ふと隣を盗み見ると、ゆらゆらと横髪が揺れていた。窓の外から風が吹いているからだけど、それだけが理由じゃないと思う。彼女は深い眠りに落ちかけているんだ。その証拠に持っていた鉛筆は、コロコロと机の上をゆっくり転がっている。

「ウサギ、」

現文の授業の最中だが、先生はずっと黒板と教科書を睨めっこしているから気付いてはいない。けれど、次にこちらを見たら気付いてしまうだろう。こくりこくりと首が動くウサギの存在を。そっと手を伸ばすと、細い肩を小さく揺すった。‥スポーツしているのは同じなのに、女の子ってどうしてこんなに細いんだろうか。

「‥ウサギ、起きてください」

誠凛の女子バレー部が強いかどうかは聞いたことがない。それでも毎日毎日練習に費やしているんだから、きっと皆勝ちたいという意思があるということだ。昨日は練習試合もあったみたいだし、疲れているんだろう。そもそもこれは僕が言えることではないし、むしろ怒るべき所ではあるのだろうけど、寝させてあげたい気持ちはある。‥‥僕だってよく寝ているし。しかし、この後小テストをすると言っていたのだ。つまり今起こさないと、出題されるであろう範囲が分からなくなるということ。

「‥‥希望さん」

初めて女の子の名前を口に出した瞬間、肩を揺すっていた手が止まった。僕は何を言っているんだと、口に手の甲を当てて思わず固まってしまう。ふるりと少しだけ睫毛が震えたが、起きる様子はまだ見えなかったので安心した。

多分、というかこれは確信だけれど、彼女は中学時代の僕のことなんてきっと覚えていなかっただろう。ウサギの発言に度々覚えていない節があるから、これは当たっていると思って間違いない。僕がただの人間観察の一環で眺めていた筈の彼女のことは、高校に入ってから少しだけ見方が変わっていた。‥いや、正確にはあの日テレビでウサギを見てからかもしれない。

「ウサギ、‥ウサ‥‥。希望さん」

ふわふわとした小さな声を自分が出している、ということがとても恥ずかしい。でも嫌な気分にはならない。むしろ心地良いくらいだ。

ウサギと話すようになって分かったことがいくつかある。見かけは大人しい女の子だけど、意外としっかりしていて、恥ずかしいと感じたり、興奮したり慌てていたりすると声が大きくなる所。好きなことに真っ直ぐで、どうしようもないくらい良い笑顔を見せることがある所。その笑顔が僕は好きだったりする。無邪気というか、屈託のない素直な笑顔というか。

「‥ふ、わ‥」

だから、2回目はなければといいと思っている。あの日テレビに映った時のような、絶望を絵に描いたような顔を。‥こちらまで泣きそうになってしまうから。その痛みだって、違うようで似ているから。

「コラ兎佐〜、疲れてるからって寝るな〜!」
「ヒャッ‥‥!」
「ちゃんと起きろよー、知らんぞー」
「あ、うぇひゃやばっ!!先生、小テストの範囲もう一度教えてください‥!」
「まだ何も指定してないわバカタレ」

くすくすと笑いが漏れる中、ウサギは顔を真っ赤にさせて掌で顔を隠して、しまった〜なんて声を弱々しく吐いている。思わず僕もプフフと笑いを堪えきれずにいると、キリッとした顔がこちらを向いた。

「‥酷い。黒子君起こしてよ‥」
「起こしましたよ何度も。何回も呼びました」
「嘘だ‥」
「ウサギ、涎が」
「ッ‥!」
「嘘です」
「〜〜!!」

頬が緩んだ拍子に、ウサギの顔が固まった。そしてへにゃりと崩れる口元。‥なんですかそのだらしない顔。すごく、‥可愛いです。‥‥なんて、本音を言ったら怒られるだろうか。それともまた嘘ばっかり!と怒られるのだろうか。どちらにせよ怒られるなら、本音を言いたいところだ。

2017.06.23

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