颯紀

「颯紀君、これ開けて?」
「……」

 はい、と手渡されたビンを見て、如月颯紀はめんどくさそうな、これ以上ないほど嫌そうな表情を浮かべて、そのビンを差し出してきた少女を見た。
 颯紀は『鬼』であった。比喩ではない。二本の角を生やした、正真正銘の『鬼』。今は角はないけれど、それは人間に擬態しているだけの、仮の姿に過ぎない。本来の颯紀は『鬼』であって、その血筋は先祖代々受け継がれてきたものだった。
 人ならざる存在は颯紀だけではなく、他にも五人ほど居る。彼らは人間と妖、どちらの姿にもなれたが(ただし人間の姿は擬態しているだけ)、どちらにも所属していない、中途半端な存在だった。
 本来の妖は人間の姿に擬態など出来ない。人間に擬態できるということは即ち、人間の血が混じっているという、所謂“混じりもの”の証でもあって。それ故に妖からは受け入れてもらえず、更に言えば彼らの一族は妖の血筋を受け継いでいたが、妖の姿をとることは出来ず、そこでも彼らは孤独を感じていた。
 だから一層彼らは自分と同じ存在を大切にしていた。血縁者よりも大切に思う程度には、彼らの結束は固かった。
 それが――いつからか、一人の少女が入り込んできたのだ。
 彼女は妖の血を受け継いでいるわけでもなく、妖を退治する陰陽師の力を持っているわけでもない、普通の少女だった。ただ、その体質だけが特殊だった。
 彼女は妖特有の能力を無効化できた。例えば颯紀の仲間の一人である九重遼は九尾の狐の血を受け継いでおり、狐火という炎と幻を操ることが出来るのだが、彼女にはその幻は効かない。一度幻を見せてからかおうとしていた遼に「何してんの?」と変質者でも見るような目を向けていたが、そのことに遼は大層傷ついていた。
 加えて擬態も通じていないそうで、彼女には常に自分達の本来の姿が見えているのだそうだ。「いくら顔が良くてもコスプレはないよね……」と若干引き気味に見られていたこともある。これはコスプレじゃないと何度も言っているのに。
 話が逸れたが、ともかく日常に潜んでいる『異常』を見つけるのに彼女の体質は酷く便利で――もっと言えば闇に紛れて生きるような自分達とは違う、光のような彼女に彼らは絆されつつあった。妖だといって拒絶しない彼女の傍が心地良かったということもあるだろう。
 本当にいつの間にか、彼女と共に居るのが当たり前になっていたのだ。それは、仲間という意味でも、恋人という意味でも。

「――颯紀君、聞いてる?」
「……あ?」
「だから、これ開けて? 硬くて開かないの。颯紀君なら簡単に開けられるでしょ?」
「……お前、俺の力はそんなもんを開ける為にあるんじゃねえぞ」
「分かってるよ。これだけだって、これだけ」
「そう言って今まで何回そういうの開けさせられたと思ってるんだよ」
「う……ちょっと捻るだけだよ。ね?」
「ったく……」

 お願い、と手を合わせて頼み込んでくる少女――蒼麻夏希に、颯紀は溜息混じりに彼女からビンを受け取って、少し力を加えて捻る。するとビンはいとも簡単に蓋を開き――開いただけでなく、粉々に砕け散った。

「あ」
「あーっ!」

 片方の手の中で散乱したガラス片と中に入っていたジャムらしきものを見て、夏希は叫び、颯紀は僅かにしまったと焦る。どうやら力加減を間違ってしまったらしい。
 鬼の力を受け継ぐ颯紀は力が強く、僅かな力でも一般人の数倍にもなる。一度握力の検査で検査する道具をぶっ壊してしまった時は、さすがにヤバいと思った。他の仲間にもこっ酷く叱られたし。
 出来る限り加減をするようにしているが、たまには間違えることもある。たまには。

「それ……友達から貰ったお土産で、手作りのすっごい美味しいジャムだって聞いてたのに!」
「……たまには、加減を間違える時だってあるっつうの!」
「……私まだ一度も食べてないのに……」

 夏希はガラスの破片で手を切らないように破片を取りながら、残念そうに颯紀の手の中にあるジャムをジッと見つめている。何だか嫌な予感がするのは颯紀だけだろうか。
 やがては夏希は意を決したように颯紀を見て、言った。

「舐めてみてもいい?」
「ぶっ! ばっ、おま、何言ってんだよ!」
「このまま直接じゃないよ? ちゃんと掬って舐めるってば」
「そういう問題じゃねえ! 諦めろ!」
「えー……勿体無い……」
「また買えば良いだろ」
「お土産だって言ったじゃん。私が買ったんじゃないよ」

 まだ諦めきれないらしく、夏希は颯紀の手を見つめ続けている。いい加減、手を拭きたいのだが。
 ――それにしても。
 少し伏せ目がちな目が見える。さらりと流れる黒髪が、日の光に反射している。ああ、何だかとても――。
 颯紀は自分の手についていたジャムを舐める。夏希が「……あっ」と小さく声を上げたが、颯紀は口の中に広がった味に顔を顰める。

「甘……」
「颯紀君、ズルい! 私の――」

 夏希の言葉が途中で途切れる。口の中には甘い味が広がっていて、唇には柔らかい感触。目の前には焦点の合わない颯紀の顔があり、つまり彼女は颯紀にキスをされていた。
 ジャムがついていない手で夏希の後頭部を固定し、舌を絡めてくる。突然のことで頭の回転が追いついていない夏希は、されるがままだ。

「ん……っ」

 ちゅ、と軽いリップ音を立てて唇が離される。今だ混乱したままの夏希は、何回か瞬きした後、唇に手を持っていって一言。

「……このジャム、美味しいね」

 その言葉に脱力した自分は悪くないと思う。颯紀は睨むように夏希を見つめて言った。

「お前……一言目がそれかよ。何かこう、もっと別の言い方があるだろ!」
「だ、だって突然だったから混乱したんだってば! ていうかこんな、誰か来そうな場所でいきなりキ、キスなんて……っ!」

 思い出したのか、顔を真っ赤にしながら颯紀を睨みつける。身長が低いため座高も颯紀より低いのだが、上目遣いになっているし、顔は赤いし涙目になっているし、何というかそそる。
 もう一度キスしてやろうか、と近づいてやると、夏希は今度は手を前に出して颯紀を阻んだ。その対応に不機嫌になると、彼女は慌てて颯紀の手を取って洗いに行こうと歩き出す。
 話逸らしやがったな、と不機嫌半分、呆れ半分で彼女の後姿を見やる。だが微かに見える耳が真っ赤なのを見て、少しだけ機嫌が戻った。

「夏希」
「な、何?」
「人目を気にすんだろ? なら今の続きは俺の部屋でな」
「ば、馬鹿っ!」

 耳元で囁いてやると、顔を赤くしたまま夏希は颯紀は叩く。けれど手はしっかり繋がれたまま、二人は歩いていった。





End.
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