〔79〕

がくり、急に血の気が引いていったような感覚をどうする事も出来ず、凍雨でバランスをとろうとするも膝から崩れ落ちる。
おかしい、王宮へ向けて進んでいるはずなのに、もう目の前のはずなのにとリイムは頭の片隅で思う。足が動かない。体が、重い……。
近くの瓦礫に体を寄せ、もたれかかる。王宮の気配を必死に探れば、何やら小さな女の子の声と思われる悲鳴がリイムの耳に入ってきた。
それがルフィとローを狙う存在、シュガーの叫び声だった事、それをウソップが阻止した事など今のリイムに知る術はない。
すぐにルフィとローの気配も感じ取るもそれも徐々に薄れて、そして消えた。それがドフラミンゴの下へと向かったからなのか、もう気配を探る力すらないのかはリイムにはもうわからなかった。

ぼやけていく視界。結局私はここまでなのだろうかとリイムは凍雨を握り締め薄っすらと涙を浮かべる。友との誓いも、そしてローへの想いも本当にここまでなのかと。
“コラさん”はドフラミンゴの弟であり、ローの命の恩人で大切な人……それを何とも思わなかったと言えば嘘になる。この気持ちを一体どうすればいいのだろうか。あの時のドフラミンゴの言葉が本当だとしたら私の生きている意味は一体、何なのだろうかとリイムは首にぶら下がったネックレスをそっと掴む。
――私は、私として生きる。そんな簡単な事がこんなにも難しい。ただローが大切で愛しいと想う気持ちがこんなにも、苦しい。ああ、ペンギンは、シャチは……ベポもジャンバールもみんな、どう思うだろうか。私がこんなに女々しくて、こんな思いを抱えて一緒に過ごしていたと知ったら、どう思うのだろう。
でもそれも、ここで終わってしまえばこの気持ちは私だけのモノだ。誰にも知られる事も……そう思ったけど、ゾロはわかってるんだったっけ、気付いてたんだっけ。何でもお見通しな私の大切な幼馴染、ライバル。
でもゾロなら誰かに言いふらしたりなんかしない、大丈夫。けれど、こんな事になるならちゃんと伝えておけばよかったとも思うし、それでローを困らせたまま死ぬのも嫌だとも思う。
くいな、あなただったらどうした?ナデシコさん、ナデシコさんのおかげでたくさん、大切なものを見つけられたわ。
ねぇ、母さん。あなたも私の事、見ててくれた?一度でいいからちゃんと、話したかった。一度でいいから、会いたかった。抱きしめて欲しかった。だから、会いに行っても……
あぁ、でもやっぱり、ローと一緒にいたいな。私、ローと一緒に生きたいって思ってた。それがもう叶わないなんて、やっぱり悔しいかも、しれない。死ぬなら最後まで見届けてからじゃないと約束、破った事になっちゃうよね、母さん――

『バカ娘』
『このじゃじゃ馬女が』

突如、聞いた事のない声とローの声がリイムの頭の中で響く。思わずリイムもハッと目を見開いた。けれどそこにはただ聳え立つ王宮が見えるだけで、その声の主は勿論どこにも見当たらなかった。
「…………?」
リイムは思わず思い体を起こし辺りをもう一度見回す。すると先ほどの悲鳴が原因かわわからないがドフラミンゴの部下が周辺を巡回し、警備を強化しているような状況だった。
「……」
もし、あのまま意識を失って倒れていたら、どうなっていたかわからない。先ほどの声に何となく感謝しつつネックレスをもう一度握り締めると、リイムはひっそりと見つからないよう瓦礫に隠れながら王宮へと近付き始める。
もう一度だけ、そう思いながら少しずつ進む。今リイムの頭を掠めた思いも紛れもない事実で、もう終わりかもしれないと思ったのも本当の事だった。
それでもまだこうして意識があるのなら、歩けるのならば、どんなにカッコ悪くたって最後に悪あがきしようじゃないか。死神として絶望を振りまいてやろうじゃないか……そして、ローとの約束を、果たす。そう思うとリイムの足は無意識に動いていた。

……もう何も、恐れるものは、ない。


4段目、王宮最上階。どっしりとソファに腰を据えるドフラミンゴの背後にはトレーボル、足元には……倒れこんでいる海賊・ベラミー。
そしてその目の前にはしっかりとドフラミンゴを見据えたルフィと、ローの姿があった。
「一応……聞いておこうか。万が一って事もある……二人共ここに何をしに来た?」
ゆっくりと、そう問い掛けるドフラミンゴにルフィとローは迷う事無くしっかりと答える。
「お前をぶっ飛ばしにだ!!!」
「同じだ」
「失望したよ」
笑みを浮かべたまま、ドフラミンゴは二人にそう返す。重苦しい雰囲気の中、ルフィはふとドフラミンゴの足元の人物に気がつく。
「……!!ベラミー!!」
「フッフッフッフッフッ!気になるか……?お前ら昔……モックタウンで戦りあったハズだが、いつの間に馴れ合ったんだ?」
「昔の事はいいんだ、ベラミーを放せ!!」
「……それは“勝者”が決める事、こいつはおれに……殺されに来たのさ」
ベラミーの頭を足蹴にするドフラミンゴに、ルフィはベラミーと交わした会話を思い出す。やがて来るデカイ波を越える為にドフラミンゴの船に乗った事、もう笑わないという事、ドフラミンゴはベラミーの憧れの海賊だったという事。尊敬、しているのだという事。
「これがお前なりの……ケジメなんだよな、ベラミー」
そう呟くとドフラミンゴは倒れているベラミーの頭を掴み、ゆっくりと持ち上げる。陰ってよく見えないその顔から何かがポタポタと落ちていく事はルフィにもローにもわかった。
「勝手におれを慕い……思い通りに事が運ばねェとやけを起こす。人は生まれ持った“性”を変えられない!!
お前はどこまでいこうと、チンピラなんだよベラミー!!!」
グッとドフラミンゴの手に力が入る。ようやく見えるようになったベラミーの顔はボコボコに腫れ上がっており、先ほどから滴り落ちていたものは血と、そして涙だった。
「……!!何言ってんだ!ベラミーは変わった!!」
「……!!も゛うイイ……殺して…クれ゛」
「ベラミーを放せ!!ミンゴォ!!!」
「おい!麦わら屋!!」
そのベラミーの言葉にルフィの怒りが爆発する。思い切り足を伸ばしドフラミンゴへと向かったそれはドフラミンゴが持ち上げたベラミーの顔へとぶつかる。
自身の足で勢いよく顔面を蹴りつけてしまった事実に思わずルフィは声をあげ、ごめんと謝る。そんなルフィの姿と、それに声をかけるローを少し離れた所からリイムは見ていた。
ジッと気配を消して息を殺して……通りすがりに遭遇してしまった敵は、声を上げる間もないほどの速さで気絶させ、騒ぎする事なくここまできた。
ルフィが素直に戦うにはベラミー……モックタウンでロビンと行動する間にルフィが出会っていたあの海賊がやっかいだと、リイムはごくりとつばを飲み込む。
「さっき約束したろう麦わら屋!!怒りや憎しみを出せば敵の思うツボだ」
ああああああと悲鳴を上げるルフィにリイムも少しだけ苛立ちを覚える。だがその苛立ちですらドフラミンゴに気付かれるかもしれないと、必死に感情を押し殺す。
「抑えろ!!それを煽るのが奴の手だ!!冷静さを欠けば命を落とすと思え……!!初戦のおれのようにな!!」
ローの言葉にリイムも一人頷く。今必要なのはそれ以外にない。奴らの話をまともに聞いてはいけないとグッと唇を噛み締めた。
「ドフラミンゴは非情かつ冷酷な男、いつでも一瞬のスキを狙ってる!!」

……ならば、私がアイツの一瞬の隙を狙えばいい。私が、ローの一瞬の隙を見逃さなければいい。その為だけに今私はここに存在するのだと、リイムはひたすらに自分自身に言い聞かせる。
レベッカは側にいる事が力になると言った……そういう方法がある事もわかってはいた。そして、そうなれたらいいと思いひまわり畑を後にした。
だが、今この場面に限っては……そうではない、とリイムは感じていた。
今の状態ではチャンスは恐らく一度きり。それをどう見極めるのか、どこでその全てを出し切るのかで天と地との差が生じるはず。
そして一歩間違えば、ルフィにとってのベラミーのような存在に自分がなってしまう可能性もリイムの頭を過ぎった。ただしローがそれよりも自身の願いを、思いを優先したのならその事態は避けられるはずで、そしてローは迷う事無くそうするだろう、とリイムは頭を振りその不安をかき消した。
「ぷぷ……べーへっへっへっへ!!鼻水でたわ!ひ……瀕死のダチの……顔面を、べっへっへ!!蹴った〜〜〜んねーねー!蹴ったな今!マヌケめ〜〜〜!!」
「何だとォ!!?」
「耳を貸すな!!」
「フッフッフッフッフッ!!“非情”とは言ってくれるじゃねェか、だがそうでもねェさ、おれは充分頭にきてる……お前らのやってきた事を考えてみろ……
パンクハザードの“SAD”の破壊に始まり、ヴェルゴ・モネを手にかけ……シーザーを連れ去り!!このドレスローザじゃ国中のオモチャ達を解放した。今なお一味は“SMILE”の工場を狙ってる……リイムもだ、アイツが今お前らとここへ現れずに、コソコソと隠れて何を企んでいるかと考えるだけで……おれは気が気じゃねェ。もう充分だ」
……何故自分の名を出すのだ、と、リイムは気付かれぬように小さく舌打ちをする。もしかしたらここにいる事もバレているのかもしれない、そうでなければ二人への揺さぶりかもしれないし、もしくは両方、か。
緊張からか、それともドフラミンゴの浮かべる笑みに恐怖を覚えているのか……リイムの手の震えは止まらなかった。しかしその事にはまだリイム自身気付いていなかった。
「怒りを通り越して笑っちまってるだけさ……終いにゃおれの首を取れる気でいる!!お前らが現れてから散々だ……まるで13年前の“絶望”を味わっているようだ!!」
「あの事件がなけりゃおれはこうしてお前の前に現れる事もなかった!!」
「あの事件がなかったらお前は……3代目“コラソン”としてここにいたさ!!」

13年前の“事件”をリイムは知らない。この13年間、ローが抱いていたコラさんへの思いも、“全て”なのだという事以外、リイムは……知らない。
王宮でドフラミンゴに告げられた言葉、ローの背中にはっきりと刻まれた“corazon”という文字、3代目のコラソンとしてローがドフラミンゴの隣にいたのかもしれないという事実……
ローにとっての絶対的存在。コラさんに対する自身の思いに答えを出せぬまま、積み重なっていく真実。気付かぬうちにそれはリイムの心の中で重く、深く、螺旋のように幾重にも絡みついていた。




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