〔74〕

……ああ、どうして今こんな所に、こんな状況でドフラミンゴが現れるのだろうかと、リイムはギリッと唇を噛んだ。嘲笑うかのようなその表情と声がじわじわと毒に侵されるかのように傷口に障る。
リイムにとっては全ての元凶にしか思えない目の前の人物。こんなにも誰かを……殺してしまいたい、と明確に意識した事は未だかつてなかったはず、そう頭の片隅で考えながらもその思いは抑える事が出来ずに気付けば体は動いていた。

「リイム!!」
ルフィが飛び出したリイムを止めようとするも、既にドフラミンゴの目の前にいた。その異様な気配はまさに“死神”。フワリと流れるようにルフィ達の下を離れていったリイムの手に握られた妖気を放つ刀、ドフラミンゴに向けて振り下ろしたそれはまるで鎌のようだった。
「フッフッフ……随分とご乱心だな」
「落ち着いていられるものならとっくにそうしてるわ」
「助けにきてやったってのに……」
「何を言っているのかわからないし、わかりたくもない」
糸で刀を止めているドフラミンゴに向かってリイムはより一層力を入れる。じわりじわりと熱を帯びる傷口にも気付かないまま、押しきろうと踏ん張ったその時だった。
「……!?」
ガクリ、とリイムの体は前へ傾いた。ドフラミンゴが刀を押さえていた力を急に緩めたせいだ、そうリイムが認識したときには既に遅く体勢を立て直す為に刀を地面へと突き刺そうとしたものの、今度は急に体が反対方向へと引っ張られた。
「えっ」
「弾糸!!!」
ぐるりと体の向きが変わり、目の前にはウーシーとその上に乗っているルフィとローの姿。そしてドフラミンゴの攻撃によってウーシーが傷みに暴れもがく様がリイムの目に映った。
「つまらねェ罠にかかりやがって……何が抜け道だ!」
「ロー!ル……フィ!」
ウーシーは体勢を崩し、その勢いでルフィまでもが井戸の水に浸ってしまう。さらにはリイムはドフラミンゴにしっかりと抱え上げられておりどうにか逃れようとするも傷口の痛みに気付き思わずその顔を歪めた。
「この危機感のなさ!!くだらねェ!!これじゃあ誰にでもお前らを殺せる!!外で俺の首を取ろうって奴らが暴れてんなァ……この状況でよく味方を得たものだ!!」
「……」
「その特殊な力には頂上戦争から一目置いていた……だが当の本人がこの間抜けさだ!!なぜコイツを選んだ、ロー!!お前はもっと見込みのある男だった……ガキの頃でさえもっと冷酷で!もっと狡猾だった……違うか!?」
……もう、聞きたくない。リイムはぎゅっと目を瞑った。この男がローの事を語る事が嫌で、知らない事を知っているのが疎ましくて、もしかしたら今頃……ローがドフラミンゴの右腕だったかもしれないという可能性に吐き気がした。
それらがただの嫉妬だという事にもリイムは気付いていた。けれど、もうそれを抑えられるほどの余裕がなかった。どうにかドフラミンゴから離れようとするもやはり力が入らずにリイムはただ聞こえてくるドフラミンゴの言葉を処理していくしかなかった。
「一体誰がお前をこんな腑抜けにしちまったのか!!」
「黙れ……!!俺はお前の様になる気はねェ!!俺は救われたんだ!!」
「……フッフッフッ!我が弟“コラソン”にか!?腑抜けてねェなら!!なぜこんなつまらねェ死に方をする!?……こんなお前に心底惚れてついて行ったリイムが不憫で仕方ねェな!」
「……っ!!」
この男は何を……言っているのだろうか、と、そこでリイムの思考は一瞬止まった。確かに簡単に、端的に言えば惚れているという事になる、けれどローへの気持ちはそんな一言で済むような想いではない。
それを、他人が……ましてやドフラミンゴの口からローへと伝わってしまった事実。これはどうしたものかと再び動き出した頭で考えるとすぐにリイムはローの言葉を思い出した。何があってもこの男のいう事を間に受けるな、という言葉を。ならばローも、ドフラミンゴの今の発言を本気に取る事は……ないだろう。
どうにかその結論に到ったリイムは、ふと背後で気配がするのを感じ取り身構える。予想通りドフラミンゴにつっ込んできたジェットとアブドーラに、ドフラミンゴから離れるチャンスだと刀を握る手に力を入れた。

「やめろォ!!麦わらさんに手をだすなァ〜〜〜〜〜!!」
ドシュッ!!と二人の攻撃はドフラミンゴに直撃する。しっかりと抱えられていた手の力も緩まったのが分かるとリイムはすぐさまドフラミンゴを払い除けるようにして地面へと下りた。
すぐに反撃の構えを取らなければと凍雨を支えに着地するも、一気に駆け抜けた激痛にしゃがんだ状態でいるのが精一杯で思わず声にならない声を上げる。
「〜〜〜っ」
「しっ、死神!まさか俺達の攻撃が当たって……!?」
「そんなヘマ、しないわ」
「……お、お前ら」
「ご無事で!?麦わらさんっ!!」
水に浸かってしまったまま力なく声を上げたルフィ。傷口を押さえながらその声の方へと顔を上げようとしたリイムだったが、それよりも先に目の前のドフラミンゴが不気味に笑う姿が目に入る。
その姿にリイムが違和感を覚えてすぐに、笑い声と共にドフラミンゴの体はするすると糸状になると下半身を残してその場から消えてしまった。
「……ドフラミンゴ」
「やっぱり分身の方か……!!“糸人形”だ!!」
「糸で……そこまで」
ひとまずは消えたドフラミンゴの気配にリイムは壁にもたれるとその残された下半身の形をした糸を見つめる。本当に何の為にここへ現れたのだろうかと考えるも答えはひとつしか思い浮かばずに小さくため息をついた。
「何だか知らねェがとにかく引き上げろ!!」
「助かった、ありがとう……!!」
「イヤイヤイヤイヤ!!」
バシャバシャと水の中へ入りウーシーを引き上げるジェットとアブドーラに、こんな時、能力者でなければ真っ先に助けに行けるのにと、今まで何度そう思ったことだろうかと思った所で、ゾロの言葉が頭を過ぎった。
『そんな事言ってもお前はもう能力者なんだから、そうでなければ出来ない事を考えろ』そう眉間にシワを寄せながら小突かれた事を思い出しそれについての思考を止めた。
「しかしコレ……下半身!?どうなってんだ?俺達もしや大物を討ち取ったのか!?」
「バカ……ニセ者だ!!……冷やかしにでも来たのか……!!?」
少し前の自身の考えの答え合わせのように発せられたローの言葉にリイムはやっぱりそうなのか、と、気付けば少し震えていた手を握り締めた。
「実はさっきのケリー・ファンク!あの野郎俺達をダマしてやがったんだ!!それがわかって俺達奴を止めようとしたら……まさかのドフラミンゴ!!」
ルフィに事の経緯を説明する二人の背中。その奥に見えるローをリイムは一瞬視界へと入れる。このまま……側にいる事は果たして彼の役に立つのだろうか。このままではただの足手まとい、なのではないのだろうか。
リイムは目を閉じて思う。今きっとドフラミンゴに挑発でもされたら恐らく抑えることはできない。そうしてただ自滅するだけのような気さえ……
「……そんなの、最悪」
誰にも聞こえる事のない呟きは井戸に消え、リイムは体をギュッと丸めて膝を抱えた。

「あの殺し屋ケリーが一瞬で消されちまった!!気をつけねェとどこに敵がいるかわからねェ!!」
「……!!じゃあまるで俺達ホントにあいつに助けられたみてェじゃねェか!バカにしやがって!!……外はどうなった!?キャベツ達は!?」
「完全に遅れを取った!もうみんな2段目だ!」
「ひまわり畑へ近道できると思ったのに!!」
「……おい、リイム」
ローはルフィ達の会話を聞きながらも、先ほどから動く気配の感じられないリイムが気になり声をかけた。ルフィもすぐにリイムへと視線を移すもリイムはうずくまったままだった。
「リイム、お前大丈夫か!?」
「……死神?」
「……」
反応のないリイムにローは体を上げる。その視界に入ってきたリイムの姿に一瞬目を見開いた。いつも見てきた、この数年間は誰よりも側で見てきたハズのリイムの姿。けれどローの瞳に映るそれは、いつもの姿よりはるかに小さく、弱弱しく見えた。
「リイム!」
「……、あれ?どうして全員こっち向いて……あっ、もしかして何度か呼んでた?……ごめん、ちょっとボーっとしてたかも」
「大丈夫か!?」
「ええ、大丈夫よルフィ、早くひまわり畑に向かわないと、って事よね」
「おう!キャベツ達に先越されちまってるんだ!」
ようやく顔を上げて笑ったリイムはもういつものリイムだった。立ち上がりゆっくりと近付いてくるリイムを誰も何とも思わない中、ローだけが胸に残る違和感を抱えたままでいた。
「よし、行くぞ!」
「行くぞって、戻らないの?」
ウーシーから降りるとローを抱え上げたルフィはチラリと頭上を仰ぐと再びリイムを見た。リイムもなんとなくルフィの言わんとする事が理解できたので顔を傾け微笑みかけた。
「了解、行きましょう」
「おう!!ゴムゴムのーーー!!象銃!!!」
繰り出された強力な拳にガラガラと井戸の中には瓦礫が降り注ぎ、光が射した。上へ向かうのであれば単純に上に道を作ればいいというルフィの考えだった。
その穴からは一気に風が流れ込み、リイムは思わず見上げて大きく息を吸う。それをゆっくりと吐き出した頃にはもやもやとしていた気持ちはほんの少しだけ、軽くなっていた。
「よし!!お前らウーシーの手当て頼んだぞ!」
「ホントに抜け道になったーっ!!!」
大きく開いた穴に向けて、ルフィは飛び上がろうとする。リイムはルフィが浮いた瞬間にその腰に手を回してしっかりと掴んだ。
「だァーーーーー!!!!」
飛び上がったルフィはあっという間に地上へと到達する。穴を覗き込んでいたと思われる者達が勢いで吹き飛ばされていくのがリイムには見えた。
「!!!」
「ぎゃ〜〜〜!!」
「ミンゴ〜〜〜〜!!!すぐ行くぞコノヤロー!!」
「麦わらとローだァ〜〜〜!!死神も!」
「つーか、リイム!お前飛ばないならそう言ってくれよ、最初から担いだのに」
「特に問題ないかと思って、それより、進みましょう!」
「まァそうだな!行こう!!」

王宮のふもと、2段目を走りながらつい先刻のまるで頼りない弱気な自分をリイムは思い出す。あれは井戸の薄暗さのせいだったのだと言い聞かせながら、4段目を真っ直ぐ見上げようとすると見た事のある眩しい何かが目の前に現れた。
「あれは……!」
「おい麦わら!!」
「キャベツ!何だよ邪魔すんな!」
「僕の作戦を聞け!!……フランジパニ、君もだ!」
「……?」
馬に跨り颯爽と現れたキャベンディッシュがそう告げる。顔を見合わせたルフィとリイムだったが、とにかく早くファルルに乗るんだ!と跨る愛馬を指しながら叫ぶ姿にひとまずその背に乗る事にした。
目指すはひまわり畑のある4段目。ぎゅうぎゅう詰めのファルルの背の上で、行くぞとキャベンディッシュが声を上げるとルフィもああ、急ごう、と頷いた。
リイムは、この先に何があってもどうなっても……絶対に後悔だけはしないようにと、頭の中で何度も何度も呪文のように繰り返した。




渦巻く灰

「状況が状況だが……こうして君をファルルに乗せる事が出来て僕は嬉しいよ」
「……」
「なんだいその顔は!!」
「狭い暑苦しいその帽子のもっさりしてるのが顔に当たって不快、邪魔」
「っ……、君の普段かぶっている帽子にだって尻尾がついてるだろう!?それと一緒だ!」
「全く違うわ、ローもそう思うでしょ」
「あァ」
「コレだから!最悪の世代は!!!」

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