〔18〕

目の前で消えるゾロ、迫るバーソロミュー・くまの手……駄目だ、避けなければ、ゾロを助けてここから逃げて、約束を……みんなの所へ、帰らないと!!
「……っ!!」
リイムはくまの手を振り払うように腕を振った所で目を覚ました。しばらく眠っていたリイムは一体何が起こっているか理解出来ずに辺りを見回す。
「空を……飛んでるの?どうして、こんな事に」
自身ではどうすることも出来ない不思議な力で移動している……リイムはバーソロミュー・くまによるものだと、その時の事を思い出す。
何も出来ずに、ゾロを守る事も出来ずに目の前で消えてしまった事。そして……“約束”は必ず守る、そう言ったのに。今、自分はどこに向かっているかすら分からない。リイムの瞳からは自然と涙が溢れ出る。
「でも、もしかして……」
私はまだ死んでないとリイムはギュッと唇を噛む。こうして空を飛んでいるのだ、だとしたら皆もきっと生きているはず。どこへ行くのかはわからないけど必ず戻るんだ、あの場所に。どれだけ時間をかけたとしても。それが約束、だから……そう思いリイムは、ゆっくりと目を瞑った。



「あれは、バーソロミュー・くまの……」
大きな黒刀、夜を背にした人物がふと見上げた空。少しずつ落下してくる何かが目に入る。
ニキュニキュの実の能力者は人を弾き飛ばす事が出来る。そう聞いた事があった鷹の目、ジュラキュール・ミホークは目を細めその人物を見つめる。
「本当に……飛ぶのだな」
それにしてもあれは……と、ミホークは重い腰を上げると落下地点と思わしき方へと歩き出した。

「おい、じゃじゃ馬娘」
肉球の形に抉れた地面の上に倒れているその姿を目にし、やはり見間違えではなかったとミホークはその場にしゃがみ込む。
「リイム、起きろ」
「あ、れ?っ!!痛い!」
リイムは知った声がした事に夢でも見ているのかと思ったが、思いっきりつつかれた傷口の痛みで、これは現実なのだとむくりと起き上がった。
「ちょっと、傷を突っつかないでよ先生!……って、どうしてここに、先生が?」
「おれは今、聖地マリージョアへ向かっている途中……休憩がてら立ち寄ったこの無人島にお前が勝手に落ちてきたんだ」
「マリージョアへ?」
リイムはミホークの話を聞きながらも痛む傷口を確認し、派手に開いてしまっている事に深いため息をつきながら返事をする。
「……先生が動く時って、大体暇つぶしよね」
「火拳のエースの公開処刑が決まった」
「!!?」
火拳のエースと言えば、あの白ひげ海賊団の2番隊隊長で、そして、ルフィの兄弟だ。何がどうなってそんな事にと、リイムはぐるぐると思考を巡らす。
「でも!そんな事したら海軍と白ひげ海賊団で戦争にでもなるんじゃ……!!」
リイムは傷口を押さえながら目を大きく見開きミホークの感情の読めない顔を見つめる。
「その通り、今回の七武海の召集は全面戦争を見越し、戦力を集めるもの」
「そんな!白ひげ海賊団だけじゃない、傘下の海賊達まで巻き込んだ大戦争になりかねないじゃない……」
そんな事になったら世界はどうなってしまうのだろうか。リイムが口元を手で覆いながら考え込んでいると、近くに落ちていた凍雨を拾い上げたミホークがそれをリイムの前に突き刺す。
「リイム、何があって飛ばされたかは知らんが」
「……!そうよ、私、バーソロミュー・くまに……早く戻らないと!戻らなきゃいけないの……約束、したの。必ず戻ると」
凍雨を掴み立ち上がったリイムはミホークの腕をがっしりと掴むも、反応の薄いミホークにその手を放して歩き出そうと身を返す。
傷口を押さえながら踏み出した一歩目と同時に小さく悲鳴をあげたリイム。ミホークはその教え子の首元を掴んで引き止めた。
「落ち着けリイム、そう焦るな、もっと冷静に……」
「出たわ、先生の口癖。落ち着け、焦るな、冷静にって」
「……」
むすっと顔に出すリイムに、ミホークは口癖と言う程かと考えるも、それを使う原因は全てリイムにあるのだと大きなため息を吐き出した。
「お前はもっと、世界を知る必要があるな」
「はい?」
「来い」

首根っこを掴まれたまま、リイムはミホークにずるずると引きずられる。加減知らずの引っ張りに耐えきれなくなったリイムは、声を張って命の危機を主張した。
「痛い痛い!せんせ、首しまるっ!!自分で歩くから離して!!」
「……傷も手当してやる、大人しく一緒に来るんだな」
「どっ、どこに!」
「先に言った通りだ」
「!!!??」
自由になった身で大きく呼吸をしながらリイムは考える。行き先は、さっきマリージョアと言っていた事を。一緒にというのは聞き間違いだろうか。いや、確かにそう言っていたしこの人は言い出したら撤回する事などない、冗談も言わない。
……恐ろしいが本気なのだ。これは、こういう運命なのだ……リイムはとひとまず考える事をやめた。
「何をしたらこんな派手に腹を切るんだ」
「青キジに遭遇しちゃったのよ、もはや事故ね。でもって完治する前にシャボンディで色々あって見事に開いちゃった。これも仕方ないわ。実力不足」
「……それにしても、だ。悪魔の実の能力を有しながら、何故それを伸ばそうとせん」
「だって、これは不本意というか何と言うか……私は剣士として、世界一に」
「拘りもいいが、この先お前のような小娘が容易く進める様な道ではないぞ」
「……それは、そう思うわ。そうね、少し考えておくわ」
「素直にそうすると言えんのか」
それでも少しずつ成長が見える教え子の傷をミホークは酒で消毒する。あの女との約束などなければ、こんな小娘を世話する義理もない。しかも出会ってみれば自身と同じ剣士を志していて……流石に頭を抱えた事をミホークは思い出す。しかしそれこそもしもの話……今、こうして面倒を見た人物が目の前に居るのだ。
そして、少なからずリイムを気に入っていたミホークは、退屈凌ぎにこのままマリージョアへと連れて行こう、そう思ったのだ。

「それにしても傷は痛いし、お腹も空いたわ」
「……なんだ、随分と我侭になったな」
「甘やかす人がいるのよ」
「あのルーキーか?」
「やっぱり知ってるのね」
「お前の記事は全部読んでるからな」
「あら、随分親バカなのね」
「ただの暇つぶし。いつおれがお前の親になったんだ」
開き直ったかのようにへらりと笑ったリイムにミホークは拳骨を落とす。あまりの痛みにリイムはミホークの胸元を手で叩く。
「いったぁ!先生のそれすごく痛いんだから!」
「そうしてるんだ、当たり前だろう」
「あぁ……早く帰りたいわ」
「つべこべ言うな、見苦しいぞ」
「はーい、先生」
「しかしリイム……本当にあの男と」
一通り処置を終え傷口布で巻きながらミホークは問いかける。付き合っていようが特に何もないのだが、あれだけ仲間という仲間も作ろうとしなかったリイムがどんな心境の変化があったのかと、そう思っていればすぐに返事が聞こえてきた。

「あれ、偽装してるの。世間を騙す為に敢えてそう振る舞ってるのよ」

予想外のリイムの返答にミホークの手は一瞬止まったが、すぐに昨日見たばかりの新聞記事を思い出した。
「ハハッ」
「え、何よ」
「お前にしては……随分と面白い事をしたものだ!」
「ちょっと、何がそんなにおかしいのよ!」
あんな顔で笑っていながら、偽装とは良く言う。しかもドヤ顔で……堪えられずに笑うミホークと、それを不服に思うリイムは小さな船に乗り込み、聖地、マリージョアへと向かった。



数日の航海を経て着いた目的の地、マリージョア。目の前にそびえ立つ建物。リイムはゴクリと唾を飲み込む。
「ここが聖地、マリージョア……なのね」
ミホークに連れられるままやってきたそこは、普通に海賊をしていたら到底来る事の出来ない場所だろうと、リイムは思う。
「ねぇ……先生」
「なんだ」
「私、一応賞金首なんだけど!!!」
「ああ」
「私、結構最近エニエス・ロビーで派手に海軍ぶっ飛ばしたんだけど!!」
「承知の上」
「え、待って待って、本当に入るの?無理無理!」
ひりつく空気……青ざめた顔でリイムは進もうとするミホークの服を引っ張る。しかしミホークはそれを簡単に引き剥がし、真顔でリイムに告げる。
「今からお前はおれの部下だ、秘書だ、分かったな」
「は!??」
「それなら奴らもうかうか手出し出来ないはず」
リイムはミホークの提案、もとい命令にがっくりと肩を落とす。確かに七武海の部下ならば問題ないのかもしれない。いや、そういう問題ではなくてとにかくこの人、絶対にこの状況を楽しんでる。それ以外の理由が見当たらない……そう思いながら顔を両手で覆う。
「この状況はさすがに運命を呪うわ……」
「死神、のくせにな」
「もう!同じような事言わないで!」
「あんな若造と一緒にするな」
「……」
ローの事だと言った訳ではないのに。ミホークの返しにリイムは反論する気力を失くす。そして引っ張られるようにして、リイムはミホークと共に中へと入って行った。

「鷹の目が着いたぞ!おつるさんに報告を…って!!」
入り口の海兵が驚きの声をあげる。無理もない。今年世間を賑わせているリイムの姿があったからに他ならない。
「死神リイム!お前何故ここに!!」
「騒ぐな海兵共、コイツはおれの秘書だ、今回同行出来ぬなら協力はないと伝えるんだな」
「……!秘書?どういうことだ!麦わら一味に加担したかと思えば死の外科医の船に乗り、挙げ句先日の天竜人事件の会場に居たというのに!!」
「聞けぬのならば帰るまで」
「……!今すぐに!」
入り口の海兵は動揺しながらバタバタと走って行った。リイムはその後ろ姿を眺めながら、なかなか滅茶苦茶な事を言っているなと小さく言葉をこぼす。
「少し無理があるんじゃないのかしら」
「何、どうにかなる」
「……」
何とも言えぬ場違いな雰囲気。リイムはいつもの自分のペースも出せず、ただ黙り込むしか出来ない。少しの沈黙の後、それを破る海兵の声が響いた。
「許可!下りました!」
お入り下さい!と道を空ける海兵達にリイムは頭を抱えた。本当にどうしてこんな事になっているのだろうかと。
「フッ、これで少しは退屈が凌げる」
「むしろ断ってくれてよかったのに」
「何か言ったか」
「いいえ何も」
「しばし控え室でお待ちを!この後、会食が予定されています!」
「下らんな……」

ミホークに連れられるまま、リイムは案内された部屋へと入った。重苦しい空気から一時的にでも解放されたリイムは大きく息を漏らすと堰を切ったように話し出す。
「はあぁぁぁぁぁぁ!何よあの雰囲気、じろじろ見られるし!そんなに海賊が珍しい?そんな訳ないでしょう!?」
「いい社会勉強だと思え」
「何よ、そんなに私がここに居るのがおかしいの?ええ!おかしいわよ!!」
「腹を括れ、おれの秘書なんだ」
「……そうね、って!」
ここに七武海が招集された理由を思い出したリイムは重大な事実に気付き、ミホークに勢い良く詰め寄る。
「何だ、まだ何かあるのか」
「つまり!私白ひげ海賊団と戦うの!!!???」
「そうなったら、そうだな」
「ああ……無常」
リイムはふらりとよろけながら椅子にもたれかかる。ロー達の元へ、ハートの船に早く戻らなければと思っていたのに、あれよあれよという間に何故かin聖地マリージョア。そしてこの後は、海軍中将と集まった七武海での会食。
社会勉強を通り越して生きた心地がしない……リイムは何度目かわからないため息をつくが、グルグルとした思考の中でひとつ、ふわりと忘れていた事を思い出した。
あの日、シャボンディ諸島に着いた日。欲しいピアスが決まらずにオーダーメイドで作ってもらう事にしたピアスの存在。
「そうだわ……きっと出来上がってる頃よね」
「何がだ」
「新しいピアスよ」
「……あの幼馴染と揃いのはやめるのか」
ミホークはゾロと面識がある事はまだリイムに伝えてはいないし、直接ゾロが以前リイムが話していた幼馴染だとも聞いていない。しかしゾロと一戦交えた後で、二人のピアスが色違いだったという事に気付いたミホークは当たり前のように話を振る。
「1個は壊れちゃったし……ちょっとね、色々自覚したのよ」
「今更だな」
「!!え、先生もそんな風に思ってたの!?」
「男と揃いの物など、それ以外に考える方がおかしい」
「やっぱりそうなの……そんな事ないのに……って、あ」
ミホークがゾロとの関係性を知っている前提での話をしている事に気付かぬまま、リイムはピアスについて頭を悩ませる。
「あちゃー」
「さっきから何百面相してるんだ」
「これはやってしまったわ……あ、でも色も違うし、あのデザインなら似たのも多いし、何より……わざわざ作らせたのよ!!」
一人ブツブツと、顔を赤くしたり真顔になったりしながらぼやくリイムを、ミホークはしばらくの間生暖かく眺めていた。



「キャプテ〜ン」
「なんだ、ベポ」
海軍から逃げ切った後、再度シャボンディに上陸していたハートの海賊団。船を降りようとしたローをベポが呼び止める。
「どこ行くのー?キャプテン」
「野暮用だ」
それだけ言うとローは目的地へと歩き始める。シャボンディ諸島は数日後に迫っていた火拳のエースの公開処刑に備え、避難勧告が出たマリンフォードの住人達の避難先になっており、上陸時とは全く別の雰囲気となっていた。
「……何が起ころうとしてるんだろうな」
そんな事を考えながら、何日か前にリイムと二人で訪れた店に辿り着く。ゆっくりと扉を開ければ、待っていたかのように店員がローの方を向いて反応した。
「おう!兄ちゃんやっと来たな!来ないかと思ってたわい!」
「……」
「今日は彼女は一緒じゃないのか?」
「ああ」
否定するのも面倒になったローは適当に返事をし、さっさと受け取ろうと店員に視線を送る。
「いやぁ、指定された模様を彫るのに結構時間がかかったが、こりゃぁいい出来だぜ!」ほらよ、と店員は中身を確認をするようにと箱を開く。その中身を見たローの時が一瞬止まる。どんなピアスにしたのか知らなかったローは、馬鹿かあいつは、と小さく呟いた。
「あの姉ちゃんがこの場でさらさらーっと紙に書いてったデザインだ、よく出来てんだろう!」
箱の横に置かれた手書きのメモに書かれたデザインと、出来上がったピアスをローは眺める。ベースの形はどう見ても自分のピアスのシルバーバージョンで、1つはそのままのシンプルなものだったが、2つ目はハートの海賊団のジョリーロジャーのマークが半分入っており、3つ目にはまるで自身の刺青を連想させるような、ハートを模したトライバル柄がピアスにぐるりと細かく彫ってあったのだ。
「……偶然、か?」
リイムに腕と手以外の刺青を見られた事はなかった気がする。それに、リイム自身がシンプルなハートの形のピアスを軟骨につけていたので、特に深い意味はないような……ローはそんな事を考えながら箱を受け取る。
「毎度!」
笑顔で見送られながらゆっくりと歩き出したロー。麦わらの一味はあの後行方不明になったと噂されており、もうリイムもこの諸島には居ないのかもしれない。
それでもハートの海賊団クルー達は誰も悲観的な言葉は口にしない。少なからずローはそれに救われていた。
「さっさと戻ってこい、じゃじゃ馬女……」
ローは空を見上げて呟いた。覆い茂る木々の間から射してきた光に、船にリイムが来た時の事を思い出す。
あの日……突然雪が降ってきたかと思えば、まるで手品でも見ているかのように一瞬で晴れ間が広がった。あの時に感じた眩しさとよく似ていて……あいつは簡単に死ぬ女ではないな、そんな事を思いながらローは笑みを浮かべた。



廻る世界

「おかえりキャプテン!そういえば広場のモニターで公開処刑が中継されるって!」
「……世界がどう動くのか、おれ達も見届けるか」

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