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付き合って3年。ドライすぎる彼にはもう慣れたと思っていた。告白したのも私だし、デートに誘うのも私だし、お泊まりに誘うのも私。身体を重ねるのだって、私が誘わなければないんじゃないだろうか。いや、それってもう男の人としてどうなの?なんて思ったり思わなかったり。そのドライ加減もここ3ヶ月、乾き切っている気がする。

「英、楽しくないでしょ」
「‥は、何急に」
「どうせ水族館なんて魚泳いでるだけじゃんとか思ってるんだ‥」
「てか実際そうじゃん。つーかなんなの」
「‥顔、ずっと怒ってるもん」

ここに来てからね。そう言うと、まるでしまった、とでも言うように分かりやすく顔を引きつらせた彼。そんなにあからさまに反応しなくても。周りは子供連れの家族や素敵なカップルばっかりで、自分達のこの関係がとても浮いているように感じた。一緒に居て私は幸せなのに、英からは幸せが感じられないのだ。

「‥怒ってねーし」
「無自覚なら余計に傷付くんですけど。‥私なんかした‥?」
「‥」
「なんで黙っちゃうかな‥」

喧嘩なんてしたことないし、喧嘩をふっかけたこともない。じゃないと、いつか「別れる」って言われるのが怖かったから。きゅ、と掌を握りしめて英に向き直ると、やっぱりいつもの調子で私を見ていた。‥なんで私ばっかり好きなの。英、断るの面倒だったから付き合ってるとか言わないよね?隣の巨大な水槽でゆらゆらと泳ぐエイが、ガラスに張り付いてこちらの様子を伺っているような気がする。魚に心配されている感覚。‥辛い。

「‥断ればよかったのに。水族館も、告白も全部」
「‥ちょっと待て。なんでそうなんの」
「だってそうじゃん。いっつもつまんない顔してさ。最近特に酷い」
「元々こういう顔だろ。それに俺、つまんないとか言ったことあった?」
「その態度がつまんないって言われてる気がするの!」
「声煩い」
「‥‥‥いいよもう。好きじゃなかったならあの時振ってくれればよかったのに‥」
「‥お前さあ‥」

びくっ。背中が大きく震えた。同時に嫌な予感。ここまで言ってしまったんだ、これから起こることの予想は大体ついている。でも後悔はしていない。‥いやしてるけど。英のことは今でも大好きだから。でも、我慢できなかったんだからもうしょうがないんだって、緩んでくるであろう涙腺を必死に耐える覚悟を決める。至極ダルそうに頭を掻く英から視線を逸らして、ガラスに張り付いたままのエイを見つめた。‥いつまで見てるんだこの野郎。

「なんで今日そういうこと言う訳」
「‥は?」
「断るとか選択肢になかったし。そもそも好きになったのは俺が先」
「は!?」
「だから煩いって」
「ご、ごめ‥」

‥って、私が謝るところじゃなくないか!?慌てて口を結ぶと発言の意味に首を傾げた。今なんて言った?好きになったのは俺が先?おかしいおかしい。というか先とか後とかなんで分かるわけ?

「‥高校2年の時、隣のコートで必死にボール追っかけて、ド派手に転んだ後のブッサイクな顔に一目惚れ」
「ちょっと」
「‥嘘。すっげー可愛かった。こんな子いたっけって見てたら及川さんのサーブ頭に直撃したけど、気になんなかった。そしたら3年の時にクラス一緒になるし、告白されるし」
「え、っと‥?」
「黙って聞けよ」
「うッ‥」
「楽しくないでしょ?楽しいとかそんなの顔に出るような奴じゃねーの俺は。つか、これから先もずっとそうだから。だから、‥振ってくれればよかったとか言うなよ」

おい、いつもの仏頂面どこにいった?腕で鼻から隠す姿が恥じらう女子みたいだよ。‥そういう軽口すら今は叩けない。初めてそういうテンパってる所を見ているからだろうか、なんだか胸の奥がむず痒くてたまらない。

「‥サイッアク予定全部狂った」

深い溜息の後にそう言い出した彼は、突如その場に座り込んだ。まあ、周りには座って魚を眺めている人もいるし目立たないけど、180もある大男が突然座り込んだら吃驚するんじゃないだろうか。慌てて私も視線を合わせる為に座り込む。

しかし予定とは。水族館の予定を立てたのは私なんだけど。

「‥ダッサイけどちょっと手出して」
「手?」
「そっちじゃないこっち」
「いった!」

右手を出したら叩かれて、無理矢理左手を掴まれた。そんな叩かなくてもいいじゃんか!そうして英が何をするつもりなのか観察していると、掴んでいる英の手が微かに震えていて驚いた。というか困惑。今更お手手繋ぐくらいで緊張するもの?‥なんて首を傾げた瞬間だった。光る何かが見えたのだ。

「英、?」
「言っとくけど、本当はちゃんとした所で渡すつもりだったんだからな。‥お前が不安がってるから」
「‥ねえ。これ、なに」
「苗字。俺と一緒にして」

きらりと光った左手薬指のシルバーリング。ぼそぼそとした聞き取りにくい声だったのに、反響するくらいの大きな声だと勘違いしそうになった。嘘だ、だって。ここ最近職場でもずっと顰めっ面してたくせに。大体なんで今日なんだ。記念日に相応しい日とか、もっとあったじゃん。

「‥あと、誕生日おめでと」
「‥あ、あ!?」
「は?ちょっと忘れてたとかやめてくんない?」
「だ、だって‥‥ここの所ずっと英のこと考えてたから‥」
「‥ハア‥‥女子って記念日で合わせたらとか、そういうの好きかと思ったのに‥」

そうか。英は英なりに、私のこと考えてくれてたのか。そう思うと、最近のドライ加減に納得がいった。安心したと同時に、1人で行きたくなかったであろうジュエリーショップにこそこそと入る姿が頭に浮かぶ。絶対にそんなことしないだろうと思っていた。ぽろぽろと出てくるのは笑い声と嬉し涙で、ハンカチなんて持っていない私は英からハンカチを受け取った。

「っ‥へへ、嬉しいや‥」
「ちょっ‥泣かないでよ、それ1番面倒くさいから‥!」
「国見、私に似合うかな‥?」
「‥世界で1番似合うんじゃない」

ごしごしと涙を雑に拭ってくる英に、そんなことを言われる日がくるなんて思わなかった。返事なんか分かり切っているだろうけど、まだちゃんとした言葉では伝えてあげない。そのくらいの意地悪はいいでしょう?

隣でガラスに張り付いていたエイはもういなくなっていたが、一回り小さいエイにぴたりと寄り添いながら巨大水槽を優雅に泳いでいた。

2017.05.29