〔1〕死神と死の外科医


 偉大なる航路。楽園と呼ばれる前半の海のある春島。穏やかな過ごしやすい気候……春であろうこの島に一人の海賊、フランジパニ・リイムは数日前から滞在していた。

「ウフフ、マスター、美味しいわねこのお酒」

 やはり美味しいお酒に出会えるのは冒険の醍醐味だ……気分よく微笑んだリイムに、酒場の店主はよほど嬉しかったのか、すぐに顔全体をにんまりと緩ませた。

「おうおう、嬢ちゃん分かるじゃねぇか! これはうちに代々伝わる酒、ザクロドラゴン酒だ!」
「確かに飲んだことがないわ」

 リイムはすぐさまこれに合うつまみがあるかを問いかける。すると店主は一言「任せとけ!」と声を上げ、意気揚々と調理を始めた。
 こうして着いた島の酒場を巡るのが海に出てからのリイムの趣味のようなものになっていた。この島のログは1週間ほど。島に来てからは今日で3日目、ここが島内で2軒目の酒場だ。といってもこの島には3軒しかないということはすでにリサーチ済みであった。明日は残りの1軒へと行き、ログが溜まるまでの期間は気に入った酒場で夜を過ごそうと計画していた。
「ほら、待たせたな!」と店主が厨房から料理を片手に出てくる。皿からは湯気が立ち込め、酒に合いそうな、パンチが効いているであろう肉とチーズの料理が出てくる。リイムはいただきますと呟いてから箸を料理へと伸ばす。
 すると厨房と思われる奥の部屋のほうから、「ちょっとあんたっ!」と店主を呼ぶ高い声がした。呼ばれた店主は「悪いな」とそそくさとその場を離れて行く。すでに料理も運ばれてきている。何が悪いのだろうかと思いながらリイムは、ゆっくりと目の前の料理が一口サイズになるように箸を入れた。
 あと何島か進めば、リイムの今現在の目的地であるシャボンディ諸島に着く。もしかしたら「あの人」を知る人物に会えるかもしれない。それが目的のひとつでもあった。とは言え、会うことに意味があるのかは正直なところ、わからない。リイムがそんなことを考えていると、店の奥から聞こえてきた店主であろう人物の声がその思考を遮った。

「うえぇぇぇええええぇええ!?」

 ずいぶんと騒がしい様子にリイムはわずかに眉をひそめる。するとすぐに店主は新聞と一枚の紙を持って駆け寄って来た。リイムが一体何事かとたずねる前に、目の前の店主から弾丸のような言葉が降ってきた。

「じょ、嬢ちゃんっ、賞金首だったんか!! しかもあの麦っ、エニエス・ロビーで麦わら一味に加担した重要危険人物として……っ賞金額が急に跳ね上がったって、しかも今どうして、どうやってこの島に……!? こ、こ、この新聞は本当なのかっ!?」
「えーと、見せていただいても?」
「ああ……」

 いまだに落ち着く気配のない店主から新聞と手配書を受け取り、ひととおり目を通す。たしかに目の前の新聞記事にはエニエス・ロビーでの出来事や、そこに至までの経歴のようなものが記されていた。リイムはふぅ、とひとつため息をついて、店主に視線を戻して質問を肯定するように微笑んだ。

「ウフフ、急に金額が上がったわね。記事も大体合ってるわ」
「ってことは! 嬢ちゃん本当に“灰雪の死神”フランジパニ・リイムなのかっ!」
「ちなみにだけど、もう嬢ちゃんって歳でもないわよ。それに人のことを死神だなんて失礼しちゃうと思わない? あ、おかわり、いただけるかしら」

 リイムは特に態度を変えることなく思ったことを言葉にし店主にグラスを差し出す。一瞬の沈黙のあと、恐る恐るそれを受け取った店主。リイムが「海軍に通報でも?」と問いかけると、先ほどまでの動揺具合はどこへやら、急に目の色を変えた店主は「いやいやいや!」と首を横に振った。

「取り乱してすまん! 実はおれ、昔海賊やってたもんで、足を洗ってからはこうやって飲みに来た海賊と一杯やるのが生きがいみたいなもんなんだ! つまり! 大歓迎ってことだ! 今日はたらふく飲んでけ!」

 腕まくりをし、グラスを持った手をグッと宙に上げる。あまりの豹変ぶりにリイムは一瞬戸惑うも、その気合の入れようは嘘ではなさそうだと判断した。
 この島へは、「彼ら」と同じルートをたどりたくなかったという理由で、「偶然」遭遇した海軍から「運よく」拝借した永久指針などを駆使してやってきたリイム。もとより答えるつもりもなかったが、質問したことを忘れている様子の店主には「それなら遠慮なくゆっくりさせてもらうわね」とだけ返した。
 リイムは手にした手配書を再び眺める。新たな手配書の写真の背景も雪景色……いつの間にかついていた“灰雪の死神”という異名、最近では短縮されて死神のリイムと呼ばれることも増えた。この異名をリイム本人はあまり気に入っておらず、死神と呼ばれると不機嫌になることも多い。それを察したのか店主はそのあと、そのワードを口にすることはなかった。
 
 ルフィ達麦わらの一味の懸賞金が更新されたときにはなかった手配書。このタイミングでの更新はただ遅れただけなのだろうか、他にも理由があるのだろうか……リイムはそんなことを考えながらぼんやりと、良きライバルである幼馴染みの姿を思い浮かべた。

「抜かされたと思ったけど、これでまた抜き返したわね」
 
 更新前のリイムの懸賞金は9600万ベリー。今回は一気に億を超え、2億ベリーとなっていた。ルフィは3億、ゾロは1億2000万。リイムはここまで上がった理由を探す。永久指針をいくつかふんだくった程度ではここまで上がるまい。エニエス・ロビーでの一件だろうが、それにしても上がり幅が……とまで考えたところでまぁいいか、と新聞を置いた。目指すは世界一の大剣豪なのだ。悪い気はしない、と酒のペースを上げる。

「いやぁ、すげえな、嬢ちゃんもルーキーだろ?」

 嬢ちゃんではないとリイムが否定しようとするも、店主からするとまだまだ小娘とのことで、それ以上言い返すのをやめた。
 リイムが東の海、シモツキ村を出てからは数年経っていたが、こうして本格的に航海を始めたのは今年に入ってからだ。どのような判断でルーキーという括りになるかは不明だが、そう呼ばれているのならそうなのだろうと店主に答えた。

「そうみたいね」
「今年はすげぇ奴らがどんどん偉大なる航路に入ってくるなぁ……3億1500万のユースタス・キッドに2億4000万のバジル・ホーキンス、X・ドレークが2億2200万。でもって2億と言えば、同じ額のルーキーがもう一人いたな」

 最近の手配書はほぼ把握していたリイム。店主の言葉にすぐに億越えのルーキー達の情報が頭に浮かんだ。同じ額のルーキーといえば、北の海出身の海賊団の船長だ。

「それなら、トラファルガー・ローね」
「ああ、死の外科医。今年はかつてないほどヤベェ奴らが多すぎるが……」
「あら、私がそんな大物には見えない、って思ったのかしら?」
「いやいや、この記事を読んだら案外そうでもないさ、あのエニエス・ロビーから……今、ここにいるわけだしなぁ!」

 ゲラゲラと声を上げながら豪快に笑う店主。そのときの話を聞かせてくれないかと、営業中だというのに酒を手にしている。リイムは悪い人ではないのだろうと、それに付き合い酒を飲み続ける。料理も口に合うどころか、ここ最近の酒場の中ではかなりの大当たりで、気がつけば2、3時間話し込んでいた。



 気分よく酒を満喫していたリイムだったが、日付が変わったころに入ってきた団体客の達によりそのテンションは下降の一途を辿っていた。この近海で最強だと名乗る海賊の集団が、別の酒場から移動してきたのだ。
 最強と名乗る割には相応の気配は感じられず、リイムが新聞で見かけた記憶もなかった。ただ騒がしいだけである。聞こえないよう意識しても耳に入る不快な声、過去の栄光をひけらかし、海賊とは言え態度も横暴、最悪。虚勢を張っているだけにも見え、リイムの苛立ちは募る一方だった。

「ハァ、ちょっと斬っちゃってもいいかしら?」

 リイムはぼそりと、忙しなく酒を運ぶ店主に問うものの、せめて店の外にしてくれと言われてしまう。それならば今日のところは、今手元にある酒を飲み終えたらこの酒場を出よう。何なら別の店で飲みなおすことも考えた矢先だった。

「そこのカウンターの女ぁ、お前だよ、こっちにこいよ」

 酔漢の声が酒場に響くと同時にカチン、とリイムの怒りスイッチが入った。酒場では稀に起こる些末な出来事ではあるが、ここまで典型的な勘違いに遭遇するのは久々だ……腰に差した刀が見えていないのだろうか、とリイムは大きくため息をつく。

「無視してんじゃねーよ、オレ様はなァ……」

 海賊団の船長は相も変わらず愚にもつかない話をしながら席を立ち、よろよろとリイムとの距離を縮めてきていた。今のリイムが目の前の男に興味を抱くはずもなく、静かに柄を握り、一番店に被害が出ない間合いを見計らう。

「マスター、そろそろ限界よ、悪いけど斬るわ。お酒とご飯を邪魔されるのが一番嫌いなのに……」
「まぁ、こればっかりは仕方ねェかー」

 店主は、諦めたように運ぼうとしていた酒をその場に置いた。「海賊相手に商売をしてりゃぁ良くあるからな」と呟いたのをリイムも聞いていた。そしていよいよ刀を抜こうと立ち上がった。しかし次の瞬間、店の扉が開き、団体の客、しかも別の海賊が入って来たことにリイムと店主は気づいた。

「おっ! らっしゃぁい!!」
「!?……あら、あらあら」

 リイムと店主の興味は完全にそちらへと移行した。つなぎを着た数名の団体……1体ほど喋るクマがいるようだが、それよりも目立つ、刀を持った一人の男。リイムの視線の先にいたのは見間違えることのない、先ほどまで話題にしていた人物だった。

「ねェキャプテン! なんか変な奴らがいるよ!」
「うわぁ……カウンター席にすっげーかわいい女の子がいるうぅ!!」
「……まぁ状況から察するに、女性があの変な野郎に絡まれていて、まさに一触即発ってところですかね」

 場慣れしているだけあるのだろう。彼らは臆すること無く店内を進む。トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団だ。そしてリイムの近くまで来ていた海賊の船長は、「ヒィ!」と声をあげながら後退りし、尻餅をついた。そんな姿を見たリイムは、斬る手間がはぶけたのはこれ幸いとイスに座り直した。

「ここの酒がうまいと聞いたんだが」
「あ、ああ。確かにうちのお勧めザクロドラゴン酒はうまい! うまいんだが……こいつらが今全部もってこいっていうから準備してたところでしてね……」

 その店主の言葉に、つなぎを着た一行の視線がギロリと、意気揚々と武勇伝を語っていた人物達に向かった。どうやら今店に入ってきた2億の賞金首の顔を知っていたのだろう。殺気を向けられた海賊達は先ほどまでの勢いはどこへやら、ガタガタと震えている。
 リイムは自身も賞金首であると認識されていなかったことはさておき、目の前で起きた出来事があまりにも滑稽だと笑いながら、残っていたグラスの酒を一飲みした。
 そして、リイムとのやり取りを知らない2億の賞金首が「出て行け」と一言だけ言うと、海賊達は本当に尻尾を巻いて出て行ってしまったのだ。

「フフッ、よかったわね、彼らのおかげで店が無事で」
「ハハハ、違いねェ。おいお前ら! トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団だろう!! すぐにそこ片づけてやるから適当に座ってろ! うめェもん食わせてやるよ!」

 リイムが店主に「ずいぶん忙しくなりそうね」とニヤッと微笑みかければ、店主は「ガハハ! 全くだ!」と笑いながら慌ただしく動き出した。

「……なんかおれらが海賊だってわかってんのに、フランクな店主だな」

 キャスケット帽子を被った一人がそう言いながらリイムの近くのテーブル席のイスに座った。そう感じるのは当たり前……海賊なら特にそう思うだろう。普通ならこんな厄介者など来て欲しくないはずだから、とリイムは小さく頷く。

「マスター、お代はここに置いておくわね」

 面白いものを見られた――下がっていたテンションは一気に持ち直して、いや、上昇していた。リイムは残っていた酒を一気に飲むとカウンターにお金を置き立ち上がる。酒のせいで饒舌になっていることもあってか、キャスケット帽の男に向かって、「この店のマスター、昔海賊だったんですって」と微笑みかけた。

「なるほど、だからなのか〜って、おれ! 今話しかけられた!?」
「シャチ……少し落ち着けって」

 ペンギンと書いてある帽子の人物がシャチと呼んだキャスケット帽男の頭をぺしりとはたく。そしてソファの真ん中にどっしりと座った人物と、店から出ようと出入口へと向かうリイムの視線がしっかりと、交差する。ローの目がほんの一瞬だったが、わずかに見開いたようにリイムには見えた。

「おーい、嬢ちゃん! もう帰っちまうのか!」

 大きな酒樽を抱えた店主が叫ぶ声がする。そんな店主に向けてリイムは「今日はもう十分楽しんだから」と、目の前の男、死の外科医、トラファルガー・ローと目線を合わせたまま、声にした。

「……また、明日も来るわね」

 リイムはわずかに口角を上げながら、ローと合わせていた視線をゆっくりとはずす。店主に向けてひらひらと手を動かしながら、振り返ることなく静かに酒場を後にした。



 懸賞金2億ベリー、死の外科医、トラファルガー・ロー。はてさて、ここで会ったのは幸か不幸かとリイムは思案する。
 続々と億越えルーキー達がシャボンディ諸島へ向かっている中、そこへ単身乗り込むことへの不安はなくもなかった。横の繋がりも、少なからず海賊として生きていく上で必要で、その見極めも重要。力があることは絶対条件だが、例えば冷静に物事を考え進めていけるような人物がいい。
 もちろん、航海を共にしたことのあるルフィにはルフィのよさがあるとリイムは感じていた。あのニコ・ロビンが結局ルフィ達の元へ戻ったことにも少なからず驚いていた。海賊に、船長に必要な、周りを引き付ける何かが彼にはある。それが“D”の名を持つものだから、なのかはわからない。事実、ルフィ達と過ごした期間は非常に楽しいものだったと、リイムは麦わらの一味と過ごした短い日々を思い浮かべる。ただ、あの船には幼馴染みの「彼」も乗っている……
 リイムは酒場で偶然出会った海賊が、それに値するか否かを判断しようと、あの一瞬でそう決めたのだ。

「まぁ、だからって焦りは禁物よね」

 あの時のローの反応は、海賊、フランジパニ・リイムであると認識したものだとリイムは確信していた。明日あらためて、この島内で会うことがあるのならばそういう「縁」があるのかもしれない。そんなことを思いながらリイムは少しだけふわふわとした足取りで宿への帰路を歩いた。

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