〔2〕賭けの意味


「うわぁ、明日もここに来たらまた会えるんじゃ……?」

 リイムが酒場を颯爽と去って行ったあと、シャチは相変わらず頬を赤らめて、「ベポ! さっきの子めっちゃいいよな!」と航海士であるクマ、ベポに酒が入る前から絡んでいた。ローはそんなシャチを横目に、運ばれてきた酒を手に取ると開口一番に「決まりだな」と呟いた。
 カウンターからひらりと落ちてきた一枚の紙、手配書をペンギンは拾い上げて、「何がです?」と尋ねながら目の前のテーブルへと置いた。その手配書の写真には、不敵な笑みを浮かべる一人の女が収まっていた。

「死神屋か、面白いことになりそうだ……」
「あー、今の、やっぱり本物だったんですね、って!? これ前より懸賞金上がってますよ! 2億ってキャプテンと一緒じゃないですか!?」
「金額はさておき……ペンギン、この写真よく見てみろ、また後ろで船が沈んでる。さすが死神といったところか」
「えっ!? うそさっきの子、死神??」
「シャチ……お前な、気づくの遅いぞ」

 ペンギンはあらためて、手配書とローを交互に確認しながら何が決まったのかを考える。そしてすぐに、灰雪の死神、フランジパニ・リイムと同じように明日もここに来るのだろうという結論を出す。
 死神なのだとわかってからもなお盛り上がっているシャチ。そんなシャチを眺めながらペンギンは、何を思ってキャプテンはもう一度死神と会うつもりなのか、そう熟考する。
 しかし答えは出ず、これはもうなるようにしかならないなぁと思いながら強めの酒を胃に流し込んだ。



 そんな出来事があった翌日の朝。ハートの海賊団は停泊中の船上で各々持ち回りの毎朝の掃除、洗濯、整備等を進めていた。

「おいシャチ」

 柔らかな日差しの降り注ぐ甲板に似合わぬ鋭い声がシャチを呼んだ。しかし呼ばれた本人ではなく、それに過剰に反応した第三者が一人いた。ペンギンだ。ローがシャチを呼ぶ声色が機嫌が悪そうであることを察知したからだ。ペンギンは遠目で、何も起こらなければいいのだが、と二人のやり取りを眺める。

「お前……何朝っぱらからニヤニヤしてんだ。気持ち悪ィな」
「えっ! キャプテン、おれそんなにニヤニヤしてますか?」

 ローに指摘されシャチは事の重大さに気づいたようで「あっ」と声を漏らす。ペンギンはそろりそろりと二人から距離を取った。理由は単純、船長、トラファルガー・ローの手がワナワナと震えているからだった。
 ペンギンは、自身の仲間で相棒であるシャチはちょっと抜けてるところがあるんだよなァと分析しつつ、そのシャチが歩いて来た後方に目を向ける。そこには洗濯物が、足跡のように何枚も落ちていた。確かに、シャチが「ああなる」のもわからなくはない、と昨日の出来事を思い浮かべる。
 酒場で鉢合わせた“死神”は、ずいぶんと綺麗な女性ではあったが……キャプテンと同じ2億という賞金額とか、死神というこの世のものではない不気味な異名が彼女をそう見せるんだろうか……だからと言って、洗濯物をひとつずつ落としながら歩くなんて、フォローのしようもない。あいつは露骨に態度に出るからなぁ。ペンギンはそんなことを考えながら間抜けな洗濯物を拾って歩く。
 一行は今日夕刻、再びリイムと出会った酒場へ行く予定となっていた。ペンギンも勿論、同行する。
 そういえば……ペンギンは拾った洗濯物を抱えたまま思考を巡らせる。あの小船が本当に死神の物か聞くんだったな、と。ローが数日前、遠くに小船を見たと言っていたこと、流石にこの航路をあんな船で進めるはずがないという結論に至っていたことを思い出していた。

「ペンギン」

 ……そんな話をしていたが、その件ついては代表しておれが死神に聞こう! そしてあわよくばそのままちょっと小話でも! 脳内での自分会議を開いていたペンギンだったが、遠くから呼び戻すかのようなローの声にハッと我に返った。

「おい、ペンギン、てめェ聞いてんのか?」

 気づくとペンギンの目の前には眉間のシワ120%アップのローと、すでにどでかいたんこぶを作り正座しているシャチの姿があった。

「あっ……キャプテン、すいません」

 ああ、やってしまったとペンギンは嘆いた。おれとしたことが、これではシャチと同じではないか。良くも悪くも、おれたちクルーは死神とのあの一瞬の出会いで何かを掴まれてしまったらしい……と。

「……いや、掴まれたんじゃねェ、死神だけに“憑かれた”のか」
「へェ、そんなに死にたければそうしてやろうか」

 ペンギンの思考はすっかり口に出ていたため、周囲に駄々漏れだった。だがそんなペンギンを見るローの顔は呆れながらも、ほんの少しだけ笑みを浮かべているような、何かを企んでいるかのような表情……ペンギンにとってはそれは恐怖でしかなかった。
 結果、ペンギンはシャチ同様にたんこぶを作ることになり、しばしの正座、精神統一を言い渡されたのだった。



 酒場が開くまでのあいだ、リイムはカフェでのんびりと過ごしていた。持ち帰りのコーヒーを注文して店を出た後は食前の運動も兼ねてふらりと町を探索。
 しばらくすると辺りは薄暗くなっていき、夕日が沈もうとしていた。そろそろ頃合だろうかとリイムは少しだけ歩く速度を上げて酒場へと向う。そして昨日と同じ扉を開くと、そこには待ってました! と言わんばかりの店主の視線があった。

「こんばんは、昨日のお酒、あるかしら?」
「らっしゃーい! 今日は嬢ちゃん達がまた来るって言ってたからなぁ、他にも美味いもん色々仕入れてあるぞ!」

 「嬢ちゃん達」という言葉にリイムの心臓は少しだけドクリと跳ねた。やはりハートの海賊団も来るのだろう、カウンター席へゆっくりと腰を下ろす。
 店主はすぐに厨房からあれやこれやとカウンターへ運んでくる。とにかく歓迎されているようでなにより……リイムは小さく微笑み、差し出されたグラスを受け取ると「では遠慮なく」と静かに飲み始めた。
 その後も次々に料理や酒が運ばれ、とっておきのラム酒も仕入れたのだと店主は嬉しそうに言う。さすがの料理の多さに圧倒されたが、おそらくすでに彼らの分も用意されているのだろうと深く考えるのをやめた。

 そうして小一時間ほど過ぎた頃だった。酒場の扉が勢いよく開く。振り向かなくてもリイムに分かったのはあのハートの海賊団が入ってきた、ということだった。誰にも気づかれぬ程度に少しだけ口角を上げた。

「よお、店主」
「アイア〜〜イ!!」
「本当にすんませんでした、今日はおとなしく静かに飲みます、キャプテン」
「……おれも、反省してます」

 聞こえてくる会話の内容から察するに何やらお叱りを受けたのだろう。先陣を切って入ってきたうちの2名ほどテンションの低さを漂わせているが、船長とクマの機嫌は上々そうである。リイムは目の前のグラスの中身を飲み干す。

「うぉい! お前らも良く来たな! 今日は色々仕入れてあるぜ!」

 店主も店内に合わせて4億の賞金首がいるという状況にテンションは最高潮のようだ。そんな店主に向かってリイムはもう一杯お願いね、と頼み酒を待つ。するとそこへカツカツと足音を鳴らして歩いてくる男が一人。

「死神屋……隣は空いているか?」
「ええ……空いてるわよ、死の外科医さん」

 やはり認識はされていたようだ。しかしカウンター席の隣のイスに腰掛けた人物に開口一番に死神と呼ばれたことに関しては少々カチンときたリイム。それならと意地でもと名前では呼び返さずに、でもできるだけ冷静を装う。

「いままで……いくつ沈めた? 死神屋」

 しかし続けざまにそう問われて、ますますリイムの眉間にはしわが寄る。店主からの酒を受け取り、ごくりと一口飲んでからどうにか気持ちを落ち着かせた。

「……あなたのほうこそ何人殺ったのかしらね?」

 リイムは愛想笑いでにこりと返したが質問の答えが返ってくることはなく、かわりに低い声で、過去に新聞に載ったリイムの経歴が大雑把に聞こえてきた。

「エニエス・ロビーに突如現れ、麦わら屋の一味に加担。危険人物として世界政府も緊急会議を開く。それ以前にも一時的にだが元七武海クロコダイルの率いた秘密犯罪組織で暗躍。関わった組織や船はことごとく沈み、島もいくつかなくなった。そしてどういう訳かその終わりにはいつも雪が降る。これで大体合っているか? 懸賞金2億ベリー……灰雪の死神、フランジパニ・リイム」
「……暗躍って、あそこでは何もしていないわ、私は。幽霊社員みたいなものよ。それにひとつ言わせていただくとね」

 ローの言葉を黙って聞いていたリイムだったが、本当に……これだけは言っておきたいと、カウンターに肘をつき、リイムは目の前の人物としっかりと視線を合わせる。

「勝手に消えただけよ、組織も、船も。私は死神でもなんでもない。現に麦わらの一味はピンピンしてるでしょ? まぁメリー号は寿命だったけど……とにかく、沈んだ奴らは所詮それまで、だったってこと。おわかりいただけたかしら?」
「フフッ……そうだな、違いねェ。つまりお前が乗った船で沈まなければそれなりの実力の奴か、よっぽどの幸運の持ち主ってことか?」

 ローは不機嫌そうな表情のままのリイムを眺めながらクツクツと笑う。そんなリアクションにリイムはムッと頬を膨らませる。もう少しスムーズに話ができればいいと思っていたがこれだ。目の前に置かれていたボトルから、リイムは自分で直接グラスに酒を注ぐ。

「だから、他人の人生に私は関係ない。なんだか……思ってより話が通じない人ね」
「あの海岸の小船は死神屋の船か?」

 話が次から次へと流れていく……このペースはどちらかと言わなくても非常に不快だ。自分が主導権を握りたいリイムは、とうとう眉間に見事なシワを寄せ、ガツンとグラスをカウンターに置いた。

「ええそうよ、素敵な小船でしょ? 今にも沈みそうで、どうやってあんな船でこの海を? とでも言いたいのかしら」
「賢い女は嫌いじゃない。そういうことだ死神屋」

 相変わらず死神と連呼する男にリイムはハァ、と大きくため息をつくとすぐに店主へと視線を向けた。

「ねェ、さっき言ってたラム酒いただける?」
「ああ、ちょっと待ってろ!」
「おれにもだ」
「へいへい兄ちゃんも待ってろ」
「話を戻すわ、それを知ってどうするのかしら? それにさっきから私ばかり答えてフェアじゃない」

 リイムは喋り損だわ、とツンっと正面に向き直しローから視線をそらせた。すると想定外の思わぬ言葉がローの口から飛び出した。

「……じゃあこうしよう、おれの船に乗るか?」

 船に乗るか――いくつかの過程をすっ飛ばした提案が聞こえてリイムの思考は一瞬だけ完全に止まった。やっと自分のことを話したかと思えば会ったばかりの賞金首の海賊を自身の船に乗せると言う。リイムはすぐに生じた疑問を問い掛ける。

「へェ……何を、企んでいるのかしらね?」

 横の繋がり云々考えていたところだったが、斜め上すぎて罠か何かだろうかとリイムはローの顔を疑義を抱きながらジッと見つめる。

「ちなみにうちの船はそのへんの船とは違って潜水艦だ、そうそう沈まねぇ。死神を乗せた海賊船ってのも面白そうだからな」

 彼は私のことを本当に死神だとでも思っているのだろうか、とリイムはローに聞きたかったが真面目な回答が得られるとも思えずに、出かけた言葉はそのまま飲み込んだ。本当に死神だと思ってるなんてそんな馬鹿げたことはないだろう、しかし現時点では面白がってるようにしか……リイムにはそうとしか感じられなかった。

「2億の賞金首だ、男だらけの船に乗ったところで、どうとでもなるだろう。それにうちのクルーにそういう奴らはいねェよ」

 一瞬何のことか悩んだリイムだったが、なるほど、一応女であることに気を使ってもらったのかと考える。しかしテーブル席のほうで数名のクルーが目をハートにしてるようにも見えたため、それについてをリイムはすぐさまローに確認する。何と返ってくるのかと思っていれば「あいつらはただのバカだが……馬鹿じゃねェ」とのこと。少々理解に苦しんだリイムだったが、気づけばそのままローの話に耳を傾けていた。

「どこかに属すのもただの気まぐれ、基本的に単独行動なんだろう? うちの船も時期にシャボンディ諸島へ向かう。2億が二人……合わせて4億だ。手ェ出してくるアホは世間知らずか海軍以外いねェだろう」

 気まぐれかどうかはさておき、行動パターンも知った上での提案で、似たような――新世界へと進むために手を組むことを考えていたようだ。リイムは少し感心して顎に手を当てる。単独行動ならば幾分か誘いやすいという点も考慮したか、もしくは他の海賊と組む前に……それでもやはり突飛な提案に変わりないと、リイム自身も相手の反応を見ることにした。

「そうね……じゃあちょっと賭けをしない?」
「賭け?」
「そう、私はラフテルに行きたいのよ。それまでに船が沈んで海賊団が壊滅でもしたらあなたの勝ち。私は“死神”だって潔く認めるわ」

 馬鹿馬鹿しい、成立しない賭けだとリイムは思った。ただ、死神を乗せたら面白いと言う男が何を目指しているのか、この馬鹿げた提案に乗るのか。その返答次第でしばらく行動を共にしてみるのも悪くないと思ったのだ。店主から受け取ったラム酒を一気飲みしたせいだろうかとリイムは空のジョッキを片手にローの表情をうかがった。

「ハハッ、じゃあおれ達が無事にラフテルに着いたら死神じゃねェからお前の勝ちってことか、死神屋?」
「そうなるわね」
「おれが勝ったとき、おれらは恐らく死んでるんだが……それについては?」

 そう、これは賭けとしてまったく成立していないのだ。酒の席でのとりとめのない話。リイムが「私は敗けを認めるけど、そんなの知ったことじゃないわ」と少しだけ意地悪く笑うと、釣られたようにローもラム酒を一気に飲み干した。そのままローはジョッキをバンッと勢いよく置き、足を組み直してカウンターに肘をかけると「面白いじゃねェか、望むところだ」とリイムに向けてにニヤリと笑みを浮かべた。

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