〔29〕

「滞在中はこの客室を使って、最低限の生活はできるはずよ…恋人なら、一部屋でいいわよね」
モネに連れられて、研究所内の一室へとやって来たリイムとロー。
「必要な物があれば私に言って、可能な限りは対応するわ」
「そう、ありがとう、モネ」
リイムはニコリとモネを見て笑うと、モネもうふふと笑い、じゃあまた後で来るわ、とシーザーの元へと戻って行った。
「へぇ、思ってたより広いし、なかなか不便なく生活できそうね」そうカツカツと部屋の中へと進んで、ねぇ?とローの方へ振り返るのだが。
「っ!」突然肩を掴まれ、すぐ後ろにあったソファに押し倒されてしまう。
「…おい、リイム」
「な、何?ロー…痛いわよ」
体にかかるローの体重と、ギリギリと肩を掴む手にリイムは顔を歪める。
「何のつもりだ」
「…“副船長”ならっ、誰しもそうするであろう事を実行したまで、よ…」
それに、とリイムは続ける。
「最終的にローだって納得したから、私の心臓を!」
「する訳がねェだろう!てめェがシーザーをその気にさせて、」
「だって、あれが最良の判断よ、反応が遅かったローも悪いわ!」
「…」「ずるいわ、今になってから彼是言うなんて」
確かに、モネの心臓を、とシーザーが言った時点で気付くべきだった、とローは悔やむ。
「…兎に角、今更何を言っても私は私のすべき事をするまで」
「…」「で、今度は私の番よ」
思いっきり力を入れてローをソファから床へと落とし、リイムもそのまま馬乗りになる。
「ここで、何を、するのよ…」
「…シーザーに言った通りだ、研究所内と島を見て回る」
「…」
「バカ女」
「なっ…!」
何よと言おうとすれば、急に腕を引っ張られてローの上に倒れ込んでしまう。
「ちょっと、」
「黙ってろ」
そのまま体に回された腕は、リイムには微かに震えているように感じた。
「連れてきたローが悪いのよ…私が考える事ぐらい分かるでしょう?」
「そうだな…分かってたのかも知れねェな」
最悪だ、とローはコンクリートの天井を重苦しく感じながら、自分の腕の中のリイムの重さと温もりを感じた。

「…ベッドもひとつなのね」大きいからいいけど、とリイムは呟く。
部屋の中を一通り探索するリイムの姿に、ローは何浮かれてやがる、と言えば
「だって、なんかちょっとした旅行みたいじゃない?」外は不思議島で冒険も出来るし、と笑いながら話す。
「…ま、そうじゃない事ぐらいわかってるから」と、急にトーンダウンするリイムの顔はローからは見えなかった。
「…なら、いい」
「ねぇ、ロー」
「何だ」
「“恋人ごっこ”、役に立ったわね」
相変わらず表情は見えないリイムの後ろ姿を眺めながらローは答える。
「あぁ、そうだな…」
その事だが、と無意識に言葉になりそうになるのだが…
「これからも、宜しくね、私の彼氏役」
そう笑顔で振り向いたリイムに、ローは何か言おうとしたのか分からないまま、リイムに返事をした。
「…ああ、お前もな」
「フフっ」
そう満足そうに笑えばリイムはまた、部屋へと視線を戻して目の前のベッドを眺めた。
「このベッド、随分ふかふかね…」
そう言いながらポフッとベットに突っ伏した。

リイムは、少しだけ、戸惑っていた。自分の本当の気持ちがどれなのか、何なのかが分からなくて
これが、クルーとして船長を思う気持ちなのか、それともリイムという女が、ローを男として思っているのか。
ただ単に恋人ごっこのせいでそんな気になっているだけなのだろうか。
…それに、ローの近くで過してきたこの2年弱、彼はふと何か考え込んでいる様な表情で黙り込む事が度々あった。
まるで入り込む隙がない、そんな雰囲気のあの瞬間に彼は何を思っていたのだろうか。
もしかしたら、とても大切な何かが彼にはあって…大切な人でもいるのかもしれない…
出会ってしばらくは、もっとシンプルにローの事を考えていられたのに、最近はどういう訳かざわざわとしていて、ふとした瞬間に心を乱す。
「ずっとついて行くと、決めたのよ…」
あの時の気持ちは変わらない。もし何かが変わったのだとしたら、それはクルーとして、副船長としてではなくて…私個人の我侭なのだろうか。
でも、どんな形であれ、それで私があなたに何かをもたらす事が出来るのであれば、答えがなくてもいい、わからないままでいい――
リイムはベッドに伏せたまま、意識を手放した。

「おい、リイム」
ローはソファに座ったまま、ベッドで動かないリイムを呼ぶ。
「…寝ちまったのか」
そう呟いてスッと立ち上がると、リイムの眠るベッドまで歩いていく。
「刀、差したままじゃねェか」
伏せて寝ているリイムの腰には、彼女の愛刀、凍雨が差したままになっている。
「…」
手に取ればずしり、と重さを感じるその刀にローは思わず「よくこんなもん振り回せるな」と、すぐ側に立て掛ける。
よほど航海で疲れていたのか、それともここへ来て疲れたのか、どちらにせよローが刀を取っても起きる事がなかった。
いつも、いつ寝てるのか分からず、昼寝をしていても直ぐに人の声や気配で起きるリイムの
こんなにぐっすりと眠る姿を、ローは久々に見たな、とぼんやりと見つめる。
「お前を連れてきた事は、間違いだとは思ってねェが…」
あの時、あの瞬間、リイムに突き放されて睨まれた時。
ローは一瞬思考が全て停止したかの様な感覚に陥ったのだ。結果、すぐに何も言い返す事が出来なかった。
私に命令しないでよ、とぼやく事はあったもなの、あそこまで感情をむき出しに向かってきた事はなかった気がする。
「じゃじゃ馬な事は分かっていたが…あれは予想外だ」
そう言いながら短くなった銀色の髪をさらりと手に取る。
「お前が何考えてるかなんて、分かってるつもりだった…一度言い出したら聞かねェ事も…だが、さっぱり分からねェ」

ふとした時、何か考え込んで、ぼんやりと遠くを見ているような事がこの2年で度々あった。
母親の事は吹っ切れたと言っていたから別の事だろう。
…結局、3つのピアスの1つは俺が持ったままで、2つはシャチに頼んでネックレスにしてもらっていた。
あの後、麦わら屋の一味はしばらく姿を消していたがつい最近、完全復活と新聞に報じられた。
その新聞を見た時のリイムの顔は、恐らく俺らに向けられた事のない、そんな微笑だった。
結局、リイムはゾロ屋の事が…「チッ」リイムがゾロゾロ言うお陰で俺まで…
兎に角、未だに何か思うところがあるのだろうか。それ以外に考え込むとしたらそれは一体、何なのだろうか…
「…」
こいつが副船長として俺の隣にいるようになってから、俺は女を抱くのを止めた。
気付いたらそうだった、と言ったほうが…正しい。
そういう事に、こいつは特に何の反応もしなかったし、むしろさっさと行けと言うような奴なのだが。
それに気付いたのはペンギンの一言で、それまでその事に俺自身気付いていなかった。
−まるで安定剤みたいですね、リイム…船長、全く女に興味なくなったみたいですし…−
まさかそんなハズが…と己の行動を振り返ってみれば、そうだったのだ。
あの時は鳩が豆鉄砲をくらった様な顔だったとペンギンが言っていた。
考えてみれば、何かが俺を止める、というよりは、まるで満たされているような不思議な感覚で、ペンギンの言ってる事はまァ、分からなくもなかった。
だが、だとしたら、俺はリイムをどうしたいのか。
この先の事を考えると…恐らく答えは出ない、というよりは、出せない。
「お前の心臓は…どうにかする」
ローは、思っていたよりも自身の中でリイムの占める割合が多い事に、フッと笑うと
「悪ィが…このまま最後まで付き合ってくれ…」
そう小さく呟いた。

−−−

「…」
むくりと起き上がったリイムは周りを見渡し、部屋にローが居ない事を確認すると、「もう…」とため息を付く。
置いた記憶のない凍雨が壁に立て掛けてあり、そうしたのはローであると確信する。
しかし、それに気付かない程に安心しきって熟睡してしまったのか…、と両手でパンと頬を叩く。
「お互いに干渉しないとはいえ、何があるかわからないのに」
気を引き締めていなければ、と小さなキッチンに向かいコーヒーを入れる。
ある程度の物はモネが先程、案内ついでに置いていってくれたのだ。
コーヒーを飲みながら、ふと自分の心臓がない事を再確認する。
「本当に意味が分からないわね…ローの能力は」
心臓がないのに生きている…そんな体験は普通出来ないだろう、とリイムはしみじみ思う。
「それにしても」
モネは表面上は人のよさそうな女だが、あれは何かあるわ、絶対に…腹黒い、とリイムは感じていた。
「…ま、確かに綺麗な人だけれど」
ああして見ると、ロングヘアーが少々恋しくなる。
ローがあんな顔をするのもまぁ、分からなくもない。随分と長い間伸ばしていたのだし、全く何とも思わない訳でもない。
「伸ばせば切りたくなり、切れば伸ばしたくなる…それは人間の心理よね?ロー」
…リイムの声は一人の部屋に虚しく響き、はぁとため息をついて、飲もうと手に取ったコーヒーカップの中身は既に空っぽだった。




埋まらないピース

「…なんだかあの時みたいだわ、
胸にぽっかり穴が開いたようなこの感覚…
…フフっ、そういえばもう、開いてたわね」

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