U(姫君の玉の輿)
昼過ぎになり、ようやく調査も中盤。該当者は此処までなし。着実に容疑者数は減っている。
しかし、これで爵位持ちの貴族の一部と言うのだから、この国が如何に貴族社会で成り立っているか、その頂点として身につまされる気分だ。
「残りは子爵と男爵か……」
時間を惜しむ暇もないほど、彼等は必死に紙面と向き合っていた。長時間座っている為、体が椅子に引っ付きそうだ。
子爵は公爵と同じく抑々の絶対数が少ないので、比較的短時間で終えられるだろう。問題は爵位最下の男爵だ。伯爵よりも数が多い。しかし、それが最後の山場である事も事実。此処を乗り越えさえすれば、後は犯人を追い詰めるのみ。
「殿下、調査を終えたら一度お休み下さい。出立はお見送りなさっても」
「断る。これは僕の責任だ。騎士隊長と共に指揮して必ず彼女を迎えに行く」
しかし、と食い付く側近に、無理をしているつもりなどないと言い聞かせる。勿論、己にも。
「彼女は僕の婚約者、妻となる唯一無二の存在だ。夫となる僕が行かずに、助けた事にはならない」
そう捲し立てられ、側近は返す言葉も見付からず。その覚悟を汚す真似は出来なかった。彼にとって彼女がどんな存在か、この目で見て解っていた筈なのに、どうやら自分は忘れていたらしい。
「御意。但し、王族の名を貶めるような粗野な言動はなさらないで下さいね。私がしっかり監視していますから」
「ああ、気をつけるよ」
そこは“絶対しない”と言い切って欲しかった側近だが、無駄口を叩く暇はもう僅かもないので、以降は黙々と作業に没頭した。
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遡って正午。完璧とは言えずとも直後に比べれば遥かに美しくなった屋敷の主は、王宮の使いを饗していた。
「それで、火急の用とは」
公爵家に関わる事件でも起きたのだろうか。騎士隊長等の表情は芳しくない。それに飲み込まれぬようなるたけ穏やかに目的を問うと、隊長はより無骨な顔を顰めて言った。
「申し訳ありません、公爵殿。今朝方、ご令嬢が何者かに連れ去られました」
彼等の乗った馬車を部屋の窓越しに見た時から、いや、彼女が王宮に嫁いでから、何となく想定はしていた。いずれそういう輩が現れてもおかしくないと。
ただでさえ公爵令嬢と言う肩書きの元に何百と誘拐されたのである。それに時期王妃などという尾ひれが付けば、尚の事狙われるだろう。
「しかも、殿下の身代わりに」
「? お待ち下さい。何故そんな事が判るのです。最初から我が娘ではなかったと?」
間を以て付け足された一言に、その思考は瓦解した。少なからず困惑を浮かべる公爵に、騎士隊長が懐よりそっと紙を差し出す。
「このような言葉が、扉の隙間に落ちていたと」
王子は預かった。何の捻りもない、極々シンプルな一言。“王子”という単語を除いては。絶句する公爵に同情し、隊長は説明を始める。
「犯人は最初から殿下のみを狙っていたようです。訂正もせずそのままにしている辺り、これは事前に用意していたものでしょう。だが昨日殿下は別室にてお休みされており、たまたま殿下の寝室でお休みになっていたエリゼ様を構わず連れ去った――私はこう踏んでおります」
推理に耳を傾けていた公爵。不明だった過程に合点が行き一旦納得すると、浮き上がった腑に落ちぬ疑問を投げかける。
「失礼ですが、何故我が娘は殿下の寝室にて? 専用の私室を宛てがわれていると記憶しておりますが」
今度言葉に詰まったのは騎士隊長だった。いずれ夫婦になるとはいえ、今は婚姻前である。まさか殿下もそんなつもりで閉じ込めている訳ではないだろう。しかし考えれば考えるほど邪推が増えていく。
殿下と公爵の名誉を侮辱する答えを無理矢理に押し込め、騎士隊長は当たり障りのない言葉を選ぶ。
普段から書物に親しみ、語彙力を高めいて良かった。心底から自身の習慣に感謝する。
「それは、殿下の“その日だけの”ちょっとしたお戯れでして……」
嘘も方便とは良く言ったものだ。公爵が若干訝りつつも承知した事に、しみじみと諺の意味を実感する。
これで残る問題はたった一つ。犯人が誰か、という点。
「それで、此処からが本題です。公爵殿は、その筆跡に見覚え御座いませんか」
ないと言われればそれまで。話は振り出しに戻ってしまう。握り締めた跡が残ったまま印刷されたものなので、元の滑らかな筆跡の名残は感じられないが、果たして。
「成程。これは犯人の字と言う事ですね?」
誘拐を計画し、彼女を直接攫った人間はまだ判っていない。同一人物かどうかも目星が付かない。このメッセージを書いたのもまた、誰かは明らかではない。全員同じか、それとも違うのか。
騎士隊長が一も二もなく首肯すると、公爵は力強く言った。
「解りました。今すぐには思い出せませんので、早速過去の手紙を引っ張り出して調べ上げましょう」
「ご協力感謝致します。では、隊員を数名残しておきますので、お役に立てて下さい。この度はこのような不幸が起きてしまい、申し訳ありません」
「お気になさらず。この手の事には家族共々慣れております故、娘の為にも喜んで尽力致します」
かくして騎士隊長は王子への報告の為、早々と馬を走らせた。