セリフとか立ち位置とか、そういうの覚えるの結構大変なんだよなあって、台本に色んなことをメモしながら思う。ドラマの撮影で自分の番を待ちながら頭の中に流れを叩き込んでいると、何度か携帯が震えた。仕事中だし出るわけにもいかなくて、そうしてそのまま出番だと呼ばれて立ち上がった。

「1カットアップで撮りたいから、もう1回同じところもらっていい?」

スムーズに流れていく撮影は無事に終えて、最後の最後で監督の提案に乗って、撮ったものを確認して。結局撮影は21時過ぎてまでかかってやっと終了した。普段やらないこと、言わないであろうこと。私の役柄が小悪魔な女の子という設定なせいで、まだあんまり役割を把握していない。‥割には、よく出来ていた方だと、‥思う。

「亜樹ちゃんの役はさ、男の子なら誰でも誑かしたいし、他の女の子には見向きさせたくないっていう女の子なんだよ。思わせぶりで、セクシーで、ワガママ。まあ文字通り正反対だよね。でも、だから面白くなると思うんだ」

台本と撮りたてのそれを眺めながら笑った監督に、私も思わず苦笑い。まあ、仕事だしちゃんとやるけど。‥このドラマ、緑間君には見られたくないなあ。こういう女なのかって思われたくないし。だって絶対私を知らない人がこのドラマ見たら、もう完全に印象悪いわけでしょう?‥やだなあ。でも緑間君ってこういうドラマとかそもそも見るんだろうか‥。

ああだこうだと言われたことを取り敢えず台本にメモして、やっと終わった怒涛のアドバイスの後にいつの間にか黒くなってしまったページを閉じた。ぱたん。その音と同時に、またぷるぷると震えた携帯電話。こんなにしつこいとなると八雲さんあたりかな、と既に勝手な想像がついて回る。もうちょっと待っててほしいんだけど、とメールでもしておこう。楽屋に向かう途中で、ぱかりと携帯を開いたそこには、確かに八雲さんの名前があった。‥いや、訂正。八雲さんの名前もあった。最初の1件を除いて。

「な、‥なに、」

思わず飛び出た独り言に慌てて口を塞ぐ。いや、だって、驚くことではないんだけど、突然の電話はいつだって吃驚するじゃないか。緑間君、一体何の用事だったの。楽屋に駆け込んで、慌てて鞄を引っ掴んで。お疲れ様でしたとか、よかったらご飯今からどうすかとか、色んな人のお声がけにするする答えながら小川さんの待つ車へ急ぐ。‥の、前に。やっぱり早く電話をかけたくて、こっそりと駐車場の隅っこに隠れて通話ボタンを押した。

『辰巳か?』
「ごめんね、こんな時間に」
『随分遅いな。‥仕事だったのか』
「うん、電話出れなくて。‥どうしたの?」
『お前は、‥その、誰か付き合ってる奴がいるのか?』
「‥‥‥は、っは?」
『そんな噂を聞いた』

突拍子すぎて、出したことのない声が出た。なに、その根も葉もない噂‥。というか、そんな噂あったら私だいぶまずいことになるんだけど。公私共に。そんなわけないじゃんなに言ってんの、って口にしたら、そうかって一言。‥そうかって、‥聞いといてそうかってなによ。

「なんで急にそんなこと聞くの?」
『女性は男が出来ると綺麗になるらしい』
「‥緑間君は馬鹿なの?」
『馬鹿とはなんだ!』
「それ、恋をする女の子は綺麗になるっていう意味だと思うんだけど」

私はそういう風にしか聞いたことないけど。好きな人ができると突然綺麗になっていくって言うのはよく聞くし。‥ああ、私緑間君のこと好きだから、‥好きになったからそう見えるようになったのかなあ。じゃあ強ちそういう例えみたいなのは間違っていないということか。よく出来た言葉だ。‥あれ、ちょっと待って。私今何を肯定した?

『‥辰巳は好きな奴がいるということか』

一瞬、空気が熱くなったような冷たくなったような、どきっとしたような。緑間君の好きな奴という発言につい、同意しそうになって言葉を飲み込んだ。‥なに、なんでそんなこと。好きな人、いるよ。今電話で話してる貴方がその人なんだよ。でもそんなことは口が裂けても言えなくって、無言を貫いた。誰かのヒールがこつこつと響く音だけが聞こえてくる。なんか、言って。‥なんでもいいから、この沈黙をどうにかして。

『おい、聞いているのか』
「う、ん‥」
『いるのか、そういう奴が』
「‥私がそうだったら駄目じゃない」
『駄目?』
「こういう業界にいたらどうしてもご法度で」
『意思は自由だろう』
「ねえ、どうして急にそんなこと聞いてくるの?なんか誰かに催促でもされたわけ?そういうこと緑間君はしないと思っ」
『俺自身が気になったからだろう!』

何かむしゃくしゃしてたものを一気に爆破させたみたいに、珍しく緑間君が電話の向こう側で大声を張り上げた。別に、本当はそんなこと思っていない。思っていないけど、何かを喋っておかないと、緑間君だよって言いそうだった。俺自身が気になったって、それ、どういう意味。‥どういう意味?聞きたくてしょうがなくて、でも聞いたらいけない気がして。

『お前の隣は居心地が良い』
「あの、ちょっとまって、」
『‥‥誰かの隣に辰巳がいるのだと思うと、居ても立っても居られなかったのだよ』

ぎゅう、ぎゅう。心臓をいとも簡単に鷲掴みにされた、そんな感覚だった。こんなちっぽけな電子機器の向こうで、一体彼はどんな顔をしているんだろうか。

2018.03.25

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