「――、――――、――」
「――――」
「――――――、――」
何か話し声が聞こえる。声音からしてどうやら居るのは一人ではなく、複数らしい。今は何時か知らないが、ナツキが眠ろうとした時間は十二時過ぎ。外は今も真っ暗で、少なくとも学校に居るべき時間ではないと思うのだが、教室の中に居る人物達は何をしているのだろう。
そう訝ったが、それでも夜の学校に自分一人ではないことに安堵しながら、中に居る人に助けを求めようと教室の扉を開ける為に手をかけ、ふと何か異様な空気を感じた。
――何……?
開けてはいけないような感覚に囚われ、手が止まる。何だか良くないものが中に居そうで、ナツキの本能が開けてはいけない、此処に居てはいけないと彼女に警告する。
その警告に従って逃げ出したい気持ちに陥ったが、足が動かない。
――凄く、嫌な気配がする……っ
真っ暗な廊下を一人で歩いていた時にも感じなかった感覚を教室の中から感じて、手が震える。
どのくらい時間が経ったのか。長かった気もするし、一瞬だった気もする。ふ、と彼女の前に影が現れて、次の瞬間教室の扉が破壊されそうな勢いで開く。ていうか壊れた。
「……っ」
あまりにも突然のことだったので、彼女はビクリと体を震わせた。そうして恐る恐る視線を前に向ける。
「お前は……」
そこに居たのは、同じ一年七組に在籍している如月颯紀であった。
* * *
――夜が来る。
日付が変わる瞬間、あの世とこの世の境界線が揺らぎ、この身体に秘められた本能がゆっくりと目を醒ます。『人』という面倒な殻を捨て去り、本来の自分が現れる――午前零時、星陵高校一年七組の教室にて。
「――やっぱこっちの方が楽だな」
そう呟いたのは、星陵高校一年七組に在籍している男子、如月颯紀だった。その姿は昼間の時と大きく異なり、髪を背中中央まで伸ばし、頭に大きな二本の角を携えた、異形の姿をしていた。
所謂『鬼』と呼ばれるモノの姿を。
「そりゃそうでしょ。俺達の本性はこっちなんだからさ」
颯紀の言葉に笑って返すのは、こちらも九本の尾を持ち、狐の耳を生やした九重燎。彼らはまさに、昼間夏希がたまに重ねて見えてしまう可笑しな姿をしていたのだった。
だから彼らも同じ。
「そうね。昼間は否が応でも『人』という殻を被らなくちゃいけないから、窮屈だわ」
「ま、しょうがないだろ。昼間はこの血は封印されてんし。つか羽間の奴が居ないんだけど」
「サボり? 遅刻? どっちにしても良い身分じゃん」
氷河咲雪は腰まで伸びる白髪を靡かせ、白崎御影は銀色に染まった髪を掻き揚げながら辺りを見渡して言う。その顔には蛇のような鱗がいくつかあり、目は爬虫類のソレをしていた。黒羽那岐は大きな翼を生やしながら、此処には居ない時任羽間に向けて苛立ちを募らせる。
彼らは皆、人間ではなかった――否、正確には純粋な人間では、だが。
彼らの先祖には、妖と呼ばれる異形のモノが居た。
多くの妖は人間と敵対していたが、彼らの先祖はどれも人と恋に落ち、子を為した。それが代々受け継がれてきて、何世代も経った今でも妖の血は、薄くはなれど残っていた。純粋な人と、時には混血同士で子を為すことによって。だから彼らの親族は皆、この妖の血を受け継いでいると言うことになる。
けれど妖の姿になれるほど血を受け継いでいる者は少なかった。隔世遺伝、先祖がえり――何でも良いが、そういった者はある日突然、唐突として生まれてくるのだ。彼らのように。
彼らは一族の中で重宝された。彼らの親族は皆、自身の身体に流れる妖の血を誇りとしていたから、妖の姿が取れるほど強い能力に恵まれる彼らを大切に思うのも無理はない。しかしその反面、自分達に怯えているのも事実。
大切だと、誇りだと言いながらその目はどうしようもないほどの畏怖、嫌悪で染まっているのを彼らは知っていた。
彼らとていつでも妖の姿を取れるわけではない。妖の宿敵、陰陽師と呼ばれる者達がこの血にかけた封印が解けるのは、午前零時から午前二時までの二時間。その時間しか本当の姿にはなれない。それでも彼らは恐怖の対象でしかなかった。
「羽間のことは良いわ。此処には居なくても、この学校には居るんでしょ。それより、もう来てるのかしら?」
「多分な。気配、感じる?」
「分からない。気配を消すのが特別上手い奴かも知れない」
「まあ、だったら炙り出すだけでしょ」
「ああ」
人との混血である彼らは、当然ながら妖にも受け入れられない。それどころか憎悪の対象でもあった。何せ昼間に妖の血を封印したのは、人である陰陽師なのだから。
そんな天敵と子を為した先祖は『裏切り者』。彼ら自身は『裏切り者の子孫』。どちらも排除すべき存在だった。
彼らの身体に流れる血が目覚めると同時に、妖たちも目覚める。そうして動き出すのだ。人を喰らう為、或いは裏切り者達を排除する為に。
彼らは妖の姿を取れると分かった時から妖たちを退ける役目を担っていた。今宵も、そう。