03

「は、あ……ア、ル……」
「お前はそこで見ていろ。すぐに終わる」
「ま……っ」

 力が入らずに崩れ落ちた彼女に聞いたこともない優しい声で囁きながら、アルガはこちらに向き直った。

「さっきの話、冗談だって言ったが、そっちが嘘だ。俺は吸血鬼。人の生き血を啜る化け物なんだよ。それにワインも本当。今日は本物だったが、いつもは生き物の血だ。入手ルートは秘密だが。それにお前を招きいれている理由も真実」
「そ、んな……」
「だからちゃんと言われていただろ? 此処には決して近寄るなって」

 その言葉と、恐らく初めて見ただろうアルガの笑顔を最期に、意識は完全に途切れた。



* * *



 そうして絶命した少女を前に、夏希は涙を流すことしか出来なかった。
 夏希がこの洋館に来たのは、殆ど死んでしまった少女と同じ経緯だった。唯一つ違ったのはアルガが夏希を家に帰さなかったことだ。
 血は、吸う相手の感情によって味が変わるらしい。吸血鬼に良くない感情を持っていると味は不味いし、逆に良い感情を持っていると甘くて美味しいらしい。だから吸血鬼の容姿は程度の差こそあれ、整っている。見目麗しい者に良くない感情を抱く者は少ない。嫉妬や憎悪も、突き抜けた容姿では逆に抱かないものだ。
 夏希もアルガには好意を抱いた。本来ならばそこで血を吸って殺すのだが、不意にアルガは思ったのだ。この感情をもっと強くすれば――つまりは夏希にアルガに対して恋情や愛情を抱かせれば、味はもっと良くなるのではないか、と。
 そこで殺さずに生かしておいたはいい。夏希にアルガに対して恋心を抱かせたのも計算どおりだった。けれどそこでアルガの予定は大いに狂うことになる。
 それはアルガも夏希に対して餌以上の感情を持ってしまったことだった。
 吸血鬼ということを打ち明けても離れていかない夏希とは上手くやっていけた。血を死なない程度に貰って過ごす生活は穏やかで、今まで得たこともない充実感をアルガに齎した。幸せだった。
 歯車が狂い始めたのは、街の住人が一人、森で道に迷って洋館に訪れた時からだ。
 何故かは知らないが、この洋館には定期的に迷い人が訪れる。前の住人が餌に困らないために施した術式か何かだろうが、興味もなかったし好都合だったからそのままにしておいた。
 夜も遅かったし、迷い人を洋館に泊まらせた。飢餓感は夏希から血を貰っていたおかげでなかったので、餌にするつもりなんてなかったし、夜が明けたら早々に街に帰すつもりだった。そもそも餌にするといっても殺すほど吸い尽くすのではなく、少し血を貰って記憶を消し、街の近くに捨て置くのが常だったのだが。
 けれどその者は夏希の知り合いだったらしく、彼女を街に連れて帰ろうとしたのだ。そこで夏希がはっきりと帰らない意を示していたら、きっと違った。だけど夏希は迷ってしまったのだ。いきなり居なくなって、両親も悲しんでいるだろう。友人も。街が恋しくなってしまった。一瞬のことだったけれど、そう思ってしまったことを、アルガは分かってしまった。
 街に帰ったらアルガのことなんて忘れて、他の男を好きになるかもしれない。同じ時を刻めないアルガよりも、人間の方が良いと思うかもしれない。そんなの。
 心変わりなんて許さない。手放すつもりはない。彼女を此処から出させはしない――もう何処かに行かせてなんてやらない。
 初めて知った恋心は、夏希の一瞬の躊躇いが原因で大きく歪んでしまった。
 夏希の目の前で彼女の知り合いを殺し、使い魔に食わせ、そして彼女を今までより強固に閉じ込めた。彼女の身体に愛を刻みつけ、了承なしに自分と同じ存在にするために術式を施し、血を吸った。
 嫌がる彼女に自分の血が浸透するのは遅く、中々吸血鬼にならないが――それも時間の問題だ。もう既に彼女の身体は陽の光を受け付けないほどに変わってしまっている。唯一つ問題なのは、彼女が吸血鬼になる間、血が吸えないことだった。
 血が吸えなければ飢えてしまう。そこで術式によって迷い込んでくる街の者どもを前と同じように餌とした。前の住人も男だったのか、迷い込んでくる者達は女ばかり。夏希で知った知識を元に少し時間を共有し、話をすることで恋情を持たせ、そして喰らう。アルガに恋する者達の血は甘く、けれど夏希の血には到底及ばなかった。
 それどころか、飲んでも飲んでも足りない。人を殺めるほど飲まなかった彼が、血を全て吸い尽くしても満たされることはない。それはその女が夏希でなかったからだった。アルガは夏希の血でなければ満足できないようになっていた。
 それに気付いた彼は人の血を飲むのは止めた。別に人間の血を飲まなくても、他の生き物の血で代用することも出来る。ただ人の血の方が飢えの感覚を長くすることが出来るが――アルガの場合は逆だったし、他の生き物の血を手に入れることは難しくなかったので、別に問題はない。
 しかし使い魔たちには人の血を吸わせた方が食事の期間を長引かせられるので、迷い人はそのまま餌にし続けた。それを知った夏希は血は自分が提供するから人を殺すのは止めて、と懇願してきたのだ。
 そもそも使い魔たちはアルガの魔力で動かせれば血は必要ない。だが夏希の血が吸えない以上魔力が圧倒的に足りない。だから早く吸血鬼になれと言っても、今まで拒んできた血をいきなり身体が受け入れられるはずもなく。
 そこで夏希は訪れる人たちに二度とこの洋館に足を踏み入れてはいけないと忠告することにしたが、アルガに恋している者達に女の夏希の言葉など届くはずもない。それどころか夏希の顔を見て街に連れ帰ろうとしたり、嫉妬から彼女を傷つけたりなんかした日には、その者はより残酷に殺された。
 夏希にはどうすることも出来ない日々が続いた。身体は今だ中途半端に人のままだ。
 しかも此処何回かは夏希を覚えているものが続いたためか、アルガは夏希を見た者を即座に殺すようになってしまった。だから部屋に篭って会わないようにしていたのに。
 今回の少女だって、アルガにしては長い間生かしていた。夏希と似ている声だったのが理由らしいが、本物が同じ洋館に居る以上、その理由で少女を生かしておく必要はない。
 もしかしたらアルガは彼女と会話することを楽しんでいたのかもしれない。彼女がまた昔のアルガに戻してくれるかもしれない。こんなことになってもアルガのことは嫌いになれなかったから少し悲しかったが、それでも良いと思った。それなのに。

「私の、所為で……」

 姿を見せるつもりなんてなかった。いつもならばもう帰ってる時間だったから、油断した。すぐに隠れたつもりなのに、見られてしまっていて、それで。
 涙を流す夏希を、アルガは後ろから抱きしめる。

「お前の所為じゃない」
「アルガ……」
「愛してる、夏希。お前以外何もいらない。お前を俺から奪う奴は全員殺してやる。これからもずっと」
「貴方の傍に、ずっと居るって……そう言ってるのに……」
「お前はそうでも、他の奴はそうじゃない。無理矢理お前を連れ帰ろうとする奴ばかりだ。お前は自分の意思で俺の傍に居るっていうのに」
「……」
「早く俺と同じ存在になれ。そうしたら、ずっと長い間共に在れる。他の奴等ももういらない。この洋館周辺にかかっている術式も解くから、お前が憂うことも無くなる」
「……アルガ」

 そう言って優しく唇を重ねてくるアルガに、夏希はそっと目を閉じる。
 逃げるなんて言わない。ずっと傍に居るという言葉は本当。だから。
 あの頃のアルガに戻って欲しいと、そう叶わぬ思いを抱きながら、彼女はアルガの口付けを受け入れた。
 そうして彼女は逃げることの出来ない鎖に繋がれたまま、ずっと。





End.
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