〔88〕

『ひよ……勝者は……!!!……ル゛ゥーーー〜〜〜!!!シィィィ〜〜〜!!!!』
ギャッツの声と共に広がった地鳴りのような突き上げる感覚、それはドレスローザの歓喜の声。びりびりと体を襲うそれらに、これは紛れもなく現実なのだとリイムはその場にゆっくりと、静かに倒れた。
ピントが合わない、それでも認識できたのは一面に広がる……青。終わった……そう静かに呟くと、リイムはずっしりと重いまぶたを閉じる。

人々を捕らえていた忌々しいカゴは、もうない。ルフィがドフラミンゴに勝ったのだ。身も心も……解放された瞬間だった。各々が澄み切った空をその目に映す。その胸中は、誰にも触れることはできない。それでも誰かと、今という瞬間を分かち合う事は出来た。
そこへ……ひらり、ひらりと何かが舞う。ひとつ、ふたつと、真っ青な空から生まれ出てくるそれは、マンシェリーによるちゆぽぽのようにも見えたが、チラチラと太陽の光を反射して輝く、この天気には不釣合いな……白い雪だった。

『風花』……晴天の空から降る雪。見慣れぬ現象に誰もが空へ手を伸ばす。

誰かがぽつりとある海賊の名を呼んだ。戦の終わり、節目に、弔うかのように、静かに降る雪。……歴史の動くその時、彼女は、灰雪の死神はそこにいる。
ただ、いつもと違いがあるとすれば、今日はまるで全てを祝福するかのような、まっさらな、生まれたてのような、そんな言葉が似合う澄み渡った空。リイムを知らぬ人々も、ガレキだらけの国に降り注ぐ白い光に希望を感じ、微笑み合った。
しかし、この現象を起こしたと思われる人物の気配はどこにもない。……顔も見せずにどこへ行きやがった、そんな思いを口にする事なくローは重い身体を鬼哭で支えながら、リイムがいたであろう方角へと視線を向ける。
慌ただしく往来する海賊達を捕まえ話を聞けば、最後にその姿を見た者は少し背の高い建物へと運んだキャベンディッシュだという。証言を元にその建物の屋上へと向かうも、リイムのいた痕跡はなかった。
宿のない海賊達が続々と治療や、海軍から匿ってもらう為に王宮へと向かい始める中、ローは、リイムと出会ったばかりの頃に春島で雪が降った事があったなと、まだ遠い昔ではない鮮やかな記憶を思い起こす。ゾロやロビン達と合流するまで、ローはただ静かに空を見上げていた。

「トラ男くん、リイムと一緒じゃなかったの?」
「一緒、だったさ」
「そりゃつまり、迷子って事か」
それは自分の事?と、ロビンはゾロに突っ込みを入れながら、私達は隊長さんの家で休ませてもらいましょう、とローに説明する。
そうか、と小さく返したローが握り締めた拳を開くと、溶けた水滴がぽたりと流れた。いつしか、雪はやんでいた。
「……まァあいつは神出鬼没だからな、近くにいたかと思っても、すぐにどっか行っちまう。で、またひょっこり現れる」
「そうだな」
そんな会話をしながらゾロはローに肩を貸し歩く。全くこんな時にどこをほっつき歩いてんだとも思うし、こんな時だからか、とも思い小さく息を吐く。散歩よ、散歩……後で会えばきっとそんな答えが返ってくるだろう。つまりは、ひとりになりたいんだろうなと、リイムの胸中を思い浮かべる。
とにかく、小難しく考え過ぎなんだ、リイムだけじゃなくて、こいつらは。もっとストレートに、いや、まァ……それが出来てりゃとっくに……ゾロはチラリと横目でローを見て、すぐに元に戻すとキュロスの家があるカルタの丘を目指した。

一方リイムは、ヨタヨタとガレキに身を隠しながら、時折それに寄りかかり呼吸を整えながら歩いていた。こんな姿を見られたくないというその一心で。それだけだった。
ただでさえ空っぽだった所に、ルーティンとはいえ気分よろしく雪なんか降らせた訳で、それを誰かに見付けでもされた日には目くじら立てて小言を言われるに決まっている……ローなんかは特に。
そう思うとリイムの足取りは自然と中心街からは遠のく。今頃誰かが私を探しているかもしれないとか、いや案外特段気にも留められていないかもしれない、などと考えるとなんだかそれが面白いと思う自分に気付くのだった。
思ったよりも、スッキリしている、そんな事を考える余裕があるくらいには自分は落ち着いているのかもしれないとリイムは思った。小さな嘘とか、あの時の真意とか、これからの事とかは……なるようになるはず、焦らずゆっくり考えたらいいんだ、と。
「でも、やっぱり……きっついわね」
そんな前向きさも疲労には勝てず、リイムはとうとう歩みを止めその場にしゃがみ込む。
素直に他の海賊に紛れて王宮にでも行けばよかったかしら、でもルフィ達は王宮へ行ったら大騒ぎになりそうだけど……などと思考を巡らせていると、背後に迫り来る何かの気配を感じる。リイムは素早く凍雨を握る手に意識を集中させ、目を細めた。



変な感じがする……ああ、私は眠っていたのかとリイムは重い瞼をどうにか開く。覚悟していたよりかは柔らかい光が差し込んでくる。現状を整理しようにも頭はまだぼんやりとしていて、起動させるようにパンッと顔を手で叩く。
どうやら室内に居るようで、窓の外を見れば夜空に月が浮かんでいた。ほっとしつつも感じた人の気配……誰かがいる、体を持ち上げようとすると腹部の傷が痛み、小さな悲鳴と共に再びベッドへと沈み込んだリイムに、その気配の主が声をかけた。
「あ、起こしちゃった?多少の手当てはしたけれど、あまり動かないほうがいいわ……死神、フランジパニ・リイム」
「あなた……ヴィオラ?」
記憶が曖昧ではあるがあの時目の前に現れたのは小人達だった事を、彼女の姿を見てリイムは思い出した。つまるところヴィオラの指示で彼らに保護され、ここに連れて来られたのだろう。なんという失態……思わず両手で顔を覆う。
「ハァ……私とした事が、うっかりしてたわ」
「そんな事ないわ、ちゃんとレオ達と会話を交わしてからよ、あなたが意識を失ったのは。そうでなければきっと、自分で身の安全を確保したんじゃない?」
そこまで見ていたのか、とリイムはふぅと大きなため息を吐き出す。確かに、トンタッタ族達が来なかったとして、あのまま意識を手放せたかと言えば違うだろう。どうにかしてどこかへ身を隠したはず……そんな事を考えているとこちらを見ながらニッコリとヴィオラが微笑んでいて、リイムは面食らう。
「まぁ、そうね……今はとにかく……礼を言うわ、助かった」
「フフ……なんだか素直じゃない人達でいっぱいだわ」
「それは……どういう事?」
どうやら自身が素直ではないという括りに分類されたようで、しかも、どちらかと言えば素直に感謝の言葉を述べたのに……顔に出さないようにしていたものの、リイムの眉間には僅かにシワが寄る。
「あら、無意識?わざわざ中心街から離れるように歩いていたけれど……あなた、西へ向かっていたのよ、西の港へ行くつもりだったかは、わからないけれど」
「……に、し」
思いがけないヴィオラの解説にリイムの眉間からシワは消え去る。そうなのか、とリイムは考える。しかし答えは出ない。ただ、西の港と言えば、作戦を終えた後に落ち合おうと……
「……西、ね。フフっ」
「急にどうしたの?」
「いえ、あなたの言う通りね。私素直じゃないし、おまけに何度も何度も、同じ様な上っ面だけの決意で、強くなった気でいただけの愚か者なの」
「でもそうやって気付いて、振り返って、認められるって事は愚かじゃないと私は思うのだけど」
そう言うと、ハッと思い出したかのように「何か飲み物を持ってくるわね」とヴィオラは部屋を出る。パタリと閉じた扉を眺めながら、リイムは肩の力を抜き小さく笑う。

……彼女の能力の前ではどう取り繕っても無駄なのだろう。ならばと半ばやけくそで思いのままを呟けば、想像以上の返答。本当に今までの……いつもいつも悩んでは誤魔化していた自分がバカバカしく思えてしまう。
「まぁ……開き直った、とも言えるのかしら」
全てを「はいそうですか」と飲み込めるようになった訳ではない。それでも、少し引っかかる何かも、それも私という人間を動かす歯車のひとつなのだと、そんな風に捉えられるようになったのだと、少しだけ思う。
「それにしても……元王女なのよね、いいのかしらね、こんな時に私なんかに構っていて」
目が覚めたとき、彼女の反応は何日も寝ていたようなものではなかった事もあり、そんなに長い時間は経っていないのだろうとリイムは視線を扉へと戻す。するとすぐに、扉はキィと音を立てて、少しだけ勢いよく開く。
「……ええ、あれだけの事があって、他の海賊達はすっかり寝てしまっているしね……お父様達やレベッカもまだ起きてはいたけれど、明日からは本当に、慌ただしくなると思う」
大きな独り言に返事が返ってくる。その言葉に、彼女にとっても長かったであろう一日はまだ終わっていないのだと、聞きそびれていた時間の感覚を把握した。
部屋へと戻ってきたヴィオラの手には、トレイに乗ったポットとカップがふたつ。ベッドの脇の古めかしいテーブルの上にそっとそれが置かれた。
「さすがに、あなたを他の海賊達と一緒に寝かせておくのもと思って……あ、私もついさっき様子を見に来ただけだから。そこでちょうどあなたが目を覚ましたってだけ、だから気にしないで」
「……あなたは寝なくてもいいのかしら?」
「そうね、眠れないというか、まだ眠りたくないというか。だから起きたついでに少しだけ、お茶でもどう?とは言っても、真夜中だからちょっとだけ」

微笑みながらカップを差し出すヴィオラ。別室で手当てしてもらっただけでも充分なのに、わざわざお茶まで……直接的に彼女を助けたりもしていないし、一体どんな意図が……そんな事を考えるも彼女はこちらへとカップを持った手を伸ばしたままでいる。
リイムはふぅ、と息を吐き出し傷口に響かぬように慎重に体を起こすと、差し出されたカップを掴んでヴィオラの提案を受け入れた。



雪解

「……あんなにも……キラキラしていて、もしかしらたドレスローザみんなの涙なのかも、と思った程、神秘的で、美しい光景だった。私の記憶の中の雪は……あまりいいものじゃなかったから」
「……?」
「あなただって聞いたのよ、あの雪。ありがとう」
「そういう事ね。別に……自分の為よ。区切りというか、恒例行事みたいなものだから……って、そんな説明じゃ納得しませんって顔ね」
「フフ、そう見える?」
「……今日という日は、本当に特別な日になった。それは私にとっても、あなた達にとっても。ただ、それだけよ」

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