「おい巴、彼氏が来てんぞ」

いやだからそんな人私にいないんですよね。スティックを専用のバックに入れながら、松阪先輩の言葉に舌打ちをした。もちろん聞こえないように小さくではあるが。舌打ちなんかをこの人に聞かれたら私は刺される気がする。そんなことを考えながらゆっくりと振り向いた先には、自分を私の彼氏(仮)だと言う残念な赤司君が本当にいるのだから呆れる。そもそもなんでこんな所にいるんだ。この人もう部活終わったのか?

「いや、すぐに帰ってしまいそうな気がしたから待ってておくように声をかけにきたんだ」

読心術使ってんじゃないよ!すらすらと私の心に受け答えをする赤司君に思わず後退り。‥‥あれから1週間くらいだろうか。その間にあれよあれよと噂が流れたが、皆が言う言葉は同じようなものだ。「赤司君が選んだ人だから」「赤司君が言うんだから」「あの赤司君が」etc‥‥

「あのね赤司君。事実付き合ってもないのにこんなことされても困、」
「待ってるよね?」
「‥ソウシテオキマス」

その恐ろしい程の笑顔をやめていただいてよろしいだろうか。そうして私の返事ににこ、と笑った彼は、「じゃああと30分後に」なんて言いながら、ふわりと軽く頭を撫でて立ち去って行く。‥っていうか、これだけ言う為に待ってたとか馬鹿じゃないの。本気で頭沸いてるんじゃないかな逆に心配するわ。

「なに、アイツこの間と違って随分穏やかな顔してたな。マジで由衣ちゃんに惚れてんの?」
「ちょっ‥規矩先輩盗み聞きとかしないでくれます?てかちっか、」
「俺の方が絶対イイ男の自信あるのに」
「自分で言ってりゃ世話ないですね。あと肩に顎乗せるのやめてもらっていいですか」
「え?なんで?」
「香水臭いです」
「嘘だ!!」

プンプンと臭うのは恐らく男性物の香水だろう。こんな匂いで世の女の子が群がるらしいというから世の中分からないものだ。顎を乗せられている私の肩は、普段マーチングスネアのキャリアホルダーをつけて歩いているから頑丈な方だが、それでも不快感割り増しで痛い。深く溜息を吐いてぎゃあぎゃあ煩い規矩先輩のおでこをべちん!と引っ叩くと、そのまま部室へと重い足を動かす。「俺!先輩!」なんて聞こえた声に思わず「そうでしたっけ」と呟くと、続いて松阪先輩の拳骨が落ちた音がした。ざまあみやがれ。













「遅い!」

全てを片付け終えて帰ってやろうとは勿論思っていたが、わざわざ音楽室まで来てくれた赤司君に申し訳ないと思った私を誰か褒めてほしい。20分待った。日が落ちた暗闇の正門前で、詩栄に先に帰ってもらって(というか先に帰られた)。寮なんて目と鼻の先だけど、私の良心が赤司君を待てと命令したのだ。その良心に反したのが今の私の言葉である。

「文句を言う割にはきちんと待っていてくれていたんだな」
「失礼かと思っただけ。だって、待っててって言う為だけに音楽室来たんでしょ‥‥理解し難いけど」
「女性を送るのは当然だろう。況してや僕がお付き合いしている彼女だ」
「だからさあ、付き合ってないんだって。私赤司君のこと好きじゃないし」
「それはどうかな」
「どうかなってどういうこと‥」
「これから好きにさせるからね」
「‥‥」

その謎の自信はどこからくるのか。つい頭を過ぎるのは最近黙々と練習をこなす浅川さんの姿である。何かを言われるかと思ったが、結局は何も言われはしないのだから逆に恐ろしい。そうやって云々と考察していると、自分の掌を強引に包んだ感触がして顔を下へと向けた。骨張った綺麗な指がさも当然のように絡んでいるのだから驚きもするが、それをしているのが赤司君だということだ。‥この人も人間なんだなと、暖かい掌の温もりを感じながら思った。‥ああ、失礼だとは思っていますから。ほんと。

2017.06.30

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