T(姫君の玉の輿)

 公爵シェスター家の長女エリゼと、現国王子息であるカイン・ロードンとの婚約が公に発表されてから数日。連日のパーティで屋敷に帰る事も儘ならぬエリゼは、正式に与えられた城内の自室のソファーに疲れた表情で腰を下ろした。
 あわよくばこのまま転寝でもしようかと思った矢先に、この国の王子であり彼女の婚約者であるカインが現れる。視界に彼の衣服が入っただけで、エリゼは嫌そうに顔を歪めた。

「うわー、仮にも婚約者にそんな顔する?」

 清々しい笑顔でカインが不満を言うも、エリゼは顔を背けて応えない。直ぐさま仮眠を取る体勢に入り、意識を奥へ追いやろうとする。
 頭上から動かない気配を無視し続けていると、肩に力がかけられ影が瞼を覆った。そして無言のまま、額にそっと唇を当てられる。耐えられなくなったのかエリゼは目を開いてカインを睨んだ。

「……何するのよ」
「何って、お休みのキスさ。本当に寝るならだけど」

 こういう事に慣れていないエリゼにとっては、カインの気遣いらしき行動が余計な世話に思えた。というか“本当に寝るなら”ってどういう事だ。もしや睡眠を邪魔する気だったのか。

「まぁ、からかってみた所もあるけど。何処まで耐えられるか」
「殿下は私を怒らせたいの?」

 心底からの不快感を露にするエリゼの低い言葉に動じる事なく、カインは彼女の顎を捕らえて笑った。

「エリゼが好きだからだよ」

 その混じり気なしの答えに彼女は何も返せなかった。声にならない声を発して、呆然と彼を見つめる。開いた口を埋めるように、カインがそれを塞いだ。

「ん、……っ」

 突然の行動に無抵抗なエリゼは戸惑うばかりだった。味わった事のない感触が寒気となって背中を震わせる。怖くなって視界を閉じても止まない。
 ほんの十秒にも満たない時間が何倍もの長さに感じられ、暫くは唇が解放されていた事にも気付かず。呼吸が出来ると驚いてそっと目を開くと、先程と変わらぬ位置にカインの顔が映っていた。途端に身体が熱くなったのが不思議で仕方ない。
 沸々と沸いてきた怒りに似た感情を抑え込むように、エリゼは先程より低い声で言った。

「どいて頂戴」
「どうしたのエリゼ」

 彼女は答えない。無言のまま起き上がりその場を離れた。自室と繋がっている寝室へと向かう。カインが窺うようにしている事も知っているが、振り返らずに呟いた。

「お休みなさい殿下」
「? 嗚呼、お休み」

 今が夜で本当に良かった。胸に隠した事を彼に悟られずに済む。

*************

 昨晩以降、朝から一度も会わない彼女の行方を疑問に思いカインは執務中の王を尋ねた。

「嗚呼、彼女なら……」

 あっさりと吐いてくれるかと思いきや躊躇うように言葉を止めた。迷っているらしい彼に、カインは情を込めて催促する。

「婚約者の居場所を知りたいだけです。ご存知なら教えて下さい」

 渋々ながらに言葉を紡ぐ国王。

「ううむ……詳しくは言えないが、城でない事は確かだ」
「この城内にはいない、と?」

 益々おかしい。城内にいないとなれば外か。だが昨日それらしき話は何もなされなかった。

「……有難う御座います。執務中失礼致しました」

 気になるとは言えしつこく聞き出すのは憚られる為、カインは素早く身を引く。王は居場所を知っているらしい。本人から直接聞いたのだろう。もしや彼女が朝部屋にいなかったのは、外出を王に申し出たからか。

「僕には内緒で? 何故」

 ――王には話せても、婚約者には話せない事があると?
 知らずカインの表情は険しくなり。昨晩の彼女の感情を押し隠した硬い声の「お休み」も、今思うと違和感がある。

「まぁ良い。すぐに見つけてみせる」

 喧嘩を売られた訳でもないのに、カインは不敵な笑みで自身も王に外出許可を貰うべく道を引き返した。

*************

 早めに馬車を降りて、実に半月ぶりに見た以前と何等変わりない我が家に感動し、エリゼは心持ち軽やかにステップしてその余韻を噛み締めた。
 変わりないとは言っても無傷ではなく、壁の崩壊やガラスが何十枚と割られ、更には焼け焦げた跡もあり、その修復に大工達が挑む様があちこちで見える。
 連絡もせず着の身着のまま戻ってきた事を咎められはしないかと不安に思いながら敷地へと進み、踏み締める大地の感覚も懐かしむ。嗚呼、早く自室で寛ぎたい。そんな悠長な暇はないかも知れないけれど。
 しみじみと感慨深げに足を進めるエリゼの存在に、最初に気が付いたのは彼女の愛弟であるセルだった。書類を手に何かしら考え込んでいた彼は、現在此処にいる筈のない姉の姿に一瞬我が目を疑い一目散にエリゼの元へ向かう。

「姉様! 何故此処へ!」

 その一言で周囲にいた大工や彼等を支えていた使用人達が一斉に声の先へ顔を遣る。

「セル、会いたかったわ! 皆も!」

 そしてエリゼが華のような笑顔で驚きと喜びが入り混じった声々に応えると、使用人達は仕事を放り出してセルに続く。

「姉様、何時此処に……荷物もなしで」
「ついさっきよ。陛下に許可を頂いて、居ても立ってもいられなくて」

 使用人達に囲まれながら弟との会話を楽しむエリゼに、メイドの一人が屋内へと促す。

「万全ではありませんが、ともかく屋敷へお入り下さいお嬢様。お茶をお出し致します」

 慌てて屋敷へなだれ込むセルとメイド達に苦笑しつつ、エリゼも足早について行った。


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