最果てまでワルツ | ナノ
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 果たしてサホがオレの提案を受け入れたかは定かではないが、揶揄や好奇心に駆られ訪ねてくる者はいても、サホに取り持ってくれと言ってくる者はいなかった。
 オレの出番は必要なかったかと思いつつ、興味本位で『どういう関係なんだ?』と問われたら、『番犬みたいなもの』と返すようにしたため、サホにまつわる噂に『かすみサホは実ははたけカカシの弱みを握って番犬にしている』というのが正式に追加されたとテンゾウから聞いた。アスマたちには大いに笑われたが、きっとオレが何をしたって笑っただろう。



 他国での偵察任務を終え、オレたちは帰路についていた。ロ班のうち、半分以上は里に残し、テンゾウに任せている。
 今連れているのは三人。内一人は偵察にうってつけの耳の良さを持つイサナ。チャクラで鋭敏に研ぎ澄ませたとはいえ、数多の雑音の中から目的の声を聞き分けるのは大変苦労したらしく、体の動きや声の張りの無さから疲労が見て取れる。

「おい、イサナ。大丈夫か?」
「は、はい」

 里への帰還を急ぐため駆ける中、獅子の面を掛けたシンマがイサナに声をかける。この四人の中でチャクラの消費が一番激しいのがイサナであるならば、他国から走り通しで一番体に堪えているのもイサナだ。

「隊長、少し休憩してはどうでしょうか? このまま走り続けていたら、イサナが持ちません」

 狸の面の奥から、コワミの心配そうな声が届く。確かに、もう三時間は走っている。体を壊されても困るし、ここらで休憩を入れるのが妥当だろう。
 腰を落ち着けられる場所を見つけ、それぞれで兵糧丸や水分補給をすべく、しばらく足を止めた。
 面を外し水筒に口をつけるイサナの顔色は、走り通しで血色よく見えるが、表情には強い疲弊が滲んでいる。しかし疲れているイサナには悪いが、里へは自分の足で走ってもらわねばならない。

「イサナ。まだ走れるか?」
「はい。あの、あと少し休ませて頂ければ、必ず」
「分かった」

 すでに火の国に入って大分距離は稼いだ。少し長めの休憩を取っても、今日中には里に着くだろう。
 焦ることはないと、オレも身を楽にし、体力回復に努める。今夜は久々に布団で眠れそうだ。

 いつもより倍の時間を取った休憩が終わり、再び木ノ葉を目指して駆けた。先ほどより若干スピードを落としたこともあり、イサナも遅れることなくついてくる。
 人目につかぬよう、町や村から離れた場所を進むため、森や山が多い火の国だと、自然と木々の中を走り抜けることになる。
 幼い頃から慣れ親しんだ動き、把握している地形ということもあり、頭は空っぽというか、少しぼんやりとしてしまいそうになる。
 隊長として周囲への警戒を怠ることは決してあってはならないと頭を切り替え、鼻で辺りを探ってみると、かすかだが鉄の匂いがした。
 すぐに手信号で後方の仲間たちに停止を指示し、オレも足を止める。

「隊長? どうかしましたか?」
「血だ」

 嗅ぎ慣れた匂いの発生源はどこなのか、鼻を働かせると、大体の方向が掴めた。

「あっちか」
「行くんですか?」
「一応、確認しておく」

 火の国内部だからと言って、オレたちは好き勝手に動けるわけではない。火の国には大名や貴族など、他里や賊とはまた違う意味で注意を払わねばならない者たちが多数いる。
 近づくほどに強く濃くなる匂いを辿り、着いたそこは、まさに凄惨の一言だった。

「ひどい匂い……」

 後ろからついてきたコワミが、散らばる血の跡に言葉を失う。広がる緑に鮮烈に冴える赤は、見ているだけで禍々しい。血に慣れた暗部とて、ここまで濃く香ると嗅覚が麻痺しそうだ。
 これだけの血が流れているにも関わらず、生き物の遺骸がない。大量の出血をしているとなると、一つ二つ命を落としていてもおかしくはなかっただろうに、肝心の死体がなく、自力で歩いた跡もない。とすれば、誰かがその体を持ち去ったに違いない。
 目に焼き付くような血以外の痕跡はないかと思われたが、木の幹の後ろに一本のクナイが刺さっていた。この場に忍が関わっている。

「イサナ。周囲の音を」
「は、はい!」

 すぐにイサナがチャクラを練り、耳を澄ませる。血の乾き具合から見て、恐らくここで交戦があってから半日も経っていない。誰と誰が戦ったのかは分からないが、火の国内でこれだけ血を流す争いがあった、しかも忍が関係しているとあれば看過できない。
 イサナは目を閉じ、鋭い聴覚を最大限まで働かせ不審な音を探る。オレたち三人は彼女の邪魔にならぬよう黙し続け、ようやくイサナが目を開けた。

「あちらです。あちらで、金属音と、悲鳴が」
「よくやった。行くぞ」

 イサナが指し示す方へ向け、オレたちは駆け出した。出血量から見て、負傷者が一人であればすでに死亡、よくて瀕死だろうが、複数であれば致命傷でない限りまだ生きている可能性もある。
 木ノ葉の忍であれば救助し、他里であれば捕える。あらゆる状況を想定しつつ駆ければ、オレの鼻も再び血の匂いをはっきり捉え始めた。むせ返るような錆びた匂いに、鼻だけでなく喉までもが焦げ付くような軽い痛みを覚える。
 やっと見つけたそこには、先ほどとは違ってまだ流したばかりの血だまりに突っ伏す死体が十ほど。
 格好を見るに、木ノ葉の忍ではなく他里のようだ――屍たちの一番奥、木に身を預けて頭を垂れている一人の忍以外は。

 嘘でしょ。

 あの髪。服装。顔は見えずとも、思い当たる者がオレにはあった。
 周囲を見回す部下を置いて地を蹴る。大した距離でもないのに急いたせいで足がもつれ、それでも躓くことなくその身に近づき、俯いて見えない顔を確認するため覗き込んだ。

――サホ。

 血の気のない顔は、間違いなくサホだった。口は白い歯が覗く程度に力なく開き、わずか上げられている瞼の向こうの瞳は虚ろで、生気を感じられない。

 うそでしょ。そんな。サホ。うそでしょ。

 まさか。そんな。
 サホが死んでしまったなんて。
 そんなこと。
 言葉にならない恐ろしさに、地に着けた手が震える。
 悲鳴を上げてしまいたいのに、喉が締められて言葉も息も出ない。
 胸が槍で貫かれ、心臓は粉々になったように痛い。
 サホ。
 サホ、サホ。
 サホ。

「……なに……」

 吐息に押されてようやく弾き出されたような、かすかな声。唇は動かなかったが、目は一度ゆっくり帳を下ろし、もう一度上げられた。

 生きてる。

 サホは生きてる。生きてる。
 強烈な安堵で、一気に喉は解放され、肺に溜まっていた空気が口から逃げていく。
 よかった。生きてた。よかった。
 目から涙でも零れそうで、それを押し留め、改めてサホに目をやる。血に汚れてはいるが、どれも返り血の類で、サホの服は裂けていない。

「怪我は?」
「……せなか……」

 念のために問うと、力ない返答。肩を掴んで背を木から離すと、苦痛の声が上がる。
 覗いて見れば、背中は真っ赤に染まっていて、目にした途端にゾッとした。今まで似たような怪我をした者は何人も見てきて、時には自分の手で似たような傷を負わせたこともあるが、これがサホの背だと言うだけで身の毛もよだつほどに怖い。

「お前一人?」

 サホの身も心配だが、他に要救助者が居ないか、現在の状況がどうなっているのかは一刻も早く把握しなければならない。

「……なかまが、さんにん……みっしょもたせて……さきに、さとに……」

 途切れながらも、サホはオレの質問に十分な答えを返した。仲間は三人。密書を預けて先に里へ帰した。恐らくそんなところだろう。
 とすれば、サホは殿を務め、周りにある他里の忍の亡骸は、その責を果たしたことを示している。

「お前たちは他に敵や仲間が残っていないか、周辺の確認を。終わったらここの処理を頼む。オレはこいつを連れて先に里へ戻る」

 食い止めきれず逃してしまった敵や、それに追いつかれた仲間が居るかもしれない。血や遺骸だらけのこの場も、このままにしてはおけない。三人は声を揃えて返事をし、全員別の方向へとすぐに飛び出し駆けて行った。

「止血するから脱がすよ」

 言葉は了解を求めているが、言うと同時にすでに手はベストの留め具にかけている。
 全て外したあと、木に胸や頭をつけるように向きを変えさせる。頑丈な木ノ葉のベストを裂いた、一本の跡は大きい。
 サホの腕を取り、片方ずつ袖から抜いて、ようやく明らかになった背は、ベストの比ではないほど真っ赤に染まっていた。まだ傷を負ったばかりらしく、大量の鮮血に眩みそうになる。
 服の裾を持って、ゆっくりと捲っていく。白い肌が見え始めた辺りで、サホが呻いた。傷口に動きが伝わり痛むのだろう。

 緊急事態だから、ごめん。

 無言の謝罪を送ったあと、肌を傷つけぬように手持ちの小刀で慎重に服の生地を裂く。振動が痛みにならぬように、けれどすぐに止血ができるようになるべく速く。小刀に力を入れ、服を裂くことへの躊躇いも振り切るように切り進んだ。
 うなじから数センチ残した辺りで刀を置き、見えた傷の痛々しさに、勝手に目元がきつくなる。

「深いな」

 刀でやられたのだろう。すっぱりと切られている。背中全体に大きく弧を描く赤は、夜空に浮かぶ細い月のようだ。いまだ血は止まらない。
 ここに転がる死体全員相手に応戦したなら、チャクラもあまり残っていないだろう。何にせよ、一刻も早く傷を塞がなければならない。

「きれいにやってよね……。わたし、帰ったら……特上になるんだから……」

 腰のポーチから止血用の針と糸を取り出す手は、サホから告げられた意外な話に驚いて止まった。

「特上に?」
「内定してるって……火影様が……」

 訊ね返すと、間違いないと返ってきた。
 サホが、特別上忍に? 内定?

「そう……」

 サホが、特上に。
 きっと、封印術者として評価されたのだろう。
 遅いとは言わないし、むしろ早いとも感じるが、火影から話がきたのなら冗談の類ではない。特別上忍に相応しい力をつけたと上役から見なされたのは、サホの努力の結果だ。
 昇進はいいことだ。どんなに鍛錬や実績を積み願っても、上忍や特上になれない中忍は数多居る。サホはその中でまだ若い方なのに選ばれたのだから、諸手を挙げて祝ってやるべきだろう。


「上忍や特上には、色任務が命じられることがある。だから事前に身体検査が必要なんだ」


 もし。もしここで、オレがサホの背をきれいに縫合し、里に連れ帰っていち早く医療忍者の治療を受ければ。傷口はしっかり塞がれ、そこまでひどい痕にはならないだろう。優秀な医療忍者が担当してくれれば、傷痕自体残すことなく完璧に仕上げることだって難しいことじゃない。
 もし、痕が残らなければ。そうなれば、特上になったサホは、ミナト先生が言っていた検査を受ける。背の傷は見逃され、『きれいな体』と印をつけられ、条件を満たす。
 オビトの代わりに里を守ろうとする木ノ葉への忠誠心の深さは、サホと親しい者なら誰でも知っている。
 歳を重ねるにつれ幼さを脱ぎ捨て、複数の男から恋われるほどに女としても綺麗になった。
 特別上忍に選出されるほどの実力と、裏切ることのない里への忠誠と、好色家を満足させるだろう見目。必要とあれば、サホに任務が下ることは容易に考えられる。
 任務ためとはいえ、サホは知らない男に抱かれるのか。
 この柔い髪が。白いうなじが。くびれた腰が。

「ッあ、ああっ!!」

 先ほどまでの弱々しさなど感じられない絶叫が響く。暴れるその首を押さえているのは自分の手で、赤い傷口に火遁の火を押し付けているのも自分なのに、まるで意識だけが切り離されて、別の誰かが成していることにしか思えなかった。
 肉の焼ける匂いは吐き気を覚えるほど気分が悪いが、今はそんなことなど気にならない。声を上げると余計に疲れるのにと、ばたつくサホの足に自分のそれを乗せて、もうすぐ終わるからと口に出さずに、赤い傷口を焼いていった。
 全ての傷を焼き終わり首から手を外し、足の上からどいてやると、サホは全身に冷や汗を掻いてぐったりと木の幹に寄りかかっている。
 もごもごと何か文句を言ったようだけれど、唇を噛まないようにと口に詰め込んだ布のせいで聞き取れない。大方、どうしてこんなことを、とでも言っているのだろう。目はろくに開けられていないが、しかと開けるほどの余力があったのなら、きつくオレを睨んでいたに違いない。
 サホの怒りは当然だ。きれいにしてくれと頼んだはずなのに、焼くなんて有り得ない。

「特別上忍就任の、祝儀だよ」

 サホに伝えられる理由など、それくらいしか思いつかなかった。
 これだってまともな理由にも説明にもなっていないが、じゃあ他にどう言えばいい。この体が、誰かに無遠慮に使われるなど無性に許せなかったと、正直に言えるはずもない。
 出番を失った針と糸の代わりに軟膏を取り出し、指先ですくって鮮やかな痕に塗っていく。指を当てる度にサホの体が小さく動いて、それでもこれは塗っておいた方がいいからと、また声にすることなく慰めながらも無慈悲に傷口へ塗布した。
 清潔な包帯を手に取り、背中全体を巻いていく。さすがに柔い胸に手が当たると気まずいが、疲労困憊といった状態のサホは呼吸を繰り返すことに必死で為されるがままだし、とにかく手当てが最優先だ。
 包帯を二巻きほど使い、最低限の処置は終わった。すぐに里で治療を受ければ、化膿することもないだろう。
 あとは出血した分の血液を補わなければ。サホの体を横向きにし口から布を取って、オレが持ち歩いている丸薬の内、増血丸を二粒ほど摘まみ、赤みのない唇に押し当てた。

「飲んで」

 言うが、サホは眉を寄せるだけで口を動かさない。隙間に当てる力を増しても、わずかたりとも動かない。さきほどの止血のせいで、意識もほとんど保てないほどに疲弊しきっている。
 逡巡したあと、再び緊急事態だからと自分に言い聞かせ、マスクを下ろして二粒の丸薬を自分の口に入れ、噛んで細かく砕いた。
 水筒の水も口に含み、サホの細い顎を掴んで、無理矢理に口を開かせる。漏れぬようにと、唇をぴたりとくっつけて、口内の丸薬を水と共にサホの中へ移した。
 口の中に唐突に水が入ってきて驚いたサホが、顔を離そうと抵抗する。吐き出されては意味がないと、顎を押さえていた手とは逆の手を頭の後ろに回して抑えつければ、サホは音を立てて丸薬らを喉へと落とした。飲み下したサホから唇を離し、手も外すと、苦しそうな咳を繰り返す。 

「なに……す……」

 目を開けているのもつらいはずなのに、サホは確かにオレを睨んだ。咎める視線は、丸薬を飲ませるためとはいえ口移しをしたことへの怒りだ。悪いことをしたとは思っている。
 しかしオレはすでに背を焼いている。今更――とは考えたが、背を焼かれることと口移しされることは、妙齢の女にとってはまったく違う問題なのかもしれない。
 怒るサホをどう言いくるめようか、マスクを上げながら少し悩んだ。

「オレの上忍祝いのお返し」

 誤魔化すつもりは一切なく言葉通りでしかなかったが、サホは理解できないようで、虚ろな目をオレに向け続けた。

「満月印の増血丸。一番質がよくて、一番量が多くて、一番高いの」

 三代目から呼び出しを受け、正式に上忍になったあと、サホから上忍祝いを貰った。
 あのときの彼女の、幼かったゆえの衒いのない言葉。

「……値段のことまで、言う必要、ないと思うけど……」

 あのときオレが言ったことが、そのままそっくり返ってきた。
 サホもあのときのことを忘れてはいない。同じ記憶を共有できているという確認ができて、口の端から笑みが落ちた。
 しかし今は感傷に浸る暇はない。手当てはしたが、サホの状態はいまだ良くない。血の気は引いたままだし、意識も何とか保っている程度。
 面を掛け直し、痛むだろうサホの背に木ノ葉のベストを羽織らせた。自身の痕跡は残さず拾い上げるのが忍の鉄則だ。あとの始末は仲間に任せてあるし、すぐにここを発とう。
 ぐったりした体を背負って両足を持ち、里へ向け走った。一人で走るよりスピードを落としてはいるが、走る道はろくに整備されていない獣道。上昇下降や障害物を避けるための揺れはサホの身につらいだろうが、一秒でも早く病院へ連れて行かなければ。
 背に伝わる温度は、次第に熱を上げていく。肩から前へと回された腕も、揺れに合わせて時折力が入る。
 生きている。ちゃんと生きてる。

「死んでなくてよかったよ」

 頭に巡る思いが溢れ、口から少し零れた。伝えるつもりなどなかったのに、サホに聞こえてしまったかもしれない。

「死ぬわけないじゃない……」

 耳元でサホが続ける。まどろんでいるかのような弱い響きに、胸がぎりっと掴まれた。

「わたしは、オビトの分まで、里を守るの」

 オレにしがみつくサホの腕にかかる指が、少し曲がる。

「あんたが死ぬまで、恨み続けるんだから、あんたより先に、死んでなんかやらない」

 そっか。そうだよな。
 お前は、オビトのために生きている。オビトの意志に背いてしまったオレをあの日から恨み、見張るために生きてきた。
 バカバカしいかもしれないが、それを聞いて、たまらなく嬉しくなった。
 父も、戦友も、仲間も、先生も失った。
 死神とも、運命とも、呪いとも称され、時が経つほどに、他の仲間や友がオレの前から消えてしまう恐怖から、いつも逃れられないでいる。
 そんなオレに、サホは死なないと言う。オレを恨むためだと分かってはいるけれど、オレより先には死なないと言ってくれる。
 オレが生き続ける限りサホは死なない。
 背負う温度と重さは、オレの恐怖を一瞬で吹き飛ばしてしまった。



 あれからサホはオレの背でぐっすりと眠り、大門に着いても目覚めることはなかった。
 門番に事のあらましを告げ、三代目へ先に報告をしてほしい旨を伝えていると、男の声が飛んできた。

「かすみ隊長!?」

 駆け寄って来るは三人。男二人に女一人。皆、オレやサホと変わらないか若い。致命傷ではないが全員が傷や汚れを纏っている。

「かすみ隊長は――」
「眠ってる」
「ああ、よかった……よかった」

 一番年嵩だろう男がサホを背負うオレに問うので簡潔に答えると、女は口元に手を当て、目をうっすらと潤ませた。この中で最年少らしい少年も、グズグズと鼻を何度か鳴らす。
 年嵩の男の説明から、この三人とサホがフォーマンセルを組んで任務に就いていたことと、やはりサホが殿を務める形で三人は先に里へ戻り、無事に密書を三代目へ渡し終え、これからサホを迎えに行こうとしていたことが分かった。

「つまり、任務は達成できたってことでいいわけ?」
「ええ、そうです」
「そう。ならサホはこのまま病院に連れて行くよ。しばらく動けないだろうから、報告書とか、あとの処理はそっちで何とかしといて」

 任務が達成できても、班の隊長としてやることは残っているが、恐らくサホは入院の身。代理を立てて処理を行うことは珍しくないので、年嵩の男に頼むと「分かりました」と力強い返事があった。
 サホを抱え直し、里の人目に付かない場所を選びながら病院へと向かい、そのまま直接、忍専用の病舎の中へ入った。
 急病人の対応に慣れている担当者たちが事態を察知してすぐに集まり、処置室へと案内する。その途中で、医療忍者らしい白衣を着た男に、サホのチャクラがほとんど尽きていること、背中の傷のことなどを簡単に説明し、空いている寝台にサホを下ろした。

「あとはこちらで」
「お願いします。それと、目が覚めたら伝えておいてほしいことが」
「何でしょうか?」
「仲間は全員、無事帰還。任務も完遂、と」
「はい。必ずお伝えします」

 目が覚めたら、仲間のことや任務のことはきっと気になるだろう。その辺りの感情は同じ忍として理解できるらしく、医療忍者はさきほどの年嵩の男のように、しっかりと頷いて返した。
 半ば処置室から押し出される形で廊下へ出ると、知らず張りつめていたものがなくなり、足下がふわふわと不確かになる。空いた手が震えるので、握り込んで抑えた。

 大丈夫だ。サホは死なない。

 再び湧いてくる恐怖を、サホの言葉を思い出すことで鎮め、ロ班の仲間や任務のことへ無理矢理に意識を移した。



 サホは当然だが入院となった。チャクラ切れはとにかく体を横にして、じっとしているのが一番だ。
 任務中に大怪我を負い入院したという話は、オレが喋らずとも皆にすぐ知れ渡った。情報の伝達が速いのが忍界隈で、重傷だったサホを里へ連れ帰ったのもオレだと知られている。
 さすがに死亡していたかもしれない状況に揶揄を入れる輩はいなかったが、毎日のように話しかけてくる者は一人居た。

「横向きにしか寝られなくてつらいと言っていたから、楽になるようにと抱き枕を買っていこうと考えているんだが、水玉模様の猪と市松模様の鮫、どっちがいいと思う?」

 任務帰りのオレを見つけ引き留め、真面目な顔で問うガイに対し、センスを疑うとしか返しようがなかったが、言う気にもなれなかった。そんな柄した動物の抱き枕なんてホントに売ってるの。まあ嘘をつく必要も見当たらないし、あるのだろう。
 ガイはサホが入院していると知った日から、ほとんど毎日病室を訪ねているらしく、そのあとでどんな調子だった、こんな話をしたと毎回こうやってオレを捕まえて報告してくる。大多数がサホが気疲れせぬようにと、顔を出すのはせいぜい一度くらいなのに、ガイは逆だ。

「あのさ。いちいち報告しなくていいって」

 一回くらいなら聞かないこともないが、二回、三回と続けられると鬱陶しい。

「何を言ってるんだ! 気にしているくせに!」

 きっぱりと断言され、その勢いに呑まれたところもあり、反論できずに無言を返してしまった。
 ガイの言うことは当たっている。すでに命の危機は去って、チャクラを十分に戻すべく体を休めるための入院だと把握はしているけれど、気づかなかっただけで術や遅行性の毒を仕込まれている可能性もあるし、容体が急変することもないわけではない。
 想像すればするほど心配は増えるが、キリがないからわざとサホのことを考えないようにしているのに、ガイがこうやってしょっちゅう来て邪魔をする。

「サホの背中の傷は残ってしまうらしい。忍とはいえ、女としては悲しいだろうな」

 ガイはまるで自分のことのように肩を落とした。サホの嘆きを聞いたのか、世間一般の女性たちの価値観から察して言ったのか、身に傷を持つ女になったサホの気持ちを慮っている。

 残ったんだ。よかった。

 気落ちするガイとは逆に、オレは内心喜んだ。うまくいった、これでサホに色任務は下らない、と。
 しかしそれもほんの数秒で、申し訳ないという感情が遅れてうずく。
 背に傷を残したのは他里ではなくオレだと、誰にも言っていないのだろうか。冷静に考えずとも、オレの行為は仲間を無駄に傷つけただけで、叱責を食らうべき案件であるから、サホが報告すれば処分が下る。
 だが、そんな気配は微塵もない。三代目にも『よく連れ戻してくれた』の一言以外、何もない。
 あのときはただ、色任務が免除されることだけを望んで、傷が残ることを憂うサホの気持ちなんて考えもしなかった。
 落ち込んでいるだろうか。傷が残る自身の不憫に泣いたりしていないだろうか。
 それでも、やらなければよかったとは思わない。
 仮に過去に戻って同じ場面に遭遇しても、オレはまたサホの背中を焼いただろう。
 傷つけたかったんじゃない。守りたかった。誰にも、触れてほしくなかった。



 退院したという話はガイから聞いた。背に傷が残った以外、特に今後の任務に支障もないと。
 それより前に、三代目から直々に、退院次第サホが上忍に昇格することを教えられた。特別上忍ではなかったのですかと問えば、上役らの会議によって、里を離れる上忍一人の穴埋めとしてサホに白羽の矢が立ったと言う。
 特上になるというだけでも大層な話なのに、それが上忍ともなると、あの細い肩に圧し掛かるプレッシャーは相当だろう。

「上忍の先輩として、何かあれば相談に乗ってやれ」

 三代目はそう言うが、オレは上忍になったことに重荷を感じなかったタイプだ。サホにとって有益な助言などできそうにないし、大体あいつはオレになど頼ったりしないだろう。
 上忍の先輩なら他にも居る。特別上忍ではあるが、気安い仲のナギサやヨシヒトも。オレなど必要ない。


 任務開始前の、集合までの空いた時間は、慰霊碑の前で過ごすことが多い。
 オビトの目を里のために使っていることや、あの日助けられなかったこと、あの日オレが間違っていることにもっと早く気づけばよかったと、報告よりも懺悔を連ねる方が多いが、今日はそれだけではなかった。
 単純な論理による予想だ。サホはオレと同じように、リンやオビトの前に顔を出すことが多い。入院していて顔を出せず期間が開いた上に、上忍になったのだという報告の一つでもしに来るだろうという、本当に簡単な推論ではあったが、それはぴたりと当たった。
 オレの隣に立ったサホに、足を引きずったり、腕を使うのが苦だったりという動きは見られない。ガイが言っていたことに間違いはなかったようで、目は慰霊碑に向けたまま胸を撫で下ろした。
 身を屈め、石碑の前に持参した花束を置く。いつもと同じ、赤とオレンジと白の、オビトに向けられた鎮魂の花。

「特上になると何があるか分かってて、背中の傷を焼いたんだ」

 体を戻し、オレを見ることなくサホは言った。

「まあね」

 オレの『特上就任の祝儀』の意味するところに気づいたということは、サホは検査を受けたのだろう。
 冷静に考えれば、『祝儀だから』と背中を焼くなど狂った発想でしかない。サホがオレの真意を正しく受け取ってくれたからよかったものの、もっと熟考し行動すべきだ。

「特上以上ってことは、カカシも?」

 思わぬ質問に、誤魔化すことも答えないという対応も取れず、真面目に考え、オレはそういった任務を請け負ったことは一度もないと返した。
 上忍になってすぐは幼かったからと免除されていた検査も、暗部に入る前に改めて受けたが、決して気持ちのいいものじゃない。文字通り頭から爪先までじろじろと見られ、詳細を書類に記されていく光景は、出荷される畜産動物のようだった。
 検査の結果、変化や変装で身体的特徴を隠す手間がかかる故か、オレに声がかかったことは一度もない。一日や短時間なら正体を隠して接触できても、色任務というのはたいてい時間をかける。数日で済むなど短い方で、数ヵ月や半年、一年以上も違う人間として生き、ターゲットと接する場合もある。

「それにこれは、簡単に隠せるものじゃない」

 髪の色や目の傷以上に、左目の赤い写輪眼。変装にかけるコストもリスクも多いオレは、色任務で潜入している仲間からの情報を持ち帰るか、仲間の任務の邪魔になる者を暗殺するなどで使う方が勝手がいいと上は判断しているようだ。

「でも、わたしだって確実に色任務の話があるかなんて、分からないでしょ。ああいうのは向き不向きがあるって言うし……」

 サホの言うとおり、色任務をうまくこなすには、やはりある程度の条件がある。異性を誑し込む[すべ]は先人に教わり、経験を積めば得られるが、顔や体の造作を変えるのは簡単ではない。手間をかけるより元から向いている、要するに見目の整った者が選ばれることが多い。

「いや、あるでしょ。お前は――」

 きれいだから、と続けようとした言葉は寸前で飲みこんだ。

「『お前は』? なに?」

 サホは続きを促すが、込み上げる猛烈な気恥ずかしさで、相槌を打つのすら遅れてしまう。
 いやいや。何を言おうとしてるの。言えるわけないでしょ。そりゃ貶してるわけじゃないけど、言えるわけない。

「……封印術だとか、幻術だとか、特化した技術を持っている者の、単独潜入が必要な場合……も、ある」

 捻り出した回答は割とそれらしいもので、実際にそういう可能性もゼロではない。あらゆる事態を想定し、対策を立てておくことは重要で、我ながら悪くない答えだったと思う。もう少しスムーズに口に出せていたなら尚よかったが。

「色任務ができる忍なんて、限られているのに……」

 色任務を受ける機会を失くしたことを惜しむような口ぶりに、熱に触れた水滴が一瞬で蒸発するかのように、猛烈な怒りが込み上げた。

「じゃあお前は、命じられれば誰とでも寝られるわけ?」

 隠しもしない怒気のせいで、こちらの様子を窺うサホの顔は強張っている。揺れる瞳に漂うのは、焦りと恐れ。唇は上下がしっかりと合わせられ、言葉を紡ぐ気配は微塵もない。

「通常任務とは違うが、色任務も、オビトが守りたかった里を支えるために必要だ。だけどお前は、オレにとっては……」

 『オレにとっては』の先を、どう口にすればいいだろう。
 サホの背中を焼いたのは、色任務の指名から除外されることを望んだからだ。どうして望んだのかと問われても、それはもう、『いやだったから』としか答えようがない。
 では何故いやだったのか。アカデミーからの付き合いで、幼少から互いを知っている仲だ。家族ほど近しくはないが、その辺の同期や仲間に比べたらずっと親しみはある。そんな相手が、任務のためにと、好きでもない男相手に股を開く話など聞きたくないだろう。
 だからと言って、背中を焼いてまで色任務に就かせたくなかったのは、『親しみ』の一言で片づけられるものではない。他人が知れば、やりすぎだ異常だと咎められてもおかしくない。

「――オビトが残した『守りたかったもの』だ」

 サホにはオビトの名を出せばいい。
 オレを理由にするのではなくオビトを理由にすれば、そうすればサホには十分だ。
 予想通り、オビトの名はサホに効果的で、かたい表情で無言のまま、オレと目を合わせ続けた。
 いいや、本当は右目ではなく、額当てで隠している左目と合わせているつもりなのかもしれない。オレではなくて、オビトと。
 考えると苛立ちが強くなり、サホを置いて慰霊碑を後にした。



20 月を描いた

20191120


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