〔70〕

ルフィとゾロの背後に立ったその男の顔。視覚へと入ってきた王子の様な風貌という情報の後、リイムの脳裏には一枚の手配書の写真が思い浮かんだ。一時期世間を賑わせていて、連日新聞にも取り上げられていた事を、リイムは少しずつ思い出す。
「海賊狩りのゾロか……そして」
「なんだ!?こいつは!」
その男……白馬のキャベンディッシュは、刀を構えたゾロの横を通過し徐々にリイムとローの側へと近付く。
寝転がったままのローと、そのすぐ側に寄り添うようにしゃがみ込んでいたリイムの目の前でキャベンディッシュは足を止めた。一瞬目が合って、鋭い視線を自身に向けられたような、そんな事をリイムが思っているとキャベンディッシュはスッと口を開いた。
「トラファル…」
「……??」
「ガー・ローォ!!!」
ザッと剣を抜いて振りかざしたキャベンディッシュにリイムはとっさにローの腕を掴む。真っ直ぐに向かった剣筋からローをずらそうとするも思うように腕に力が入らずに、それならば刀を抜こうと凍雨を手にするとすぐにルフィがリイムごとローを引っ張った。
ガキィン!!とその剣は地面を叩きつける。ルフィのおかげで間一髪避けたリイムとローであったが、キャベンディッシュの殺気はおさまっていない。
「僕の人気を返せ!!“最悪の世代”ィ〜〜〜!!!」
「何すんだ!!コイツら俺の仲間になったんだ!!」
「なってねェよ!!」
なんともルフィらしいコメントに反応してつっ込みを入れているローをリイムは少しだけ笑うのを堪えながら見つめた。それにしても、この白馬のキャベンディッシュとは初対面のハズなのに何がそんなに気に入らないのだろうか、とリイムは事の行方を見守る。
「何だ、まだ俺を恨んでんのか!?」
「いや、キミ達“麦わらの一味”はもう狙わない……なぜならキミ達の仲間“ゴッド・ウソップ”に」
「……ゴッド…?」
「僕は人生を……救われたんだ、彼の勇姿は忘れない…!!見てはいないが」
ルフィはそのキャベンディッシュの言葉に、仲間を誉められると嬉しいな、とニコニコと笑顔を見せる。一方リイムはルフィを狙っていたキャベンディッシュだったが、ウソップにピンチを救われた事によって一味を狙うのはもうやめたという事なのだろうと何となく理解する。
と、同時に、何故ローの事をあんなに血相を変えて狙ってきたのだろうか……とその美しく整った顔を眺めていると、再びパチリと視線が合った。
「それにしても、“死神”」
「……私が、何か?」
フッと視線を落として哀愁漂うような表情を浮かべたキャベンディッシュにリイムも、そしてローまでもが疑問で顔をしかめた。自分との接点はないはずで、一体何だ、とリイムはその続きを待った。
「……君が一人海に出てきたあの頃、僕はなんて高貴な精神を持った海賊が現れたんだと興奮したものだ」
「……??」
「わからないのかい?君の事を言っているのだよ、フランジパニ」
「ロー、私彼の言っている意味がよくわからないのだけど」
「安心しろ、俺もだ」
顔を見合わせてキャベンディッシュの言葉を疑問に思うリイムとロー。しかしうっとりとした表情を浮かべながら、お構いなしにキャベンディッシュは話を続けた。
「海賊と名乗りながらも独り海を進み誰も寄せ付けず、その流れるような美しい刀さばきと、まるで天候が味方するかのような空に愛された海賊。君が紙面に写っているそのほとんどが雪景色で……
いつからか付いた異名は“灰雪の死神”。僕は死神というのはとても気高く美しいものだと思っていてね、死と再生を司る神……まさに君にピッタリの」
「結局、あなたさっきから何が言いたいのかしら」
「……そう……それ、なのに…がっかり、してるんだよ!!」
ぎゅっと剣を握り、わなわなと震わせながらそう叫んだキャベンディッシュにリイムは開いた口が塞がらなかった。この男は何を突然言い出すのだろうか、と。勝手なイメージを並べられてがっかりされても、とリイムは困り果てた。
「気付けば新聞は君達ルーキーの話題ばかり…そんな中で君は麦わらの一味を助けたり、挙げ句トラファルガーの海賊団の副船長になってしまっていたじゃないか!!」
「それが何か問題でも?」
「問題なら山程あるさ!!僕が紙面に出なくなってしまったのもそうだけど、君とはいつか話がしたいと思っていたのに……あの頃の君と!!」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、お前リイムの何を知ってるってんだよ」
「トラファルガー……君はフランジパニとは恋人同士だそうじゃないか!!」
思うようにいかない苛立ちをぶつけるかのように話すキャベンディッシュにさすがのローも痺れを切らせる。ゾロも面倒そうにそのやり取りを見守っていたが、ついキャベンディッシュの言葉に反応して小さく言葉を漏らした。
「それ、さっきあの野郎に嘘だって言ってたよな」
「ああ、あの時の……聞こえてたのね、ゾロ」
その二人の短い会話に、ローは薄っすらとしていて曖昧なあの時の意識を必死に思い出そうとする。おそらくドフラミンゴとの駆け引きの中で偽りの関係である事を明かしたのだろう、と考えながら隣のリイムの横顔を見つめる。しかしその表情はよく分からずに、ただ小さくため息を付いたのだけが分かった。
「……!そう、だったのか?あんなに人前でイチャイチャしておいて!!?」
「人前だから、よ……そのほうが色々と都合が良かったのよ、お互いに」
そのリイムの言葉に何故か心臓がギュッと掴まれたような、嫌な脈の打ち方をしたのをローは感じた。それでも、事実はリイムの話す通りでローはそれについては何も言う事が出来なかった。
「……そうか、それならば副船長をしているというのも、何か考えがあっての事なのか?君はあのクロコダイルが率いる組織にいた事もあるそうじゃないか。
悪魔の子、ニコ・ロビンともその頃からの付き合い……君がそういったつながりを作ってまでこの世界で何を目指しているのか、僕は是非とも知りたいね」
未だに何かを……というこの手のセリフは聞き慣れたものの気分は良くなく、先程から自身に関してをアレコレと述べる目の前の男にリイムはうんざりしていた。
ため息混じりにキャベンディッシュを一瞬視界に入れ、すぐにそらすとリイムは隣でルフィに起こされて座っていたローの方へと体を向けた。

「……?」
向かい合うような形になったローは、一体何だろうかとリイムの顔を見つめる。だがすぐに、リイムが地面に手をついて身を乗り出したのが分かった。だが、その行動が何なのかはすぐには理解出来なかった。
身を乗り出したリイムは片手を地面につけたまま、もう片方の手をローのフードに伸ばす。すぐに掴んだフードを引っ張ればローの体は前へと傾いた。
それがローにとってはあまりにも長い時間のようにも感じられた。スローモーションで近付くリイムの顔。その肌には無数の擦り傷と、頭部から流れたであろう血が乾きこびり付いていて痛々しく映る。
ゆっくりと閉じられたその瞼に、こんなにまつげが長かっただろうか、とローは思う。そして左耳のピアスに何故か少しだけ安心感にも似た何かを覚えたと同時に、ほんのりと血の味が広がっていった事に気が付いた。
「……!!」
「なっ!」
キャベンディッシュの驚いたような声が響く中、リイムはローのフードを掴む手を離さなかった。
今まで、人前で恋人を装う為のキスなら何度かしてきた。それでもそれはいつもローからで、自身からした事など一度も、なかった。
ローもこの状況に色々と矛盾が発生している事に気付きながらも、リイムのキスに答えるようにその行為を続ける。船の前で別れた時のそれも似たような事が言えたのだが、決定的な違いは偽りの関係である事が露呈した今、人前であろうと恋人であると装う必要などまるでない、という事だった。
名残を惜しむかのようにそっと離れた唇。ほんの数秒、ローとしっかりと視線を合わせた後、リイムはバッとキャベンディッシュの方へと振り返った。
「キャベンディッシュ……あなたが私に一体どんな幻想を抱いてるかは知らないけど、それを勝手に押し付けるのはやめてもらえないかしら?私はあなたが思うほど美しくなんかないし、神みたいな存在でもなくて、ただの一人の人間なの」
「……」
「わがままで、自分勝手で、欲張りなだけのただの海賊。恋人だろうとそうでなかろうと、私が望んで今こうしてこの人の隣にいて、そんな私を分かってくれてるのもこの人なの。あなたのイメージとは全然違うでしょう?ごめんなさいね」
「……フッ」
「?」
「フフフフフフッ」
リイムがつらつらと思っている事をぶつけると、キャベンディッシュは一瞬何か考えた様な表情を浮かべたが、すぐに笑みをこぼし、不敵な声が辺りに響いた。
そんなキャベンディッシュの姿をリイムは不思議そうに眺める。一体この人は何なんだ、と。一体何に笑っているのだろうか、と。
「フフッ、そうやってそう言い切れてしまう所がまたなんというか……変わったように見えていたけれど、そうか、そういう事なんだね。そうとなるとトラファルガー、君にそれだけ人を惹きつける魅力があるって事になると思うんだけど……そういえば」
一人で勝手に納得したかのように数回頷いたキャベンディッシュが何かを思い出したかのようにごそごそとマントの内側に手を入れた。
「なんだ、結局キャベツは何が言いたいんだ??」
「あれだ、ファンなんだろ、リイムの」
「そっかー」
のんきにそんな会話をするルフィとゾロを横目に、とにかく一人で忙しい男だなとリイムは呆れ顔でキャベンディッシュを眺める。すると彼の脇から見慣れた物が取り出されて思わずあっと声をあげた。
「……それは!」
「トラファルガー、これはそんな魅力抜群な君の帽子だろう?コロシアム前に落ちていたぞ……被せてやろう……さァ首を出せ!!!」
そうして取り出されたローの帽子、しかし反対の手にはしっかりと剣が握られていて、その表情と声からは再び殺気が溢れ出ている。ジリジリと詰め寄るキャベンディッシュに堪えきれずにローもつっ込みを入れた。
「お前俺の首を斬る気だろうが!!」
「いや…、まァいいだろう」
「えっ!いいの!!?」
「僕は今忙しいんだ」
「ペラペラと喋っておいてよく言うわね」
急に大人しく帽子を差し出したキャベンディッシュにリイムは拍子抜けする。先程までのやり取りは一体なんだったのだろうか、と思いながらもその帽子を受け取るとローの頭にそっとかぶせた。何だかんだいって見慣れたその姿にリイムは誰にも分からないように小さく笑みを浮かべた。
「……やっぱり帽子があったほうがしっくりくるわね」
「そりゃお前もだろうが」
「そうかしら?」
そんな話をしている横では、キャベンディッシュの話が続いている。ひとまず帽子を返して満足したのか、その視線はルフィへと向かっていた。
「僕は君達への恩返しにドフラミンゴの首を取る事にしたんだ、フフフッ……君らはどこかに隠れて」
「いいよそれは!俺がやるから!!俺こそレベッカに弁当おごって貰った恩があんだ!!」
「!!?お前の戦いの根元メシだったのか!!」
自信満々に弁当の恩だと話すルフィにつっ込みを入れるローの姿にリイムは堪えきれずにクスクスと笑いをこぼした。……本当によかった、と。まるで死に向かっていたように見えたローがこうして今、人様につっ込みを入れる余裕があるのだ、とホッと胸を撫で下ろしながら。
「フザけるな!その手にはのらないぞ!!ドフラミンゴを討ち取り更なる人気を得ようというんだろう!!」
「何だ人気って!!?」
「考えてもみろ、ドフラミンゴ程の凶悪な海賊を倒せば新聞社が放っておかない!!」

やいやいと言い合うルフィとキャベンディッシュの話も余所に、ローは笑うリイムに向かって突然倒れこんだ。その衝撃で一瞬傷口が痛んだリイムは文句のひとつでも言ってやろうかと口を尖らせる。
「もう、急に何よ!……って…もしかして、どこか痛むの!?」
倒れたまますぐに反応しないローにもしかすると容態が悪化したのではという心配がリイムの頭を過ぎり、そっとその体を抱え込んだ。しかし顔を覗き込めば、当の本人は薄っすらと笑みを浮かべており、リイムは思わず顔をしかめた。
「いや……それよりもひとつ、聞きてェ事があるんだが」
「……何かしら」
「さっきの、アレ」
そこまでローが発した所でリイムはさっきのアレが何の事かを理解し、話しを続けようとするローの口をとっさに手で塞ぐ。その手を振り払おうとわずかに頭を動かすローに、リイムは少しだけ自身の手が震えているのを感じながらも、どうにか声を絞り出した。
「……私も、聞きたい事があるの」
「言ってみろ」
「船の前で、別れた時」
「そりゃアレだ、そうしたかったからしたまでだ」
「そ、そう……」
「リイム」
質問の答えに何と返せば良いか分からずに視線を泳がせるリイムの名前をローはその腕の中で静かに呼んだ。
「リイム、お前があの時、俺の目の前で血まみれで倒れていった時、思ったんだ……どうしてお前の側にいなかったのか、どうしてお前は大丈夫だと思い込んでのか」
「……」
その言葉にリイムは、それは自身も同じで、あの時ほど、ローのそばにいなかった事を後悔した瞬間なんてないにのにと悔しさを滲ませながらグッと唇を噛み締めた。
「お前がドフラミンゴとの相性が悪ィ事だって、アイツが空を飛んで俺の前に現れるまで失念していたし」
「ロー」
「お前はゾロ屋と一緒にいればきっと大丈夫だって、俺は勝手に」
「ロー!!」
「……お前が笑うと、思い出すんだ」
「……?」
「なァ、リイム」
もう一度リイムの名前を呼んだローは、その腕の中で大きく息を吐き出すとそっと静かに目を瞑った。






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