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1年、秋。の、体育祭。プログラムの最後で、我が帝光中学マーチングバンドの演奏が始まろうとしている。そうしてふと目に入った凛とした背中。‥あの時の、と思い出すのは入学式。結局それ以来は見なかった顔がそこにはあった。

「明日からまたアメリカ行くの!?もーアンタほんと信じらんない‥完璧にこなしてくるからもう文句は言わないけどさあ‥」
「先輩、もう既に文句言ってますよ」

中学生にして、マーチングドラムのオーディションを受けたらしいという噂の彼女は、現在そのオーディションを無事合格し、アメリカで活動をしている、‥らしい。俄かに信じられない話しだが、それを理事長も承諾の上で帝光に在籍しているのだとか。演奏に出る全員が同じ衣装を着用しているというのに、滲み出る自信からか他とは別格に見えてしまう。‥それは俺だけだろうか。

「赤司、何をじっと見ているのだよ」
「いや」

今日のラッキーアイテムだと言う白猫のヘアピンを体操着に付けている緑間は、何度見ても違和感しかない。困惑した表情を浮かべた後、目の前の集団を見てああ、あれか、と納得したような声を出した。

「うちの中学はマーチングも強豪だったか」
「むしろ、ここの部活動はどこも強豪だったはずだよ」
「マンモス校というだけあって色んな奴がいるからな」

バスケに限らず、バレー、陸上、体操、マーチング、その他諸々。そのほとんどが全国大会に出場し、帝光という名を刻んでいる。その中でも飛び抜けて有名なのが、俺と緑間も所属している男子バスケだったりする。

数分緑間と会話をしていると、そろそろ出番らしいマーチング部の集団が移動を始めていた。その中で1人、その集団の輪から抜けていく影。例の、あの女子生徒だった。

「あれ‥ちょっと、苗字はいいの?どっか行ってるけど‥」
「ああ、あの子はいーの。たまーにああいうとこあんのよ、苗字なりの集中の仕方だから気にしないで。本番までには戻ってくるから」
「パートリーダーは分かってやってんのねえ‥私だったら理解不能」
「実力があるから勝手にやらせてんの。私だって考えなしにあんな集団の輪を乱すようなことさせたりしないって。それに、」
「それに?」
「実際バッテリーを本質的に纏めてんのは苗字だからさ。いるのといないとじゃ大違いなんだよね、悔しいけど」

あっけらかんと話すその人は多分3年生なんだろう。お疲れですなあ〜なんて肩を組んで遠のいていく姿は、苗字と呼ばれた女子生徒に絶大なる信頼を置いているようだった。

1人残った彼女は、1つ大きく息を吐いている。手の調子を確かめるようにスティックをくるくると扱うその様子が、まるでマジシャンみたいだなと考えていると、そんな俺の視線に気付いたらしく彼女とばっちり視線が絡み合った。大きく見開かれた瞳はどこまでも漆黒で、深い。

何も言葉を交わすことはなかった。

だが、やんわりと細められた瞳は確かに笑っていて、僅かに上がった口元が魅力的で。太鼓の上に乗っていた衣装用の帽子を被ってしまったことで表情は分からなくなってしまったけれど、一瞬の笑顔が頭の奥にこびりついている。

「あれは確か、‥俺と同じクラスの‥最近またアメリカから帰ってきている、‥苗字?だったか」
「緑間と同じクラス?」
「ああ。テスト前はこっちに戻ってきているのだよ」
「へえ」

それは知らなかったな。精神統一でもしているのか、ぴくりとも動かなくなった彼女を見ながらぼんやりと呟く。と同時に緑間がこちらを見た気配がしたが、気付かないフリをした。

「帝光中学校マーチング部による、演奏・演技がまもなく始まります。生徒、保護者の皆様、指定のテントへーー」

運動場に響き渡るアナウンスで彼女は深く帽子を被りなおし、くるりと向きを変えて歩き出す。集団が待つ輪にするりと溶け込んでいく様子に、認められているという大きな存在感。興味を持った。‥珍しくも、俺が。

「緑間、戻ろう」

そうして数年経って、彼女も俺の存在を知ることとなる。細くて赤い1本の糸が、不安定ながら繋がった瞬間だった、‥‥のかもしれない。

2017.11.02