17

 一方夏希は拓けた場所に出ていた。森の中にしては陽射しが差し込み、明るい。木の根はあまり地面には出ていないからこれまでの道と比べればだいぶ歩きやすく、夏希は疲れた足を叱咤しながら進んだ。
 不思議な場所だった。空気が澄んでいる様に感じる。疲れているはずの身体も、何故か時間が経つごとに楽になっていくような錯覚さえ覚える。ここは夢の中で見た場所だった。
 とすれば居るはずだ、あの人物が。夏希は辺りを見回した。
 そうして見つけた泉は陽射しを浴びてキラキラ輝いていた。ああ、そうだ。夢で見た光景と全く一緒。
 逸る気持ちを押さえながら泉に近づく。触れた水は夢とは違って冷たく、これが現実だということを彼女に教えてくれていた。
 服が濡れるのも構わずに泉の中に入って、中心へと向かう。擦りむいた膝や肘、切り裂かれた二の腕が沁みて顔を顰めるが、気にしてはいられない。
 泉の中心は矢張り凍っていた。氷に触れていると冷たくて仕方ないが、上らないという選択肢などない。何とかよじ登って、滑って転ばないようにゆっくりと歩いた。

「やっぱり、居た……」

 夏希の足の下。夢で見た場所と同じ場所で眠っている者。紫苑の髪の中性的な顔立ちの人物が、そこには居た。
 あの時は目を覚ましてしまったから触れることは出来なかった。しかし今度は大丈夫のようだ。夏希の指が眠っている人物の顔を氷越しになぞるが、反応はない。

「イシュは鈴が、って言ってったっけ……?」

 ポケットから鈴を取り出すと、鳴らないはずのソレがりいんと小さく音を立て、次いで夏希を魔物から護った壁を出現させたときの様に淡く光り出した。瞬間、今まで動かなかった氷の中の人物の瞼が、ゆっくりと押し上げられていく。
 綺麗な蒼い目と、目が合った。

「あ……」

 その目に見惚れて、一瞬言葉を忘れた。氷の中の人物は、夏希が手をついている場所に自身の手を持っていき、氷越しの手を合わせる。小さく唇が動いたが、覆っている氷は思ったよりも分厚いらしく、声は届かない。

「あ、そ、そうだ、そこから出さなくちゃ! 待ってて、何か硬いモノを探して――」

 氷を破ってあげるから、と夏希が振り向くと、泉の周りには今まで居なかったはずの魔物が何匹も集まっていた。数にして十数匹ほどだろうか。今まで気配もなかったのにどうしてと思ったが、手に持っている鈴を見て思い当たる。

「もしかして、結界……」

 イシュが言っていた、魔力に反応する結界。それが今までこの場所を護っていたのだが、それは先程夏希の手で壊された。だから近づけなかった魔物が、結界が無くなったことにより現れたのだ。

「どうしよう……」

 魔物は水の中を怖がらないのか、次々と泉の中に飛び込んでは彼女に近づいてきていた。陸地でも敵わないのに、水の中ではもっと逃げられない。だけれどこのままここに居ても逃げ道はないのだ。夏希の下に居る人物は氷によって護られるだろうが、それでもずっと氷の中に居て大丈夫なのだろうか。
 悪魔の身体がどれほど丈夫かは分からないがから不安ばかりが募る。封印を解いたが故に死んでしまったなんて笑えない。何とかして氷の中から出して、逃げなければ。だけれど夏希に何とかする術など思いつかない。

「イシュ……っ」

 鈴を握りしめ、彼女が知っている唯一頼れる人物の名前を呼ぶ。助けて、そう思って。その間にも魔物たちは夏希に近づき、氷の上によじ登ろうと――。
 ピシ、と音が聞こえた。

「え……?」

 見ると、氷に亀裂が入っている。その亀裂はピシピシと音を立てながらどんどん広がっていき、そうしてパキィンッと音を立てて氷が砕け散った。
 よじ登ろうとしていた魔物は土台が砕け散ったことにより、バランスを崩して泉に沈む。夏希も立っていた場所が割れたことにより転びそうになったが、その前に暖かな腕が彼女を支えた。

「大丈夫?」
「あ……」

 その人は穏やかな笑みを浮かべながら立っていた。声、そして身体つきから男性だと分かる。上から見ている時は分からなかったが、背はイシュと同じくらいか、少し高いくらいだろう。年齢は見たところ二十代前半、といったところだろうか。
 二人は今、砕けて粉々になったはずの氷の上に居た。だけれど今二人が立っている氷には、罅一つ見当たらない。まるで新たに生成されたようだった。厚さも彼を覆っていたモノより薄く感じたが、割れることなくしっかりと強度を保っている。

「君が俺を起こしてくれたんだね。ありがとう」
「あ、いえ……あの、それよりも魔物が……っ」
「ああ」

 泉に沈んだ魔物たちは、興奮しながら二人が立っている氷に上ろうとしている。また、泉の中から爪を振り上げ、二人を泉の中に引きずり込もうとした。

「やれやれ」

 青年は軽くため息を吐いた後、振り下ろされた爪を難なく避け、蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた魔物は泉の端まで吹き飛ぶ。凄まじい力だ。他の魔物たちも一か所に集まる様に蹴り飛ばすと、その綺麗な蒼い目で魔物たちを見つめる。
 そうしてふ、と息を吐いたかと思うと、一瞬にして魔物たちが氷の柱の中に閉じ込められていた。

「え、な、何で?」

 いきなり現れた氷の柱に夏希が混乱していると、彼は彼女を横抱きにして氷を蹴る。難なく陸地へと辿り着き、氷の柱に閉じ込められている魔物たちに向かって強烈な蹴りを一発。閉じ込められた魔物は氷ごとバラバラになってしまった。

「……」

 十数匹も居た魔物を一瞬にして全滅させてしまった青年を、夏希は唖然として見つめる。その視線に気づいたのか、彼は先程と同様に穏やかに微笑むと、彼女を地面に降ろして言った。

「君に聞きたいことが沢山あるんだ」

 蒼い目が彼女を射抜く。

「ここがどこなのか。君は誰で、何者なのか」

 その時に夏希は気付く。青年の左目、そこに紋様の様なものが刻み込まれていることに。

「ねえ、答えてくれる? 皇子、君もね」
「……」

 青年の視線が夏希の後ろ側に向けられたかと思えば、そこにはいつの間にここに辿り着いたのか、険しい表情をしたイシュの姿があった。
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