〔60〕

目の前で一瞬で起こった出来事を、ゾロは未だに理解する事が出来ずにいた。
「まさに死神だなァ!リイム!」
「……っ」
「お前は人を不幸にする…自分でそう思わないか?」
血だらけのリイムにそう呟くドフラミンゴに、ゾロの脳裏には海岸で交わしたローとの会話が過ぎる。
そしてつい先程、リイムまでもが同じ様な事を言い出し、こいつらは一体何をしてるんだと思った直後。
気付けば目の前でぐったりとしている二人に、何とも言いがたい感情がゾロの胸を襲う。

「騒がしくしてすまなかったな!!“七武海”海賊トラファルガー・ローとその部下フランジパニ・リイム!
こいつらが今朝の王位放棄誤報事件の犯人だ!!俺を引きずり下ろそうとしていたが……」
悲鳴が上がる周辺の住民達へそう説明し始めるドフラミンゴ。
「安心しろ、今退治した!!」
「そうだったのか!!」
「ドレスローザがメチャクチャになる所だった!」
わあああああと声が上がり、一方で電伝虫からは何が起こったのか問うサンジやウソップの声が響く。
「おい!!ミンゴォーーー!!!お前よくもトラ男とリイムを!!」
「麦わらァ……てめェにとやかく言われる筋合いはねェ……ローは元々俺の部下!!ケジメは俺がつける!!」
そんなルフィとドフラミンゴのやり取りにようやく思考が動き出したゾロは、ドフラミンゴへと瞬時に駆け出す。
「キン!トラ男を運べ!リイムは俺が」
「承知した!!」
そのゾロの動きに周りの海軍も動き出そうとした時、一人の男がそれを制する。
「海賊狩りに…狐火の錦えもんだな!?モモの助らしきガキをさっき船で見かけたぞ」
「のるなキン!渡しゃしねェ!」
「無論でござる!!」
振り返りゾロと錦えもんと対峙したドフラミンゴはいつもの様に不気味に笑う。
そんなドフラミンゴを越えてリイムの元へと急ごうと刀を構えたゾロだったが、突如何かがその行く先を遮る。
ガキィン!!!と音を立てて刀に刀がぶつかる音が響き、それが先程の盲目の人物である事に気付くと同時に
ゾロは何か重力でも掛かっているかのようなその力に思わず歯を食いしばる。
しかしサングラスはひび割れ、ベコォン!!!と凄まじい振動と音を立てて大きく歪んだ地面と共にゾロは沈められてしまう。
「は!!?ゾロ殿!!?ゾロ殿が!!」
その異様な光景と視界から消えたゾロに、錦えもんは倒れこむローを目の前に一瞬視線を奪われる。
その瞬間に近づいたドフラミンゴはズバァン!!!と重い蹴りで錦えもんをローから吹き飛ばす。
「キンえもん!!!ゾロォー!!!!今行く!!!……ってェ…これ海楼石なんらよなァ…」
コロシアムの柵を握ったルフィだったが、するすると力が抜けていき、どうする事もできずに倒れこんでしまう。

微かな意識の中で、リイムは何処か遠くに聞こえる近くでの出来事にどうにか動かなければと手に力を入れるも、
その手は笑えてしまう程に僅かにしか動かない。
すぐに凄まじい気配を感じ、それがゾロの斬撃である事をぼんやりと感じながら重い瞼をどうにか開く。
「……ろ…お…」
ずるりと重い体を動かし伸ばした手がローの体に触れたその瞬間、ローを持ち上げたドフラミンゴによってその手は固く冷たい地面へと落ちる。
「っ…ドフラ…ミンゴ」
「リイム、あの時お前はすぐにローの所へ飛んで来ると思っていたが……それでもなお裏でコソコソと動き回っていたとは、見上げた忠誠心だ」
リイムの頭にはそんなドフラミンゴの言葉はほとんど入ってこず、一瞬のローの温もりにうっすらと涙が浮かぶ。
……ローの体はまだ温かかった、まだ生きている。そして、小さく聞こえた声。
“コラさん”という初めて聞くそれはきっと、彼がずっと思ってきた何かであり誰かであって……
おそらく2年以上聞く事の出来なかった、ずっと聞きたかったあの日の答え、なのだろう。
リイムはうつぶせの体をどうにか動かし仰向けになると、ローを掴んでいるその男を見上げる。
「お前は、ローのくだらねェケジメとやらに付き合わされただけだ」
「……フフっ」
「何笑ってやがる」
「……どう…するの」
「そうだな…ローの恋人ならばお前には役に立ってもらわねェとな」
その言葉にニヤリと血を流しながらも笑い続けるリイムに、ドフラミンゴはフッフッフッと笑みを浮かべる。
「残念ね…あんたの役に……ハァ、立てそうにないわ…私達、本当の恋人なんかじゃ……ない、もの」「そうか」
ローはドフラミンゴが今すぐにとどめを刺さなかったあたり、きっとどうにかなるはず。
私が恋人である事でローの足を引っ張るのなら否定して今ココで死んだほうがマシだ。
いや…否定も何も、ただそう装っていただけなのだから当然の事を述べただけなのだが。そう思ってリイムがどうにか絞り出した言葉。
しかしドフラミンゴの口は不気味なほどに弧を描き、藤トラと呼ばれる盲目の海軍大将に声をかける。
「話は王宮でだ、藤トラ…あとコイツはローの共犯。悪いがついでに王宮に運んでくれねェか?俺に協力すりゃ小僧共の首はくれてやる」
「…まァ…話ァ聞きやすが天夜叉のォ……判断はそれからで」
「フッフッフッ!」
どうしてだろうか、恋人でもなんでもない…ましてやこんな…私を……
薄れゆく意識の中でリイムの視界に映るドフラミンゴはただ不気味に笑っていた。
フワリと宙に浮いたような感覚の直後、リイムの意識はプツリと途絶えた。


あれは、あの小さい子供は誰だろうか。ああ、シモツキ村に…ナデシコさんの所へ行く前の私、だ。
確かあの頃は、親戚中……もはやどこの誰かも分からないような人達の所を転々としていた。
行く先々ですぐに噂になるのは、あの裏切り者の娘だ、という事。
嫌われて罵られて乱暴に扱われて、息を潜めてこの世にいないもののように存在する。
ナデシコさんに引き取られる前、私はずっと暗い地下室に閉じ込められていたんだったっけ。
「……」
「こうして残りモンをやるだけでもありがたいと思えよ!!」
足には鎖が繋がっていてその暗く冷たい檻の様な部屋からは出る事が出来なかった。
一日一回、投げ込まれる残飯を私は吐きそうになりながらどうにか飲み込んでいた。
生きるってなんだろう、私が生きる意味はどこにあるのだろうかと、幼いながらに思っていた。
死にたい…死にたい。全部消えてなくなってしまえばいいのに。
狂ってしまえたらいっそ楽だったかもしれない日々は、残酷に積み重なる。
でも、ある日。どうしてそうなったのかは今となっては分からないのだが私はその部屋を出る事が出来た。
いつぶりかに見た外の景色は一面の銀世界で、私は声を上げる事も出来ずにただただ涙を流した。
そうしてそのまま連れて行かれたのが、東の海のシモツキ村だった。
また、同じ事を繰り返すのだろうか。何度同じ思いを繰り返せばいいのだろうか。
始めはニコニコと接する人々が、日に日に表情を失くし、私を映す瞳は蔑むものに変わっていく。
そんな事を繰り返す事に何の意味もない……私は何も信じられなかった。でもそこには今までのそれはなかった。
段々とあの時の忌々しい記憶は私の中でナデシコさんと笑い合う日々へと変わっていき、ゾロと、くいなと道場へ通う日々へと変わっていった。
でも、くいなが死んでしまったあの日。どうして私が生きていて、くいなが死んでしまったのだろうかと思うと
どうしようもない喪失感に襲われた。絶望の中沸々と蘇る記憶と負の感情に私は…結果的にくいなにしがみつく事で前を見たフリをした。
そして、ナデシコさんは寿命と言うには早すぎる歳でこの世を去った。女手ひとつで私を育ててくれた大好きだったナデシコさん。
私がいなければ、私が悪いのだろうか、私が……−−−そりゃァお前が、死神だからだ−−−

「……っ!!」
そう誰かが嘲笑ったような声と、ズキリと走った痛みにリイムは目を開く。
何故そんな夢を見たのだろうか。忘れていた記憶を掘り起こすには充分すぎる程の自身の置かれている状況に無意識に薄っすらと笑みを浮かべる。
部屋の大きさはまるで違ったが、鎖で繋がれている事と暗くてよく見えない部屋。
ローを助ける事も出来ずこうしてまだ生きているという事実にリイムは、私はまた、目の前で大切なものをと自分を呪う。
傷口は痛み、ワンピースの裾もボロボロに破けていて……ただひとつ不思議だと思ったのは鎖が海楼石ではなく普通の物だった事だ。
随分と舐められたものだと思いながら、どうにかしようと体に力を入れるが上手く能力を使う事も出来ずにただ痛みが増すだけだった。
「クソっ……」
ロギアであろうとも捕らえるのは簡単だ、という事なのだろうか。そう思うとリイムは苛立ちで自身の頭を壁に打ち付ける。
「……ちょっと、アンタ何やってんのよ」
「……」
カツカツとヒールの音がして、リイムがその音のする方へと視線を向けるとメイド服姿の…
ローがベビー5と呼んでいた女と、ランタンを手にした、顔をマスクで覆った黒いコートの男が歩いて来た。
「若様が着替えを持ってけっていうから来たら…傷口広げてどうすんのよ」
「関係ないでしょう?」
ぼんやりと三人の周囲だけが照らされて、リイムは随分と血だらけである事を認識する。
それにしてもわざわざ着替えだなんて、敵に情けをかけられる事ほど要らないものはない、とそっぽを向く。
「そんな事を言っていられる立場か?若がそう言ったんだ……無駄な時間はお互い損だろう」
「グラディウス、少しは落ち着いて」
ベビー5がグラディウス、と呼んだコートの男はイライラしているようでベビー5が焦りながらなだめている。
「私が着替えさせるから!ちょっとあっち向いてて!」
「……5分で終わらせろよ」
「分かったから!」
乱暴に服を脱がし始めるベビー5に、リイムは思わず声を上げて蹴りを入れる。
「っ痛い!そこ触らないでよ!」
「きゃあ!ちょっとびっくりするじゃない!大人しく着替えさせられなさいよ!」
「……一体どうしようっていうのよ」
「若様が、アンタを気に入ったから王宮に置くって」
「ハァ!?」
恐らくそのドフラミンゴの言葉は、冗談以外の何物でもない事はリイムにも分かった。何か別の意図があるのだろう、とその意味を考える。
「……って、それよりもローは、無事なの…?」
「今の所は、ね…何をもって無事って言うかはその人次第だと思うけど」
そんなベビー5の言葉に、グラディウスは無駄話なんかしてんじゃねェと言わんばかりに苛立っているのがリイムにも分かった。
こうなってしまった以上、どうにかしてローを救うチャンスを待つ事がこの最悪な状況での最善だろう、と息を吐く。
「……死神、か」
「え?何?何か言ったかしら」
「いえ、何も」
生きているという事は、生きなければいけないという事で……私はまだ生かされている、やるべき事があるのだとリイムは歯を食いしばった。
「5分だ!」
「やだグラディウス!まだ終わってないわよ!」
「……」
上半身がブラジャーだけの状態でグラディウスと視線が合ってしまったリイムは、少しだけバツが悪そうにベビー5の影へと隠れ、
そのリイムの姿にベビー5は突然目をキラキラと輝かせながら感極まったように顔を手で覆う。
「……!!私、必要とされてるっ!!」
「…は?」
「とにかく!早くしろベビー5!!」
一瞬だけ緊張感のない展開が繰り広げられ、リイムは少し体力が回復さえすれば
案外どうにかなるのかも、しれない……そう思いながら大人しく着替えが終わるのを待った。




存在意義

「ねェグラディウス」
「何だ」
「死神にメイド服ってすごい破壊力よね」
「……人の事言えねェだろう、お前」

prev/back/next

しおりを挟む