01

「――ねえ、君にあげる」

 それは何時の出来事だったか、もう思い出せない。それでも消えない記憶というものはある。

「君に、全部、あげる」

 思い出せるのは、赤。真っ赤に染まった自分の身体。腕の中の身体。とめどなく流れる液体を止める術など知らなかったから、何かをすることは出来なくて。
 それでも腕の中で笑う男は、何かをしてほしいとは言わなかった。
 ただ、あげると。僕の全部を君にあげると、それだけを繰り返して。
 そして、彼女は。



* * *



「――悪魔?」
「そう。最近、出るって」

 雲一つない晴天だった。風も吹いておらず、日差しもそうキツイものではない。暑くもなく寒くもない今日の気温はとても好ましいもので、だから夏希はいつもならばしない、目的地のない散歩をしようと思い立った。
 目的地のないままで歩くのは苦手だ。何処に行ったらいいのか分からなくなる。だけれどこんないい日にただ引き籠っているのも勿体ないと思ったので、適当に着替え、必要最低限のものを持って、外出した。
 そういえば引っ越しをして以来、自宅の周りを探索していない。どうやら個人経営のカフェテリアや店も多いようだから、今日はそこら辺を中心に回ろうと思った。遠出すれば、帰ってくるのが大変になる。この辺の地理に詳しくないので、車など出したくはないし、運転はいつも同居人にやってもらっていたから、あまりしたくはない。
 ということで迷わない程度に適当に歩き、小物を売っている店などで買い物し、足が疲れてきた時に丁度あった店に入って、カウンターに座った。カフェオレを頼み、ホッと一息。
 そこで隣に座っていた二人組の会話が聞こえてきたのだ。

「昨日も路地裏で無残な死体が発見されたとか。これで六件目だよ」
「でも、それだけで悪魔の仕業だと決めるのは早計なんじゃないの?」
「いやあ、けど人間には出来ないような殺し方だって聞いたよ。四肢が引き裂かれて、ぐちゃぐちゃ。見るに堪えないものだったって」
「ふうん?」
「だから誰かが悪魔を呼び出したんじゃないかって、専らの噂だよ。死体は悪魔に捧げる生贄じゃないかって」
「へえ」

 相槌をうっている方はどうやらそんなに興味はないらしく、対応が適当だ。しかし情報を提供している方は、そんな相手の対応にこそ興味がないようで、構わず会話を続けている。
 夏希はカフェオレを一口飲んだ。別に会話を聞くつもりなど毛頭ないのだが、距離が近いうえに声も大きいので、勝手に入ってくるのだ。

「それで、エクソシストを呼んで祓ってもらうんだって」
「祓うってさあ、何処にいるのか分かってんの?」
「さあ? エクソシストならそういうの分かるんじゃない?」
「そういうもん?」

 ウェイトレスを呼んで、チーズケーキを頼んだ。何となくメニューを見ていたら食べたくなったのだ。注文をしてから数分経たずにケーキはやってきた。小さく切り分けて一口。うん、美味しい。
 その間も隣の二人組の会話は続ていたが、既に夏希の興味はなくなっていたので、どんな会話をしていたのかは覚えていない。ただ彼らの会話に出てきた単語を一つ、反芻する。
 ――悪魔、ねえ。
 悪魔。人間を誘惑させ、堕落させるもの。美しい容姿で、甘い言葉で、あらゆる手段で魂を手に入れようとする。それは他人のだったり、自分を呼び出した人間のものだったりするらしい。それが夏希の知っている悪魔の知識だ。
 悪魔と契約を交わせば、超常的な力を使えるという。その代償が寿命だったり魂だったりするが、そこまではよく知らない。そもそも夏希は悪魔と契約を交わしたことはないのだから。
 対してエクソシストと言えば、悪魔を祓う力を持っている者たちのことだ。神を信仰し、洗礼を行うことで悪魔を退治する。悪魔祓い、というものだ。彼らはこう言っていた。誰かが悪魔を呼び出したので、エクソシストを呼んで、祓ってもらうと。

「……」

 まあ、夏希には関係のない話だ。悪魔に狙われることなど、そうないのだから。そして悪魔に狙われなければ、エクソシストにも会うことはない。そう思い、カフェオレとチーズケーキの代金を支払ってから、店を後にした。
 隣に座っていた二人組は、今だこの辺に出没するという悪魔について語り合っていた。
 さて。店を出たのは良いが、これからどうしようか。特に予定などはないので、もう少しブラブラするか、それとももう帰るか、悩みどころだ。欲しいものも特にはない。うーん、と悩んでいると、背後から声をかけられた。

「もし、お嬢さん」
「はい?」

 振り返ると、そこには金髪に碧眼の、夏希よりも幾分か年上だろう青年、彼女と同い年くらいだろう少女が立っていた。首から下げるのは十字架。服装は神父、シスターに近い。ということは、だ。

「私たち、怪しい者じゃないわ」
「エクソシスト、という存在を知っているかい?」
「はあ、まあ」

 先程の二人組の会話、あれは嘘ではなかったらしい。とはいえ、随分と年若いエクソシストたちだ。夏希の予想では、もっとずっと年配だと思っていた。
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