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いつものように教室で休み時間をぼんやり過ごしていると、後ろのドアからこっそりと覗く顔があった。最初こそ変な声を出して驚いてしまったが、落ち着いて見ればスガ達と同じクラスの苗字さんで、誰かに用事だろうかと思いながら首を傾げると、小動物のように周りを一頻りきょろきょろとした後、俺に向かって手招きをしたのだ。うーん‥可愛いなあ‥

「どうしたの?」
「あ、あの‥‥今日、東峰君のクラスって現国の授業、あった‥?」
「ああ、うん、さっき現国だったけど」
「ほんと‥!?」

ぱああっと顔を輝かせている苗字さんに、なんとなくその後の言葉を読み取った俺は、机の中から教科書を取り出した。現国の相原先生、忘れ物チェック厳しかったっけか。つまり苗字さんは教科書を忘れてしまったんだろう。

「はい」
「え?」
「えっ?教科書貸してほしいとかじゃなかった?」
「あ、いや、そうなんだけど‥よく分かったねえ‥」

あはは、なんて苦笑いをしながら眉を下げる姿にどうにも胸の奥が痒くなる。ふわふわしている雰囲気に加え、少しだけ控えめな性格の彼女は、スガが「あの子可愛いだろ」なんて言っていた女の子だった。そうして今現在、少しずつ仲良くできてはいるから俺に教科書を借りに来るまでに至っている‥のだと思う。いや、知り合いの友達には全員振られたのかもしれないけどそれはそれでラッキーだよな。

「ごめん、ラインとかたくさんひいて汚いかもしれないけど気にしないで」
「そ!そんなことないよ‥!私の方が落書きたくさんしてて‥!真面目じゃないの丸分かりというか!」
「そうなの?意外だなあ」
「‥本当に借りていいの?」
「うん。俺のでよければ」
「‥ありがとう」

両手で教科書を抱き締めて、嬉しそうにふわっと笑った苗字さんについ心臓が大きく跳ねた。スガと大地は苗字さんと同じクラスでいいなと思ったことがあるけど、実際同じクラスだったらずっと緊張して授業に集中できないかもしれない。‥そう思ったら、俺はもう彼女にだいぶのめり込んでいて、後には引けないところにまで来てしまっているのだろう。好きだなあ。‥それを感じてしまえばもう終わりだった。頭の中にはずっと苗字さんの顔が浮かんでいる。

「‥東峰君?」
「え‥あ、ごめん、なに?」
「なんかぼーっとしてたから。大丈夫?」

君の笑顔に見惚れていた、なんてこと言えない。絶対言えない。俺の教科書でよければ、いくらでも貸すよ。それくらいは言えればよかったのだろうけれど、いかんせん緊張が頂点に達しそうだったから俺は頑張って必死な笑顔を繕うしかないのだから情けない。

「大丈夫だよ」
「それならいいんだけど。‥あ、そうだ」

これ。そう言いながらポケットを漁る彼女の掌が、俺の目の前に差し出される。なんだろうかと首を少しだけ傾げれば、中から現れたのはピンク色でイチゴミルクと書かれた飴玉だった。

「よかったらどうぞ。‥って、こんなのでごめんね」
「貰っていいの?」
「うん。‥っていうか、その、‥東峰君にあげる為に持って来てたというか‥‥なんていうか‥」

はにかんだその声に固まっていると、予鈴のチャイムが響いて我に返る。そうしてそれは苗字さんも同じだったらしく、慌てた様子で俺の手の中に飴玉を残し、教室を出て行ってしまった。教室から出る間際、控えめに手を振る彼女につい顔がにやけてしまっていたのはバレているかもしれない。ああ、気持ち悪いとか思われていないといいけど‥。

「東峰、次移動教室だよ」

クラスメイトに言われて気付けば、教室にはほとんど誰も残っていなかった。どんだけ喋るのに必死だったんだよ。

「やっべ!」

掌に残った飴玉には、まだ少しだけ暖かい温度が燻っている。彼女もまた緊張していればいいのにと思いながら、俺は机の中から次の授業で使う教材をかき集めていた。

2017.07.11