脱色 | ナノ
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03

窓辺でうたた寝

たった今まで自分たちがいた建物がみるみる遠ざかっていき、あっと言う間に目指した小学校が近づいてくる。

「──いた。あそこ!」

さっきの子たちに背後から忍び寄る巨大なムカデのような見た目をしたあれが虚なのだろうか。あんなものが町中に当たり前のように現れて、今まで見えていなかったなんて。
愕然とすると同時に、駆けつけるのがあと少しでも遅れていたら跡形もなく踏みつぶされていただろうこの子たちの姿を想像して思わず身震いをした。

「逃げろ!」
「……はぁ?」
「早くしろ! 死にてぇのか!?」

その子たちはともかく、一刻も早くこの場から引き離そうと説得に夢中になっていた彼も気づけなかったのだろう。咄嗟に彼の背中を押した次の瞬間、左肩を鋭い衝撃が襲った。
今までに感じたことのないような痛みとともにどろりと真っ赤な液体が肩から腕、手首を伝い、地面にいくつもの染みを作っていく。

「お前、血が……ッ。何で俺なんか庇ったんだよ!?」
「……ッ、そんなことより早く逃げて。きっと一護が近くにいるはずだから……」
「バカ野郎! お前を置いて逃げられるわけねーだろ!」

言うやいなや二撃目を避けるために体勢を低く取った彼は、その反動を活かして再び抱えた私ごと大きく跳んだ。

「いいから大人しく抱えられてろ。邪魔者扱いするなって言ったのはお前だろ。今さら気つかってんじゃねーよ」
「……、ずるい……」
「へッ、人のこと言えるかってんだ」

右に左にと矢継ぎ早に襲ってくる脚を間一髪で避けつつ、たどり着いたのはどこかのビルの屋上。彼の自慢の脚力で撒こうにも、予想よりもはるかに素早く動けるらしい相手は難なく追いつくと、下卑た笑い声を上げながら私たちに覆いかぶさってくる。

「へへ……オレの食事の邪魔するわ、ウロチョロ逃げ回るわ。誰だか知らねーが弱えくせに出しゃばってんじゃ、ねーよ!」

何とかしないと。せめて彼だけでもここから逃がせたら。そう思っても、さっきから感じるようになった頭痛はひどくなる一方だし、おまけに吐き気まで襲ってきて相手の気を引くどころか、まともに立てるかどうかも怪しい。
このまま食われてしまうのだろうか。興奮しているのか小刻みに震える何本もの脚が一斉に振り下ろされた次の瞬間、黒い塊が銀色の鈍い光を伴って現れ、虚の断末魔の叫びが響き渡った。

「テメーこの……ッ。なまえ、怪我してんじゃねえか! こんな雑魚からも守れねえくらいなら初めから連れ回してんじゃねえよ!」
「なっ!? あんたがさっさと来ないからだろ! 大体、俺が連れて逃げてなかったからこいつは今ごろ虚に……」
「……ギ……、クソォ……テメーら、まとめて食ってやるァ!」

なるべく傷に障らないように気をつかってくれているのか、地面にそっと下ろされる。そして頭痛と吐き気の所為でぼやける視界に映ったのは、顔を覆う仮面を割られ消滅していく虚をさらに蹴り上げる彼の姿だった。

「──アリの行列? お前、まさかこれをつぶさねえようにあんなことしたなんて聖者みてーなこと言うんじゃ……」
「そうだよ、悪ィかよ! 俺は何も殺さねえんだ!」

二人のやり取りを眺めながら自然と肩の力が抜けていく。私に打ち明けた時と同じように自身の境遇やただ自由でいたいだけなのだと言うささやかな望みを聞いてもなお、一護が彼のことを悪いようにするはずがないと確信出来たからだろう。
けれど、その安堵が良くなかったのかもしれない。緊張の糸が切れると同時に不調が一瞬でピークまで達し、そのまま暴発するかのように外側へと溢れ出した。

「なッ……何だよ、これ……一体どうしちまったんだよ!? なまえ!」

周りの音がまるで水の中にでもいるかのようにくぐもって聞こえる。その中には一護の声もあって、何でもいいから返さなくてはと口を開いてもそこから零れ落ちるのは熱く湿った吐息だけ。
熱くて、苦しくて、ただただ辛くて。いよいよ意識が飛びそうになった次の瞬間、視界が黒一色に覆われた。

「大丈夫……ゆっくり、深呼吸してください」

後頭部に添えられた手に誘われるまま額が目の前の黒へと柔らかくぶつかった。同時に耳元で囁く声が驚くほどすんなりと全身へ染み渡っていく。ついさっきまで何もかもが遠くて、雑音としてしか認識出来なかったのに。

「そう、その調子っスよ。そのまま、自分の奥底に沈めていくイメージで……」

アタシの波長に合わせて、とそんな言葉に思い浮かんだのはひどく歪な形をした円だった。中心から波紋を描くように不規則に震え続けるそれは、さっきから絶えず流れ込んでくる何かを頼りに少しずつではあるが本来の滑らかな形へと近づいていく。
この円を沈めればいいのだろうか。都合よく出現した湖へ投げ入れてみると、ぽちゃんと大きな波紋を描いていた水面が徐々に静けさを取り戻していくにつれてたった今まで感じていたはずの苦痛も薄らいでいっているような気がした。

「ふぅ……どうやら落ち着いたみたいっスね」

後頭部に添えられたままだった手の重みが一瞬増したような気がした後、あっさりと離れていく。

「そんじゃ、本来の用事を済ませるとしましょうかね」

その人が持つ杖先が彼の額を小突いた途端、脱力した体が後ろへ傾いた。その際、コロコロと転がり落ちたビー玉のようなものが彼の正体なのだろうか。

「さ! 任務かーんりょー。帰るよ、皆」
「ちょ……っ、ちょっと待てよ! そいつをどうする気だよ!?」
「どうって……破棄するんですが?」
「! 俺が見えるんだな……何者だ。あんた……?」
「はて、何者かと聞かれましても……」
「強欲な商人だ」
「く、朽木さん!? ダメっスよ。それ取っちゃ!」
「何だ? 貴様の店は客に売った商品を金も返さずに奪い取るのか?」

一護がいるのだから彼女も近くにいるだろうとは思っていたけれど。突然現れた朽木さんがその人の手から例のビー玉を掠め取った。

「そ、そんじゃ仕方ない。金を……」
「必要ない。こちらはこの商品で満足している。それに、元々が霊法の外で動いている貴様らだ。そうまでしてこいつを回収する義理もなかろう?」
「……知りませんよ? 面倒なことになったらアタシら姿くらましますからね」
「心配するな。最近は面倒にも慣れた」

今日の出来事の中で理解出来たことなんて零に等しいけれど、誰も不幸にならずに済んだのだと朽木さんから一護の手に渡ったビー玉を見て安堵の息を漏らした。
そこでふと、あの人にさっきのお礼を言えていないこと思い出し、どこか呆れた様子でこの場を後にしようとする背中へ向かって慌てて声を張り上げた。

「えっと、その……助けてくれてありがとうございました」
「……いいえ。お気になさらず」

首から上だけで振り向いたその人は短くそう返すと、カランコロンと下駄を鳴らしながら今度こそ去っていったのだった。

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