〔4〕旅立ちは空色


 大きく伸びをしながら目を覚ました時には日は高く昇っていた。普段は飲みすぎても数時間で目を覚ますリイムにとっては珍しいことだった。ゆっくりベッドから降り窓を開けると、気持ちの良い風が入ってくる。
 柄にもなく飲みすぎてしまった。ふぅ、と小さく息を吐くとテーブルに置いてある水を手に取る。久しぶりの二日酔いであろう胃の不快感一人小さく笑うと、どうやってこの宿に戻ってきたかを思い出した。

 このまますぐにでも船に乗れと、まるで子供のように駄々をこねるシャチをはじめとした数人のクルー達に、私にも準備というものがあるのだと無理矢理説得して解散した。実際のところ、普段から身の回りの荷物は少なく、大した準備などはない。
 しかしリイムにはハートの海賊団の船に乗るにあたり少しだけ気がかりなこともあった。ルフィ達の船、メリー号は女性もいたおかげで特に不便もなく、むしろ快適だったのだが、今回の船は男所帯らしい。そこに関してはある程度の準備していく必要がありそうだと考えていた。
 念のため買い物でもして行こう。宿を出る準備をしながら冷静に昨日の出来事を思い返す。船に乗ることを提案したのは相手だったものの、自身もぶっ飛んだことを言ったものだとリイムは振り返る。そして返事も結果としては快諾。こんなにあっさりハートの海賊団の船に乗ることになるとは思ってもいなかった。酒の勢いだったかと聞かれると、案外そうでもないのでは、とリイムは思う。

「日々冒険、よね」

 きっと「あの人」もそうだったのだろうと一人の人物に思いを馳せる。そうやって、冒険を続けているうちに、いつの間にか海賊になったのだろう、と。

 リイムは物心ついたころから天涯孤独の身であった。リイムを引き取った母親同然の人物、ナデシコのおかげで今こうして生きていた。幼馴染み達、村の人々の温かさに触れながら過ごしていくうちに、ずっと孤独なのかもしれないという思いはリイムの中からいつの間にか消えていた。そして、あの頃の約束が、誓いが今、リイムを大剣豪へと突き動かしてる。
 リイムは荷物をまとめて背負うと、立て掛けてあった刀をしばらく真っ直ぐに見つめてから手に取り、腰に差した。
 ラフテルまで行けば、あの人がそこまでして何を見たかったのかが、わかるのだろうか。
 宿から出て見上げた青い空は、そんな思いを肯定してくれているかのような雲ひとつない快晴だった。



 最低限の買い物を済ませたリイムは、ジャリジャリと音を立てながらゆっくりと海岸を歩いていた。今日か明日にはハートの海賊団のログは貯まるはず……リイムは酒場での会話を思い出しながら、穏やかな波を薄っすらと細めた目で眺める。

「この小船ももう要らないわね」

 目の前にある、数日前には違う意味――壊れてしまうことで乗らなくなることも覚悟した船。航海の途中でで遭遇したどこかの海賊の物なのでそこまでの思い入れも特になかったが、区切りはつけておこうと刀の柄に手を添える。

「ま、短い間だけど、お世話になったわね……」

 元々壊れかけていて、長くは航海出来ないような船だった。リイムは刀を抜くとためらうことなく真っ二つにした。ついでに空へ向けてに手を一振りすると、みるみるうちに水蒸気の塊が空へと上昇していった。瞬く間に分厚い雲が広がり、それまで降り注いでいた日差しは遮られた。
 海へ沈んでゆく木片を背にしてリイムは歩き出す。行き先はハートの海賊団の船だ。

「何かが始まるというか、予感っていうのかしらね……そんな気がするのよ、トラファルガー」

 リイムはそう呟きながら、ひらり、ひらりと雪の降りはじめた春島を、海岸沿いに歩いていった。



 一方、死神が帯同することとなったハートの海賊団の船では慌ただしくその準備が進められていた。片づけられた一室に次々と荷物が運び込まれていくのをローは壁にもたれながら眺めていた。

「これでいいっすかキャプテン!」
「ああ」
「キャプテン、あとはどうしますかー」
「そっちに置いとけ」

 あれだけ駄々をこねていたのはどこへやら、シャチは「ラフテルまでとあっちゃ最低限準備は必要だよな。女の子だし、さすがにおれらと雑魚寝ってわにいかないだろうし」と鼻唄交じりに上機嫌でクルー達と一緒に家具を運んでいた。リイムが同行すると決まってからずっと浮かれたままの姿。その様子を見かねてか、ペンギンが頭をポリポリとかいてぼそりと呟いた。

「ちょっとは落ち着けって」
「いやいや、普通落ち着いていられる!?」
「それにあれ、女の子って歳か? おれらと大してかわらなそうな気もするけど」
「まー、雰囲気は落ち着いてるよなァ、しかもあのキャプテンと飲み比べで張り合うなんて!」

 どんな話をしたとしても、シャチの興奮は収まらないのだろう。昨日酒場にいなかった他のクルーも加わり、すぐにリイムの話で盛り上がる。もちろん、この場は歓迎ムード一色である。
 
「たまに笑ったときの顔は超キュート!!」
「大半が上面だけの作り笑いだろ?」
「だから! たまにちゃんと笑ったときって言ってんじゃん!」
「ずりィぞ! 早くおれも見てみたい!」
「そう焦るな! しばらく、なんならよくわからねェがラフテルまでおれらの船に乗るんだ、毎日見れるぞ!」

 ペンギンも時々怪しい節があるものの、いくらか警戒しているだけマシかもしれないとローは思った。浮かれ具合が目に余るようなら一度お灸を据えておかなければと考えたところで「お前ら、あんまり騒いでると斬られるぞ」とペンギンがいつもより低いトーンで話しはじめた。

「え、キャプテンに?」
「いや、死神にだ」
「!!??」

 賭けとはいえリイムを誘い、船に乗せることを決めたのは船長であるロー本人なのだが、あまりにもクルー達に危機感がなかった。単純に乗組員がひとり増えるだけの状況ではないことを、相手も海賊なのだということをペンギンは伝えようとしているのだろう。

「お前らも新聞はチェックしてるだろう? アイツは女だがその前に……2億の賞金首だ。おれは一度死んだ」
「え、ペンギン斬られたの?」
「未遂だけど、あん時の鳥肌と絶望感はやばかった。この世の終わりを見た」
「リイムの前で死神を連呼するとペンギンみたいになるから、気をつけたほうがいいよ〜」

 顔を真っ青にして話すペンギンと笑顔で補足するベポの表情が対照的だ。ペンギンが酒場での体験談を交えたおかげか、少しだけクルー達の表情が引き締まった。まァ上出来だろう。ローはペンギンの頭を鬼哭で突いた。

「いでっ!! そもそも、キャプテンが急に思いつきでリイムを乗せるとか言い出すから!」

 ペンギンの口からこぼれたのは本音なのだろう。しまった、といった様子で慌てて両手で口を隠した。思いつき――そう言われても仕方がないが、まったくの考えなしで誘ったわけではない。睨みを利かせ、さっさと動けとペンギンを足蹴にする。

「バラされてェのか?」
「うっ、すんません、なんでもないっす……」
「で! 肝心のリイムはいつ来るんだろーな」
「わからないと宴の用意もできないね!」

 見るからにテンションが下がったようなペンギンをよそに、一段落ついたベポがおやつを頬張りながら当たり前のように宴の話を持ち出した。その話に異論を唱える者は誰もいなかった。
 ローは目の前の状況にペンギンの言葉を思い出す。『――掴まれたんじゃねェ、死神だけに“憑かれた”のか』……確かに、ほんのわずかのやり取りですべてを知ったわけではないのに、クルー達はまるで本当に仲間になるかのような気でいる。
 そういった力を、能力を持っているのかもしれないし、元々の気質的なものなのかもしれない。何にせよ、何かを企んでいるというよりは、興味本位の割合が高いと踏んでいる。他のルーキー達と組まれると厄介だろうし、現状、これでいいはずだとローは考えていた。

「……ログが貯まる前には来ると言ってたんだ、そのうち来んだろ」
「そっか、この島海軍も居ないみたいだし、のんびり待てばいいね!」
「ああ、焦る必要はない。お前ら、ベポを見習え。落ち着きなさすぎだ」
「チッ、ベポのやつクマのくせに落ち着きやがって」
「クマですいません……」
「打たれ弱っ!」

 すでにリイムと打ち解けている余裕からかベポだけはマイペースだったが、クルー達に突っ込まれ、いつものように落ち込む。そんなハートの海賊団にとっての日常に、死神が同行する準備をするという非日常。
 ローはあまりの盛り上がりぶりにここまで用意する必要はなかったかと追考しながらも、準備が済むまで賑やかなクルー達を眺めていた。



「……!! キャプテンッ!」
「なんだ、そんなに騒いで」

 数時間後、慌ただしく甲板から艦内へと駆けて来たペンギンがローへと声をかけた。ゼェゼェと息を切らしているペンギン。一体何事かとローは続きを待つも、返ってきたのは拍子抜けするようなものだった。

「雪です!」
「あ? 雪?」
「春島なのに雪降ってるんすよ〜〜!」

 少しだけ嬉しそうに「今まで体験したことない不思議現象っすよ」とペンギンは続けた。何をそんなに騒ぐことがと思ったローだったが、すぐに一つの仮説が浮かんだ。重い腰をあげゆっくりと外へと向かうと、甲板ではクルー達が不思議そうに空を眺めていた。

「あっちは晴れてるのにな」
「それに……雪が降るほどは寒く感じないし」
「そもそも春の春島だぜ?」
「グランドラインって、やっぱこういうもんなのか?」

 ふわふわと落ちてくる季節感のない雪に、思い思いの言葉を口にするクルー達。ローも空を見上げる。そしてクルー達に向けて指示を出した。

「おいお前ら。準備を進めるんだな」
「え? リイムの部屋の準備なら終わりましたよ?」
「出航するってこと? ログならもう貯まるけど、リイムがまだ来てないよ? キャプテン」
「だから準備しろって言ってるんだ」
「えええ??」

 突然の出航準備にざわついたクルーを横目に、ローはその場にどかっと座ると再び空を見上げる。どう考えてもこの雪は自然現象ではなく、とある人物による人為的なものだと考えていた。
 そして数分後、先ほどと違う驚きの声がクルー達から一斉に上がった。今度は降っていた雪が突然止み、急に少し前までの雲一つない青空が広がったからだった。辺りにはうっすらと虹が架かり、視界の悪かった海岸に、急に一人の人影が見えた。ローは立ち上がると、船へと近づいてくるその人物、リイムに声をかけた。

「来たか、フランジパニ屋」
「ちょっと遅かったかしら?」
「いや、問題ない」
「ならよかったわ、ちょっと寄り道してきたのよ」
「しかし派手な登場だな」
「何のことかしら」

 突然姿を現したリイムとローのやり取りにポカンとするクルー達だったが、ペンギンもハッとしたように船から身を乗り出すとリイムに疑問を投げかけた。

「もしかして今の雪って……!?」
「びっくりしたわね? 突然降ってきて」

 彼女の異名は“灰雪の死神”。事の節目には必ずと言っていいほど雪が降る……素直に認めることもなさそうだったが、ずいぶん曖昧な返事だとローは思った。女にしては少なく見える荷物が船に放り込まれたの横目に、身軽になった体でふわりと船に飛び乗るリイムをただ見ていた。
 リイムは辺りを見渡し、警戒する者もいないとでも思ったのか酒場でクルー達に自己紹介をした時のように笑みを浮かべる。そして再びその場に腰を下ろしたローの「お前ら」という一声で、散っていたクルー達が一斉にその場に集まった。

「……この様子だと話は聞いてると思うけど……フランジパニ・リイムよ、しばらくよろしくね、ハートの海賊団の皆様」
「うおおおおおぉ!!!」
「実物半端ねェ!」
「よくぞ! 星の数ほどある海賊達の中から我が海賊団にー!!!」

 クルー達は皆で肩を組み「ようこそ! ハートの海賊団へ〜!」と叫んでいる。それを見たリイムも、「ずいぶん歓迎されているのね」とにこやかな表情で笑った。

「本当にめでてェ奴らだな」

 ローは騒ぐクルー達を見てひとつため息をつくと、真っ直ぐに歩いて来るリイムを見据える。軽快に足音を鳴らし甲板を歩いてきたリイムはローの前で止まると、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「トラファルガーは誘った張本人のくせに歓迎してくれないのかしら?」
「そんなに歓迎して欲しいなら、後でおれの部屋に来るんだな」
「そんなに来て欲しいなら行ってあげてもいいわよ?」
「お前が歓迎しろと言ったんだろ?」
「ないならないでいいわよ。して欲しい、とは言ってないわ」
「……かわいくねェ女だな」
「あら、誉められたわ」
「褒めてねェ」

 まだ出航前、本当にただ船に乗っただけでこれだ。クルー達の反応も、そして目の前のリイムとの自身のやり取りも……ローはわずかに眉をしかめた。自分から持ち掛けた話、酒場で飲んだ時点でクソ生意気な女だとはわかってはいたが……デメリットがメリットを上回らなけりゃいいんだが、と考える。

「素直じゃないのね、トラファルガーは」
「それはお前もだろう、フランジパニ屋」

 今のところはメリットのほうが圧倒的に高いのだ。でなければ船になど乗せない、とローは自身に言い聞かせる。
 しかし対等と呼べるかはよくわからないが、このくだらない感じの言い合い……たとえば友人とするような会話は、久しくしていないやり取りだと思った。
 さてどうしたものか、と考えたところでローは違和感を覚えた。リイムの後方の、あれだけ騒がしくしていたクルー達がやけに静かになったことに気づきすぐ視線を向けた。

「わー!! リイム! あまりしゃがまないで! パンツから下着が見えてる!」
「チッ、ベポめ余計なことを……!!」
「大丈夫よベポ、これは見えてもいいタイプだから」
「……フランジパニ屋、そういう問題じゃねェ」
「あら、じゃあもっと浅めのを買うか、パンツをハイウエストにするしかないかしら」
「水色だ〜〜〜っ!!」
「……今舌打ちした奴、鼻の下を伸ばして身を乗り出していた奴は大人しく全員そこに正座して並べ!!」

 あれだけ歓迎ムードのクルー達が急に大人しくなっていたのは、しゃがんでいたリイムの、股上の浅いパンツから見える下着をのぞき見していたから、だった。早々にデメリットのフラグを回収していく仲間達。ローはどうしたものかと頭をワシャワシャとかいた。

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