T(姫君の玉の輿)

 王宮が騒然とし始めた頃。
 カインと側近は予定されていた業務をどうにか後回しにし、集めるだけ集めたシェスター家と過去一度でも関わった人物リストを見比べ、爵位順に王宮へ今までに送られてきた手紙の筆跡を当て嵌めていく作業へと移行していた。

「流石公爵、顔が広過ぎて照らし合わせるのが一苦労だ」
「その言葉、エリゼ様の前ではおっしゃいませんように。弱音は後で聞きますから」

 時刻はもう昼。本来なら仕事を終えて昼食に向かう所だが、今回はそうもいかない。かと言って何も入れないままでは思考能力が落ちる。仕方ないのでサンドイッチを時折口にして凌ぐ、この状況を咎める猛者はいない。

「騎士隊長は」
「衛兵らに命じてシェスター家へ緊急事態を宣言に」
「丁度良い、この筆跡鑑定も……」
「既に印刷し彼等に渡してあります」

 出来の良い部下に感謝し、次々調べる。公爵に訊ねて答えが判ったなら、出来ればその証拠も一緒に持ち帰って貰いたいものだ。
 犯人を追い詰める材料はより多い方が良い。確実に捕まえて裁く為にも。

「そう言えば、あのメイドは? 人手がいる」
「今頃は侍女長の説教を受けて反省中かと。連れて参りましょうか」
「頼む」

 執務室はより静かになった。紙をぱらぱらと捲る音が煩く響く。
 もう何度、焦るなと己を戒めたろう。大切な彼女に何か危害が加えられていたら、それを目の前で見てしまったら、その時はきっと感情に負ける。抑えられる自信がない。今だってもう、苦しいのに。
 早く、とにかく早く助けに行かねば。

「よし、次で公爵は最後だ……早く侯爵も調べて」

 しまわないと、という言葉が形になる前に、先程出ていったばかりの側近が焦燥を露わに戻った。

「殿下、お知らせしたい事が」

 嗚呼、また何かあったな。無言でその先を促す。きっと良い事ではないだろう。

「消えました」

 たった五文字、である。それだけで言わんとする事を悟れてしまう己の勘の良さが、この時ばかりは喜べない。

「何時、何処に」
「侍女長の説教の直後、僅かな隙に。北に向かって」

 北。四方に囲まれ幾つもの屋敷がある中で、それは重要なヒントとなった。再度、洗い出したリストから王宮の北側に居を構える貴族を炙り出す行程へと移行する。
 網目は細かい方が良い。下手に範囲を広げて、見落としてしまうよりも。

「逃げたって事は、恐らく……いや、その問題は後で追及しよう」

 恐らくと言いながら、心中には強い確信があった。俄然作業スピードも跳ね上がる。
 側近は、メイドが圧をかけた所為でぼろぼろになった紙を睨み付けながら、リストから消えていく貴族の手紙を避けて選別を始める。

「目星が付けば即刻出立だ。必ず今日中に終わらせる!」
「御意。但し無理なさいませんよう」

 寧ろ無茶をしていそうなのは、誘拐された側の気がするが。

*************

「退屈だわ」

 早く助けが来ないかしら。欠伸を漏らしながら虚ろな目でぼんやりと空を見る。
 己が拉致されたと知ってから早数時間。太陽は天高く登っているのだろう。部屋が明るくとも遮光されている上に時計がないので目安も判らない。
 全く悪趣味な人間がいたものだ。慣れたとはいえ、ベタベタした甘い香りには吐き気がする。並々ならぬ精神的苦痛を心の中に飼い続け、ほとほと疲れ果てる。決してそのような弱音はおくびにも出さないが。

 繋がれた両手はそこに繋げられた縄によって更に鉄格子へと伸びている。
 男爵が雇ったのかは知らないが、凡そ貴族の屋敷にそぐわない屈強な大男が似合わぬスーツを見に纏いながら出入り口を塞ぐ。
 目を楽しませてくれる調度品などある訳もなく、無味乾燥。こうも殺風景では、幾らプライドを高く保とうとしても折れかねない。
 実につまらない、面白みもない筋書きである。現状打破のアイデアも浮かびそうにない。
 男に話しかけて上手く操作しようとも考えたが、舌を抜かれたように頑なに口を開かない。どうやらこういった事も見越して教育されているらしい。
 ただ鉄格子の隙間から運が良ければちらりと見える腕時計の針が、彼女にとって唯一感じた男の存在理由であった。
 不思議なのはどうしてこの匂いに顔を顰める事もなく入ってこれたのか、位なもので、それもすぐに慣れさせているのだと自己解決した。

 嗚呼、実に暇だ。下手に動くと丸腰の大男が一々サングラス越しに視線を寄越すので、迂闊に音を立てられない。
 過去の経験上、こんな呑気な誘拐はなかった。長期戦になる事は多々あるが、それでもそこには常に“死”という恐怖が傍にいた。それが良い意味でも悪い意味でも神経を研ぎ澄ませと教えてくれたし、慣れればどうという事はない。却ってこうして何もない方が、余計な神経を使ってストレスが溜まる。
 男爵の感情が敵意と言う程強くも感じられないのが、だらけた気分の原因なのだろう。彼に良いように毒気を抜かれているようで虫酸が走る。
 せめて小鳥の歌声でも聞こえれば、幾分気も紛れるものを。

「嗚呼、退屈だわ……」



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