「おはよぽち!」
「わっ!ちょ、っと、なんで髪の毛半乾きなんですか、水が飛ぶから勢いよく抱きついてこないでください!」
「朝から練習とか陸の競技だけかと思ってたから!まさか水泳の朝練があろうとは!高校生になるって怖い!」
「まだ肌寒いのに半乾きで教室にいる貴女の方が私は恐ろしいです。風邪引きますよ」
「バカは風邪引かないんだよ」
「それ自分で言うんですか?」

教室に入るや否や、千早さんにど突かれるようにタックルを食らってしまった。なんて幸先の悪い1日なんだろうか。朝練をした後らしい彼女の首には黄色のタオルが乗せられている。それを使って早く拭きなさいとばかりにタオルを引っ手繰ると、ぼすっと頭にタオルを乗せて席に向かった。

「ぽちって実は優しいんだよねー。ちょっとツンデレっぽいけど、私そういうの好き!」
「どうも」

今日の調理実習はクッキーとか言ってたかなあ。教材を鞄からだして、ぺらりとページを捲る。序盤だから結構簡単なのが多いかもしれない。あ、でも後半は筆記系とかなんとか‥

「‥あ」

教材の間からひらりと紙が落ちてきて、なんだっけこれ?とぼんやり考えながら拾おうとすると、私より先に少し焼けた肌色が伸びた。

「はいぽち」
「あ、どうも」
「入部届?‥‥え?え!?ぽち男子バスケ部入るの!?女子じゃなくて!?」
「イタズラです。入る予定はありませんし、驚く所がなんか違う‥」

この子アホの子だ。そう確信して入部届を鞄に直して溜息を吐いた。すっかり忘れていた、この紙の存在。3日前に呼ばれて以降荒木先生に会っていないが、学校にいるとどうしても部員には遭遇してしまう。紫原君とか、紫原君とか、紫原君とか。まあ彼はお菓子を狙ってるだけだと思うけど。

「じゃあぽち、バスケ部だったんだ!」
「違いますけど」
「???」
「少し勧誘されただけです。マネージャーに」
「!!!!」
「‥ちょっと、顔だけで感情剥き出しにするのやめてくれませんか」
「マネージャー!!凄い!!なんか特別感!!有能っぽい!!」

確かに貴方には一生縁の無いお話な気がしますけど。なんというか。

「言い方‥」
「やればいいのに!うちのバスケ部って強豪なんでしょー?!ぽちめっちゃかっこいいじゃん!!マネージャー!!あっ、でも紫原君と一緒になるのか‥ううん‥」

えっ、選手差し置いてマネージャーがかっこいいってそれはどうなの。目がキラキラしている千早さんには、何を言っても伝わることはなさそうだ。

「おーい、戌飼はいるかー?」

千早さんを適当にあしらっていると、ドアの方からおじさん(失礼)の声がした。戌飼なんて名字は私しかいないのでくるりと振り向くと、高校受験の時に話しかけてきた白ジャージのおじさんがいた。‥よく覚えてる、体操部顧問の坂巻先生だ。

「サッキーだ。なんでぽち呼んでるの?」
「サッキー?」
「あだ名!坂巻だからサッキー!」

ああそう。千早さん変なあだ名つけるの好きだなあ。とりあえず呼ばれたからには席を立つしかなくて、重い腰を上げた。ああ、やだなあ。高校に入学してからは声かけられることなかったのに。

「ちょっと、ちょっと」
「はあ‥」

生徒の目につかない角まで連れられ、フッスーと鼻から空気を抜いた坂巻先生はどうしたものかと腕組んでいる。遠くから視線を感じてそっと目線を変えると、廊下を歩いていたらしいどでかい紫頭を捕まえた千早さんと、その紫頭がこちらを見ていた。

「本当にやらんか、体操。お前だったらブランクなんてすぐ乗り越えられるだろう」
「それは入試の時もお話した通りですから‥」
「嫌いになったわけじゃないんだったら‥才能もあるし、俺は凄く勿体無いと思うぞ?」
「有難いですけど‥‥決めたことなんで」
「なんでそんなに頑なになるんだ」
「‥」
「俺には何かを振り払うように黙々と菓子作ってるだけにしか見えんが」

その言葉に思わず唇を噛んだ。実際それもその通りだ。それでもたった1回の恐怖が拭えないのだから。

「手術は成功しました」

手術が成功したら、復帰できるかもしれないと思ってた。坂巻先生の言葉に舌打ちしそうになったけど、それを耐えて一礼すると早足でその場から逃げるように離れることしかできなかった。

2017.01.12

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