〔3〕鎌に見えた刀


「キャプテン、何話してるんだろ……」
「ここからだと微妙に、絶妙に聞こえないんだよなァ」

 テーブル席に残されたペンギン、シャチ、ベポ、ハートの海賊団のクルー達は、カウンターで話すローとリイムの様子をそわそわとうかがいながらも、比較的穏やかな時間を過ごしていた。何より驚くほど酒が美味い。ペンギンは自身の船長を気にしつつも純粋に酒を楽しんでいた。

「キャプテンと一緒で懸賞金が2億……かわいくて強いとか最強かよ」

 モグモグと口いっぱいにポテトを頬張りながら、シャチはローとリイムが話す姿をうっとりとした表情で眺めている。ほぼ外見でしか判断していないような言葉に、ペンギンは「いやいやいや」と手を左右に激しく振りながら反論した。

「かわいい?? こうして見てると普通の女だが、あれ、灰雪の死神なんだぜ?」
「普通!? ペンギンお前目おかしいんじゃない? おれには女神に見えるぜ」
「はァ? あれが女神とかお前こそ頭おかしいんじゃねェか? 懲りずに浮かれてっとキャプテンにボコボコにされるぞ」

 ペンギンとシャチで目の前にいる海賊、リイムについて言い合いをしていると、丁度ローとリイムが二人のほうへちらりと振り返った。ペンギンももちろん一瞬目が合う。その視線に少し肝を冷やしたペンギンは「ほれ見ろ言わんこっちゃない」と肘でシャチの脇を突いた。
 「デレデレしてんの、見られたぞ?」とペンギンがしっかりしておけという意味を込めてシャチの体を左右にゆする。しかしシャチは相変わらずニヤニヤと頬に手を当てながら時々酒を口に運びカウンターを眺めているだけだ。「本当に知らないぞ」とため息まじりに吐き出すと、カウンターへと視線を向ける。今はただ二人の動向を見守るしかない。
……相手は女だが、不気味な雰囲気の刀が腰に差してある。もちろん海賊で賞金首、しかも2億ベリー。今のところそんな気配がないとはいえ、島がまるごと吹き飛んだこともあるらしいから油断はできない。最近の新聞で、エニエス・ロビーに風のように現れ、海軍に大打撃を与え、麦わら一味の逃亡の手助け。その危険さから懸賞金が一気に跳ね上がったと記事になっていたことも確認済み。
 キャプテンが負けることはないとは思うが、もし厄介な能力者だったりした場合、おれらも何かしらの対応、行動を取らなければならないだろう……そんなことをぐるぐると考えながらペンギンは会話を続ける二人を見つめる。そしてペンギンの頭には、ふと一つの可能性が思い浮かんだ。
 勧誘――仲間にしようと声をかけている可能性がなくもない。死神はフワフワと船から船へと移動し、必要がなくなれば沈める、と聞いたことがある。ゆえに単独行動。ガチのナンパの可能性は……たぶん、なさそうだが、からかいながらのナンパついでに、相手の様子をうかがう、なんてことはしそうだ。
 おや? 待てよ? こうして見てるとキャプテンは当たり前として、リイムも人を惹きつけるオーラみたいなもんがあるような。座って話をしているだけだってのに、二人が並んでると、ただの酒場がまるで映画のワンシーンみてェだ……立って並ぶとますますいいバランスだ、え、なんかちょっと惚れ惚れしちまうぜ、この二人。いや、一度落ち着くんだ、ただの2億ベリー補正かもしれない。ペンギンはすっかり周りの話を聞くことも忘れて、イスから立ち上がって近づいてくる二人、ローとリイムをうっとりとした表情で見ていた。

「ペンギン……おい、ペンギンっ!」
「っわぁ! なんですかキャプテン、急に話しかけるなんて!!」
「てめェ……さっきからおれが何回呼んだと思ってんだ」
「えっ! す、すいませんキャプテン!」

 色々考え出すと止まらない癖がでてしまったようだ……ペンギンはひたすらローに頭を下げ必死に謝る。そして恐る恐る顔を上げればローと一緒に歩いてきたリイムの姿が近くにあり、ペンギンは何がどうなったんだ? と首をかしげる。
 ローは「まぁいい……」とペンギンに向けて呟き、一呼吸置いてから「おいお前ら、よく聞け。しばらくこいつをうちの船に乗せるからな」と告げると、立てた親指をくいっとリイムのほうへと向けた。全員がローが指で示した先にいる人物を確認する。ペンギンも目をこする、その人物から視線をそらすと、信じがたいといった表情のクルーと視線が合う、もう一度確認する。しかし何度確認してもそこにいたのは灰雪の死神、リイムだった。

「アイアイキャプテーン!」
「って!!?」
「えぇ〜〜〜〜〜〜〜!?」

 いつもどおりに元気よく返事をしたベポの声以外、店内に響いたのはどよめきと驚愕の声だった。ペンギンももちろん「なんだってェ!!?」と叫びながらイスから転げ落ちた。
 キャプテンったら本当に勧誘してたのかよ!! しばらくって!? うちの船沈んじゃう! いや潜水艦だから海中には沈めるんだけどって、いやいやそうじゃなくて!……ペンギンは思考がまとまらずにあわあわとしたまま開いた口に手を当てる。

「……ふぅん、クマくんを除いて、私が乗ったら船が沈んじゃうなんて思ってるのかしら?」
「おれ、ベポ! この船の航海士だ!」
「あなたが航海士なのね」

 さっそく立ち上がってリイムに自己紹介をするベポ。圧倒的に不安と心配の色が濃い中で、ベポの肝が据わっているのか、ただのん気なだけかはわからないが、想像していたよりも和やかに挨拶を交わしている二人をペンギンは見つめる。

「アイアイ! よろしく!!」
「ええ、こちらこそ」

 自然とベポとハグをしていたリイム。その毛並みを堪能するかのように頬を寄せている姿は死神だとは思えない、微笑ましいものだった。キャプテンもベポに少し甘いふしがあるが、どこか人に癒しを与える雰囲気があるというか、シルエットというか……打たれ弱いのはともかく、そこがベポの魅力のひとつだよな、とペンギンは思う。
 ややあってリイムはペンギンや周囲からの視線に気づいた。ハッとしたようにすぐ表情を戻してベポから離れる。そしてこほん、と咳払いをひとつすると、すんとした顔を作り姿勢を正した。

「そうよね、得体の知れない死神を乗せるなんて心底嫌よね。とりあえず簡単に自己紹介するわ。フランジパニ・リイム、出身は東の海、懸賞金は最近2億になったみたい。過去の新聞の記事はまぁ、大体合ってるわ。クロコダイル率いるバロックワークスに幽霊社員として半年……もいなかったかな、ちょーっとだけ勤めたけれどつぶれちゃいました。そのときの縁もあって麦わらくんの船にお邪魔したこともあるわ。ちなみに世界一の大剣豪を目指してるのよ。戦闘員としては申し分ないと思うわ。しばらくの間よろしくね」

 自己紹介内に聞こえた「クロコダイル」と「つぶれた」いうワードにペンギンの顔には汗がたらりと流れた。クロコダイルは元王下七武海だ。幽霊社員だか何だか知らないが、この女関わると絶対ヤバい奴!!……ペンギンは「ほら! やっぱりつぶれてんじゃん!!」と声を大にして言った。
 するとの次の瞬間、本当に一瞬の出来事だった。ペンギンは今まで経験したことのないような鳥肌が立っていることに気づいた。抜刀したリイムと視線がぶつかったのだ。血の気が引いていく。圧倒的強者の睨みにピクリとも動けなかった。

「ねェあなた、私って死神だと思う?」

 答えを間違えたらおれは今日、ここで死ぬ。嘘でも否定しなければ死ぬ。ペンギンはその問いに、首を横に大きく、全力で振りながら答えた。

「うんうん!!」
「……」
「うわああぁしまったァ! 心の声がァ!!!」

 リイムは少しむっとしたような顔をしながらハァ、とため息を一つついてゆっくりと鞘に刀をしまった。その行動に、おれ今ちょっと死んだかと思った……と胸を撫で下ろす。
 冷静に考えれば、リイムが本気で手を出すようならキャプテンがどうにかしてくれたはずだが、本当に死神が鎌を手におれの前に現れたんだと思った、慄然とした。いや……今のはただの死神の戯れだ。一度落ち着こう。ペンギンは呼吸を整えながら椅子にドカッと倒れこむようにして座った。

「私は、あなた達に私が死神じゃないってことを証明してみせる。私が本当に死神だったときはあなた達の勝ちよ」
「え、勝ちって……?」

 突然出てきた勝負の気配に、その場にいたクルー達は顔を見合わせた。そしてすぐに一斉にどういうことなのかとその視線をローへと向けた。

「あァ、言ってなかったな。こいつ賭けをするんだ。こいつを乗せた航海……おれ達がラフテルまで無事なら死神じゃなかった、ってことで死神屋の勝ちだ」
「ラフテルゥゥゥ!!!??」

 そんなローの発言にペンギンも、先ほどまで調子よく話していたシャチまでもが呆気に取られていた。急に何を言い出すのかと思えばよくわからない賭け、しかも行先はラフテルだという。何がどうなってそんな賭けに? といった様子でクルー達はリイムとローを交互に何度も見る。

「あれ? 待てよ、逆に本当に死神だったときって、おれ達が勝っても……」
「……ウフフ」

 リイムは笑ってるが、この賭け、勝ったとしてもそのときハートの海賊団は壊滅しているであろうことにペンギンは気づく。こいつ何なんだ! さすが億越えのルーキー、考えがぶっ飛びすぎてる……! ペンギンはしばらく開いた口が塞がらなかった。
 気を紛らわすように近くの酒を手に取り一気に飲み干すと、あらためてその発言の意味、その賭けにのった自身の船長について考え、頭痛がし始めたような気のする頭を抱え込んだ。

「マスター、ラム酒おかわりもらえる?」
「おれにもだ」
「ところで、乗るのはいいけれど死神屋って呼ぶのやめてもらえないかしら? 私死神って呼ばれるのがだーい嫌いなのよ」
「呼びやすかったんだが」
「次そう呼んだら斬るわよ」
「望むところだ、死神屋」
「……もう」

 そのまま隣のテーブルに陣取った二人の会話がペンギンの耳に入る。ああ、キャプテンったらわざとだ、絶対わざと死神屋って呼んでる。煽らないでって言っても無理な話なんだろうけど、こっちはハラハラするよ寿命が縮むよ……ペンギンはカタカタと震える手を押さえるようにグラスを持つ。

「斬らないのか? 死神屋」
「ハァ、わざと言ってるわねクソ外科医さん」
「それが本性か?」
「本性も何も、私は私よ?」
「フッ、おい店主、もう一杯だ」
「あ、私にもお願いね」
「何杯飲める?」
「飲み比べ? それなら負ける気がしないわ」
「おれもだ」

 ……駄目だ、この人達駄目だ。だがそんなキャプテンについて行くと決めたのはおれらだ。うん。どこまで本気の賭けかは知らないが、ラフテルまでって言うことはつまり――ペンギンはごくりと息を呑んだ。
 ベポは早々にリイムと交友関係を築き、先ほどまでペンギン同様騒いでたシャチも、もう死神であることはどうでもいいようだった。ニヤニヤしながら、自己紹介をはじめた。
 そんなシャチの姿にペンギンは、まァ単純に女性が同行することが嬉しいのだろうと納得する。それに関してはおれも嬉しいんだが、素直に喜べないこの複雑な気持ちは、きっといつか消えてなくなるのだろうか……ペンギンはかつてないほどの大きなため息を酒場に吐き出した。



「それにしても、さっきは本当に斬られると思った」
「さっき? あぁ……あれね」

 酔いがまわってきたころ、ペンギンがぽそりと呟いた言葉をリイムが拾いあげた。そして自身の刀を手に、まるでそれが恋人であるかのようにうっとりと見つめながら答えた。

「斬りたいときに斬れるのが優秀な刀なのよ」
「じゃ、あれは大丈夫だったのか……よかった」
「いいえ、真っ二つ」
「……」

 やっぱり、イカれた女だ……しかし目の前には何やかんや言い合いながらも、ハイペースでリイムと飲み比べ対決をしている、少しだけ生き生きとしたような船長。その姿を目の当たりにしたペンギンは、キャプテンについていくと決めたのはおれなんだと、抗議のひとつでもしようと思った言葉を涙と共に静かに飲み込んだのだった。

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