最果てまでワルツ | ナノ
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 バレンタインなんていう他所の国の行事が木ノ葉に根付きだしてから、この時期は憂鬱なものになった。
 元々甘い物は嫌いなのに、チョコレートを押し付けられるなんて迷惑極まりない。バレンタインの存在を認識してから、この時期に贈られる物はきっぱり断っている。
 オビトやガイ辺りからは『贅沢者』だとか『人の気持ちをなんだと思ってやがる』と批判を受けるが、気持ちがこもっているからこそ、余計に受け取りたくないものだ。
 大体、乗せられる女子も大概だ。いくら終戦後とはいえ、お菓子を渡すために意中の相手を探して里をうろつくなんて、そんな暇があるならもっと実りのあることに時間を使えばいいのに。
 オレの身近にも、そんな呑気な奴がいる。

 サホはバレンタインの日になると、夜中に近くの公園のベンチに座っている。そこにいるのはオビトにチョコレートを渡せなかったから、だ。
 一度目はタイミングが悪く、二度目はあと一歩が踏み出せず、三回目は邪魔者のせい。市販の物は渡せても自作した物は一度も渡していない。
 話を聞けばサホらしいと納得しつつ、何年経っても渡せないサホの間抜けさに呆れて、最近は何か言う気も起きない。
 ベンチにサホが座っているのが毎年恒例になり、渡せなかったオビト宛てのチョコをオレが食べる流れが常になっているが、別にやりたくてやっているわけじゃない。
 他人宛てのチョコを食べるなんて楽しいわけがない。よりによってオビト宛ての、しかも手作りなんていう気持ちのこもっている重いやつ。
 サホのチョコを食べてやるのはちょっとした同情心と、泣かれたら気まずいし面倒だからという、優しさなんてほとんどない理由であり、『オビトを好き』ということを知っている立場としての配慮に過ぎない。
 二度も続くと三度目がありそうで、三度続くと四度目の可能性も高くなり、結局オレは毎年、夜の公園に顔を出しベンチに座っているサホを見つけ、時には渡せたか念のため家まで訪ねてみること七回。七年連続、サホはオビトに渡せないままでいる。

 七年もおかしなやりとりを続けていると、多少変化もでてきた。
 オビト宛てに作ったお菓子は、年々美味いと思うようになり、それは毎年作り続けサホの腕が上達したからだろうと考えていたのだが、どうにも違うようだ。



 非番の日。新しい本でも買おうと本屋へ向かう途中で、同じく非番のオビトと会った。オビトは新年早々、普段と変わらぬお勤め――要するに困っているおじいさんだかおばあさんを助け、ちょうどお礼のクッキーを貰ったところで、オレにも分けてやるよと寛大なお心を示してくれた。
 別にいらない、と断ったのだが「いいから相談に乗れ!」と怒鳴るので、相談に乗ってほしい奴の態度じゃないなと思いつつも、話だけは聞いてやろうと広場の長椅子に座ってやった。

「相談って?」
「おう、まあ。その。なんだ。……とりあえず食えよ」

 切り出しを渋り、オビトはオレにクッキーの袋の口を向ける。お菓子に興味がないオレでも知っている、よく見かけるチョコレートのクッキーだ。

「いいから、さっさと言いなよ。くだらないことなら早く済ませたいんだけど」
「くだらねぇってなんだよ! オレにとっちゃくだらなくねぇんだよ!」

 一月の寒空の下でのんびりおやつなんて食べるつもりはないと返すと、オビトは犬歯を剥き出しにして怒鳴った。くだらないかどうかは受け手のオレが決めることだ。

「実は……オレ、もしかしたら来月には上忍になるかも」

 どうせ大したことない話だろうと思っていたら、もごもごと切り出した内容は予想外で、不覚にも一瞬時が止まってしまった。

「へえ、よかったね」

 呆けてしまったことを取り繕うように、愛想程度の言葉を投げる。上忍になるというのは昇進であり、それはオビトの目標の一つでもあった。めでたいことに水を差すつもりはさすがにない。
 しかしオビトは向けた右目を顰めて、閉じた口の先を少し突き出した。

「あのな、『もしかしたら』って言ってるだろ」
「は? 内定してるんでしょ?」

 わざわざ言うくらいだから決まっている話だと思っていたが、仮定の話だと強調する。

「里の上層部はオレを上忍にしたがってるみたいだけど、うちの頭の固いジジイ共が、まだ、な」

 少しくたびれた表情で、オビトは背を丸めて自身の腿に肘をつき、頬杖をついた。
 オビトがいまだに中忍なのは、オビトの実力不足だからではない。昔はエリート一族の落ちこぼれだなんて言われていたが、力をつけた今となっては実力だけなら上忍の話が来てもなんら不思議ではない。
 そんなオビトが上忍になれない理由はいくつかあるが、その中でもややこしいのが同族からの反対だ。

「一族から上忍が出るのは、誉れあることだと思うけどね」

 上忍になれる者は一握りで、里外にも知れた氏を持つ一族だとしても例外ではない。うちは一族であろうと、中忍のままで一生を終える者も少なくないのだから、昇進を阻む必要などないだろうに。
 オビトがたまに愚痴をこぼしていたから知っているが、一族の年嵩の多くは、自分たちの扱いに不満を抱えている。里の創設にも関わった誉れある一族ではあるはずが、里の中枢から意図的に離されている。それは不遇であると。
 そして上忍は中忍以下を束ねるだけの管理職ではなく、里内の機密を知る重要な立場につき、火影らと顔を合わせ、里の今やこれからについて考える責務を負う。
 つまり上忍になれば、彼らが望んだ『里の中枢』に、望むほどではないが関わることができるはずだ。

「上忍になることで里の深いところに引きずり込まれて、戻ってこないんじゃないかって勝手に考えて焦ってんだよ」

 ああ、ま、確かにね。口にはしなかったが同意した。
 里の中心部に身を置くことになるということを、『里の深いところに引きずり込まれる』と表すことが適切かははっきり言えないが、しっくりはきた。

「オレと一緒で、ジジイたちの古臭い考えに素直に従う気がない奴が増えてきたから、オレが先導してるんじゃないかってずっと疑われてきてさ。別にオレが呼びかけてるわけじゃねぇよ? 戦争も終わったし、火影も代わって、時代の流れってやつだろ」

 サクサクと軽い音を立て、オビトの頑丈な歯がクッキーを噛み砕いていく。身に覚えのない疑いをかけられることは、考えずとも不快なことだ。
 オビトが言うように、終戦という大きな区切りがつき、三代目から四代目へと移った木ノ葉隠れの里は、昔とは雰囲気が変わった。様々な文化が広まり、根付き始めている。

「一族の中でも一族派と里派で別れててさ。その『里派』ってのも、ジジイ共の考えに賛同しない奴らはみーんな里派なんだと。バカバカしい内訳だよな。一族を思うからこそ里とうまくやっていこうって訴えてる奴もいるのに、そういうのは全部『里に与する不届き者』だとよ。オレ『不届き者』なんて本以外で初めて聞いたけど、実際に言う奴いるんだな」
「あれ? お前、小説とか読むタイプだっけ?」
「いや? 読んだのは漫画だけど」
「ああ……」

 活字なんて忍術を学ぶためや任務に必要なとき以外は触れない奴が珍しい、と思ったら漫画。
 漫画も本といえば本だし、何事にも相性というものもある。『不届き者』の意を正しく受け取れたのだから、漫画でも何でもいいから知識をつける機会はあって損はない。

「ジジイ共としては、面倒を起こしそうな身内は手の届くとこに収めておきたいってことらしい」

 一言でそうまとめると、オビトは肺の中の空気をすべて出し切るように息を吐ききったあと、失った分を得るよう大きく空気を吸いながら長椅子の背もたれに体をつけた。
 すでに上忍である一族が多数いるにも関わらず、なぜわざわざオビトの昇進を反対するのか不可解だったが――もちろんそれは、オレに写輪眼を譲渡してしまったこともあるだろうが――今ようやっと理解した。
 ただでさえ『里派』であるオビトが上忍になり、里の上層部と接触を重ねてしまうと、一族に決定的な見切りをつけるのではないか。ならば上忍に推すのはオビトではなく、もっと別の、使える『一族派』でなければならない。それがうちは一族の『ジジイ共』の考えなのだろう。

「で、それが相談なの? 報告と愚痴じゃなくて?」

 何にしても、上忍にするか否かの決定を下すのは里の上層部たちだ。上に判断材料の情報は提供できても、進言などできない。
 うちは一族の老人たちの意向を崩すなどもっと無理だ。他族でありながら写輪眼を持っているオレは、うちはにとって常に注視すべき対象で、意見などしようものなら今以上の反感をもらうのが目に見えている。
 力にはなれないとやんわり断りつつ、本題があるのならさっさと言えと暗に促せば、察したオビトは右目を細めたあと、意を決したように背筋を整え正面を向いた。

「上忍になったら、オレ、リンに告白する」

 短い宣誓には、長さに反した熱が込められている。

「そ。頑張って」
「いや、だからさ!」

 オビトがリンを好きなことは知っているし、そもそも『上忍になったら』という宣言は以前から何度か耳にしたことがある。
 驚きなど一つもなく、そんないつになるか分からないこと言っていないで、とっとと告白してしまえばいいのにと尻を蹴りたいくらいだ。

「リンが好きなのは、お前だろ」

 半ば睨まれるような――いや、睨まれている。自分たちの三角関係を知りつつ『頑張れ』などとエールを送るオレを疎ましく思うオビトの気持ちは分からなくはないが、オレとしてはこのトライアングルからすでに離脱しているつもりだった。

「オレはちゃんと断ったよ」
「え……? は? 断ったって、ちょ、いつだよそれ。え? お前、リンに告白されたのか!? いつ!?」
「んー……ナルトが歩き出した頃かな」
「結構前じゃねぇか!」

 記憶を振り返って、そういえばナルトがよちよち歩き出した時期だったと思いそのまま言えば、オビトの拳がオレの鳩尾にめりこんだ。完全な不意打ちを食らい、強烈な痛みに体をくの字に折った。
 しばらくその体勢を維持し、やり返そうかと隙を窺ったが、長年のよしみからかオビトはオレの考えを察知してさりげなく両手で急所を守っている。
 仕方ないので、痛みが引いた頃にようやく体を戻し、ここは引いてやろうと肩の力を抜いた。

「オレとの決着はついてるし、リンにはそういう感情は持ってないから、オレなんか気にすることないでしょ」

 オレはリンに対し仲間や友人以上の感情は持っていない。明確な区切りが一度でもついている以上、聡いリンもしつこくオレを追うなどしないだろう――ま、リンがオレに向けていた気持ちがどうなったのかは知らない。

「そ、そっか……まあ、そうだな」

 オビトはぎこちないながらも納得したが、腕を組んで下唇を突き出し、眉間を寄せて皺を作った。まだ何かあるのかと、黙って続きを待っていると、

「来月、バレンタインがあるだろ」
「二月だからね」

脈絡のないことを口にするオビトに、相槌を打つ意味で返した。

「今年はオレから、リンに渡すつもりでさ」
「バレンタインって、女から男に、じゃないの?」
「そうだけどよ。なんつーか、毎年貰ってばっかで悪いし……」
「ああ、義理をね」
「いちいち義理とか言わなくていいんだよ!」

 いつからか『義理チョコ』なるものが流行り出し、モテない男でも異性の友人知人からチョコを貰う制度が確立された。有難いと喜ぶ者、むしろ惨めだと嘆く者も居て、オビトの場合はリンに限って言えば前者だ。

「『上忍になったら』とは思ってたけど、やっぱりそれを待ってたらいつになるか分かんねぇし。来月、上忍になれてもなれなくても、この機会に、な」

 現状を見直し、オビトなりに考えた出した結論らしい。

「あ、もしかしてお前、お前だけリンから義理じゃないチョコ――」
「貰ってないよ。断ったって言ったでしょ。それからは全部義理」
「なんだそうか。……あ? 一回貰ってんじゃねぇか!」
「だーかーらー、それを断ったの! 断ったんだから貰ってないでしょうよ!」

 リンからの告白はチョコを差し出されて行われた。気持ちを拒否するのに物を受け取るのはなんだか正しくないような気がして、気持ち共々リボンのかかった箱も断った。
 その次の年くらいから義理チョコが広まり出して、リンからは『義理だから安心して』と微笑まれ渡され、元チームメイトとして受け取らないわけにもいかず、突き返すことはしなかった。
 甘い匂いだけでも胸焼けがしてくるオレのことを案じてなのか、ビターチョコが一粒収められた小さな箱は、確かに義理に相応しいサイズだ。
 しかしその気遣いはリンの優しい性格だからか、オレへの想いが多少残っているからなのか判別がしにくく、またそんなことを考える自分の自惚れみたいなものがいやになる。

「大体、リン以外にも貰ってんなら、そっちにも返してやれば」
「あー、まあなぁ。でもくれるのはばあちゃんばっかだから、下手にお返しとかすると倍になってまた返ってきそうなんだよな」
「ばあちゃん以外に貰わないわけ? ――サホとか」

 毎年あの日になると、公園で意気地のない自分に悔いている小さな姿を思い出しつつ名前を出せば、

「そういやサホも毎年くれてるなぁ。義理とはいえ、いつもくれてるなら、やっぱお礼とかいるか」

など言うので、寄せられる想いにまったく、何一つ気づいていないのだなと、忍のくせに機微に疎いオビトにため息が出てしまいそうだ。

「ていうか、そう言うならお前だって返せよ。どうせ山程もらってるくせに」
「返そうにも、誰から貰ったか分かんないからね。全部そのままアンコに渡してるし」

 定着する前からすべて断っていたにも関わらず、義理チョコと大義名分を掲げて持ってくるようになった。正当な権利を得たとばかりに気持ちも大きくなったのか、断っているにも関わらず無理矢理差し出し、たとえ物自体が地面に落ちたとしても構わず逃げ去って行くので、オレとしてもさすがにそれを捨て置くことはできなかった。
 大量のそれらを一人で食べられるわけはなく、包みを解くこともなく全部アンコに食べてもらうよう頼んでいる。中には差出人が書かれたカードも挟まれているらしいが、一切見ないようにしている。

「さいってーだな! クズだ! お前は男の風上にもおけねぇ、忍のクズだ!」
「『いらない』って言ってるのに押し付けてくるのは迷惑行為でしょ。ならこっちだって好きに扱って何が悪いの?」
「クソッ! なんで里の女たちはこんな男が好みなんだ? 顔なんてほとんど見えてねぇし、猥褻な本は持ち歩くし、人の気持ちを他人の口に放り込むクズなのに!」

 自分でも最低な行為だという自覚はあり、受け取るアンコにも毎年『あんたってサイテーねぇ』なんて言われている。おおっぴらに言えることじゃないし、恐らく女性のほぼ全員から批判を食らうはずだ。

「お前だって同じクズじゃない……」

 けれど誰よりお前にだけは言われたくない。
 経緯はどうあれ、お前へ向けられた気持ちを、オレは何年も口に放り込まれ続けているのに。

「あ? なんだって?」
「別に」

 聞き返すオビトを無視して、奴の手に握られている袋からクッキーを一枚摘まんだ。
 オビトを責めるのはお門違いで、文句を言うなら食べなければいいだけ。自分の勝手で動いていることへの不満をぶつけるのはおかしいのだと、頭の中で自分を窘めつつ口に入れたクッキーを砕けば、ムッとするほどの甘い味と匂いに、思わず両肩に力が入った。

「あっま。なにこれ……」
「そんなに甘いか? ビターって書いてるし、苦い方だぞ」

 若干の吐き気も込み上げ、口を押さえるオレに、オビトは袋に貼られているシールを見せる。『ビター』という文字は認められたがとても信じられなかった。

「いや甘いよ」
「これが甘いって、お前普段どんだけ苦いモン食ってんだよ」

 尚も甘いと言い張るオレに、オビトは呆れた顔を見せる。からかうわけでもなく、オビトはオビトで、これを甘いと言い張るオレがおかしいと言いたげで少し混乱してしまう。
 普段の食事は、塩分や油分を摂り過ぎないよう注意しているだけで、特別苦い物ばかり食べているわけではない。栄養に偏りなく気を配っており、野菜が持つ自然な甘味まで避ける生活はしていない。
 そもそもオレが食べる甘い物の類は、ここ最近はずっとリンがくれる義理の一粒チョコか、サホが作るオビトへのチョコくらいだ。
 オビトへ作ったものだから当然甘いはずで、なのにあれと比べると今食べたクッキーはかなり甘い。

――甘い?

 どうして、甘い物好きのオビトのために作ったチョコより、市販のビターのクッキーが甘いのか。
 おかしい。変だ。釦を掛け違えているような戸惑いの中、リンへの告白に対する意気込みを語るオビトを無視して、必死で答えを探す。
 バレンタインでオビトのためにとサホが作ったチョコレートは美味かった。聞き慣れない名前のお菓子もあったが、どれも外れはなかった。
 そうだ。オレは美味いと思った。恐らく長年作り続けた甲斐あって、サホの腕が上がったから、だから美味いんだろうと。

 それが、おかしいんだ。

 オレが美味いと思うチョコなんて、名声轟く素晴らしい腕前の菓子職人が、最高の食材を使って作ったとしても、甘いはずがない。甘い物はどうにも耐えられない。
 それもオビトに贈るためのチョコだ。甘い物が好きなこいつに贈るのだから、そこは当然甘くて、だったらオレには食べられるはずもない。
 けれどここ数年、オレはサホが作ったチョコレートの、大半を食べている。だって食べられるから。美味いから。
――ということはつまり、サホが作ったものは、明らかに甘くないってことで。

「おい! 聞いてんのかバカカシ!」

 片耳を引っ張られ、すぐ間近ででかい声がして、驚いて思考は一時中断。キンと痛む鼓膜を守るように耳を覆って、オビトを睨んだ。

「人が考え事してるのに耳元で怒鳴らないでよね」
「人が話してるときは聞けっての!」

 オレがまったく聞いていなかったことを咎めるオビトにうんざりしつつ、

「ねえ。明らかに自分の好みに合わせてくるのって、どういう意味だと思う?」

と問い返せば、きつく細められていた右目は一瞬丸くなり、そしてまたすぐに潰れた饅頭のように平たくなった。

「はあ? お前のモテ自慢なんか知るかよ」
「そういうんじゃなくて。さっきさんざん話聞いてやったんだから、少しはオレの質問にも答えてよ」

 相談の『そ』の字もなく、報告と愚痴と決意表明を形だけでも聞いてやったのだから、オレの問いへ回答するくらいしてもいいだろう。
 そう言われるとオビトも反論はできないようで、腕を組んで考える素振りをしてみせた。

「そりゃあ、好みに合わせてくるなら、お前のこと好きなんじゃねぇの」
「……だよねぇ」

 返ってきた答えは、オレも出した答えと同じだ。

「でもそれは有り得ないんだよ」

 サホが好きなのはオビトであって、決してオレではない。この確固とした前提がある限り、オレたちが出した答えは『否』になる。

「有り得ないって言ってもな。目の前の事実がすべてだろ」

 クッキーを奥歯で砕きながら、オビトはなんてことない顔で尤もなことを言う。
 世の中には、時に説明できないことがある。もちろん後世で解かれる不可思議もあるが、不確定のままいつまでも謎を残した事実が多数ある。『有り得ない』けれど存在する事象は『有り得る』のだ。

「それか、お前がそうであってほしいっつー願望じゃねぇの」

 オレの、願望?
 オレの願望って、それじゃまるで――

「なんだ。お前まさか……」
「違うから。リンじゃないからね」

 新たな勘違いを始める前にはっきり否定すると、

「じゃあ誰だよ?」

と問われ、答えに窮してしばし互いに沈黙する。
 逃げよう。
 思って、ガラ空きだったオビトの腹に拳を突き立てた。油断していたオビトは『ごっ』などと声を上げて体を曲げ、両手で腹を押さえる。
 長椅子から腰を上げ、苦しげに呼び止める声を置き去りにしてその場を後にした。
 そんなわけない。そんなわけない。
 あの目が向かう先はいつもオビトなのだから、そんなわけないだろう。



 月が移り、里は新年明けからの浮かれた様子を引きずりつつ、新たな熱を上げていく。
 『バレンタイン』という単語は、若い世代だけでなく年配にも浸透し、特に商売を営む者は貴重な商戦に乗り遅れるなとあちこちで新しい文化に乗っかっている。
 当日に向かうにつれて里中の店先に赤色やハートが乱舞するのを、平和だなと皮肉交じりに見てしまうのは、偏屈な年寄りくさいと自嘲するほかない。

 とうとう十四日が訪れ、オレはその日の出を里外で迎えた。任務を終えて帰路を辿っていたところだ。
 昼前には里に着き、四代目への報告を済ませると、労いの言葉と共にしばらくの休みを貰った。
 とはいえ、翌日までの非番だ。十日以上も神経を張りつめ任務に当たっていた身を休ませるには十分とは言えないが、あまり休みを貰うのも性には合わないからこれくらいがちょうどいい。
 まずはまっすぐ帰宅して仮眠。それから、日が暮れたらやはりいつもの公園を覗くべきか。
 例年に違わず、また今年も居るのか。オビト宛てのチョコレート持って。

 もし、今年も甘くなかったら。

 サホがオビトのために作ったチョコレートが、オレが美味いと思うものであれば。
 そうであれば、確かめるべきだろうか。これは本当にオビトのために作ったのかと。なぜこんなにも甘くないのかと。そして、どうしてそんなものを作ったのかと。

 訊いてどうするんだ。

 問うて、オレは何を知りたい?
――ただ単に、サホの矛盾した行動の意図を知りたいだけだ。
 だってオビトに贈るためなのに甘くないなんて、そんなのおかしいでしょ。わざわざ苦くするのは、どういう意味があるのか、オレじゃなくても問いたくなるでしょ。


「それか、お前がそうであってほしいっつー願望じゃねぇの」


 願望なんて、そんなわけない。
 だってオレは、サホがオビトを好きだと知っている。ずっと昔からずっとオビトを好きな、呆れるほど一途な奴だ。
 そんな奴から好かれたいなんて、どうして思う? 自分に興味を持たない相手なんて、勝率が低いのに挑むバカはいないだろう。
 絶対に違うと分かっているのに、あの日から同じことばかり考えている。それもこれもサホがおかしなことをするからだ。
 この際だから、甘いにしても甘くないにしても、一度はっきり訊いておこう。もしかしたら苦めに作るのはオレとは全く関係ない、全然違う理由かもしれない。いや違う理由なのは決まってるけど。そうじゃないと変だ。サホはオビトが好きなんだから。

「はたけ、くん?」

 考えつつも歩を進めていたら、向かいにサホ本人が立っていて驚いた。
 同じ里に住んでいて、住んでいる場所もそう遠くないのだからこうして道でばったり会うことはよくあることなのに、動揺は心臓の早鐘となり、耳の奥でバンバンと銅鑼を叩いているようにうるさい。

「もしかして、今から家に帰るの?」
「……さっき任務が終わったから」
「そっか。おかえりなさい」

 進行方向から帰宅を察したサホは笑って迎えの言葉をかける。一度任務に出れば毎回無事に帰って来られる保証がないため、サホの笑みに特別深い意味はない。同業ゆえの安堵によるものだ。
 サホは袋を下げていた。服が二、三枚入りそうな大きな袋と、区別するような小振りな袋。
 その大きな袋の中に手を突っ込むと、小さな箱を引き出した。

「あの、これ……」

 言って差し出すのは、片手より大きく、両手より若干小さな箱。深い茶色の包装紙に赤いリボンが、犬の姿が浮き出ている金のシールで留められている。あれはたしか、そこそこ値の張る菓子専門店のマークだ。
 今日という日を考えれば、これが何なのか分かる。菓子専門店のシールが貼られた包みの中身はチョコレートだ。まず間違いなくそうだろう。
 サホがオレに贈るとしたら義理だ。義理以外ない。市販品なら尚のこと。

「なに?」

 けれど受け取るための手は上げずに、あえて問うた。

「え? えーと、今日はバレンタインだから、義理チョコというか……友チョコというか……たくさんお世話になってるし……」
「……ああ、つまり、日頃のお礼ってことね」

 たっぷり間を置いたあと、サホはこくんと頷いた。袋の紐を握る手に力でも込めたのか、二つの袋がこすれて乾いた音を立てる。

「それだけ袋が違うけど、誰にあげるの?」

 目と言葉で訊ねると、下げていた袋を後ろへ引いて体で隠した。

「これ? これは……誰ってわけじゃなくて……別に……」

 視線を落とし、もごもごと濁すサホがひどく苛立つ。
 どうせオレは知っているのだから、オビトに渡すつもりだとはっきり言えばいい。誰宛てでもないなんて嘘をつく必要なんかないのに、なぜ誤魔化すのか。
 あらゆることが気に入らない。正直に言わないことも、嘘を返すことも、金を出して買った物を渡すことも。

「ま、頑張って」

 腹の底で煮えるような思いを堪え平素を装い、箱を掴んで横を通り過ぎ、空いている手をひらひらと振って、ひたすら足を進める。
 一刻も早く距離を取りたくて、寄り道もせず歩きながら本を読むこともなく、普段よりずっと早く家に着いた。
 鍵を開けて中に入ってすぐ、箱を持つ手を振りかぶる。
 床に叩きつけてしまいそうになるのを寸前でなんとかこらえ、框に腰を下ろして何度も深呼吸を繰り返した。
 どれくらいそうしていたか分からないが、忙しなかった脈も落ち着いてきて、下げていた頭をようやく上げると、見えた無言の玄関ドアの硬質な冷たさが、触れずとも感じ取れるような錯覚に陥った。

 今年は、本気でオビトに渡すつもりなんだ。

 毎年毎年、やる気があるのかないのか分からない結末ばかりだったけれど、今回は違う。サホは本気でオビトに渡す気だ。袋をあらかじめ分けたのは、今度こそ義理チョコを渡せないように自分なりに対策でもしたのだろう。
 ようやくか、と呆れつつも応援してやればいい。ようやく、あの意気地なしの塊を贈るべき相手の手に渡るときが来たんだなと。

 変な勘違いして、何やってんのよオレは。

 サホがオレの好みに合わせて作るなんて、そんなことあるわけないじゃない。
 正真正銘、オビトに渡すためのチョコしか作ってないんだよ。
 恥ずかしいったらないね。ホント、バカじゃないの。
 手を額に当て一つため息をつき、光沢のある紙で包まれた箱を改めて見た。角はすっきり尖り、辺はきっちりと折られているきれいな包装は、素人ではなく慣れた人間の手で行われたことがよく分かる。

 そういえば、サホから義理を貰うのは初めてだ。

 いつもオビトへのチョコを摘まんでいたから気づかなかったけれど、一度としてオレ宛てのチョコなんて貰ったことがない。オレの分を用意していたのかも定かではない。
 もしかしたら、オレに渡す分をオビトに渡してしまったから、オレは貰えていなかったのだろうか。それはそれで何だか腹が立つ。
 いまさら、こんなの貰っても。誰かのためではなくオレのために用意してくれた物を貰っても、有難いだの義理堅いだの思えない。
 包装紙を端から剥がしていけば、シックな意匠の箱が表れ、蓋を取ればチョコレートが五粒、恭しく並んでいる。
 一つを摘まんで口に入れると、そっと弱い甘さが広がり、焦がしたような香ばしい匂いとわずかな苦みが駆けて舌を滑った。
 甘ったるいものが苦手なオレでも食べられるこれこそ、サホはオレの好みに合わせて選んだ。
 いまさら。いまさらだ。
 もうオレは、大衆に向けて作られた、大多数の舌に合わせたビターしか食べられない。
 惜しいと思うなんて。悔しいと燻ぶるなんて。こんなに苛立つなんて。
 全てがいまさらすぎて、恥ずかしいったらないね、ホント。



 重たい体を引きずって布団に入り目を閉じても、冴えた意識のせいでなかなか寝付けなかった。
 何度寝返りを打ったか分からないが、そのうちやっと眠気がやってきて、次に目が覚めたときには部屋は真っ暗だった。
 どれくらい寝たのか、今何時なのか。体内時計で確認したあと、念のために部屋の時計を見やれば、短い針は十を指していた。
 思いのほか遅くまで寝てしまったようだ。ろくに昼も食べずに寝たので腹も空いている。何か食料はあっただろうか。寝る前は何を食べたっけ。たしか、そう、サホから貰ったものを一粒。

――サホ。

 掛けていた布団ごと体を起こし、カーテンを引いている窓を見た。当然ながら外は暗い。
 今年もサホは、居るのだろうか。しかし今年こそは本気で渡すつもりでいたから、いないのかもしれない。
 渡せていたとしたら、サホと同じようにリンに一途なオビトは告白されても断るだろう。万が一のどんでん返しでうまくいっている可能性もないことはないが、ほぼゼロに近い。
 差し出しても受け取ってもらえず、どこかで肩を落としている姿が浮かぶ。例年のように公園のベンチに。いや、明確にフラれたのなら、まっすぐ家に帰って不貞寝の一つでもしていそうだと、自分を振り返って考えて起こした体を倒した。
 行くべきだろうか。今の時期、夜中の十時は本当に冷える。だというのに、サホは毎年、オレが来るまであのベンチに座っている。じきに日付が変わるという頃まで待っていたこともあった。
 しばし逡巡したあと、深夜までやっている店に買い出しに行くついでだと、そう理由をつけて再び体を立てた。


 今夜は風がない。それだけでも大分寒さは軽減されているが、少しだけマシというだけであって、一度ポケットに入れた両手は出す気になれない。
 空に広がる雲のせいで瞬く星や昇った月は見えない。スッキリしない夜の天井に幸先の悪さを感じ、足取りは重くゆったりとしてしまう。
 目的地の公園に着くと、当たり前だが人の気配はまったくない。意を決してベンチの方へ向かう。公園の外灯の近く、ペンキの色がところどころ剥げている木製のベンチに、見知った髪の色。

 居た。

 いつものベンチに、いつもの人影。ホッと胸を撫で下ろす自分に気づいて癪に障りつつ、音や気配をさせずに死角から近づき、サホの手元を覗いてみると、腿の上に小さな袋が乗っていた。

「まだ渡してないの?」

 思うより早く口にしていて、唐突に暗闇から声をかけられたサホの体は大きく反応し、オレだと分かると恐怖で強張った表情を少し緩めた。

「あ……う、うん……」

 驚きで心臓が駆けて痛むのか、胸を押さえてオレから袋へと目を向け肯定する。前に立つと一度だけこちらを見上げたが、すぐに顔を落とした。
 また今年もか。例年通り、あと一歩の勇気を出せないサホに呆れもしたが、変わらない彼女ややりとりが嬉しくあった。
――しかし、いつまでも変わらないということは難しい。サホが『今年こそは』と決めて挑んだことは、オレたちの間で起きた変化だ。
 今回は渡せなかった。でも来年は? その次は?
 いつか渡せる日が来るのなら、それは今日にしよう。せっかく、あの意気地のないサホが勇気を振り絞ったんだ。今日にして、こんな関係もさっさと終わらせよう。

「行こう。オビトの家に行くなら途中まで付き合うから。早くしないと日が変わるよ」

 遅い時間だし就寝していてもおかしくないが、気が咎めるならオレが叩き起こしてやる。オビトだって腐っても忍なのだから、寝込みを襲われたときの訓練と思えばいい。
 善は急げと、サホに腰を上げるように促すが、立ち上がる様子はない。袋の口をぎゅっと掴んで「あの」だの「その」だの、またもごもごと躊躇いがちに口を動かすだけだ。

「これはオビトにはあげられないから……」

 予想外の発言に、「はあ?」と我ながら大きな声が出た。
 オビトにあげられないって、じゃあ何なんだ。いかにも特別と言わんばかりに、わざわざ袋から分けていたのに。

「オビトに作るつもりだったんだけど……苦いの作っちゃって」
「え?」

 取り繕うような笑みと共にこぼれた発言に、不覚にも声が跳ねる。

「あのね、実はわたし、ここ数年ずっと甘くないのを作っちゃってたの。だってほら、いつもオビトに渡せなくて、毎年はたけくんが食べてくれるじゃない? でもはたけくんは甘いの嫌いだから、嫌いな物を食べさせるのも悪いなって思って、あんまり甘くないのにしとこうって思ってて」

 わざとなのか、サホは決してオレの方を見ないとばかりに、公園の外灯やゴミ箱や生垣に視線を向け、少し口早に進めていく。

「クシナ先生に、好きな人に渡すはずのチョコなのに、別の人にあげるかもしれないからって、好きな人の好みじゃないチョコを作るのはおかしいって言われて。冷静に考えたらその通りだし、わたしも分かってたつもりなんだけど、ちゃんと分かっていなかったみたいでね。改めてそう言われたら、そうだなぁって……」

 今頃気づいたのかと呆れつつ、わざと苦くしていたのがやはりオレへの配慮だったと知り、疑問が解けてすっきりした。
 第三者に指摘されるまではっきり自覚できなかったというのはどうかと思うが、人の脳なんて騙しやすいもので、こうだと思い込んだらそうとしか捉えなくなることはある。

「でも、癖って言うのかな。ちゃんと甘いのを作るはずだったんだよ? 『好きな人に作るんだ』って、何回も何回も思ったし。だけど……苦いの作っちゃって。オビトにはあげられないけど、捨てるのももったいないから、リンと二人で食べようかなって考えて持ってきたんだけど、リンは今日は里には居ないみたいで……」

 至らなさを自嘲するように、サホは喉だけを鳴らしてうすく笑った。思うとおりにいかなかったことにまいってしまったという様子だが、深く落ち込んでいるというわけではないらしい。

「なら、ちょうだいよ」
「うん。はい、どうぞ」

 ひょいと手を出すと、サホは袋の両手で持って、躊躇うことなくオレに差し出した。
 受け取り、隣へ腰を下ろして袋の中を確認すると、青いリボンを結んで留められている透明の袋が見えた。市販品特有の金色に輝くシールも、店名が印字された光沢紙にもくるまれていない、素朴な包装。
 自分が欲しかったのはこれなのだと、もう何もかも認めるしかなかった。

「また、来年も作ってよ」
「来年も? はたけくんがいいならいいけど」

 セロハン特有の高く騒がしい音を立てつつ、引き抜きながら言うと、サホはあっさりと了承した。オレとしては割と攻めた一言のつもりだったが、サホにとっては作る物が一つ増えただけという認識のようだ。

「来年もっていうか、ずっとさ。この先ずっと、オレのためにだけ作って、オレにだけ渡せばいいでしょ」

 オビトのためになんか作ってないでさ。あいつにサホの特別なんてあげようとしないで、これからもずっと、買った物を渡してやればいい。その他大勢とひとまとめにしてやればいい。

「えぇ? それじゃはたけくんと付き合ってるみたいじゃない」

 冗談だと捉えたのだろうか。サホは両手をベンチの端へつけ、少し猫背になってヘラヘラと笑った。

「うん。だから付き合おう」
「へ?」

 屈めた上体を起こすことなく、そのままピタリと静止したサホに合わせるように、オレも背を丸めて視線を合わせた。

「オレと、付き合おう」

 もう一度はっきり言うと、サホは口をハクハクと動かして、言葉は紡げず息ばかりを漏らした。
 体を戻して、セロハンの袋の口を縛っていたリボンを解き、苦く作ってしまったらしいそれを指で取る。白い粉糖が細かい雪のようにまぶされ、表面はざらついていた。平たくない、丸めたクッキーのようだ。
 マスクを下ろして口に放ると粉糖が溶けて甘い。しかしその甘さが、ほろほろと崩れるクッキーの苦味をより際立てている。細かく砕いたナッツが入っているのか、あっという間に瓦解していく中でその歯ごたえはアクセントになっており、お世辞でもなんでもなく美味いと思う。
 いまだ呆けたままのサホは、ようやく「顔……」とだけ呟いた。そういえばマスクを下ろした姿は見せたことがない。サホと同じで、隠すのがもう癖になっていた。なるほど、癖というのは指摘されるまで気づきにくい。
 長年傍に居るのに、知らないことはオレたちにはまだある。例えばオレの顔とか、サホの変な癖とか。見開いたサホの目がビー玉みたいでかわいいとか、かわいいと思ってしまう自分とか。
 『好きな人に作るんだ』と言い聞かせてできあがったものが、こんなにもオレの舌に合っているのだから、きっとオレたちはうまくいくはずだ。



あてどもない夜は更けて

20200214



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