〔28〕

 偉大なる航路、新世界、とある島。新世界にある島だけあって、海賊がいる事は当たり前のようなこの島。いつも通り我が物顔で街を闊歩していた数人の海賊達。しかし、何かがいつもとは違う……近づいてくる気配にぴたりと動きを止めた。

「……! やべえぞ! 前から来る二人!」

 前方から歩いてくる二人組を視界に入れると、とっさに建物の陰に隠れ、知らず知らずのうちに震える手を抑えながらその二人が誰なのかを確認した。

「に、逃げよう、ありゃぁ元懸賞金4億4000万ベリー、“王下七武海”死の外科医、トラファルガー・ローと!」
「写真と髪型が違う気がするが、懸賞金3億6000万ベリー、ハートの海賊団の副船長、“ローの右腕”灰雪の死神、フランジパニ・リイム!!」

 黒いロングコートをまとい、妖刀・鬼哭を手にゆっくりと歩く男、その隣にはダークグレーのロングコートにファーのティペットを巻き、妖刀・凍雨を腰に差した女が歩いていた。

「二人で“8億”!! この海で出会ったら、生きては帰れねェ死の二人組!!」
「は、早く、逃げようぜ!」

 ヒイイイィ! と足元の石につまづきながらも路地に入って逃げ出す男達。その様子を、二人……ローとリイムは呆れた様子で見ていた。

「……最近、勝手に道が開けて歩くのが楽ね」
「そうだな、面倒は嫌いだ。丁度いい」

 あの頂上決戦から2年弱、ローは王下七武海へ加入するために、海軍へ海賊の心臓を100個届けるという、世間からは奇行とも、狂気の男とも呼ばれる事となる所業をやってのけた。
 リイムはというと、戦争後に懸賞金が一気に2億9000万まで上がり一時はローを越したものの、その後ロッキーポート事件でローが世間を騒がせたこともあり、再びローがリイムを越す賞金首になったのだった。王下七武海入りを果たした為、懸賞金は“元”だが。

「……本当に行っちゃったわね、みんな」
「そうしろと言ったんだ、当たり前だろう」

 リイムは、つい数時間前にこの島を出航していった仲間達のことを思い出す。わんわんと泣きながら手を振るクルー達の姿。あんな姿を見せられては、とリイムはふぅっと息を吐く。割り切っていても多少の名残惜しさが沸き上がった。

「ベポのフワフワした毛皮に触れるのはいつになるのかしら」そう言って自分のティペットを触る。そんなリイムの姿を見ながらローはぼそりと呟いた。

「……その為の、毛皮じゃねェのか、それ」
「単なる防寒用よ、それにしても」
「何だ」
「私もみんなと行動を共にした方がよかったんじゃ?」
「あいつらなら大丈夫だ、それよりも、おれの計画にはお前が必要だ」
「なら、いい加減その計画とやらを教えてくれてもいいんじゃない?」



 二人はそんな会話をしながら腹ごしらえに適当な店を見つけて入ると、日替わりランチセットを注文して席に座る。

「時期が来たら話すと、そう言っただろう」
「だって、私があなたの意に反して動いたら、計画とやらがパーになるかもよ?」
「お前はそんなヘマしないだろう」
「フフっ、随分信頼されてるのね、私」

 席に届いたハンバーグ定食を、いただきますと手を合わせ、食べ始めるリイム。その表情は目の前の定食を目にしてか、それともローの言葉に、なのか。心なしかほころんでいるようだった。

「だったら最初から一人で動く」
「まぁそうね……わざわざあなたが連れて行く位だから、よっぽど重大なこと、なのよね」

 うんうんと頷きながら、追加のグラタンを注文するリイム。そんなリイムの姿を、ろくに箸も進めずに眺めていたのはローだった。特に不満がある訳ではない。それでもやはり見慣れないものは見慣れない、のだった。

「それにしてもな」
「何? 人の顔見るなりため息つかないで」

 ローは以前よりも遥かに短くなったリイムの髪を見て小さく息を吐いた。しかし、ため息の原因の本人に面と向かってため息をつくなと言われたら仕方がない。目の前の食事に集中しよう、そう思いながらもローはあの日、髪を切った日のことを思い出していた。



 今後について、クルー達とは別行動を取ると話した日の夜の出来事。甲板にいたローの所へとふらりと姿を現したのは、一冊の雑誌と、ハサミやらタオルを抱えて歩いてきたリイムだった。

「ねぇロー」
「何だ」
「髪、切ってくれない?」
「は? なんでおれが、それならシャチに」
「だって器用じゃない、出来ないことないでしょ? この写真みたいにしてくれない?」

 そう言ってリイムがローに見せた写真は今までとは比べ物にならない短い、顎のラインで切り揃えられたボブの写真だった。一度言い出したら引かないリイムの性格を把握していたローは、仕方なくリイムの手にしていたハサミを受け取ることにした。

「随分切るんだな、もったいねェ」
「そうかしら? もう、伸ばさなくていいのよ」
「……へェ、願掛けか何かだったのか?」
「あの人、短かったじゃない、髪の毛」

 リイムの「あの人」という言い方をするのは、元海軍の海賊、リイムの母親のシャイニーのことだ。

「だから、ずっと伸ばしてた、のだと思うの」
「……もういいのか」
「ええ」

 そう笑いながらリイムは言って、切り終わって床に散らばっていた髪を海へと飛ばした。キラキラと月明かりに照らされながら風に流れて行った銀色たち。その時の幻想的にも見える光景を、ローはまだ鮮明に覚えていた。



「そろそろ慣れてよね? 私は気に入ってるのよ、ローが切ってくれたこの髪型」

 リイムは髪を手櫛で整える。その仕草を見てローは想起する。いつもは後ろでまとめ上げていた長い髪を、リイムが時々下ろしている事があって……それが風に吹かれ、キラキラと光が当たり宙を泳いでいるような、そんなリイムを――リイムの、髪を見るのが好きだったのか、と。

「……別に、何とも思ってねェよ」
「じゃあ何よ、その不満そうな顔」
「また、伸ばせ」
「はいはい船長、気が向いたらね」

 ちぐはぐなローの言動。つまりは、髪が長い方がいいらしい……なんて我侭な船長なのだろうかと、リイムはグラタンをぺろりと平らげて思った。

 食事を終えた二人は席を立ち、会計を済ませると島の海岸へと歩いた。やはりまだ計画とやらは教えてもらえないらしい……リイムはどうしたものかと考えてながら、ちらりと隣を歩くローを盗み見る。

「……ローが七武海ねぇ」
「何だ」
「私、七武海の会食の席に居たことがあるんだけど」

 ふとミホークに連れられてマリージョアへと行った日を思い出し、リイムは小さく微笑む。あの時は強制的にだったが、今となっては正式に七武海の部下をしているのである。

「変な気分よ、本当に七武海の部下になる日が来るなんて」
「そう言えば……本部にお前が付いてきた時のあいつらの顔、ひでェ顔だったな。そういうことか」
「そういうこと」

 フフっと笑みを浮かべながらリイムはローの背中をパンッと叩く。その意図を掴めないまま、ローは隣を歩くリイムに、一体何だと言わんばかりの視線を向ける。

「んだよ」
「まぁ何か企んでるのはバレバレだから大丈夫よ」

「じゃなきゃあなたが政府に媚を売る訳がない」とリイムはまるで出発が、ローの企みが一体、何なのか――待ち遠し過ぎて待てない子供のような笑みを浮かべながらローの手首を掴むとぐいっと引っ張った。

「さ、さっさと行きましょ」
「ああ」

 ローは、そんな自分よりも少しだけ低いリイムの後ろ姿を見て、今の髪型も悪くねェか、と静かに微笑んだ。



「なんだか、ずいぶんと常識ハズレな島ね」
「そりゃァそうだ、ただの腐った島を赤犬と青キジが変えちまったんだからな」

 暫しの航海を経て、現在二人のいる船から見えるのは、半分が炎に包まれた灼熱の、そして半分が凍っている極寒の地という立ち入り禁止の不思議な島、パンクハザードだった。

「ここまでのレベルだと、私が台風や嵐を起こしたところで島の気候はどうにもならないわね」
「いや、お前の嵐だか竜巻だかでこの島の毒ガスを薄めねェと面倒だ」

 だからさっさとどうにかしろ……そう言いたげなローの顔を見たリイムは、小さくため息をつく。

「ローもどうにか出来るでしょ、シャンブルズとかシャンブルズとか便利能力で。ガスマスクとか不細工なのは嫌よ」

 徐々に近づく島には、ガスが色濃く漂っているのが見える。それにしてもこの島、確か昔は緑豊かな美しい島だったはずだとリイムは目を凝らす。

「……元Dr.ベガパンクの研究所があるのよね、今も誰か居るの?」
「知ってたか」
「まぁ、少しはね。今となっては政府関係者ですら立ち入り禁止。そんな島に乗り込むなんて」
「知ってんなら話は早い、さっさとガスを」

 吹き飛ばせと、ローはリイムにそうせっつくも、ぷくっと頬を膨らませたリイムは腕を組むと船が大きくが揺れない程度にローを足蹴にした。

「もう、ここまで安全にまったり航海出来たのは私のお陰でしょう? 何かある度に起こされて全然寝てなくて疲れてるのよ!」

 何なら船ごとローの超便利能力……そう、シャンブルズによる、あらゆるものを入れ替える能力でどうにかできたはずだ、とリイムは眉間にしわを寄せる。

「おれのは、体力が持ってかれるんだ、この距離をやってられるかよ」

 ここまでリイムの能力で自分達の周囲の天候を操作し、穏やかな海を進んで来た。少なからずリイムも体力を消耗していたうえに、作戦を知らされていないままで、一瞬一瞬で何が起こるかわからないまま……ローのその一言についに堪忍袋の緒が切れた。

「私だって、体力には限界があるの!!」
「それをいつも筋トレやらなんだかで鍛えてたんじゃねぇのか?」
「この距離を! やってられるかよ!!」

 たまらずリイムは先程のローの台詞をそのままそっくり返す。しかしいつもの癇癪だろうと気にも留めないローは鬼哭を手にするとゆっくりと立ち上がった。

「………何はともあれ、久々に穏やかでいい船旅だった」
「聞いてるの? 人の話」
「ROOM……リイム、一応マスクつけとけ」
「え、ROOMって、急に立って何するつもり!?」
「……シャンブルズ」
「!?」



 「シャンブルズ」とローが数回呟くと、船上からの島の景色は徐々に雪の降る研究施設へと変わっていた。ローの能力によって、二人は船から研究所のある島へと移動したのだった。リイムは、突然のローの行動にどうにか反応し、島へと着地した時にはしっかりマスクを着けていた。

「急にやらないでよ……予測不能過ぎて困るわ」

 リイムは周囲にガスがない事を確認すると、マスクを外して苛立ちをぶつけるように投げ捨てる。

「あぁ……さっきまで見えていたガスは侵入者用だろうよ」

 ローとリイムは、目の前にそびえ立つ研究所を見上げ、ゆっくりと扉へと歩いて行った。



 入り口で、二人はマスターと呼ばれる男に報告へ向かった部下を待つ。さて、何から質問しようか……リイムはローに問い掛けようとするも、存外早く男が再び玄関へ戻ってきた。

「中へ、マスターがお待ちです!」

 そう言われた二人は素直に部下の後に続いて歩く。さすがに大声で話は出来ない……リイムはマスターと呼ばれる人物、見かけた船に記されていたCCのマークから、この島に居るのは間違いなくDr.ベガパンクの元同僚だという、科学者、シーザークラウンだろうとを確信する。
 確かに興味深い場所ではあるものの、一体何を目的としてここへ来たのか、ローがシーザークラウンとの接点を持つことにどれだけの意味があるのだろうか、とリイムはその真意を測りかねていた。



「シュロロロロ……わざわざここまで来たんだ、用件を聞こうじゃないか」

 部屋へと通された二人の目の前に現れた不気味に笑う男こそ、シーザークラウン張本人。「そこに座るといい」とソファを指したシーザークラウンに、ローはどっしりと腰を下ろす。リイムは落ち着かないものの、それを悟られぬようにとローに続いた。

「しばらくこの島に居たいんだが」
「……パンクハザードに滞在を?」
「ログのとれねェこの島に来るのも苦労した、元政府の秘密施設だからな」

 滞在――その言葉にシーザーより反応したのはリイムだった。顔には出さないようにしているものの、滞在するの? とリイムはローの話の続きに耳を傾ける。

「この研究所内には現在にも続く世界政府の研究のあらゆる証跡が残ってるハズだ……この研究所内と島内を自由に歩き回れりゃそれでいい」

 ローはその証跡から何かを……それともそれは口実で、この施設自体に何か目的があるのだろうか。リイムの脳内は、ローとシーザーの会話を一字一句聞き逃さぬようにと必死だった。

「こっちもお前の役に立つ何かをする、互いにつまらねェ詮索はしない……勿論、おれがここにいる事も他言するな、“JOKER”にもだ」
「!?」
「……訳知りじゃねェか、なぜそこまで知ってる」

 急に顔色の変わったシーザーに、JOKERというワード。リイムは闇のブローカーの名前だということは知ってはいたのだが、それが誰なのかは検討をつけられずにいた。しかし、ローはその人物を知っている……ふとある男の顔が頭に浮かんだが、今はまだ二人の話を聞いていなければ、と再び意識を二人へ戻す。

「何も知らねェド素人が飛び込んでくるのとどっちがいい?」
「シュロロロロ! 成程、同じ穴のムジナってヤツか……信用はできねェが害はねェかもな……なぁモネ」

 シーザーは奥に座っていた女に声をかけた。モネと呼ばれたその女は、何やら先程からノートの書き綴っている。顔を上げ、ローとリイムを見たその女はゆっくりと話し始めた。

「北の海出身、死の外科医……能力はオペオペの実、医者なのね。一緒にいるのは東の海出身、灰雪の死神。能力はウェザウェザの実で、ローの右腕で“彼女”なのよね」

 一通り話し終わると、瓶底メガネをずらしてから視線をローとリイムに向けたモネは穏やかに笑みを浮かべた。

「この島には毒ガスに体をやられた元囚人達がたくさんいるけど、治せる? それと……彼らが活動しやすいように研究所周辺だけでも天候を穏やかにできないかしら」

 天候――つまりそれは私に向けられている言葉だとリイムは理解する。こちらも役に立つことをする、そう言ったローに話を合わせるように、瞬時にモネに答えた。

「不変的な変化はさすがに出来ないわ」
「時々でも、いいわ」
「……それなら」
「足ぐらいどうにかしてやるよ」
「そう。ですってよ、マスター」

 二人の返答に、モネはうふふと笑みを浮かべながらシーザーへと視線を向けた。

「シュロロロロ……お前がここに滞在する、その代わりに部下どもの足をくれて、環境も良くしてくれるとなりゃあ、そりゃありがてェよ、だが」

 そう言うとシーザーはフワリと浮いてローとリイムに近づき、ローに向けて凄んだ。

「お前はおれより強い! この島のボスはおれだぞ! ここに滞在したけりゃあお前の立場を弱くすべきだ」

 リイムは、シーザーのこの発言の意図を必死に考える。恐らく何かしらの条件を提示してくるはずだ、と。

「別に危害は加えねェ、どうすりゃ気が済む……」

 シーザーの言葉にローが一瞬面倒そうな顔をしたのをリイムは見逃さなかった。

「こうしよう、トラファルガー、おれの大切な秘書、モネの“心臓”をお前に預かって欲しい……」
「!?」

 ホラ来た! とリイムは周りに聞こえないように小さく舌打ちをする。これは“交換条件”であると容易に推測できたのだが、ローはまだ頭に? を浮かべた顔をしている。

「いいな? モネ」
「ええ、いいわよ」

 モネも考えることもなく即答した。シーザーが提示する条件は、恐らくローの心臓、そう思ったリイムは今まで閉ざしていた口をすかさず開いた。

「その」
「その代わりに!」

 丁度シーザーが次の言葉を発した瞬間、リイムの声が部屋に響く。ローは未だにピンときていないようで、リイムの顔を覗き込んだ。

「その代わりに、私の心臓をシーザー、あなたに預けるわ」
「……」

 ローの表情はリイムから見てもあまり変化がなく、今何を考えたのかは分からないままだった。それは逆に好都合、このまま話を進めてしまおうとリイムはシーザーと話を続ける。

「シュロロロロ……確かにお前も十分強そうだが、そっちのボスはロー、お前だろう?」
「あなたが圧倒的優位に立ちたいのは十分理解したわ、でも一つ言っておくわ」

 その言葉にモネもリイムがどう出るのか、視線を向け黙ったままだ。

「私の心臓をあなたに預ければ、ローも下手な事は出来ない……船長と部下である前に私達は“恋人”なの、首根っこをつかみ合うには十分過ぎる条件だと思うけど」
「……そうなのか? モネ」
「さっきも言ったけど、確かにこの二人恋人同士よ、散々記事になってきたしね」ペラペラとノートをめくりながらモネは答えた。

「まぁ、それでも不釣り合いな交換条件だと思うんだけど」
「うふふ、確かに私もあなたには適わないでしょうね、彼女3億6000万ベリーの賞金首よ? マスター」
「何ィ? おれよりも高いじゃねェか……コイツの心臓を持ってりゃぁローも妙な気は起こせねェし手出しも出来ねェ、逆も然り……ってわけか」
「……おい、リイム、お前一体」
「さすがは天才科学者ね! 頭の回転が早いわ、じゃあそれで成立ね」

 リイムはローを無視してシーザーを軽く煽てる。天才と呼ばれて悪い気がしないシーザーは気分良さそうに手で顔を覆った。

「シュロロロロ……そうさ、おれは天才科学者、分かってるじゃあないか! リイム」
「ってことで、ロー、よろしく」
「モネ、交換するぞ! こっちへ来い!」
「ええ」

 ここまでの会話を無言で聞いてきたローもさすがに一言リイムに言おうと腕を引っ張り、耳元で「お前、何考えてやがる」とすごむのだが、リイムは両手でそんなローを突き放す。

「さっきシーザーも言ったでしょ、逆でも彼の立場は変わらないわ。だからこれでいいのよ、“船長”!」

 そう言うと、リイムは未だかつて向けたことのない鋭い視線で、ギロリとローを見上げた。




COOL FIGHT

「ロー」
「シュロロロロ、どうするんだ、ロー」
「チッ、分かった……交渉成立、だ」

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