▼▽▼


今日は最悪だ。最悪の日だ。びしょ濡れになった自分のジャージを確認しては、大きな溜息が止まらない。

最後の女子バレー部の公式試合だった。だけど、あと1点で試合に負けてしまうというところで痛恨のサーブミス。今までサーブだけはミスのないように努めてきたというのに、なんでこのタイミングで、なんで今日で。ネットにかかった瞬間の悪寒は多分、ずっと消えないだろう。チームメイトは「誰もナマエのせいで負けたなんて思ってない」って言ってくれたけど、そんなわけないじゃんか。泣いてたじゃんか。唇だって噛んで悔しそうだったじゃんか。

「‥っ、さいっあく‥‥!」

カンカンに晴れてた朝は一体どこへ行ったのか、私やチームメイトを表すように突然降り出した雨はどうやら止む気がないらしい。足元にあった空き缶を蹴り飛ばすと、鈍い音を立ててコンクリートの上を転がっていく。そうして暫くすると、コン、と何かに当たって停止したらしい音を立てた。

「苗字?‥‥うわっ‥!なんで傘差してねえんだよ!びしょ濡れじゃねえか!」
「‥岩泉君」

ばしゃりという足音にぴくりと手が動く。こんなおばけみたいな奴いたらビビるだろうなあと思っていたら、耳についたのは聞き覚えのある声。誰だなんて聞くまでもなくて、私は顔を向けずにぽそりと声帯を小さく震わせた。なんでこんな所にいるんだろうかという疑問なんて今はいい。こんな濡れて酷い顔なんて見られたくない。

「ほら」

頭や肩を濡らしていく雨は岩泉君の黒い傘が遮ってくれたが、別に濡らしてくれたままで良かったのにと少しだけ彼との距離を取る。だけど、それを良しとしなかったらしい岩泉君は、私のびしょびしょに濡れた腕を掴んで無理矢理に傘の中へ引き入れたのだ。

「嫌なら苗字が傘使えよ。俺は走って帰るから」
「岩泉君が濡れるじゃん。いいよ」
「俺はいいんだよ」

何がいいのか分かりませんけれども。でもきっとそう言った所で岩泉君が考えを変えることはないだろうということも大体は分かる。どうしたものかと俯き続けていると、腕を離された瞬間頭にべちゃりと何かが乗ったような音がした。

「‥‥試合、残念だったな」
「‥なに、聞いたの?早くない?」
「解散して3時間は経ってんじゃねえの?それよりなんでそんなに時間経ってんのにぼーっと突っ立ってんだよ。さっきもバス見送ってただろ」
「ああ‥もうそんなに‥」

そんなに時間が経ってたのか。ぐしょぐしょになった鞄の中にスマートフォンが入っているけど、どうも自分には時間を見る余裕すらなかったらしい。‥ぐっと握りしめた拳が冷たい。

「‥そういやあ今日、お前だけ泣いてなかったべや」
「‥は?」
「1番悔しくて泣きたかったのは苗字だったんじゃねえの?なのに我慢しやがって‥‥唇噛みすぎ。血が出てたのバレてんぞ」

「少し瘡蓋になってる」と屈んでじっと見られている唇のそれは、確かに試合が終わってからお手洗いに行った時に噛みすぎてできた傷だ。その前に、岩泉君が今日試合を見に来ていたということに驚きである。確かに男バレはお休みだと聞いていたけど、‥でも、どうして。

「‥試合、見てたの?」
「まあ‥ちょっと、及川がな」
「及川君?」
「女バレに彼女いるだろ。それで見に行きたいって連れ出されたんだよ」
「ああ‥そういえば、及川君彼氏だったっけ‥」
「それで、彼女すげー泣いてたんだけど‥多分今日の試合苗字が1番キツイかったはずなのに全然泣いてなかったから頼むって」
「‥」
「つーわけで。別に慰めの言葉とか、そんなもんなんもねーんだけどよ。‥‥泣いていいぞ。雨だしな。どうせ俺も泣いてんのか雨なのか分かんねーし」

分かんねーし、なんて言いながら、鞄から取り出したタオルを乱暴に押し付けてきた岩泉君に、痛いと言いながら片手でタオルを押さえた。ああ、もうなんなんだ。弱みに付け込んで何がしたいんだよ岩泉君のくせに。べしゃ、べしゃと濡れた頭に何度も落ちてくる掌は温もりの塊だ。ぶわりと脳裏に蘇るのは最後のサーブミスのシーンばかりで、驚いたチームメイトの顔と、相手チームのガッツポーズが交互に再生される。悔しい。悔しくてたまらない。

「‥っぐ、いわいずみくんのばかっ‥‥」
「おう。ずっといるから我慢すんな」
「傘なんて、‥っ雨宿りするなんてつもり、なかっだのに‥っ」
「風邪引いたらとか色々心配すんだろが。‥これでも俺は、お前のことずっと見てきたつもりなんだからよ」

ぐずぐずと鼻を鳴らしていた私には、岩泉君の言葉が耳まで届くことはなかった。頭に乗っていた手が私の掌を掴んだ時少しだけ驚いたけど、やはり、脳内に残った試合の残像を忘れるまでには至らない。馬鹿みたいに泣き続けていたけれど、その間何も話さずにいてくれた彼はずっと私の冷えた掌を握り続けてくれていた。

「‥お疲れさん」

じわりと。その一言だけでまた溢れてくるのは、涙と得体の知れない何か。完全に自己嫌悪ではあるが、隣に岩泉君がいてくれてありがたかったのは間違いない。震えていた背中が落ち着いた頃には、ほんの少しだけ曇り空が晴れていた。それをバックに「酷え顔」と言った彼の表情が驚くほど優しかったものだから、胸の奥がじんじんと焼けるようだった。

2017.07.09