V(姫君の玉の輿)

 また同じ夢。
 相変わらず女性が微笑んでいる。しかも二人も。口元は見えるのに、顔全体が判らない。私は視線をこれでもかと上げている。首が痛い。
 何故この人はこんなに大きく、そして私の頭を撫でるのだろう。何故私は小さいのだろう。

 何も知らぬ振りをしていなさい。“貴方の仰る事など解りません”と。
 あちらが強硬手段に出たのなら、これでもかと睨み付けてはいけません。世間知らずの振りをして、愛くるしい声で言うのです。“まあ、あれはなあに?”
 幾ら鼻息の荒い殿方でも、これで毒気を抜かれるでしょう。怒れる拳笑顔に当たらず。
 決して簡単に揺らいではなりません。貴女は公爵令嬢なのですから――

「――……」

 今日は随分と夢見が悪い。まだ真っ暗だ。同じ日に二度も同じ夢を見るなんて。
 その癖残り香は薄く、“貴女は公爵令嬢”という言葉しか覚えていない。一体それが何だと言うのか。今更改めて言うまでもない事実じゃないか。
 ――まあ、夢に意味を求めてもそれこそ無意味。諦めて一旦起きてしまおう。

「……?」

 違和感。暗がりで物は見え難いが、肌で判る。ベッドの感触はそうでもないが、空気の香りが違う。
 力を吸われそうなやたらと甘ったるい匂い。こんな嫌がらせ、幾ら王子でもしないだろう。と言うか結局夕べは戻ってこないままだった。一体何をしているのか。
 このアロマだか芳香剤だか出所は判らないが、誰が設置したのか。安眠の為だろうが、起床してしまえば鬱陶しい事この上ない。むせて息苦しさまで感じる。

「誰か――」
「お目覚めですか王子――いや、その婚約者様」

 タイミング良く、奥から話しかけられた。しかも男性。

「誰かしら。不躾にも挨拶なく公爵令嬢の寝所に潜り込むなんて」

 正確には王子の、だが。構わない。
 充満する砂糖を大量に煮詰めたような鼻に纏わり付く匂いの所為で気分が酷く悪い。酔いそうだ。
 ついでに何時まで此処は暗いのか。いい加減明かりを付けろと思う。

「おや、これは失礼。だが私の方こそ予想外でしたよ。まさか王子がいる筈の王子の寝所に王子がいないばかりか、先日婚約者となられた公爵令嬢のエリゼ・シェスター様がいらっしゃるとは」

 何だこの男。部屋の甘さと同様にねちっこい喋り方だ。王子王子と何回言えば気が済むのか。立派な騒音だ。煩くてかなわない。

「……貴方は誰。顔を見せなさい」
「おや? 声でお判りになりませんかな」
「判らないから尋ねているというのが解らないのかしら?」

 苛々する。回りくどい男だ。そうやってはぐらかすのであれば、顔と名を知られてはまずい人間という事になるが。

「聡明な公爵令嬢ならば、いずれお解りになりますよ。それより、朝食でも如何です」
「朝食? 何を言うの、今はまだ――」
「朝ですよ。ほら、小鳥の囀りが聴こえるでしょう」

 まさか。もうそんな時間なのか。それならば何故この部屋は夜のままなのか。漂う香りすら全てを悟らせない壁のようである。

「此処は何処」

 突然過ぎった一抹の不安が己の状況を僅かでも照らそうと、近付く声に問う。男はふっと鼻で笑って、見下すような視線で――但し彼女には見えていない――言った。

「少なくとも、貴女の知らぬ場所ですよ」

 真っ白になった。脳みそがちかちかと白い光を瞼に放つ。嗚呼、そんな。

「明かりを付けて、今すぐ!」
「良いのですか? そう焦る必要などありませんが」

 言いながら男は壁を探り、電灯のスイッチをオンにする。急激の眩しさに顔容を歪め数秒耐えると、視界を開いたその瞳に映ったのは――ベッドを取り囲むようにして設置された、重々しい金属の金網。鳥籠のようだ。自分が部外者なら、冷静な感想も持てたのに。

「だから“宜しいのですか?”と申しましたのに」

 くつくつと喉を鳴らす男は愉快そうに、広がる絶望に呆然とするエリゼを見遣る。次第に俯く彼女にいよいよ以て楽しげに顔を歪める男の、次に見えるは涙だろうとの予想は外れた。

「そう――久しぶりね。誘拐なんて」

 いたく懐かしげに、少女のような愛らしい笑みを作る。幼い頃は定期的なイベントのように頻繁にあった。それも公爵令嬢と言うだけで。
 しかし、何の変哲もない部屋にわざわざこんな無骨なものまで揃えるとは、いやはや時代は変わったものだ。

「流石公爵令嬢、この程度では驚きませんか。折角貴女の悲嘆にくれた顔が見れると思いましたが」
「お褒め頂き光栄だわ、トルマン・リーゼン男爵。読みが外れて残念ね?」

 ようやっと犯人の顔も判り、幾分か精神は落ち着いた。これで対処法も練れるというもの。
 王子王子と口にしていたのは、当初彼を攫うつもりでいたから。だが昨日あの部屋で睡眠をとっていたのは半強制的に監禁されていた自分ただ一人。この際どちらでも構わないと仕方なく拉致。そして現在に至る――展開としてはそんな所だろう。
 攫った理由などどうでも良い。どんな高尚な目的でも、見飽きた陳腐な三文小説だ。お粗末過ぎて拍手は贈れない。

「私の名を覚えていて下さり光栄ですよ。公爵令嬢の名に恥じぬ怜悧さですね」
「ええ。私としたことが、思い出すのに時間がかかったわ。何せ貴方に会ったのは一度だけだもの」

 飽きもせずこちらに手紙を送り付けては名誉目当てに口説こうとしていた、無粋な男。何時の間にかそれもなくなったので、すっかり過去の人物と化していたが。

「出来れば貴方を妻として、“公爵令嬢の夫”と呼ばれたかったものです。相手が王子では、是非もない事ですが」
「相変わらず地位と栄誉の向上しか眼中にないのね。富を積んでも爵位が上がらない事にとうとう業を煮やしたのかしら」
「きついお言葉ですね。天下の公爵令嬢ならば、オブラートに包む表現をご存知でしょうに」

 王子殿下に愛想を尽かされますよなどと、だからどうしたと言いたい嫌味を零す男爵。
 呆れる。人を攫っておいて、余計な世話だ。

「それで、私はずっとこのままで放置されるのかしら? えらく人質らしくないわね」
「ほう、自ら誘いかけますか。お望みなら縄でも用意致しますが?」

 ついでに手錠もどうです。そう言われて、もう溜息も出ない。この男はどれだけ拘束具に事欠かないのか。
 こちらの意見を聞かずに何処ぞから銀色に輝く手錠を持ち出し、慣れた手付きで鉄格子の鍵を解き扉を開く。それはあっさりと抵抗しない手首を締め付けた。

「暴れないとは、慣れているだけありますね」
「疲れるもの。それに、黙っていたら好きなように付け上がってくれるわ。抵抗されて喜ぶ変態もいたけれどね」
「そんな事を私にばらしても良いんですか? 同じ手を使えなくなりますよ」

 ご丁寧なご心配をどうも。生憎、そんなミスなんて起こらない。――自信はあるが、誘拐犯に言ってどうなる訳でもないので黙秘する。
 踏み躙る価値もない自尊心を勝手に高めるだけ高めて、風船のように割れてしまえば良い。

「ではまた後程」

 生簀の鯉を満足気に見るだけ見て、男爵は去った。気付けばこの部屋の匂いにも慣れ始めている。
 憂鬱だ。


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