最果てまでワルツ | ナノ
BL小説コンテスト開催中
テーマ「禁断の関係」
- ナノ -



 死ぬことなく歳を取れば、赤子もいつか成人する。
 成人の儀が執り行われる会場に集まるのは、見慣れた、見慣れぬ、同い年の者たち。各々の好みで自身を飾り、久々の再会に声を弾ませ、あるいは昨日も顔を合わせた者と普段通りのやりとりを重ね、どこもかしこも騒がしい。
 明るい声ばかりが響くが、戦争を経験している世代のため、自身が成人まで生き残れたことや、親しかった友が傍に居ないことを改めて受け止めているのだろうか、賑やかな雰囲気に溶け込めない顔もいくつかある。
 オレもその中の一人だ。慶事には相応しい格好があることは分かっているが、かといってわざわざ用意する気にもなれぬまま、普段と変わらない服装で会場に着いた。
 きらびやかな色の中で、地味な格好は当然目立ってしまうが、成人の儀に関して服装の規定などは一切ない。着飾るのが昔からの慣習であるからそういった暗黙の了解が作られているだけであって、普段着のオレも不正解ではないのだから、咎められる謂れはない。

「まあ、カカシの頭は日頃からキラキラしているしな。髪を際立たせるためにあえて飾らない格好をするとは実に心得ている! 何でも足せばいいわけではないと、その塩梅を見誤らない……さすがオレのライバルだ!!」

 顔を合わせたガイから普段着であることを突っ込まれたが、オレが答えるより前に勝手に解釈し、勝手に納得し、勝手に盛り上がってくれた。いちいち訂正するのは面倒だからそのままにしておこう。

「オレが言うのもなんだけど、お前もいつもと変わらないね」
「分かってないな、カカシ。鷹のごとく鋭き観察眼もその程度か」

 オレと同じくガイの服装も普段と変わりない。緑色の全身タイツに、腰に巻いた額当てに、目立つ色の脚絆。
 しかし本人はわざとらしく首を振り、得意気に腕あたりを摘まんでオレに近づけた。

「これは金糸を織り込んだ特注品だ! オレらしくあり、且つ晴れの日に相応しい装いを突き詰めてみたんだ!」
「へえ……」
「忍たる者、いついかなる時でも動けなければなるまい。これであれば、火急の際にも素早く対応でき、全力を振るうことが可能だ!」

 熱く朗々と説明されると、そこそこ理に適っていると思えてくるから不思議だ。万全の態勢を維持することに重きを置くのも、木ノ葉の上忍としての責任感の表れだと考えると悪印象は抱かない。
 この場に集まったのは皆同じく成人したばかりの者たちだが、オレが親しいと言える相手はガイくらいだ。
 名前と顔が一致していて、なんとなく幼い頃に遊んだ奴もいないことはないが、なにせ正規部隊から暗部に移って随分経つので、人付き合いはめっきり狭く薄くなった。
 普段着のオレたちは悪い意味で目立ちもするし、隣のガイが「めでたい日にやるべき勝負を考えてきたぞ。まずは『めでたい』にちなんで、鯛焼きをどちらが多く食べるかなんだが」と勝手にオレが受ける前提で話を進めているため、周りは遠巻きに見て距離を取る。話しかけられても億劫なので構わない。
 ガイの話を聞くよりイチャパラを読もうとポーチに手をやると、

「サホ!」

と隣のガイが大声を上げ、その名を呼んだ。
 手を振るガイが顔を向ける先に、確かにサホが立っている。女子全員が袖を通しているような着物ではなく、いつも見かける忍服を着用しているので、サホもまた女子の群れから浮き上がっているように目立っている。

「なんだ、サホは着物じゃないのか!?」

 言いながら、ガイがサホの方へと向かう。周囲がガイを避けるように道を開くため、ぶつかることも躱すこともなく、ガイは堂々と歩き一直線にサホの傍へと着いた。
 サホの視線は一度オレへと向けられたが、すぐに逸れた。あの夜以来やっとまともに姿を見られたのに、疎むような態度に足が竦んで動けない。
 謝りたい。成人の儀が終わるまでならサホもこの場から去ったりはしない。
 謝るなら今しかないと分かっている。けれど今日までサホはオレを避ける形で拒絶を示してきた。
 声をかけ、はっきりと撥ねつけられたらと考えると、腹の底が冷えて怖くなる。オレを嫌うサホを明確な形で知るのが恐ろしくてたまらない。
 そんなオレの内心など知らないガイは、サホとやりとりを続ける。サホの声は聞き取れないが、声のでかいガイのそれはざわめきに埋もれることなく耳に届く。オレにしてみせたのと同じように、今日のタイツが特注タイツだと説明している。

「よし! せっかくだから、オレたち三人で青春に満ちた写真を撮ろうではないか!」

 ガイの陽気な声に心臓が鳴った。サホの腕を掴んでオレの方へと戻ってこようとするガイだが、動きは止まる。
 後ろを向いてサホと話したガイは、その腕を解放した。サホは人混みの中に消えていき、ガイだけがこちらへ歩み寄ってくる。

「今からお世話になった先生方に挨拶をするらしい。義理堅いのはいいことだな。写真は成人の儀が終わったら、と話を付けたから、先に帰るなよ」

 意気揚々と言うが、それはきっと成されないだろう。
 写真なんて数分あれば撮れる。先生への挨拶など、あの場から逃れるための体のいい言い訳であり、ガイはオレよりサホの逃亡を心配をすべきだ。

「しかし、成人の記念写真なのに正装がオレだけというのも少々寂しいな」
「ガイの中でそれって正装なの」
「場に合った形に重きを置くことも大事だが、やはりこういった日に一番大事なのは、身に着ける物に込められた誠実な思いと、何より心の持ちようだろう。心が締まっていなければ、いくら着飾っても下品になるだけだ。お前という奴が形に囚われるとは、今日のめでたい勝負はオレの勝ちだな」

 正しいのかは分からないが、なんとなくいいことを言っているような気を起こさせる話術はガイの無自覚な特技なのだろうか。ただ、着飾ったとしても振る舞いに品がなければ醜く思えるのは同意だ。

「あいつ、どうしていつもと同じ格好だったの?」
「分からん。今日は一切の任務を免除されているはずだが……ハッ! まさか、火急の事態が!?」
「だったらサホだけじゃなくて、お前やオレにも声がかかるはずでしょ」

 目を鋭くさせながら構えるガイが、辺りをきょろきょろと見回す。
 上忍は里の有事に置いて、中忍以下よりも真っ先に招集される。状況を確認し対策を考え、その後中忍以下へ通達されるようになっている。
 『火急の事態』とやらが起きているのなら、サホだけでなくオレたち他の上忍にも指示が来ていてもおかしくない。

「ならばやはり分からんな。女心は、オレはさっぱりだ」

 ガイはそう言って腕を組み、鼻から息を吐いた。女心どころか、他人の心の内も怪しいところだが。
 火急の事態ではないにしろ、上から何か言われ、それはサホ一人で事足りるからと、あいつだけに通達されている可能性がないとは言い切れない。仮にそうだとしても、この会場に足を運ぶ余裕はあるのだから、成人の儀が終わってからでも間に合うのであれば、晴れ着を纏うこともできたはずだ。
 あいつが忍服が着ている理由など、恐らく本人以外の誰にも分かりはしない。
 幼い頃は何を考えているのか容易に捉えることができたのに、成長した今では察せないことも増えた。ガイが言っていたような『女心』というやつだろうか。
 ただ、いつも一つだけ分かっていることがある。

 きっと、オビトなんだろう。

 晴れ着を嫌った起因は恐らくオビトだ。
 正確な理由など把握できずとも、その理由にはオビトが関係しているに決まっている。
 昔からサホを動かすのはオビトだった。泣くのも落ち込むのも頬を染めるのも、全部オビトが理由だった。
 あいつの心なんてちっとも掴めないのに、それだけはすぐに分かってしまう自分がみじめで、成人の儀が終わる前に誰にも捕まらぬよう、会場を後にした。



 写真を撮影できなかったことに憤慨するガイの機嫌は、所望した『めでたい勝負』を受けることで大事にならずに済んだ。
 幸いにも中身が餡子ではなく、どちらかといえば菓子ではなく惣菜扱いになるだろうメニューがあったので、オレはそちらを選んだため多少の胃もたれと胸焼けで済んだが、しばらく鯛の形すら見たくない。

 成人の儀は終わったが、成人としての自覚が芽生えたかどうかはさっぱりだ。十になる前から忍として生きてきたので、とっくに子どもで居られる期間は卒業している。
 オレからしてみれば区切りの一つとしか考えられないが、実家に足を運んで窓や戸を開け放ち、埃を払って仏壇に手を合わせ、両親に報告はしておいた。
 忍者なんて生業をしていたら、成人できないこともある。
 オビトやリンのことが頭に浮かぶと、あの日サホが晴れ着に袖を通さなかった理由もそこにあるのではないだろうかと、今更になってそれらしい答えが見つかり、ほらやっぱりオビトが関係していると、何とも言えない苦い感情が広がる。



 任務を終えてマンションに戻り、支度を済ませて寝ていたが、なぜだか急に意識が浮上した。
 原因はしばらくして見つかった。見つかったというよりは、『聞こえてきた』が正しい。
 隣の部屋から物音が響いている。何をしているのかまでは想像できなかったが、サホの部屋からなのは間違いない。
 夜中まで任務が続いていてさっき帰ってきたのだろう。真夜中にも関わらず、隣室に響くほどに音を立てるのはどうかと思ったが、そういう日もあるだろうと気に留めず、再び瞼を下ろして布団を深くかけた。

 夜中の音は、それから頻発するようになった。
 始まった当初は本当にたまにだった。オレも常に自室で就寝するわけではないので不明だが、帰って寝ていると必ず聞こえるようになった。
 深夜まで続く任務が連日続いていることも考えられたが、それにしたって毎度音を立てる言い訳にはならない。忍は自然と音を抑えて動く癖がつく。特に大多数が眠りに就いている夜中ともなれば、音を出すことは極力控えるはず。
 近所迷惑で苦情が来るぞと、勝手に心配しつつも、筆舌し難い不安が込み上げてくる。
 サホが成人の儀で晴れ着を選ばなかったように、物事には必ず理由がある。真夜中に音を立ててしまうほどの理由とは、一体何なのか。



 隣室からの奇妙な音が始まってから数ヵ月ほど経った頃。マンションへと帰る途中でサホの姿を見かけた。
 反射的に物陰に隠れ観察すると、どうやらあいつもオレと同じく帰宅しているところらしい。その背を見失わないよう、間隔を保ち追う。
 サホの足取りはやけに重たげで、階段を上る速度も遅い。もちろん気配は殺しているが、後をつけられていることに気づきもしないのは、そんな余裕がないからだろうか。任務で体力も気力も消費した帰りかもしれない。
 もうかなり日は空いているが、あのときの勘違いを謝るなら今だ。顔を合わせることもできなかったが、くたびれている今だったらサホを捕まえ話ができるかもしれない。卑怯な手ではあるが、逃げられ続けているのだから多少の無理強いは大目に見てほしい。
 サホがオレたちの部屋のある階につき、鍵を取り出したところで一気に距離を詰めた。

「サホ」

 名を呼ぶと共に、逃げられぬように肩を掴んでこちらを向かせると、サホの顔はすんなりと振り返った。
 真っ先に目に入ったのは、両目の下のクマ。過去に何度か、勉強のしすぎで寝不足になりクマを作ることはあったが、ここまで濃く色をつけたことはない。

「カカシ……」

 呟く唇には紅を引いているが、いつものように自然に馴染んでいるどころか浮いて見える。肌の色も、まるで画用紙にクレヨンで塗りたくったようだ。画用紙ならともかく、人の肌にすべてを塗りつぶすかごとく厚く重ねられた均一な色など、どうにも不自然極まりない。

「随分とひどい顔してるね」

 言葉を選べばよかったと悔いたが、サホは怒る様子もない。自分の顔に化粧を施したのはサホ自身だ。鏡に映る顔がどんなものか理解して、普段よりもずっと濃く仕上げたはず。

「何があった?」

 誰が見ても今のサホは調子がいいとは言えない。ベッドに横になっていてもおかしくない、立派な病人の顔だ。
 任務が立て続けに詰まっていて、きちんと休息を得られていないのか。それとも深夜までの任務が影響しているのか。
 元来、人間は太陽の動きと共に活動する。夜型の生活に慣れていないのに連日続けていて、体調を崩すことは珍しくない。上忍としては恥ずべきことかもしれないが、それなら上に頼んで休みを確保するべきだ。
 サホの目は少し伏せられる。顔の輪郭も若干細くなった気がする。

「何でもない……」

 言うとサホは、オレの手を肩からどけるために押した。ちっとも力が入っていなくて、それに驚いて抵抗することも忘れ、されるがままに手を下ろした。
 鍵で自室を開け、サホが部屋へ入っていく。ほんの一度だけ、サホはオレに視線を寄越したが、声をかける暇もなくドアは閉じ、硬質な鍵の音が鳴った。
 ドアの向こうからは音はしない。夜中にはあんなに響いているのに。

 何でもないわけ、ないでしょ。

 あの顔で何でもないなんて誰が信じる。
 だからそれは、それ以上訊くなという意思の表れであり、オレに打ち明けるつもりは一切ないということだ。
 昔だったらサホはオレに話した。オビトとのことも、それ以外も。
 みんながいなくなってからだって、問えばそれなりの答えが返ってきたのに、扉は閉じられ鍵をかけられた。オレとサホは隣人なのに、世界で一番遠い場所に居るみたいだ。



 サホがおかしいのは、すでに周知されていることだった。
 サホに関することで情報を手に入れられないかと久しぶりに紅の下に顔を出すと、こちらが問う前にあちらから訊ねられた。

「貴方たち、また喧嘩したの?」

 赤い双眸が、どこか責めるようにオレを見る。同性の友人ということもあってか、紅はオレよりサホに添うらしい。それは構わない。問題はそちらではない。

「喧嘩と言えるか微妙だけど、オレがサホを怒らせたのは確かだよ。ただ、もう半年は経ってる」

 オレがサホを貶してしまった夜から大分時間は過ぎた。
 あの夜の直後からサホはずっと怒っていたし、今も腹を立てているだろう。
 だからといって、半年も経った今頃になって体に不調を来すのは少々腑に落ちない。ないことはないだろうけれど、違和感がある。

「カカシが覚えていないだけで、サホをまた怒らせたんじゃないの?」
「どうだろうね。最近は顔を合わせてももらえないのに、怒らせる手があるならそうかもね」

 接触する機会すら得られなかったことへの不満を、言葉という形を成して紅へと当て付けた。
 ろくに会話もしていないのに、どうやってさらに怒らせればいいんだ。早く謝らなかったことへの怒り? だったらそれはサホの非だ。謝る気は十分あるというのに。

「あの子、痩せたでしょ」

 ぽつりと呟いた言外に含まれる気持ちを汲み取ると、オレの目も紅に倣うよう、足下へ向いてしまう。
 女性らしい丸みを残しているが、サホの四肢はそれなりに筋肉が付いて締まっている。それが細くなったということは、筋肉を維持して脂肪もつけられないほど栄養が摂れていないということだ。

「カカシやサホが放っておいてって言うから、貴方たちのことに関して私たちは何も言わないわ。でも、あそこまで体調を崩すなら――」
「分かってるよ」

 紅たちはオレとサホの件に関して、もう説教などせず静観してくれている。しかしあの状態のサホを見たら、紅でなくとも口を出したくなるだろう。
 オレも何とかしたいとも思っている。ただ、サホの体調不良の原因がはっきりしないことには動けない。

「サホだけじゃない。貴方も心配なのよ」

 足下から視線を上げて見た紅の顔は、眉をわずかに寄せていた。
 オレたちは本当に仲間に恵まれている。鬱陶しいと遠ざけたことは何度もあるのに、見限らずに気持ちを尊重し続けてくれている。
 紅の姿にリンを思いだす。姿形は決して似てはいないが、彼女もまた紅と同じく一つ年上で、姉のようにオレを見守ってくれていた。
 体だけ大きくなって、心は十やそこらのガキのままの自分に、恥じると共に呆れてしまう。

「できるだけ、傍についてやって」
「言われなくても」

 当然だと返すと、紅は任務があるからと行ってしまった。
 傍に居られないオレは、誰かにサホを任せるしかない。本当は誰にも預けたくないのに。



 サホの状態が気になり、どんなに遅くなろうとも、時間が取れればなるべく部屋へ戻るようにした。
 真夜中の奇妙な音は連日続いている。最近は夜中ではなくとも、朝でも昼でも似たような音が響くことがあり、時間帯に規則性があるわけではない。
 一体何の音なのか、本格的に探るようになってやっと気づいた。

 あいつ、吐いてる?

 よろしくないことではあるが、隣室の壁に耳を当てて得た音の情報の中に、えづくような声や大量の水が流れる音があった。
 それらを元に考えると、嘔吐しているというのが一番しっくりくる。最初にバタバタと大きな音がするのも、吐くために急いで移動していると思えば納得いった。
 目を閉じ集中し、耳をよく澄ませれば、しゃくりあげるような声も上がっている。イサナのようにはっきりと断定はできないが、ぼそぼそと聞き取れない言葉にも、震えや涙が滲んでいるような気もする。
――思い出すのは、遠い日の記憶。心を病んで日に日に憔悴していく父の姿。

 まさか、あいつも父さんみたいに――

 背中に氷を流し込まれたみたいに、全身に寒気が走った。薄暗い家の中、血だまりの中で転がる父の丸い背に、サホのそれが重なる。


 翌日は里内の監視シフトに入っていたが、無理を言ってテンゾウに交代してもらった。事前に組んでいた休みを待っていられない。一刻も早くサホをどうにかしなければ。
 私情を挟むべきではないと避けていたが、三代目に事情を話してサホの身辺に何があったのか確認しようと火影室へ向かうと、多忙だろう里長はオレを追い払うことなく入室を許可してくれた。

「三代目。サホについてお訊ねしたいことがあります」

 挨拶も前置きもなく、礼儀も知らぬ態度で問うと、三代目は開いていた本を閉じた。

「あやつの不調のことか?」
「はい」

 オレの非礼など咎めることなく、三代目は確認を取ったあと、

「これからそのことについてサホと話す。お前は隠れて聞いておけ」

そう言って、盗み聞きをしろと指示を出した。
 これから本人と話すならちょうどいい。火影室の天井に潜み、本日の護衛を担当している暗部の仲間たちの邪魔にならぬ位置でそのときを待っていると、ようやくサホが火影室へと入ってきた。
 三代目は近頃のサホの異変を指摘し、単刀直入に原因について訊ねるが、サホは謝るばかりで答えようとはしない。
 活力丸の支給を何度も申請しているだろうと三代目が言い、それほどまでにサホの心身は追い込まれているだと、現状を把握すればするほど不安は大きくなる。
 結局、サホは最後まで不調の原因を答えることはなかった。三代目も追及を諦め、しばらくはAランク以上の任務を命じない旨を伝え、サホを退出させた。
 戸を閉めるその表情は暗かった。Aランク以上の任務の免除はサホを思ってのことだろうが、あいつにとっては『役立たず』の烙印を押されたにも等しいのかもしれない。
 サホが退室し少し間を置いたのち、天井から下りて再び三代目と顔を合わせた。

「三代目」
「すまんな、カカシ。ワシにはあれ以上、あやつに問うことはできぬ」
「いえ。あいつも頑固ですから。きっと口を割らないと思います」

 謝り続けるサホを慮って、三代目はしつこく訊ねることはせず、現状で取れる対策を講じた。
 三代目なりにサホの身を思って配慮してくださったことに、感謝はあれど文句はない。それにあいつがこうと決めたら梃子でも動かないのは、身に染みるほど知っている。

「任務の調整はこちらで何とでもできるが、このまま放ってはおけん。何か思い当たらんか?」
「半年前ならありますが、直近では特に……」
「たしか隣に住んでおったな。気づいたことは?」
「……吐いているようです。夜中でも朝でも」
「そうか……」

 深いため息をついた三代目は、顎の髭を一つ撫でたあと、

「少し様子を見て、改善されぬようであれば、しばらく病院で休ませよう」

と結んで、サホの件は一旦頭から取り置いて、執務作業に戻った。
 上忍とはいえ、忍一人の不調を懸念し、対応に関して思考するために割く時間など火影にはほとんどない。それでも、事態を重々に受け止めているらしく、書類に目を落とす三代目の顔は険しい。
 執務の邪魔をしてはならないと、オレは一礼し部屋を出た。サホが先に出て行ってからそう時間は経っていない。
 まだ近くに居るはずと、あいつが通っただろう廊下などを辿り追えば、その背はすぐに見つかった。火影邸を出て歩く足はやはり重たい。
 気づかれないよう先回りしその表情を覗けば、頭痛でもするのか額を押さえ、両瞼を下ろして緩慢に進んでいる。
 進行方向に立ち構えていると、視界を閉ざしているサホはオレの気配など全く感じ取れなかったのか、その身がオレの体にぶつかる。衝撃で後方に倒れそうになるので、腕を回して支えると、その腰は驚くほど細かった。

「サホ」

 掲げていた手を下ろしたサホは、ぶつかったのがオレだと分かると、気まずいのか顔も見たくないのか顔を逸らし、かさついて紅がみっともなく剥げている唇を力なく噛んだ。
 元から腰はくびれてはいたが、こんなにも体は薄かっただろうか。横顔の輪郭は以前よりもさらに際立ち、下顎の骨がくっきりと浮き出ている。
 たった数ヵ月の間にこれほどまで痩せたことを考えると、ほとんど食事を摂っていない――摂れていないと考えて間違いない。

「サホ、何があった?」

 今日こそは何としてでも理由を聞き出してやる。絶対に逃がしはしないという気概が通じてしまったのか、サホは少し焦った表情を見せる。

「お前、全然眠れてないんでしょ」

 目の下のクマも前より濃く、もはやそういう化粧を施していると言われた方がしっくりくる。任務で寝不足を経験することは多々あり、クマを作る者もいるが、これは立派な病人レベルだ。

「関係ない」

 オレを突き放すサホに猛烈な苛立ちが湧く。
 関係ない、ね。ああ関係ないよ。オレは『ただの同期』で隣人で、オビトの目を持つだけの奴だよ。お前が『関係ない』って言うなら、オレは引っ込むべきなんだろう。

「夜中に起きて、何度も吐いていることに、気づいてないと思ってんの」

 『ただの同期』で隣人で、オビトのおまけのオレでも、しょっちゅう吐いてる知り合いを心配しちゃいけない道理なんてないでしょ。お前がオレを一方的に突き放すなら、オレだって勝手に気にかけさせてもらう。
 サホは自身の嘔吐について知られていることに驚いたのか、ハッとこちらを向いてやっとオレと目を合わせた。黒目は不安げに揺れ惑う。

「うるさくしてるのは、悪いと思ってる。本当に、迷惑かけてるって」

 その声に嘘は感じられなかった。

「でも、気にしないで。なんだったら他所に引っ越すから――」
「どうして泣いてる?」

 逃がすつもりはないというのに、尚も懲りずにはぐらかそうとするサホを遮ると、まるで重大な秘密を暴かれたみたいに薄い体が強張った。
 不眠や嘔吐を指摘されたときより強い反応に、泣いていたことの方が知られたくなかったのだと気づく。ならばこいつの不調はそれが原因か――

「本当に、何でもないから!」

 答えに近づいた気がして油断していたせいか、サホが体をよじって抜け出し逃げようとする。慌てて腕をなんとか掴み、寸前のところで止めた。
 腕についていた肉はどこへ行ったのか、枯れ木のような硬い骨しか捉えられないことに、たまらない気持ちが込み上げる。

「サホ。頼むから一人で抱え込むな」

 眠れないほどに、吐いて痩せるほどに、声を上げて泣くほどに、お前を苦しめているものは何なんだ。
 お願いだから教えてよ。お前が苦しんでつらいなら、オレがどうにかしてやりたい。お前が抱えるものも抱えられないものも、オレに分けてよ。

「いいから、もう放って――」

 オレの手を振りほどこうと、サホが体を向けるが、突然ぴたりと動きを止めてしまった。目を見開き、唇を震わせる。

「サホ?」

 呼びかけるがサホは反応しない。もう一度名を呼ぶその前に、サホは怯えた声を上げ、一際大きく腕を振る。唐突なその動きについていけず、オレも手を放してしまった。
 解放された手は両耳を塞ぐように当て、ぜえぜえと不格好な音を発しながら呼吸を続ける。濃いクマも相まってか、その表情は尋常ではない。
 そんなにオレに触れられたくなかったのかと考えが過ぎるが、オレというよりはオレの後ろを見ている。
 何かあるのかと振り返ったが、敷地内の建物や下忍に成りたてらしい子どもの姿があるのみで、これほどひどく恐れるようなものなど見当たらない。
 何もないのに、サホはまともな呼吸も儘ならないほど動揺している。否、震える体やさらに青白くなった顔色から導かれる一番単純な答えは『恐怖』だ。
――昔の記憶が頭を駆け巡る。クマの取れぬ顔、繰り返す嘔吐、急激に痩せた体、見えないものに怯える、父の姿。

「あ……」

 いつの間にか耳から手を下ろしたサホがオレを見て声を上げるが、オレの意識はうまく定まらなくてただサホを見返すことしかできない。
 泣き出しそうな顔をして何度も口を開いて閉じたが、そのまま背を向け走り去って行った。
 なびく髪が空を泳ぐのを見て、オレはやっと悟った。

 オレはまた、何もできないのか。

 幼いオレは、追い詰められていた父を支えられなかった。
 父が死を選んだのは悪口雑言や自責の念に堪えられなかったからだが、オレがもっと何かできていれば、最悪の事態は避けられたかもしれない。
 あの日、父が自害した日からいつも思うことだ。オビトやリンや、ミナト先生たちが亡くなったときもそうだ。オレがもっと上手くやれていたらと悔やまない日は、これまで一日としてなかった。

 サホが死んだら、どうしよう。

 オレにはもうサホしか残っていない。オレが帰る場所はサホだったのに、サホがいなくなったら、オレの心はどこへも帰れない。
 だけど、そのサホはオレをいらない。オレの支えなど欲しくない。あいつが欲しいのは左目だけ。結局はいつもそうだ。
 厚い雲が日光を遮り、辺りが暗くなる。まるで世界が閉幕していくように。



26 包み込めぬ宵は

20200326


Prev | Next