〔87〕

長いような短いような時間。ドレスローザの空気が変わって行くのをリイムは感じ取っていた。徐々に増すざわめき、混乱の声。
ハッと顔を上げれば、宙を舞うドフラミンゴとそして……巨大化したルフィと思われる人物がちらりと目に入った。
激しい攻防を繰り広げるルフィとドフラミンゴに同じ様にローも体の向きを変える。リイムも体を起こそうと手を地面につける。それと同時に離れる手と手。
ギア4、“弾む男”となったルフィの“ゴムゴムの猿王銃”がドフラミンゴを確実に捕らえていた。ドレスローザ中心街の建物を破壊しながら、勢いよく吹き飛ばされたドフラミンゴをリイム達は目の当たりにする。
「あんなパワーが……あるなんて」
ルフィの怒涛の攻撃でドフラミンゴは何度も飛ばされる。凄まじいパワーに驚いたのはリイムだけではなく、キャベンディッシュもルフィの姿に一瞬言葉を失った。
「…………!何て変わり様だ……!見たか!?あれが“麦わら”か!?すごい強さだ!!」
「まだ奥の手があったのか……だが、覇気を使いすぎてる……」
「ローにも……そう見える?」
「あァ、時間の問題かもしれねェ」
「……」
目を合わさぬままリイムとローは言葉を交わす。地面に体を支えるように置かれた、触れそうで触れない距離感の二人の手。しかし離れてしまった名残惜しさのような気持ちを持つ間などなかった。お互いの視線の先には……一人戦うルフィ。

一方でゾロ達は、鳥カゴの収縮を止めるべくその端へと向かう。フランキーもまたSMILE工場が海楼石であった事を思い出し走り始めた。
しかし各地からの叫びが増していく。病院から運び出す人手が足りない、もう走る事の出来ない老人、子を見失った母……そこにひとりの声が響き渡った。スピーカーを通して聞こえてきた声は元ドレスローザ国王、リク・ドルド3世のものだった。リイムもその声に静かに耳を傾ける。
『……みな、聞いてくれ!!私は元……ドレスローザ国王!リク・ドルド3世……今、この国で何が起きているのかを説明する……現国王ドフラミンゴの始めた“ゲーム”によって……この国は今逃げられない巨大な鳥カゴの中にある……』
国民も逃げ惑いながらもその言葉に反応する。リイムはこの国王も、この国にいる全ての者達もルフィに全てを託している状況なのだと、思い出す。それ程までに、リイムの思考はローと、そして自分自身の事で埋め尽くされていた。
「……」
『突如降りかかった“現実”に感情がついていけぬままただ命を守っている現状だと思う……だがこれは夢などではない!!そして今日起きた悲劇でもない!私達は10年間……ずっと……!!操られるままに生きる“人形”だったんだ……!
これが“現実”なのだ!!だがそれももう終わる!!』
その間にもルフィは攻め続けていたが、鳥カゴは止まる事なく縮む。リイムは傷だらけになった自身の両手を広げ、眺める。私は、どうしたら……
『相対するのは海賊“麦わらのルフィ”!!きっと彼こそが鳥カゴを破壊してくれる男!!勝つも負けるもあとたった数十分!!
……だから何としても逃げのびてくれ!!この縮みゆく国に誰一人押し潰される事なく……走り続けてくれ!!息がきれても!足が折れても!!あと数十分!』
……そう、ルフィはやってくれる。そう思わせてくれるのは今までの彼を見てきたからか、それとも“D”だからなのかと、リイムは思う。

『……生き延びてくれ!!!希望はあるのだ!!どうか諦めないでくれ!!!』

そのリク王の魂の叫びのようにも思える言葉はリイムの心にも響いた。そしてそれは、ローにも。
直後、ルフィがこれで最後の攻撃だと、“ゴムゴムの獅子・バズーカ”をドフラミンゴにぶち込んだ。凄まじい音と共に飛ばされたドフラミンゴの体は王の台地を抉り、巨大な穴を開け止まった。
歓喜に沸くドレスローザだったがそれはほんの一瞬の出来事だった。リイムもローも空を見上げたまま、表情を歪める。鳥カゴは、まだ消えていなかった。
「……ル、ルフィ!」
「鳥カゴが消えねェ……!!」
さらにルフィの覇気が底を突き、大きな体は見る見るうちに縮む。空気が抜けた風船のように飛びながらあちこちにぶつかり倒れ込むルフィ。追い討ちをかけるように、王宮の最上段から突如姿を現したバージェスが、笑いながら飛び降りていくのがリイム達にも確認できた。
「ウィ〜〜〜ハハハ!!“麦わら”の野郎が虫の息!!待ってろ!今殺して奪ってやる!“ゴムゴムの実”ィ〜〜〜!!!」
「あ!」
「あの男……!!」
「ジーザス・バージェス!!なぜ王宮に!」
「……!?」
王宮の台地を駆け下りていく姿に思わずリイムも声を上げる。リイムの耳に微かに聞こえた声、狙いはルフィの能力。
「バージェス、単にメラメラの実を狙ってただけじゃなかったのね!ただでさえ覇気が切れてしまったというのに……ルフィが、危ない」
「……そうだな」
ルフィに近付くバージェス、そして王の台地が突如バキバキと大きな音を立て割れていく。ドフラミンゴだった。戦場と化す中心街、しかし鳥カゴから逃げる人々が目指しているのもまた、中心街。さらなる混乱、巻き込まれては困ると動けないルフィから離れていく人々の中で、ルフィに駆け寄り動けないその体をを起こし、声をかけた人物がいた。
コロシアムの実況、ギャッツ。この対決を“試合”と位置付けるギャッツは協力出来る事はないかとルフィに問い掛ける。その問いにルフィは答えた、10分ほしい、と。
10分で覇気が戻ると伝えたルフィ、その周りにはルフィをドフラミンゴから逃がすべく、コロシアムの大会出場者達が集まっていた。

ローは腕の痛みを堪えながらどうにか体を起こす。横ではキャベンディッシュがルフィの一挙一動に反応し声を上げているが、それに構う事なくリイムの顔を覗きこんだ。
……ローは答えを出せずにいた。リイムへの本当の気持ちはどれなのか。無理矢理にでも連れて行くべきか、それとも……リイムにとっての一番はどれなのか。幾つもの思いが浮かんでは別の思いに上書きされ、肝心の答えにたどり着かない。たどり着けない。
リイムもそんなローの視線に、何となくだが、何を言うか悩んでいるのでは……と、小さく息を吐き出すと自ら口を開いた。
「ルフィの所、よね……私はまだちょっとキツイけれど、じきに動けるようになると思うから、後から必ず行くわ……ほら、あの約束。私、絶対に守るから」
“約束”だと、今もう一度口にしたらローは私の事を少しでも……あの時ローがこぼした、船長としてではない、ローとしての願い。
私を安心させる為とか、そんなんじゃなくて、きっと、嘘じゃないと信じたいあの言葉。嘘だったとしても、言葉にする事で真実になるんじゃないか。リイムは心の中でそう信じて、そしてローに小さな嘘をついた。最後まで一緒に、最後まで、見届けて欲しい……そのローの言葉をリイムは何度も頭の中で繰り返す。
「……大丈夫そうには、見えねェが」
「そっくりそのまま返すわ、その顔と腕で」
「顔は余計だ、そんだけ減らず口叩けりゃァ……ゼェ……問題ねェな」
「だから……そう言ったじゃない」
ムスッと少しわざとらしく頬を膨らましてリイムは視線を逸らす。そんなに辛そうなのに喋らなくていい、とか、行くなら何も言わずに行ってくれていいとか、そんな言葉を飲み込んでリイムはこの永遠のようにも感じた一瞬を耐えた。
「……これを……で……」
「?えっ!?」
ローの微かな声が聞こえ、もう一度、何と言ったのか聞き返そうとリイムが顔をあげようとしたその時。ひやりとした地面に置かれていた手がローの両手で包まれた。
その温もりはすぐにシャンブルズという声と共に、消えた。リイムのその手に残ったものは、あの日ローに渡した幸運のお守り……3つのピアスのひとつ、だった。



目まぐるしく戦況が変わる。ルフィを狙うバージェスにサボが駆けつけ、バージェスは標的をメラメラの実を食べたサボへと変える。鳥カゴが中心へ到達する3分前、ドフラミンゴは怒りでその速度を加速させた。
鳥カゴを止めようとするゾロに加勢する者達、SMILE工場にもフランキーを筆頭にトンタッタ族と、そして覇気を使えない者達も鳥カゴの収縮を止めようと集まる。
ローも腕から血を流し息を切らしながらも、ルフィを運び逃げるギャッツの元へと姿を現した。
マンシェリー姫の能力、チユポポの綿毛により体力の延命措置を受けた者達もそれぞれのすべき事に全力を尽くす。

そんな中、中心街の状況に見入っていたキャベンディッシュ。援護しようと血を流しながらも姿を現したローにルフィを引き渡し、国中に命がけで実況を始めたギャッツの声が耳に入ると彼はすぐに反応を示した。
『“スター”は蘇るっ!!みな!お忘れか!!いや、忘れるわけがない……!!本日コリーダコロシアムの闘技会に!キラ星のごとく現れた……!愉快で!大胆不敵なあの“スター”を!!私は忘れない!!』
「!?スターってまさか……ぼくの事か!?なァ、トラファル……」
ちらり、先程までそこに居たはずのローに向かって話しかけるキャベンディッシュ。しかし、そこには先程まで居たはずの、ましてや到底動けるはずもないであろう、そう思っていたローの姿がなく思わず目を見開く。
「ガー・ロー……!??え!?フランジパニ?な、トラファルガーがいない!どこへ行った!?」
「……ルフィの所へ行ったわよ」
リイムは淡々とキャベンディッシュに答える。どうにか起き上がる事は出来たリイムは、膝を抱えて真っ直ぐに中心街を見ていた。
「なら、フランジパニはどうして……」
どうして、一緒に行かなかったのか……あの傷で動くのは無謀、それを止めなかったのはどうしてか、たくさんの何故がキャベンディッシュの中で浮かぶ。そんなキャベンディッシュの困惑を感じ取ったリイムはぽつりと話し始める。
「……私、嘘ついたの。後から必ず、なんて言ったけどもう、全然ダメで動ける気がしないの。そんな今の私に与えられたのはこの国を救う事でもなくて、ドフラミンゴを倒す事でもない。でも一緒について行って足手まといになるのも……じゃあここで大人しくしてる?それもやっぱり違くって」
「??」
……詳しくはよく分からないがそうか、でも今、フランジパニはここにいるだろう?とキャベンディッシュは大きく首を傾げる。そんなキャベンディッシュの腕を、勢いよく顔をあげたリイムはがっしりと掴む。
「!?」
「私は私の為にも、ローを、ルフィ達の戦いも、この国の行方も見届けなくちゃいけない。それが、今の私の“すべき事”で……例え一緒に……隣にいる事ができなくたって、“約束”だから!だから……!!巻き込まれたついでに、私を連れてって!!キャベンディッシュ!」
「……!!!?」



ギャッツの実況によってドレスローザ中に沸き上がるルーシーコール。リイムはキャベンディッシュにローの姿が見える、でも気付かれない……そんな距離の建物の屋上まで運んでもらっていた。
「いいのかフランジパニ?何かあればここも危ないぞ」
「ええ、その時は……その時よ。あなたはあなたを待ってる人達の所へ。“大スター”」
「……!きみもそう思うかい?そうさ、ファン達がぼくの登場を待ち望んでいるハズだ、ここで華麗に……」
「……ねェ、船長と、私のわがままに付き合ってくれてありがとう。いつか美味しいお酒でもご馳走するわね」
立ち上がりながら身振り手振りで話すキャベンディッシュにリイムは小さく呟いた。別に聞こえていなくても、そう思っていたリイムの声をしっかりと拾っていたキャベンディッシュ。
……感謝、恩、好意……!!そうか、つまりはきみもファンだったのか!そんな事を考えながらもう一度屈み込んだキャベンディッシュは、そっとリイムの頬に付いていた血を拭う。
「フフフ……全く、これだから最悪の世代は……!」
「あなたも大概よ」
「だが……死神……いや……」
ふと頬で手を止めたキャベンディッシュ。その手は顔に触れたままで、何か考え込むようにリイムの顔を眺める。そんなキャベンディッシュにリイムは何事かと、一瞬体が固まる。
視線が宙に浮いたり、眉間にしわを寄せたり、そんな百面相を繰り広げた後にああ!!と、キャベンディッシュは大きく声を上げた。
「な、何よ……」
「きみは案外、“女神”なのかもしれない。これまでの事を考えると……それだ!しっくりきたよ」
「は、はぁ」
「本物の“灰雪の死神”会ってみて、なんだろう、そう感じる事が出来たんだ。楽しみにしているよ、幸運の女神と共に美酒に酔いしれるその時を」
ゆっくりと立ち上がり歩き出したキャベンディッシュの背中を固まったまま眺めるリイム。脳内で何度か繰り返してみるも、聞こえてきた言葉をすんなりと理解する事が出来ずにいた。
「……私が……幸運の……女神?」
リイムは改めてその単語を口にすると、思わず吹き出して小さく笑う。

……あぁそっか。私は私、なんだ。そんな簡単な事も忘れてた。少し前はよくこの言葉を口にしていた気がする。ローの大好きなひと……コラさんに敵わないなんて、そんなの当たり前だ。私は私だから。
ただ、それだけだった。運はいい方、というか、そんな記憶だけを都合よく切り取ってそう思っていただけで、あのピアスのひとつをローに渡したのだって……ただのおまじないみたいな、自分の大切なものを、何となくローには持っていて欲しいって思ったから。
誰かにとっては絶望の象徴かもしれない。だけど私も誰かにとってはあの人、母さんのような……そんな存在になれるのかもしれない。海軍だとか、海賊かなんて関係ない。死神にも、幸運のシンボルにだってなれる。私は、フランジパニ・リイムという存在なんだ。

……それに、また私の所に帰って来たこのお守り。あの瞬間の私は思ったより冷静だった。ローから手渡された事の意味がどちらの意味だったとしても、私はそれを受け入れて……前へ、進む。

リイムは、手を組み固く握り締める。この国の行く末と、ルフィとドフラミンゴの決着と……それを見守るローの姿を、しっかりとその目に映し続けた。



表裏一体

この広い海で、時代のうねりの中で、唯一無二の死神で……そして大切な人達にとっての幸運なのだと、そう思ってもらえるような、そんな絶対的な強さを持った人間に……なれるように。

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