天喰 環の場合

―――キスしないと 出られない。

その文字列を見つめたまま、魂が抜けたように固まっているその人を見て、強子はやれやれとかぶりを振った。


「この状況が信じられない、っていう気持ちはわかりますけどね・・・そろそろ現実を受け入れたらどうですか?環センパイ」


気楽に声をかけるとともに、天喰の肩をぽんと叩けば・・・その拍子に、彼の体は崩れるように落ち、床にうずくまってしまった。
崖っぷちに立たされているかのごとく顔面蒼白で、ガクガクと震えながら、オバケでも見るような目で強子を見上げ、口をパクつかせている天喰。
うん・・・凄まじい動揺ぶりだ。
強子は苦笑をこぼすと、彼の緊張が少しでもほぐれるようにと、にこやかな笑みを浮かべて、彼の眼前にしゃがみ込んだ。


「先輩、大丈夫ですから、いったん落ち着きましょう・・・ね?」


生まれたての小鹿のように貧弱な天喰には、さすがの強子も強くは出られず。優しく言い聞かせながら、天喰の様子をうかがうように強子がコテッと首を傾げると・・・彼は、ギュンと目を閉じて胸元の服をぎりりと握った。


「ぐ・・・まっ、まぶしい・・・!」

「え?なに、急にどうしたんですか?」


今度はまた別の意味でつらそうに悶えている天喰。
相変わらず行動の読めない彼だが・・・先程よりは顔色が良くなったので、まあ良しとしよう。
強子はすっくと立ちあがると、部屋の中をぐるりと見まわした。


「これが噂の部屋かぁ・・・意外と、居心地よさそうな空間なんですね。ほら、フカフカのソファがありますよ。立ち話もなんですし、座りませんか?」


いいものを見つけたと 上機嫌になった強子は、すたすたとソファに向かった。そして強子はソファに深々と腰かけると、呆気にとられている天喰などそっちのけで、早速リラックスしている。
そんな彼女の様子に、天喰は唖然とする。


「・・・君は、どうしてそんな、落ち着いていられるんだ・・・?この状況で・・・!?」


信じられない、あまりにも楽観的すぎると、非難するような目で天喰に見つめられたが・・・心外である。
強子が異常なのではなく、天喰のほうがビビりすぎなんだよ。


「環先輩も、最近頻発してるっていう“個性事故”について、先生から注意喚起があったでしょう?」

「・・・ああ」

「ってことは、全教員も全校生徒も、みんな知らされてるってことです。私たちがいなくなったと誰かが気付けば、それが誰だろうと、例の個性事故の被害にあったんじゃないかって すぐに察しがつくはず。そうなれば・・・雄英は総出で私たちを探し出して、ここから出る方法も見つけてくれますよ!」


強子がいなくなれば、八百万や耳郎、轟といったクラスメイトたちがすぐに気付くだろう。
そして、個性事故で囚われのままなんて合理的じゃない――そう文句を言いながら 相澤も救けに乗り出してくれるだろうし・・・彼をはじめ、雄英には有能個性の持ち主が大勢いるのだから、総出でかかれば どんな事件だって解決できるに違いない。


「この部屋の個性の持ち主を捜索中って言ってたし・・・解決するのは、時間の問題だと思いますよ」


閉じ込められているという状況といえど、冷静に考えれば、そうビビるものではないのだ。


「だから、まあ・・・とりあえず私たちは、座ってダべりながら、のんびり救けを待っていましょうよ」


強子は二人掛けのソファの片側につめると、空いているスペースをぽんぽんと叩き、天喰を呼びよせる。
彼は野生動物のように警戒していたものの、やがて、強子のほうにそろそろと近づき・・・そして、できるだけ強子から距離をとるよう、ソファの端っこに遠慮がちにちょこんと座った。
まさにノミの心臓・・・だけど、強子の言葉には素直に従う天喰は、年上なのになんだか可愛らしく思えてしまう。
へらりと、強子は気が抜けたような笑みを浮かべた。


「一緒に閉じ込められたのが、環先輩で良かった。二人っきりでいても、なんの心配もないっていうか、むしろ ほっと安心できるというか・・・なんなら今の状況を楽しんでます、私」


個性が使えない状況にもかかわらず、自分でもビックリするほど、強子はいつも通りだった。実にリラックスした心地で、バカンスにでも来ている気分だ。
天喰という 信頼している人がそばにいるから、だろうか・・・いや、自分以上にすごくテンパってる人間がそばにいると、自分は冷静になれるという――あの心理状態に近いかもしれない。


「お、俺は・・・身能さんとふ、二人きりだなんて・・・むしろ 心臓が潰れそうだ・・・!」

「えっ」


・・・なんで?
強子の存在は、彼の心臓を苦しめるほど、恐ろしいのか・・・?
くしゃりと顔を歪め、胸元をぎりぎりと握りしめている天喰をぽかんと見やった。


「うぅ、こんなっ・・・俺は、一体どうしたら・・・っ!」


何やら とてつもなく思い悩んだ様子で、自問自答するよう口ごもっている天喰。
ふいに、彼がうらめしげな視線を強子に向けた。


「身能さんは、この非常時に、どうして そうなんだっ・・・!?」


やっぱり楽観的すぎたか?と、自身を省みる強子。
それでも・・・やっぱり、強子は悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放つ。


「だって・・・その気になれば、いつでも ここから出られるし」


何をそこまでビクつくことがあるというのか―――ここから出る方法がないわけじゃないんだから、非常事態でも何でもない。
強子の言葉の意味を理解した天喰は、


「ッ―――!!」


カッと眼を見開き、口もあんぐりと開いたまま、石のように固まってしまった。
かと思えば、ボッと顔を赤くして、強子から距離をとるよう、背中をのけ反らせた天喰。


「な!?そっ・・・え、なん・・・っうぇ・・・?」


口をはくはくさせて、言葉にならない声を出している。
・・・ずいぶんな驚きようだ。まったく、ビッグ3の片鱗も見えないぞ。


「そんな驚かなくても・・・この部屋の話を先生から聞いたってことは、部屋から出る方法も聞いてますよね?そうでなくても、あの壁を見ればわかると思いますけど」


―――キスをしないと出られない部屋。

言い換えれば・・・キスをすれば出られる部屋だ。
強子が部屋の壁に書かれた文字を指さして、「ね?」と天喰に反応を求めれば、赤い顔の彼はハッとして、ごにょごにょと弱々しく反論する。


「それはっ・・・、わかるけど、わかりたくないのが本音というか・・・とっ、とても、実現可能とは思えない・・・!とはいえ、部屋の条件をクリアしなければ俺たちはこの部屋にずっと、死ぬまで閉じ込められるわけで・・・身能さんと二人きりで過ごせるなんて俺には勿体ないくらいの幸運だが、このまま死を待つしかないなんて、あまりに酷・・・・・・いやっ、でも、やっぱり出来ない!絶対に無理だッ!」


顔からシュウシュウと湯気でも出そうなほど赤面している天喰は、震える声で悲観的なことばかり唱えている。
そんな彼を見ながら、「・・・へぇ」と強子は口元にニヒルな笑みを浮かべた。


「“実現可能とは思えない”?本当にそう思います?私と先輩の二人では、この部屋から出るのは“無理だ”と?」

「!」


しまった、と天喰が顔をひきつらせる。
もしかすると、天喰の口にした言葉が、プライド高い彼女を煽ってしまったんじゃないか!?
負けず嫌いな彼女のことだ。きっと、意地でもこの部屋から出てやろうと行動を起こす――その引き金となる言葉を、自分は口走ってしまったのでは・・・!?
天喰がすくみあがっていると、強子がニコリといつもの愛らしい笑顔を見せた。
その笑顔に思わず見とれた天喰は、一瞬、自分が失言したことなど忘れていたのだが、

―――グイッ

天喰の制服のネクタイを、強子が力いっぱいに引っ張った。


「!!?」


彼女に引かれるまま、天喰の顔が、強子の顔からほんの数センチの距離まで引き寄せられる。
唐突に、視界いっぱいに映った彼女の顔に、ヒュッと天喰の息がとまった。


「実現できるか・・・試してみましょうか?」


天喰の眼前でそう言った彼女は、その愛らしい笑顔を、ニタリと挑戦的に歪ませた。
ここでは個性を使えないから、タコを『再現』できるはずないのだが・・・天喰の顔は、まるで茹でダコのように赤くなっていく。


「ぁ・・・ぅ・・・」


赤い顔のまま、ぎゅうと目を閉じた彼は、だんだんと小刻みにフルフルと震えてきた。
目を閉じて現実逃避しようとも、その気になれば1秒とかからずキスできてしまう近さは 変わらない。
強子がニタニタと楽しそうな笑みを隠しもせず彼からの反応を待っていると、やがて彼の口から、か細く声が紡がれる。


「そ、そ、そっ・・・」


―――そ?
彼のことだから、「そんなこと出来ない」とか、「そういうことを軽率に口にすべきじゃない」とか、否定的なことを言うんだろうな。
続く言葉を強子が推し量っていると、天喰は胸元で力強く拳を握りしめ、声を張った。


「その前にっ、遺言書を書かせてほしい・・・っ!」

「な ぜ そ う な っ た!!?」


憤慨して強子が声を荒げると、天喰は「ひぃ」と弱々しく声をもらして、赤かった顔を今度は白くさせた。
キスの前に遺書を用意するって、どういうこと!?強子とキスをすると死ぬとでも思っているの?あるいは逆に、死ぬまで実現できないだろうから先に遺書を書こうという意図か?コノヤロウ!
じろりと天喰を見れば、彼は強子の様子をうかがいながら、ガクガクブルブルと震えていた。
それを見て、はたと 強子は冷静さを取り戻す。
小心者でビビりな彼だけど・・・彼がここまで強子に怯えるのは、知り合った当初以来かもしれない。


「・・・ごめんなさい」


強子は困ったように眉を下げて笑うと、手に掴んでいた天喰のネクタイをするりと手放した。


「そう怖がらないでください・・・冗談ですから」

「・・・えっ」


驚いたように固まっている天喰から視線を外すと、壁に書かれた文字を見やる。


「ここを出るための合理的な方法は、あの条件をクリアすること―――だけど、嫌がる相手から無理やり唇を奪ってでもここを出ようなんて、そんな非人道的なことはしませんよ」

「・・・えっ」


たかがキス、されどキス。
先ほどの、可哀想になるほどの彼の怯えよう・・・あんなにもキスに対して抵抗感を持っている人に、無理強いなんて出来るわけがない。
たぶん、強子だから というわけじゃなく、彼の性格上、異性とキスすること自体を忌避しているんだろう。


「・・・まあ、気長に救けを待ちましょうか」


しかし、余計なお世話かもしれないが・・・いつか天喰に好きな人が出来て、その相手と“そういうこと”をする日がきたら、そのときは嫌がらずに出来るのだろうか?彼の未来をいささか心配していると、


「―――・・・れ、は」


俯いていた天喰が、何やら言葉をもらした。
個性が使えるときなら、強子が誰かの言葉を聞き逃すなんてことはほぼないのだが・・・今は個性が使えない上に、天喰がボソボソと喋るせいで、よく聞きとれない。


「い・・・・・・ない」

「え?なんですか?」


聞き返しながら、強子が彼のほうへと身を乗り出すと、


「俺はっ・・・嫌だなんて、言っていないッ」


天喰が俊敏な動作で強子のほうに体を向けた、かと思えば―――気付いたときには、強子の背中はソファに押し当てられていた。
強子の目の前には天喰がいて、彼の背後に、この部屋の天井が見える。
ということは・・・ソファの上で、“床ドン”的な体勢になっているということだ。しかも、彼に肩を押さえられていて、強子は身動きがとれない。
―――なんだ、これは。


「ぁ、の・・・先輩?」


戸惑いつつも、顔を俯けて表情が見えない天喰に声をかける。


「・・・俺だって、本当は・・・したい」

「へっ・・・」


唐突な“したい”発言に、何の話だと頭をひねるが―――顔を上げた天喰と目が合うと同時、彼の表情を見て、理解した。
強子を見つめる天喰は、ただただ 雄の顔をしていた。
熱のこもった瞳で強子を捉えたまま、何かを堪えるように低く声を絞り出す。


「・・・やっと、心臓を潰す覚悟で “する”気になったっていうのに・・・“冗談”だなんて言われても、もうそんな言葉じゃ、止められないっ」


欲情した男の顔をして、強子を見下ろす天喰。つい先ほどまで垣間見せていた可愛らしさは、どこかに吹き飛んだ。
こんな天喰、強子は知らない。
スイッチの入った彼は、驚くほどに本能の赴くままで、積極的。そして、どうしようもなく、“男”を感じさせる。
きっと、そんな彼を見る強子も、“女”の顔になってるに違いない。


「・・・その気にさせたのは、君だ」


悩ましげな吐息とともに発せられた言葉に、ドキリとする。
強子を“欲しい”と雄弁に語る 彼の目が、強子の唇へと視線を移す。
それを合図に、強子は両手を伸ばして・・・彼を求めるよう、天喰の首の後ろにまわす。
天喰は、つらそうに眉間にしわを寄せると―――飢えた獣が獲物に喰らいつくよう、強子の唇にかぶりついた。










それから数日間・・・天喰にガン逃げされる日々が続いた。


「最近、環がどうにも情緒不安定で・・・急に何かを思い出したように胸を押さえては、“心臓が潰れる!”とか、“俺はなんてことを!”とか言い出すんたけど・・・身能さん、環と何かあった?」

「あのね、すごい変なの!天喰くんの顔が赤くなったり青くなったり・・・なにかの病気かな?知ってる?」


ビッグ3の先輩方に問われ、思い当たることがある強子は、笑顔を引きつらせて固まった。


「・・・ナニモ アリマセン。悪イ夢デモ、見タノデハ?」


うん・・・あの部屋での出来事は無かったことにしよう。そして、強子も早々に忘れよう―――そうしないと、マジで天喰がこの世を去りかねないし。

結局、天喰が強子の前に現れるまで、さらに数日はかかったのであった。










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まずは連載本編で恋愛フラグたってきてる連中から、番外編に登場させてあげないとね。

本当は最初からキスをしたくて悶々としていた天喰先輩。しかし、いつものヘボメンタルで腰が引けてました。夢主にキスなんかしたら、畏れ多くて心臓とまる。
でも、試してみる?なんて煽られて、思わずやる気になったところで、冗談ですとか言われて・・・男スイッチ入っちゃったパイセン。
たぶん、天喰本人が一番ビックリしてるでしょう。

当連載の天喰くんは、ギャップの男です!普段ヘボだけど、やるときゃやる男!
解釈違いだったらスイマセン。


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