〔5〕台風の目


「リイム、こっち、こっちだよ!」

 ベポが落ち着きを隠せない様子でグイグイとリイムの腕を引っ張る。そんなベポにされるがままにリイムも船内を早足で歩いていた。

「わかったわ、でもそんなに焦って……案内してくれるの??」
「それもあるけど……あ、こっちは食堂だよ、あっち行くとシャワーと洗濯機もあるし、あとはね」

 甲板で何かを思い出したらしく、あっと声をあげたベポに連行されてからまだ数分もたっていない。駆け足で説明され、なんとなく記憶はしたが……まあ、ゆっくり覚えればいいかとリイムが考えていると急にベポが足を止めた。「着いたー! ここだよ!」とハァハァと息を切らしながら小さな扉を指差した。リイムはそんなに急がなくても良かったのではと言おうとしたのだが、目をキラキラとさせているベポを見て口にすることなくそのまま飲み込んだ。

「開けてみて?」
「……? ええ」

「開けるわよ」とリイムがベポに向かって微笑めば、ベポは早くと急かすように背中をポスポスと叩く。立て付けが悪いのか、キィ、という少々不気味な音を立て扉が開く。リイムは遠い記憶も一緒に開いたような、そんな不思議な感覚を覚えた。

「……! あら、これは」

 そこには決して広いとは言えないスペースに、最低限の家具が置かれていた。おそらく物置か何かに使われていた部屋ではないかとリイムはその空間を見渡す。

「急だったから、あまり色々と揃えられなかったんだけどね! キャプテンが……」
「おいベポ!」

 ベポの言葉が遮られたのは後から追いかけて来ていた、頭にたんこぶを乗せたペンギンのせいで、呆れたような表情でペンギンは呟いた。

「ったく、お前ら甲板に荷物ほっぽったまま何してんだ」
「あっ!! そうだった! つい……」

 ごめんごめん、とペンギンに向けて手を合わせるベポ。ついじゃねェよとでも言いたげな表情のペンギンの両手には、リイムが船へ投げ入れた荷物があった。

「わざわざ持ってきてくれたのね、ありがとう、ペンギン」
「大したことはないさ。まぁこの部屋には丁度いい量の荷物だな。女だからどんな大荷物で来るかと正直ハラハラしたもんだ」
「ウフフ、なんだか気を使わせちゃったわね」

 リイムは荷物をペンギンから受け取るともう一度、自分の為に用意されたのだという部屋をじっくりと、眺める。大きくはないベッドの脇に窮屈そうに置かれたテーブルと、小さなイス。

「なんだか、懐かしいわ」
「何がだ?」



 昔、リイムがシモツキ村のナデシコの家に引き取られた日の出来事。それ以前のことはよく覚えていなかったリイムは気付けばナデシコの家の玄関の前に立っていた。

「お、じゃま、します」
「やだねぇリイムちゃん、ここはあんたの家なんだよ」
「……うん」
「ほら、こっちきな!」

 急に腕を引っ張られたリイム。廊下を進み、階段を上るとナデシコがとある部屋の扉を開けた。揺れるカーテン。窓から差し込む光に一瞬目を細めるも、そこには普通の、シンプルな部屋があった。

「ほら、ここが今日からリイムちゃん、いや、リイムの部屋だよ!」
「えっ……」
「すぐには色々と揃えられなくてねぇ、布団と机と椅子しかないんだけど、今に大きなベッドを買って、そうだね、あとはカーテンももっとフワフワしたのに替えようかね! それにカーペットは……ってリイム!?」
「う゛っ……わたしのっ、部屋? わだっ、わたし……ここに居て、いいの?」
「ここは、リイムの家。リイムの部屋。何があっても帰ってくる、私達の家、だよ」
「ぅう゛ぅぇ〜えっ」
「ほら、こっちおいで、泣きたい時は泣いたらいいんだよ」
「ぅう゛うぇえええ〜っ!!」



 ……あの部屋の扉も立て付けが悪くて、キィキィと音を立てていたっけ、そんなことをリイムはぼんやりと思い出してた。あの日の、あの時の部屋に「そっくり、だわ」と呟くリイムの顔には自然と笑みが浮かんでいた。懐かしむようなリイムの言動に、ペンギンもベポも一体何の話だろうかと顔を見合わせる。

「わざわざありがとう、すごく嬉しいわ」
「狭くて悪いがこれが精一杯だ」
「いえ、充分すぎるわよ」
「な、なんか文句の一つでも言われると思ってたから拍子抜けだな……まぁ、お礼ならキャプ」
「おい」

 ベポに続いて今度はペンギンの言葉が遮られる。広いわけではない通路をローが顔をしかめながら歩いて来て、置かれたままの残りの荷物をコツンと足で蹴る。

「通路を塞ぐなお前ら」
「キャプテン!」
「……トラファルガー、さっきは悪かったわ」
「は? 何の話だ?」
「ウフフ、いいのよ、そう言わせて」
「なんだ、嵐でも来るのか?」
「いいえ、明日は晴れよ」
「そうか」

 ベポとペンギンの様子から察すると、一時的な乗船にもかかわらず部屋と家具を用意してくれたのはトラファルガーで……そしてこの様子だとそれを自分で言うつもりはないのだろう。リイムはベポへと視線を向けたローを見る。
 口は悪いし話も聞かないし素直ではない、まぁ素直な海賊っていうのもおかしな話だけども、それでも思っていたよりも悪くは、ないのかもしれない……リイムは会話をする海賊達を眺めながら思った。

「ログはどうだ? ベポ」
「! あ、もう貯まってるよキャプテン!」
「なら、もうこの島にいる意味もない。出航だ」
「アイア〜イ!!」
「なるほど。アイアイ、ね」
「うわァ……なんかお前が言うと気持ち悪ィな!」
「斬られたいのかしらペンギンくん?」
「ペンギン、ふざけてないで配置につけ」
「えっ、何でおれだけ……って、なんでもないっす! アイアイ! キャプテン!!」

 こうしてハートの海賊団は、一時的に新たな海賊を迎え入れ、次の島へと旅立つ。



 無事に島を出航したので、リイムは早速荷ほどきをしようと用意された部屋へと戻った。床とベッドに広げた荷物を整理しながら、やけに落ち着く部屋だと一人小さく呟く。部屋などどこでもよかったし、それこそ雑魚寝でも何でもよかった。と、言うよりは何も考えていなかったというのがが正直なところだった。
 狭いながらも一人部屋を用意してくれたことに、今更ながらリイムの胸には嬉しさが込み上げる。部屋があるのならせっかくだし、次の島へ着いたら色々と買い足そう、リイムはぼんやりとそんなことを考えていると、突然部屋の外から少しテンションの高い声が聞こえてきた。

「うぉ〜い! リイム! いるか!」
「? ええ、いるわよ」

 リイムが外に向けて聞こえるように答えると少ししてから扉が音を立てて開き、ひょっこりとシャチが顔を覗かせた。

「小一時間ぐらいしたらさ、食堂に集合な! あ、食堂、わかるか?」
「ええ、さっきベポが説明してくれたから……たぶんわかるわ」
「そうか! 部屋も気に入ってくれたようで何より! んじゃァまた後でな!」

 そうとだけ言うと、シャチは手をヒラヒラと振りながら颯爽と走り去って行った。人懐っこくて、かわいらしい。弟がいたらあんな感じなのだろうかとリイムは考える。同世代な気がするが年上の可能性もあるかもしれない。海賊は年齢不詳なことが多いから……まぁそれはそのうちわかるだろう、とテーブルの引き出しに細かいものをしまう。
 それにしても一時間、昼寝には丁度いい時間だ。そんなことを思いながらリイムは大きな欠伸をひとつ。

「……ちょっとだけ、ね」

 床に座ったままベッドに寄りかかり、慌ただしかったような、そんなこともなかったようなこの数日を思いながらそっと目を閉じた。



 それから、シャチがリイムに声をかけてから一時間以上が過ぎたころの食堂。ローが遅れて宴が始まっているはずの食堂へと足を踏み入れようとすると、困ったな、と話すペンギンとシャチの声が聞こえてきた。そんな二人に「おれの説明が足らなかったのかなァ」とベポが呟いている。

「シャチ、ちゃんとリイムに伝えたのか?」
「あぁ、もちろん!」
「主役がいなきゃぁ、始められないな」
「もしかして迷ってるのかな?」
「でもおれ、ちゃんと説明したよ! たぶん!」
「本当か? ベポ」
「う〜ん……ちょっと急ぎ足だったけど」

 その会話を耳にしたローは、ハァ、とため息をつくと食堂に入ることなくそ、のまま船内を歩いて行った。
 甲板から駆け足でベポに部屋まで連れていかれたリイムを見ていたローは、食堂がわからないか、もしくはシャチが時間を伝え間違えている可能性が高そうだと、以前までは物置であったリイムの部屋へと向かう。すると大方の予想どおりに、通路でついさっき部屋を出たのであろうリイムの姿をとらえた。

「おい、フランジパニ屋、こんな所で何してんだ」
「……?」
「あいつら食堂で待ってるぞ」

 リイムの反応が鈍いようにローには見えた。振り返ったリイムはしばらくローの顔を見たまま動かないのだ。これまで意思の疎通は取れていたはず……まるでなぜここに自分がいるのかわからない、とでも言いたげな表情だった。

「おい」
「……ん〜、トラファルガー?」

 もう一度声をかければ、少しだけ首をかしげ眠そうな目をこすりながらそう言う。こいつはこんなボケっとした反応をする奴だっただろうか、とローは思う。そこそこに酒が入ってもテンションはあまり変わらない印象だったから、だ。
 そうしてようやく、リイムから発せられたローへの返事は「ちょっと寝過ぎちゃったわ」だった。
……なるほど、寝惚けているのかとローは納得した。シャチは時間を知らせに行ったはずだ、そのあいだに昼寝するなんてマイペースすぎるというかなんというか……ローは頭をかいて小さくため息を漏らす。

「さっさと行くぞ、あいつら待ちくたびれてんぞ」
「食堂よね、そういえば集まってどうするの? 晩御飯には少し早い気がするけれど……それともいつもそうなのかしら?」

 ペラペラと話し出したリイムに、ローはもう大丈夫かと少しだけ安心しつつ、もしかすると見間違えたのかもしれないと考え直す。仮に、寝起きが毎回アレでは、うちのクルーは大騒ぎする予感しかしない。デメリットフラグがまた、垣間見えてしまった……ローはぼそりと呟く。

「部屋を用意して正解だな」
「……?」
「こっちの話だ」
「何よ、で、この船にはお茶の時間でもあるの?」
「行けばわかるからさっさと行け」

 今日のところは遭遇したのがシャチやほかのクルーでなくて良かった。確かにあいつらが騒ぎそうな、実際騒いでいるのだが整った容姿だ。騒ぐ気持ちもわからなくもないが……とまで考えたローは、無駄な思考が脳内に占領されていくのに気付いて「やっぱり面倒だな」と食堂へ向かう足を速めた。

「……何が面倒なのよ」
「何でもねェ」
「さっきからブツブツと気持ち悪いわよ」
「ハッ、死神のお前のほうが気味が悪いが」
「死の外科医のほうがよ〜っぽど不気味よ」

 こうして言い合いをしながら食堂へ入ってきた二人を、クルー達は歓声をあげながら迎えたのだった。

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