが、訊かずとも分かっている用件を促すのは、とにかくさっさとこの場から去りたい一心だった。
 事務員は足元に視線を落とし、手の指を何度も組み換え、一つ深めの息を吐くとパッと顔を上げた。

「ずっと、素敵だなと、思っていました」

 潤んだ目は何度もオレから視線を外し、戻し、外しを繰り返す。

「好きです。付き合ってください。私、中忍ですし、恐れ多いと分かってますけど、はたけ上忍が好きなんです」

 予想と違わない頼みに、オレは用意していた言葉を返すつもりだった。『付き合う気はない』と。
 しかし何故だろうか、口は一向に結んだままに、彼女の震える肩ばかりを見てしまう。

「オレを好きなの?」

 問い返すと、彼女のその肩は大きく揺れた。伏せていた顔は恐る恐る上がり、顔どころか耳や首まで赤くなっている。

「はい……」

 風が吹けば散ってしまいそうなほど小さな声で、彼女は肯定した。オレを好きだと。

「――いいよ」

 事務員は目を見開いて驚き、本当ですかと何度もオレに確認する。うん、とだけ返し続け、今後の予定を思い出し、さすがにこれ以上遅れてはならないと、彼女を置いて先に倉庫を出た。


 月の締日が近かったことと、書類の様式などに変更があったため、告白を受け入れてから何度か事務室に顔を出すことがあり、その度に例の事務員の女性から視線を送られること数日。
 事務室、就業時間中ということもあり、会話は一切ない。特に声をかける理由もなく、オレは用を済ませたらさっさと事務室を後にするし、彼女も不必要に席を立つことは憚られるためか、倉庫で別れて以来まともに顔を合わせることもなかった。
 あれから一週間経つ前に、偶然廊下で行き違うところで、彼女に声をかけられた。

「あの……この前の件なんですけど……」

 幼子が不安げに抱きしめる人形のように、彼女は数冊のファイルを両腕に抱え、おずおずとオレに目を合わせてくれる。

「ああ。まだ何かある?」
「あっ、その…………今度、食事でも、どうですか?」

 先日の件なら忘れてはいない。用があるならと促すと、事務員はたっぷり間を置いたあとそう続けた。いかにも決死の表情で、彼女なりに勇気を振り絞ったのだとよく伝わってくる。

「悪いけど、慣れない相手と一緒は落ち着かないから」

 食事は気の緩みやすい場の一つであるため、テンゾウやガイなどの慣れている相手以外と共にするのは好きではない。毒物を盛られたり不意を突かれて襲われるなど、無意識に警戒して神経を使ってしまう。それに自分のペースを乱されるのも、相手に合わせるのも面倒だ。
 女性は言葉に詰まった。ファイルを抱えている腕に力が増す。

「私たち、付き合ってます、よね?」

 オレを見ないで投げられた問いに、

「そうなんじゃない?」

と疑問形で返すと、彼女は眉を寄せ目元をきつく歪ませながら、オレと目を合わせた。

「私のこと、好きじゃないんですか?」
「好きじゃないよ」

 質問には早い回答を。一瞬の判断を求められる忍者として事実を淡々と述べると、女性は怒りと悲痛を混じらせた複雑な表情を見せる。

「なら、どうして……!」
「あんたがオレを好きだと言ったから」

 責めるような口ぶりは怒気を孕んでいるが、対するオレの声といえば、我ながら感情がこもっていない。
 彼女はオレを好きだと言った。オビトではなく、オレを好きだと。サホと違って、オレ自身を求めていると言うから、だから受け入れてみた。

「そういえば名前、何だっけ?」

 以前から事務室で見かけていたため、女性の顔に見覚えはあれど、名前までは把握していない。面と向かって会話したのもこの間が初めてだ。
 女性の顔から色が失われ、信じられないとばかりに目を大きく開く。わなわなと身を震わせ、ぎゅっと唇を結んだ。

「もう、いいです。全部忘れてください」

 言って、名前も知らない彼女は事務室の方へと走り去っていく。初めての恋人とやらに、どうやらオレはフラれたらしい。
 女性の反応は当然だろう。名前を知らないまま付き合うなど、そんな話聞いたことがない。バカにしていると怒るのも無理はない。
 罪悪感は微塵も湧かなかった。ろくに知りもしないのはお互い様だと思ったからだ。
 オレを好きだったらしいが、話したこともないのに何故好きになれる。
 見た目? 肩書き? 他人から伝え聞く噂?
 それこそ、遠くから見えていた部分を都合よく捉え、作り上げた自身の解釈を押しつけてきただけじゃないか。
 そこまで考えると、イタチがオレに何も相談しなかった気持ちが途端に理解できた。
 オレが知っている『うちはイタチ』という奴は、オレから見えていた事実で構成されている。『穏やかで争いを好まない奴だった』という印象も、オレがそう思い込み、決めつけただけだ。
 イタチが見せていた部分しか知らぬ奴に、同族殺しという凶行を起こさせたほどの何かを打ち明けるはずはないなと、ただ納得した。



 出処は件の事務員の女性かどうか知らないが、オレが火影室付きの事務員と付き合って一週間も経たずに別れたという話が流れていると、暗部の女の先輩から教えてもらった。
 この人の耳に入るまでに一体何人の耳と口を経由してきたのだろう。噂の種になっているなんて、何度経験しても億劫だ。

「なんで別れちゃったの?」
「『もういいです』と言われたからです」
「あはは! フラれちゃったの? カワイソー」

 睫毛の長い双眸を弓形にし、先輩はけらけらと笑う。言葉だけの憐みには、同情など微塵も感じられず、どちらかといえば失敗を嗤うものに似ていた。

「でもあのカカシが女の子と付き合ったんだぁ。相当可愛かったの? 火影室の事務員だっけ? 何チャン?」
「知りません。教えてもらう前にフラれたんで」
「名前も知らないで付き合ってたの? ナニソレー!!」

 先輩は手を叩いて笑い声を上げるが、その明るさにもノリにもまったくついていけない。
 この人は昔からこうだった。品のない人あけすけな人で、場の空気を読まずに好き勝手に喋る。しかし長年ホ班の一人として暗部に籍を置いているほどに実力は確かだ。

「私が前に誘ったときは断ったくせにぃ」
「そうでしたっけ」

 唇を尖らせ非難めいた口調で言われても、あまり記憶にない。あったような気もするが、この人の場合は冗談か本気か分かりにくいため、オレの中ではなかったも同然だ。

「そうだよ。じゃあさ、今はどう?」

 猫が体をこすりつけるように、腕にするりと温もりが絡む。先輩がオレに身を寄せ、しなだれかかっている。

「誰でもいいなら、私でもいいんじゃない?」

 軽薄な誘いの割に、細めた瞳の熱は高い。なるほど、その話がしたかったわけか。狙いが分かると、蠱惑的な笑顔も途端に卑しいものに見えてくる。

「オレが好きなんですか?」
「うん。カカシがだーいすき」

 そう言うから、「いいですよ」と返した。先輩はにっこり笑って、オレの首に腕を絡めてけらけら笑った。


 先輩とは一週間は持った。でも九日目で終わった。
 班が違うためほとんど接触する時間がなく、一人目と同じく顔を合わせない日の方が長かった。一週間後に詰め所で、文字通りに腕に絡まれ、その二日後には彼女の部屋に連れ込まれた。
 同じ暗部に属しているとはいえ、やはり飲食を行う気にはなれない。例えばこれが任務中であったならば別だったが、プライベートな今、女の部屋に二人きり、という状況はオレの本能が警戒しろと訴えている。
 飲まないオレに少々不機嫌ながらも、先輩は一人酒を煽った。何度か空にしたグラスをとうとうテーブルに置き、凭れていた先輩が顔を上げて唇を寄せてくるので、体を引いて逃げた。

「カカシ。キスして」

 押して、引っ張って、ねだる彼女の顔も見ないよう逃げ続けた。

「なんでしてくれないの? いや?」
「はい」

 腕に絡み、凭れてくるのは我慢できても、唇を重ねるのは無理だった。生理的嫌悪、というやつだろうか。
 そもそも普段見せていない口元を晒すのにも抵抗があり、装備や額当ては外しても、マスクは下ろしていない。そんな相手にキスなんてできる気がしない。

「そうなんだぁ」

 先輩ははっきりと拒否の意を示したオレに、珍しく静かに返した。
 あ、さすがに泣くか、と若干焦りが生じたが、弓形の目から涙は零れることはない。

「じゃ、別れよっか」

 先輩はけらけら笑って、九日目の夜にオレを部屋から蹴り出した。



 それからと言うもの、『聞いたんですけど』と前置きをしながら、告白されることが増えた。聞いたって、何をどう聞いているんだ。
 その時点ですでに別の誰かを受け入れていた場合は別だが、相手がいないときにオレを好きだと言うなら断ることはしなかった。

 そういう考えで付き合うからいけないのだろう。どの相手とも長続きはしなかった。
 望まれれば食事の場には同席したが、オレ自身は一口も飲食はしなかった。
 オレの部屋の場所は教えなかったが、あっちが誘うならお邪魔した。
 腕に手を回されても好きにさせたが、キスはやはり拒んだ。
 熱を持った目を向けられると居心地が悪くて、顔を合わせるのを避けるようになってしまったし、会話もろくに続けられない。おかげで足を向けづらい場所が増えた。
 そういう付き合いを始めて数日経つと、ほぼ全員が一番目の事務員の女性と似たような問いをかけてきて、オレも似たような返しをする。自分たちは付き合っているのか、そうなんじゃないの、好きじゃないのか、好きじゃないよ、と。
 バカにしていると怒る者、悲しむ者、呆れる者。多くは別れを切り出すので応じるが、だったら好きにさせてみせる、と意気込む者も居た。

 そうして残った者と、今度は二番目の先輩と同じように割り切った付き合いを始める。
 共に食事はしない、部屋にも招かない、キスもしない。それでもいいと諦めない彼女たちに同情めいたものが湧き、わずかな望みを懸けて行為に持ち込もうとするならば、恥をかかせてはいけないのではと流れに逆らわず、その肌に手を這わせたこともあった。
 しかし結局、誰に対しても深く触れることなく終わる。
 その背はどれもまっさらで傷一つなく、その度にやるせない気持ちが重く圧し掛かり、それ以上手を伸ばせなかった。



「また別れたんすか? これで何人目なんですか?」
「さあね」

 今後のシフトを組むため、暗部の詰め所で予定表を確認しながら必要人員を計算していたところ、『今度は受付所の職員と付き合っているんですよね?』と、猪の面を掛けたノジシに問われたので、その子には二日前に別れを切り出されて終わっていると返したら、驚いた声を上げられた。

「隊長かっこいいっすね! オレも隊長みたいな、付き合った女なんていちいち数えない、クールな男になりたいっすよ」
「ノジシ、見習うもんじゃないよ」

 頭の後ろで手を組んで大きくため息を吐いたノジシを、オレが押しつけた任務の報告書を書き進めるテンゾウがぴしゃりと叱りつけた。手本にすべきではないのは同意するが、言葉に潜む棘が痛い。

「用がないならさっさと帰宅して休んでおくんだ。明日は早番だろう」
「そっすね。じゃ、お先に失礼しまーす」

 早く帰れと歳の近い先輩であるテンゾウが促すと、後輩のノジシは元気よく挨拶をし部屋を出て行った。若いというよりまだ幼さが残っているノジシは、お調子者でやかましいが素直で聞き分けがいいので、扱いはさほど困らない。
 明るいノジシがいなくなると、室内の静けさがいつもよりずっと際立った。

「先輩。部下に示しがつきません」
「ごめーんね」

 オレの行いを咎めるテンゾウに謝ってみたが、テンゾウの眉間の皺は解かれることはなかった。心からの謝罪でなかったので当然か。
 それからテンゾウは無言のまま、報告書にペンを走らせ、書き上げるとさっさと帰ってしまった。
 これは相当呆れられたかな。今夜はテンゾウの部屋に厄介になろうと思っていたけれど、やめた方がよさそうだ。久しぶりに平家の方で寝ればいいか。
 次のシフトを組み終え、固まっていた背中や肩の筋肉をほぐしつつ詰め所から出ようとすると、控えめなノックと共に「隊長、いらっしゃいますか」と声をかけられた。
 この部屋はどの班も使用するため、隊長とだけでは誰を指しているのか分からず、開けた方が早いとドアノブを回すと、ロ班の一人であるイサナが立っていた。

「イサナか。どうした?」

 今日は確か火影の護衛を担当し、それはすでに次の組に交代している。待機の指示も出していないし、詰め所に残っている必要はなかったはずだ。
 数年前に暗部に移ってきたイサナも、今じゃ立派にロ班の一員だ。緊張しがちなのは相変わらずだが、自分の能力をしっかり生かし、ロ班が諜報活動を行う際は欠かせない。イタチの補充要員として入った夕顔がロ班に馴染むよう世話もしてくれている。

「お、お話が……」
「話? 任務で何かあった?」
「そ、そうじゃないんです。任務は滞りなく終わりました」

 わざわざ話があると、オレの下を訪ねるくらいだから不備でもあったかと問えば、そうではないと返ってくる。
 では何か。オレの冴えた勘みたいなものが一つ答えを弾きだして焦る。
 話がある、任務のこと以外で。そうくれば、あとは大体みんな同じ流れだった。

「好きです。隊長が、ずっと好きでした」

 縋るような目だった。けれどわずかに期待を伴っていて、熱量の高さに喉が鳴る。

「今は誰ともお付き合いされていないって聞きました。だから、私と」

 その唇が乞う。その頬が色づいて、その白い指先は祈るように組まれ、少し上を向くことで細い顎のラインが強調される。
 目の前に立つのはイサナだ。年下で、耳が良い、オレの部下だ。
 けれどゆらめくレースのカーテンのように、あいつが重なる。

「――ごめん」

 テンゾウに向けたものと比べ物にならないほど重たい謝罪に、イサナは動きを止めてオレを見た。目を合わせていられなくて、瞳は室内の壁の、変色してしまった掲示物へ逃げた。

「わ、私のどこがだめですか? 隊長が嫌だと思うところ、全部直します」

 つっかえながら出てくる声が、いじらしい訴えにか弱さを足して、今すぐにでも慰めてやりたい衝動に駆られるが、そんなことできない。
 イサナのどこかだめか。

「君だからだめなんだ」

 顔も声も、雰囲気も。イサナは実にサホに似ている。
 だから、だめだ。あいつに似ているイサナだから。
 これ以上イサナの傍に居ることに堪えきれず、足を進め離れた。
 「隊長」と呼ぶ声はイサナだと分かってる。
 そうだサホじゃないんだと、がっかりするオレなんか消えてしまえたらいいのに。



27 枯れぬ逃げ水

20200416


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