最果てまでワルツ | ナノ
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テーマ「禁断の関係」
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 結局、三代目からも誰からも、サホの背を焼いたことを責められることはなかった。あいつはあのときのことを誰にも喋らなかったらしく、『他里との交戦中にできた傷痕』として完全に処理されたようだ。
 まだ成人も迎えていない女なのにと、皆が裏表のない同情を向ける中で、オレだけが喜んで安心している。可哀想ねと呟く紅に、素知らぬ顔で同意したが、やはり焼いてよかったと内心はほくそ笑んでいた。



 仲間と任務の引き継ぎを終え、夜も更けた里を移動する。明日は朝一で分隊長会議があるので、とっとと部屋に帰って体を休めておきたい。
 より早く着くのに選んだ人家の屋根という道は、住まう者たちの迷惑にならぬようにと、足裏にチャクラを集め振動を抑えて伝うのが暗黙の了解だ。特に今の時間は子どもは元より、大人も床に就き始めている。
 そうして見えてきたマンションは、南に面した窓から明かりが漏れる部屋がいくつかあった。オレの部屋はもちろん真っ暗だったが、その隣の部屋はカーテンの端からうっすらと光が零れ、窓の輪郭を浮き彫りにしている。それだけでなく、ベランダの手すりに身を寄せる人影もあった。
 サホがベランダに出ているなど、そう珍しいことではない。
 しかしわざわざ夜にベランダに出て、顔を伏せるのは何の意味があるのか。
 どうせオレの部屋は隣だしと、サホが両腕を乗せるベランダに音もなく着地した。
 一際神経を注いだおかげで、サホはオレの存在など気づいていない。普段は一つにまとめられていて見えない旋毛が、今なら容易に見つけることができそうだ。
 俯いたまま、サホは微動だにしない。サホに似せた置き物かと見紛うばかりだが、呼吸に合わせるように背が動くので生きているのだと分かる。

「……何してんの?」

 このままだと気づいてもらえないと思い声をかけると、サホは急いで顔を上げ、オレを認めるとぽかんと口を開けて見上げた。
 夜とはいえ、空には半月が昇っている。わずかな明かりでも、サホの驚いた顔がすぐにつまらなさそうなものへと移り、上げていた顔を戻してうなじ辺りを手で摩る動きはよく分かった。
 その仕草の意味するところを探って、背中の傷痕の影響が浮かんだ。痕が痛んだり、うずいているのか。

「……まだ痛む?」

 手すりの上に腰を下ろし、里を眺めるサホとは反対に部屋側を向いて、言葉だけを投げた。

「何が?」
「……背中」

 痕を残した元凶として、かなり言いづらくはあったが答えると、サホは、

「別に……もう痛くないよ」

言って、手すりの上で頬杖をついたまま否定した。
 痛くないと、はっきりサホの口から聞けてホッとする。消えぬ傷だけでなく、消えぬ痛みまで負わせるのは本意ではない。傷痕については諦めてほしいが、少しでもサホの心理的負担はなくしたい。自分勝手だが本音だ。
 互いに黙り込み、しばし何とも言えない空気が広がる。
 オレが腰を下ろしているのは、賃貸とはいえ今はサホの敷地内であり、オレは許可なき侵入者である。今すぐ立ち上がり、隣の自室に帰るべきだと分かってはいるが、タイミングを完全に逃した。別に何も言わずに帰ればいいだけなのだが、下手に動いてはいけない妙な緊張感がある。

「上忍って、何なの……?」

 少し息苦しい沈黙を先に破ったのは、サホの藪から棒な問いだった。

「は?」
「上忍って何なの?」

 意味が分からず声を上げると、聞こえなかったとでも思ったのか、サホは同じことをそっくりそのまま再び口にした。
 上忍が何か?

「……中忍の上の階級」
「そういうことじゃなくて」

 端的に説明を返してやると、そういう答えは求めていないとばかりに、少し刺々しい返事があった。
 ならどういうことだ。大体、質問の仕方が悪い。サホなりに意図があってオレに訊いたのは分かるが、相手に伝える努力を怠っては手間取るだけだ。
 オレの答えを撥ねつけたサホは、苦い表情を浮かべる。少し眉が寄って、唇を横に引くその顔の意味するところは、大体いつも決まっている。

「今度は何があったの?」

 この顔は、サホが何かにぶつかっているときだ。オビトのことや、リンのことや、忍のこと。考えて、考えすぎて足を止め、蹲っているときの顔だ。
 封印術者として力をつけ、今じゃ上忍にまでなったというのに、昔からどうもこの性格だけは直らないなと不変を懐かしみつつも、危うさが少し心配になる。何が『隙』になるか分からないのだから、せめて表に出さないようにできないものか。

「上忍がどうあるべきか、見つからないだけ」
「どうあるべきか……ね」

 随分と抽象的だが、質問の意図は掴めた。今回は新米上忍として壁にぶつかっているようだ。

「カカシはどうなの?」

 訊ねられ、十年近く昔の記憶を掘り起す。
 オレが上忍になったのは十二。第三次忍界大戦の真っ最中で負傷者が続き、人員不足のため秀でていれば子どもでも容赦なく前線に投入せねばならなかった時代だ。

「あの頃は戦争中だったし、『上忍とは』なんて考えもしなかったな。もしまともに考えていれば……」

 そうすれば、あんな悲劇は起きなかった。オビトが死んでしまったのは、全てオレの責任だ。
 オビトが死ななければ未来は多少変わっていたはずだ。リンが霧隠れに攫われても、オレとオビトが力を合わせたらまた救えただろう。オビトやリンと、サホと共に笑って、四人で居られたはずだった。
 なのにオレ自身がその未来を手放した。

「先輩は、得意なことだけじゃなくて、苦手なところも含めて、全体的に底上げすべきだって。それが上忍だろうって」

 尽きない後悔に沈むオレに、サホは先輩とやらから聞いた、『上忍としてどうあるべきか』を話した。暗い思考は一旦押し込め、短い相槌を返す。

「ガイは、自分に足りない部分は仲間に補ってもらって、自分も誰かの足りないところを補って……そうやって人は生きてきたんだから、それでいいんじゃないかって、多分、そういうことを言ってた」
「それも一理ある」

 全てをこなせるほどの実力を持つことも必要だが、どうしても自分では対応できない事態もある。わざわざ不得意な者に任せるより、得意な者に任せる方が理に適っている。
――が、常にそうやって理想的な割り振りができるかと言えばやはり違う。火急の際に、いちいち熟考し配置換えを練る暇などない。自分に向いていないなど弱音を吐いて逃げることは、中忍以下を引き連れる上忍には決して許されない。
 先輩とやらが言うことも、ガイが言うことも間違っていない。
 だから悩んでいる。相反するような二つの上忍としての在り方のどちらを目指せばいいのか、サホはまた思考の迷路に落ちている。

「上忍がどうあるべきかなんてオレには分からないけど、サホにはサホにしかできないことがあるよ」

 他人の考えに頼るからいけない。沿うことが悪いわけではないが、所詮は自分ではない者の考えだ。自らに問いかけ出した答えと、他人から差し出された答えは、たとえどちらも同じ回答だとしても、やはり心への収まり具合は違う。

「わたしにしかできないことって?」

 サホが問う。だからそうやって他人に訊ね、思考を委ねてはいけないのに。
 しかし、いきなり特上ではなく上忍へと昇格し、ただでさえ自信のないサホにとって、今の状況が心細く苦しいのは伝わってくる。
 サホにしかできないこと。他の誰かじゃなくて、サホにしかできない。

「前に出て戦うばかりが忍じゃない。後ろから加勢するのも、水面下で情報を収集するのも、仲間の怪我を治療するのも、後進を育成するのも、立派な木ノ葉の忍だ」

 木ノ葉隠れの里を支える、数多の忍。例に挙げた以外にも、様々な形で里に尽くす者たちが居る。そのどれもが欠けてはならない。
 だから『かすみサホ』にしかできないことなど、ほとんどないだろう。腕の達つ封印術者はサホ以外にも居る。女の上忍も、数は少ないが風のチャクラ性質を持つ者も居る。

「『待つ』っていうのも、必要でしょ」

 『かすみサホ』という上忍にしかできないことなんて、正直まだない。
 けれど、『かすみサホ』という人間にしかできないことがあるとすれば、それはオレを待っていてくれることであってほしい。
 父が命を絶った頃、日を重ねるごとに心が擦り減っていった。誰も居ない家に帰ることも、一人で生きていくことも、知らずオレの神経を削っていた。
 だけどオレはあの日、サホが仏前に手を合わせたあと、『待っているから』と居場所を与えてもらった。
 一度も足を向けることはできなかったけれど、オレに帰る場所をくれた。
 ちゃんとオレの居場所はあるのだと、だから足を折ることなく歩んでいられた。

「『待つ』って?」

 具体性に欠けていたため、当然サホにはオレの考えは通じていない。しかし通じていても困る。きっとサホはオレに言ったことなど忘れている。オレがそんなことを願っているなど知ったら、気味の悪い男だと思われるかもしれない。

「……感知結界を張って、引っかかるのを待つ……とか?」
「なにそれ」

 呆れたような声がぐさりと刺さる。自分でも苦しい答えだと思うので、サホのそっけない反応は仕方ないものだが、こいつホントに忘れているなと、オレだけが忘れていない現状につまらなさを覚える。

「オビトなら、何て言うかな……」

 そしてすぐ、『オビト』と口にする。
 またオビト。いつもオビト。
 オレとの記憶は忘れても、オビトとの思い出は忘れないんだろうなと、肺の辺りが焦げるような気分だ。

「訊いてみる?」

 頬杖を止めて、頼まれるより前にずらしている額当てを戻す。隠していた左目を開け、サホの方へと顔を向けた。
 たった一瞬で、サホは左目に囚われる。暗い宵だからと、少し顔を寄せても、逃げることも構えることもしない。オビトの瞳を前にしたサホは、盾も鎧も手放し無防備になってしまう。
 徐々に距離を詰めるこの身が、どこまでサホに許されるのか試してみたくなったというのは、きっと後付けだとは思う。
 近づけば、サホの髪の匂いがオレの聡い鼻をくすぐった。まだ瑞々しい香りは石鹸だろうか。
 楚々とした匂いと、それが分かるほど近い距離をより意識して、思考がくらりと揺れる。
 サホとの距離は、昇る月の心許ない光を頼りにしても、瞳孔の開き具合が分かるほどに近い。
 このままもっと寄せたなら。鼻をかすめ、互いの息を呑むほどまでいけば。また唇は重なるだろうか。
 低い温度の柔らかさを思い出し、どうしようもなく本能がうずく。
――したい。

「オビト、迎えに行かなきゃ……」

 あとほんのわずか進めば触れていた唇から紡がれる『オビト』という音は、どうしてこうも胸が痛い。

「だめって言われてんでしょ……」

 やっぱりこいつの頭には、目にはオビトしか入らない。
 サホが四代目や三代目に、神無毘橋に残してきたオビトの体を持ち帰りたいと頼んだことも、却下されたことも知っている。
 オレだってオビトの遺体を木ノ葉に戻し、慰霊碑ではなく、リンの眠る墓地にちゃんと墓を建ててやりたいと思っている。
 けれど現状、あの付近に手を出すことは許されない。小さなきっかけがまた大戦を生んでしまうかもしれない。ただ一人の女のために、ただ一人の少年の体を回収することは許されてはいけない。

「本当に……待つだけだね、わたし……」

 サホはオビトの体を木ノ葉へ戻すことを諦めてはいない。里や国同士の関係が良好になり、許可が出るまで待つつもりでいる。
 逆に言えば、待つことしかできない。来るか分からない、真に平和な未来まで、指をくわえて待っているしか。
 数センチ先の瞳に、やるせない色が滲む。

「いいんだよ、それで」

 赤い左目を閉じて、ゆっくりと体を戻し、サホから離れた。

「待っててくれなきゃ、帰る場所も分からない」

 木ノ葉隠れの里は産まれ育った場所であり、言わば故郷だ。
 しかし、同じ屋根の下で寝起きしてくれる父も、共に戦場を駆ける仲間も、道を示してくれる師も、もういない。里に愛はあれど、それを上回る寂しさの方が山程ある。
 それでもこの里に帰るのは、もういない彼らが成したかったことを遂げたいという使命感と、唯一オレに残ったサホが居るからだ。
 サホにはずっと生きて、オレの帰りを待っていてほしい。オビトの目を待っているのだとしても、オレが帰る場所であってほしい。
 見上げれば夜空に星が散らばっていて、一番目立つのはぼんやりと浮かぶ半月。右目をそちらにずらせば、オレと同じく空を見る横顔があった。
 今はまだ、半月でいい。その横顔だけでいいから、陰ることなくそこに居て。



 三代目に呼び出され火影室へ入ると、机上から崩れる日を見たことがない書類の山脈の向こうで、厳格な面持ちの部屋主が手元の本に目を落としていた。暗部の装備一式を纏ったオレを認めると本を閉じ、脇に寄せる。
 近くまで寄ると鋭い目元はいくらか緩み、「お前に護衛任務を命じたい」と用件を述べた。

「護衛ですか。対象は?」
「上忍を一人。任務で火の国内を移動する」
「上忍を?」

 護衛対象が上忍など、暗部が付く必要があるのかと疑問が生じる。他国や他里ならともかく、火の国内ならまず護衛など付ける必要はない。

「その者には巻物を移送する任務に就かせる予定だが、国境の近くを通ることになる。お前も知っての通り、最近あの辺りはごたついておる」

 国境は今、少々騒がしい。戦後から数年経っても他里との間には張りつめたものがあるが、今現在こうやって問題視されているのは忍同士ではなく、貴族同士の小競り合いだ。
 貴族と一言で表しても、比較的裕福で大名への発言力もある家もあれば、昔に比べ没落している家もある。
 家同士の因縁は特に根が深いらしく、数代前からいがみ合い続け、栄華を競い合うなどという優雅な争いをしているらしい。

「その巻物の件は貴族も関わっておってな。国境近くと言うのも含め、念には念を入れておきたい」

 つまり、巻物を移送する上忍が、貴族の諍いの巻き添えを食わぬようにということだろう。
 下手に関わって、要らぬ火の粉を浴びるのは誰でも御免だ。地位ある者が皆そうだとは言わないが、貴族は針小棒大に話を広げ、自分たちの権威や利を必死で守ろうとする傾向が強い。

「承知しました。護衛の上忍は誰でしょうか?」
「サホだ」
「……サホ?」
「かすみサホ上忍、じゃ。巻物には特殊な封印が施されておる。考えた末、サホが適任と判断した」

 名を繰り返すと、はっきりと『かすみサホ上忍』と返ってきた。
 護衛となると、その期間中は四六時中、対象者に付き添う。
 サホと四六時中、一緒に? 二人で?
――それはちょっと、避けたい事態だ。サホの護衛が不満ではなく、二人きりというのがよくない。
 気まずい仲だというのも大きいが、何より最近の自分の行動を振り返ると、サホに対しまた何かしてしまうのではと不安がある。自分を律するべきだと重々分かってはいるが、あいつを前にするとどうにも上手くいかない。

「三代目。オレの班から一人連れて行っても構いませんか?」
「お主一人で十分だと思ったが……理由は?」
「……先日、あいつが死にかけたのをご存知でしょう。不測の事態を考えての護衛なら、もう二、三本は手が欲しい」

 二人きりではなく第三者が居れば、さすがにオレも衝動的な行動はできないはず。
 体のいい理由を見繕って挙げてみると、三代目の鷹のような双眸が細くなった。

「その腕二本で守る覚悟はまだないか」

 言に潜む刃が、心臓に突き立てられる感覚に、首裏の温度が下がる。
 オレはただ、任務完遂のための人手と、自分を戒めるための目が欲しいだけだ。突然『覚悟』などと言われても答えに窮するが、三代目の瞳は、発言の意図を全て正しく受け取れるだろうと言わんばかりに揺るがない。

「仰る意味が分かりかねます」

 思考を切るのが一番だと判断し、平素を装った。暗部の面を掛けているため、表情は一切見えない。声だけでも体裁を取り繕えばいい。
 三代目はしばしオレを見つめたあと、書類の山から一枚抜き出し、墨を浸した筆を取った。

「許可しよう」
「ありがとうございます」

 頭を下げ礼を述べる。これでとりあえずは安心だと、小さく息をついた。



 集合場所は大門前。許可を得て加えたテンゾウを引き連れ姿を現すと、すでに待っていたサホが目を見張った。

「お待たせしました」
「……え? もしかして三代目が付けてくれる護衛って……」
「カカシ先輩とボクです」

 テンゾウがサホとやりとりをし、指名を受けた護衛の忍だと伝える。サホはオレの方を窺うように瞳を向け、しかしすぐにそれは地面へと落ちた。気まずい様子が手に取るように伝わってくる。

「準備ができてるなら出発しよう」

 ここで突っ立っていても仕方ない。サホを促し、示す方角に里を発った。
 目的地までは、ほとんど直線距離の道を選んで進んだ。途中で昼休憩を取った際に、以前はもっと時間がかかったとサホが言った。
 『以前』と言うのがいつなのか不明だが、情勢によって移動ルートが限られることはある。戦後から何年も経ち、今は比較的自由に行き来できるが、戦時中は通行を禁止されている地帯などがあって、大きく迂回し倍以上の時間をかけることも珍しくなかった。

 目的地には昼過ぎに到着した。森を抜けた先の原野は、夏によく見る若い稲の田によく似ていた。緑の草が力の限り、天を望み伸びている。
 サホは草の波を掻き分け、何か捜し始めた。テンゾウが問い、木ノ葉の印が彫られた石を見つけてくれと返ってきたので、手分けして捜索を開始する。
 邪魔をするのは草だけだが、膝より上にあるので少々厄介だ。いっそこの原野の草を全て刈り取った方が早いのでは、と思った矢先、特徴に合致する石が目に入った。

「あった」

 石を見下ろしながら声を上げると、すぐに二人がやってきて、オレの足下を見た。
 持ち上げるとしたら両手を使わなければならないような大きさで、見慣れた木ノ葉の印がしっかり彫られている。
 サホが下がれと言うので、オレとテンゾウは石とサホから距離を取った。
 何の術の印か知らないが、素早く結んでその手が石に置かれると、石の周囲が隆起し、徐々に姿を現したのは祠。地蔵でも入っていそうな、変哲もない木組みのそれは、なかなか予想外だ。

「祠ごと封じていたのか」
「誰かが手を出したら困るからね」

 オレの呟きにサホは理由を口にしながら、祠の戸に手をかけた。観音開きの戸は、高くか細い音を立てて開き、サホが取り出したのは一本の巻物。
 しっかり握ったそれに目を落とすサホは、できるはずないのに、巻物の中身を確かめているように見えた。

「封印が弱まってる」
「分かるんですか?」
「うん」

 どうやら本当に確認をしていたようで、巻物にぺたりと貼り付けられている、古い札を撫でてみせた。
 手に持っただけで術式の具合を察知できるのは、それなりに感知能力が高くなければ難しい。弱まっているかどうかなども、封印術に長けていなければ敏感に判別はできない。
 サホが封印術者として腕を上げているのは知っていたが、実際にその姿を見るのは今が初めてだ。巻物を手にする様子に、成長したんだなと一人感慨深く耽っていたが、サホは巻物を持ったまま動こうとしない。

「封印を掛け直すんでしょ」

 巻物の封印が弱まっていれば、新たに封印を施し直すのも任務の一つに組まれていたはず。ならば今ここですぐに取り掛かるべきなのに、サホは小さな相槌を返すだけだ。

「サホ?」

 一体どうしたのかと名を呼ぶと、サホは観念したように、巻物に貼られている封印の札を指差した。

「これ、クシナ先生のよ。前に、みんなで来たの。ナギサと、ヨシヒトも一緒に。クシナ先生が封印を掛け直したの」

 そう長くはない説明だったが、サホが動けなかった理由を知るには十分だった。『以前』は、クシナ班がまだ組まれていた頃。

「きっと、これ以外にも、クシナ先生が封印した巻物なんかが、まだどこかに残っているの。考えたら、剥がしづらくて」

 札を貼りつけたのも、恐らく血で書いた術式もクシナ先生が行ったとするならば、それは一種の、先生の形見と数えても遠くないかもしれない。剥がしてしまえば、永遠に失われる。
 サホが躊躇い、動けなかった気持ちに納得した。オレもミナト先生の直筆で綴られた書類を見ると、先生が字を書いて残す物はもう一切生まれないのだと考え、すでに必要ない紙だが捨てられないでいる。

「けど、やらなくちゃね」

 サホは迷いを振りきり、新しい札を取り出して血で術式を書いた。変色した古い札を剥がし、真新しい札を貼りつけ、印を結んでチャクラを送る。
 祠に巻物を収め、今度はその祠自体を別の巻物へと封印した。封じた巻物をくるくるとまとめ、紐をしっかり結ぶ。

「これで終わり」

 先ほどまで鎮座していた祠はあっという間に消え、目印となっていた木ノ葉の石もなくなり、あとに残るのは三人分の人影と波打つ草原のみ。

「気持ちのいい場所ですね」

 テンゾウが言う。暑くもなく寒くもない、ちょうどよい気温もあってか、吹く風は肌を焼くことも刺すこともない。

「うん。そりゃあ、大きな別宅でも建てたくなるかもね」

 今回の任務は、単純に言えば封印の巻物の引っ越し。この地にとある貴族が別宅を建設するらしく、巻物を収めている祠を別の場所に移すことになった。
 わざわざこんな地に封印していたのだからそれなりの理由があったのだろうが、忍側の事情など貴族たちには関係ないこと。事を起こしてまで拒否する話でないのなら、譲れる場は譲っておくのもまた、共存していく上で欠かせない立ち回りの一つだ。
 サホはきゅっと口を閉じ原野を眺めている。クシナ先生との思い出の地だ。
 師の後を継ぎ、封印術者として一人前になった。そして自らの手で、幼い日の思い出を上書きした。心に浮かぶものは多々あるだろう。

「行こう」

 自ら断ち切って、サホは歩き出す。木ノ葉のベストを羽織る背が寂しげに見えたのは、恐らく勘違いではない。
 慰めの言葉はかけられず、視線でその背を優しく撫でた。



 次の目的地は東の端の方。陽が出ているうちに進んでおこうと再び駆け続け、夜の帳が落ちたところで、適当な場所を見繕い野営することにした。
 サホが感知結界を張ったため、幾分は気が休まる。火は焚かなかったが、凍死する心配はないだろう。持参した携帯食料と水を各々で摂り、あとは朝日が昇るまで身を休めるだけだ。
 見張りは年下のテンゾウが一番手となり、次にサホ、その次がオレだ。サホは一応護衛対象なので見張りから外してもよかったが、本人が構わないのと言うので、特に反対する理由もなかった。
 そのサホと交代し、今度はオレが見張りの番を務め、二人から少し距離を取った場所に腰を下ろしている。国境付近とはいえ感知結界もあるし、暗部二人と上忍一人なら、よほどのことがなければ襲撃を受けても対処できる。それでも気を抜くのはよくないと辺りに注意を払うと、先ほどからサホがもぞもぞと動いているのが気になった。

「眠れない?」

 無視されるかもと思ったが、サホはそっと身を起こし「ちょっとね」と覇気なく返してきた。表情に眠気は一切見られない。
 おもむろに腰を上げ、テンゾウの傍からオレの方へと歩み寄ってくる。座るオレと違い、サホは立ったまま、オレの近くで夜空を仰いだ。
 最近はオビトやリンの前でもないのに、すぐ傍にサホが居ることに慣れてきた。隣に住んでいるというのもあって、顔は合わせずとも前よりずっとサホの存在が近くにあるからだろうか。

「少しでも寝ておかないと明日がきつい」

 明日も目的地まで走り、引っ越しが終われば里へ帰るために走る。余裕を持った日程を組んでいるが、隊長としてロ班のこともあるし、サホにも次の任務が待っている。早く終わるに越したことはない。
 サホから承知していると返事はあったが、足が動く気配はない。これ以上言っても無駄だなと、オレも空を見上げた。
 星は宵色の生地に縫い付けられたビーズのように散らばり、頼りなさ気な三日月は、細くきらめく糸で刺繍されている。その線が、サホの背に残した傷痕を思い起こさせ、じわりと苦い感情が胸に広がる。
 黙り込んで空を見るサホは、何を考えているのか。

「クシナ先生のこと、思い出してんの?」

 真っ先に思いつくことは、祠の封印の件。亡き師の痕跡を自分の手で剥がしたことに、感傷めいたものが湧くのは想像に容易い。

「それもあるけど……あのときも、封印の掛け直しが終わったあと、野営したの」

 ぽつり、ぽつりと、サホが言葉を零す。『あのとき』と今との共通点を挙げ、空から自分の手へと視線を落とした。

「岩隠れの忍が襲ってきて、そのとき初めて、人を殺した」

 抑揚のない、平坦な声だ。努めて感情を込めないようにしたのか、最早その行為に何の躊躇いもないのか。
 初めて人を殺したサホは、それをオレに打ち明け泣いたことを覚えているだろうか。オレになら話せた、オレの言葉なら忍として正しいのだと思えると、オレに全幅の信頼を寄せてくれていた。
 オレの正しさは、結局は間違っていた。そして戦友を、サホの想い人を喪った。

「誰が襲ってきても、お前たちはオレが守るよ」

 あんな間違いはもう起こさない。
 仲間は決して見捨てない、死なせない。
 サホもテンゾウも、オレが絶対に守りきる。この左目は守るためにある。



 夜が明け、東へと駆けた。
 大した問題も起きず、無事に目的地へ到着しても、陽はまだ十分に高い場所にある。ここもまた、すくすくと育った草が生い茂っていて、風が吹くたびに騒がしい葉擦れが鳴る。
 サホは持っていた地図と地形を見比べ、方角や歩数を元に位置を計算し、指定のポイントへ巻物を収めた祠を埋めた。移動時間に比べ作業はすぐに終わり、「任務完了」と自身が言うように、サホの任務はほぼ達成したと言える。

「サホさんの任務は、ですね。ボクたちはサホさんを無事に里へ連れ帰るのが仕事です」

 肩の荷が下りたサホには悪いが、オレたちの任務はまだ終わらない。とはいえあとは里に戻るだけだ。
 一際強い風が吹いて、サホの髪が煽られる。草の匂いが濃く鼻につく中で、わずかに潮が香った。
 火の国の東は海に面している。だから強風が吹くのだろうと、乱れた髪を整えるサホにテンゾウが伝えると、

「え? 海? 海、近いの?」

と目を丸くして驚いた。

「ええ、そうですよ。地図を見て気づきませんでしたか?」

 テンゾウが問い返すと、どうやら東の端には海があるということを頭に留められていなかったようで、ようやく思い出したのか、随分間抜けな表情を浮かべた。

「海って……あの、大きな湖みたいなものよね?」

 手を軽く広げてサホがテンゾウに訊ねる。海を『大きな湖』と称するサホに、海を見たことがないのかとテンゾウが若干動揺しつつ問うと、素直に頷いた。

「クシナ先生の班に居たときは、里から遠く離れる任務はほとんどなかったし、そうじゃなくても、任務でこんなに東の方に来たことは初めてだから」

 上忍になるまでに、多少なりとも任務で国内のあちこちへ向かうこともあっただろうと勝手に思っていたが、海が見えるほど東へ行ったことがないのなら、『大きな湖』という例えが出てくるのも納得できる。
 木ノ葉隠れの里は火の国の中央に位置しており、海へ行くには多少距離がある。機会に恵まれなければ、一度も海を見ることなく生涯を閉じる者もいる。

「へえ、そうなんですか」
「テンゾウは見たことあるの?」
「ありますよ。任務で火の国のあちこちに行きますから」
「カカシも?」
「一応ね」

 国内だけでなく、他国へ密かに入り込むこともあるオレたちにとって、海など特に珍しいものではない。
 この場で唯一、海を知らぬサホは、東の果てへと顔を向け視線を送る。その先にある、まだその目で見たことのない本物の海に対する興味がありありと伝わってくる。

「先輩」

 猫の面がこちらを向く。面の奥の瞳は影でうまくは見えないが、任務で多くの時間を共にしただけあって、言わずともテンゾウが何を伝えたいのかはすぐに分かった。
 本来ならこのまますぐに出立するべきだったが、前半に時間を稼いだため余裕はあるし、予定より遅れるのは珍しいことではない。それに何より、オレとしてもテンゾウと同じ気持ちであった。

「ま、多少遅れても問題はないでしょ。ただし、体のいい遅延の言い訳は自分で考えるんだね」

 腕を組んだままサホに言うと、海に思いを馳せていたその顔がこちらに移り、「え?」と短く声を上げる。

「海、見に行こう」

 両目は大きく見開かれ、何度か早い瞬きを繰り返した。それから再び東へと引かれた双眸が、期待に満ちているように見えたのはただの願望だったろうか。



 東へ向かうにつれ、潮の匂いが強くなる。オレを先頭にひたすら前に進んでいけば、やっと陸の端が見える所まで来た。
 何度も海に来たことがあるオレでも、開放的なこの光景を目にする度、世界は広いなと感じてしまう。『大きな湖みたいなもの』と言っていたサホが声を上げたきり、しばし言葉を失うのも無理はない。
 あれが海なのか、水平線なのかと訊ねるサホは、『すごい』を繰り返した。久方ぶりに聞いたサホの『すごい』はオレに向けられたものではなかったが、そうまで興奮してくれるなら、連れてきた甲斐があったというものだ。

「ボクとしては、サホさんの反応の方がすごいですけど」

 苦笑するテンゾウに、サホは恥じたのか口をきゅっと結んで、海の傍へと歩き出した。その背を追い、オレたちも続く。
 踏む地が土から砂へと変わると、足の隙間から粒が入り、肌をざりざりと擦る。不慣れな足下に進むスピードは若干落ちたが、サホはずんずんと前へ進み、寄せる波のすぐ近くで止まった。
 海というのは、飾り気のない景色だと思う。失われることのない水平線と、ひたすら繰り返される波の動き。空を過ぎる雲や、行き交う船がこの光景に少し変化を付けるが、実にシンプルな視界だ。
 これほど素朴なのに気づけば言葉もなく眺めてしまう。サホが身動きできないほど、惹きつけるものがある。

「先輩。ボク、魚でも獲ってきますよ」

 一言告げ、テンゾウはオレたちから離れて行った。里への帰路につく前に腹を満たすつもりだったので、折角だから新鮮な魚でも焼いて食べようというところだろう。木ノ葉の里では川魚が身近で、遠路はるばる仕入れられる海の魚は少し高い。ここならではのささやかな贅沢だ。
 そのやりとりにも、テンゾウがいなくなったことにも気づかないまま、サホの意識は全て、初めて見る海に注がれている。
 水平線をわずか遮るのは遠い陸地や島。その上の空にも白い島が浮かび、大きな山を作っている。さらに上空になると、白い絵の具を乱雑な筆で伸ばしたような、叩いて点をつけたような雲が漂っていた。
 寄せては引く波は一瞬として止まることはない。船と風とが、静謐を許してくれない。

「あれ? テンゾウは?」

 ようやく一人減っていることに気づいたサホに理由を話すと、大して気に留めた様子もなく、波打ち際を歩き出した。
 十も進む前に、

「あ。貝殻」

と身を屈め、砂の上に散らばる貝殻を摘まみ上げる。
 それから、目に付く貝に手を、指を伸ばし、もう片方の手の中へと収めていく。

「そんなに持って帰るの?」

 近寄って上から覗いてみれば、左手の中にはすでにたくさんの貝殻。持ち帰るのは構わないが、正直オレは貝殻を集めることに興味がないので、そんなに拾ってどうするのか、家に飾って楽しいのかと、そういった感情しか湧いてこない。
 頭の天辺を遮るもののない日差しで焼かれながら、サホは貝殻に伸ばす手を止めない。

「知ってる? リンはね、海に何度も来たことがあるんだって」

 リン――サホが、リンのことを語る。親類が海沿いに住んでいて、砂浜で貝殻を拾っては持ち帰り、家で眺めるのが好きだったと。
 そんな話、リンから聞いたことはあっただろうか。リンとは付き合いが長く、色んな話はしたけれど、時が経つにつれ詰め込まなければいけない新たな情報によって、思い出話は奥へ奥へと追いやられ、細かい記憶まではうまく辿れない。

「わたし、リンと約束してたの。戦争が終わったら、一緒に海に行こうって」

 それでも、その約束のことだけはすぐに引き出せた。リンから直接教えてもらった。どこへ行くのかはそのときまで秘密だと言われ、知ることなどもう有り得ないだろうと思っていたが、まさかサホから教えられるとは。

「一緒に貝殻を拾おうって。わたしが海を見たことがないって言ったら、絶対に行こうねって」

 白や薄桃、浅紫。二枚貝に巻貝。サホの指が拾い続ける。
 いつかやろうと心待ちにしていた貝殻拾いや、初めて見た海にどれだけ心躍らせたか語るとき、本当は隣にリンが居たはずだった。
 不意にサホの手が止まり、顔が上がる。

「九尾が里で暴れたあと、リンのお家が引っ越したのは、知ってるでしょ」

 見上げてくる顔は、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。事実確認を行う、事務的作業の一環に過ぎないとばかりに、感情は籠っていない。

「ああ」

 リンの家族が引っ越したことも、どの町で暮らしているかも把握している。何かあればいつでも手を貸す気でいて、定期的に様子を窺ってもいる。
 新しい地にはうまく馴染めたようで、リンの両親は穏やかな日々を送っているが、やはりそこにもリンの姿はない。リンはどこにも居ない。

「引っ越す前に、リンのお母さんから、リンが集めた貝殻の瓶をもらったのよ。わたしと海に行くの、すごく楽しみにしてたって、リンのお母さん、言ってた」

 日光が注がれていたサホの両目は、潤み始めさらに光が増す。
 顔が俯いて、その下の砂に染みができた。一つ、二つと続いて落ちる涙に、罪悪感が込み上げる。
 貝に伸ばした手を引っ込め目元に当て、何度も何度も拭う丸めた背に、後悔を上回る庇護欲が湧く。

「リンの代わりにはなれないけど、海くらい、オレが何度でも連れてってあげるよ」

 リンを生き返らせることも、過去へ戻ってリンを助けることもオレにはできない。
 ただ、サホがいいと言うなら、何度だって海へ連れて行く。
 海だけじゃない。お前は丸い虹がかかる大きな滝を見たことがある? 砂糖の粒をばらまいたように瞬く澄んだ星空や、氷漬けにされた城や、雲よりも高い山頂からの風景、一面に青い花が咲く花畑、合わせ鏡のような湖。
 海だって景色はこれ一つじゃない。色とりどりの珊瑚に魚、翡翠のような水面もある。この広い世界には、お前がまだ見たことがないものがたくさんあるんだよ。
 望むならいくらだって、どこへだって。オレが必ず連れて行ってやるから。
 俯いたままのサホの頭が、こくんと縦に揺れた。受け入れられたという喜びで、面やマスクで隠した口元が緩むのが自分でも分かった。
 ホントだよ。オレはお前に何だってしてやりたい。自来也様が言っていたように、傷つけて泣かせた分より、ずっと多く笑わせたい。
 だから望んでよ、オレに。オレを、望んでよ。



21 こいねがう

20191215


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