赤司君のあの日(1週間前)の言葉を忘れかけていた、私の目の前に突き出された事実。

「松阪先輩言うの遅いと思うんです」
「そうだな。俺もすっかり忘れてた」

嘘だろこの人。本番まであと2週間、それまでに5曲覚えて来いというのか。中学時代もそんなことはよくあった。‥が、何度も言う。私はまだ入学して間もないのだ、そこを忘れてはならない。

「幾多の死線を潜り抜けてきたお前ならこんなの朝飯前だろ。特待生働け。じゃ、ヨロシク」
「‥」

良い笑顔で笑った先輩に、私やっぱり洛山の受験は間違えたかもしれないと思った。もう遅いけど。

あと2週間後に、マーチング部ではとある本番があるそうだ。それが、京都府全体で行われる男子バスケットの新人戦のオープニングアクトで、演奏・演技をするというものである。もちろん今聞いた。しかも、演奏だけならまだしも、バッテリーも動くらしい。おいまじかよ。しかも1番言いたいのは、赤司君オープニングアクトにうちのマーチング部が出ることを知ってたのかよ、ということである。

「本番は別にいいんですけどもさ‥」

話によると、この5曲は洛山でよく演奏する定番の曲らしい。1年はほとんど出ない。何故かというと、大きな本番に出るのは大会に出るメンバーで決まっているからだそうだ。だから1年で出るのは私くらい。いや、もう1人いた。

「あ、あの‥1年で出るの、私と巴さんだけだから‥‥よろしくお願いします‥」

詩栄ではない。彼女がいるサックスパートは、他の木管楽器隊に比べてもずば抜けてレベルが高く、入学早々に先輩を押し退けて出られるということはなかったらしい。洛山のマーチング部では、白、赤、黒という3色でメンバーが分けられ、白というグループが大会や本番に出られるそうだ。ちなみに私は大会メンバーになっているので白。ただ、詳しくはまだ知らないことが多い。松阪先輩は説明がとても雑な所があるから本当に困る。そんで、今私の目の前にいる人も白のメンバーである。

「あー‥浅川さん、こちらこそ、どうも」

彼女の中学は弱小みたいだったしまさかとは思ったが、この子はどうやら小学校からマレットを扱っていた猛者だったらしい。中学からは4本マレットをやっていたと先輩が話しているのを聞いた。えげつないなと、この間彼女の個人練習を見ても思った。とても良い腕を持っている、ということは私の目から見ても分かる。けれども‥‥私には少々不安がのしかかっていた。

「‥‥」
「あーー‥‥なんというか、あれ?だったら、気にしなくてもいいよ、ほんと、中学一緒だったらしいってだけだし、そもそも私一緒って知らなかったからさ。ていうか、こうやって同じ白のメンバーとして1年2人ここにいるんだから、変な蟠りは無しにしようよ」
「赤司君と、付き合ってるの‥?」
「ごめん人の話聞いてた?」

ぷるぷると子犬みたいに震えながら、浅川さんはそう言った。落ち着け、まずここは音楽室だ。端っこで喋っているから人に聞こえることはまずないだろうけど、ここは音楽室だ。人の出入りがある。そして彼女は人の話を1ミリたりとも聞いていない。

「赤司君自ら喋ってる女の子、初めて見たの」
「‥うん?浅川さん帝光出身じゃないよね?」
「好きだったから、色々調べたの‥それくらい赤司君のこと、すごく好きなの」

それストーカーじゃん‥ってのは流石に言わなかったけど、私多分顔凄く引いてる自覚はある。ぽぽっと頬を染めて恥じらう浅川さんを見て、何も知らない私だったら可愛いと思ってると思う。でももう無理だ。やだ怖いどうしよう。

「えーっと‥‥どこがそんなに好きなの‥?」

いや何聞いてんだ私。苦し紛れにも程がある。

「顔。あと、少しSっ気もありそうな所かな」

なんだドMかこの子。つまりは外見がとても好みなんですね。そうなんですか。てか物凄く簡単に答えてくれたけど、人によってはNGワード炸裂してる気がする。なんとなく分かってたけど変わってるな浅川さんって。

「赤司君のこと、好きじゃない‥?」
「そもそもそんなに知り合いじゃないってば」
「‥そっか。よかった‥」

その瞬間、花が咲いたみたいに笑った。普通にしていれば可愛いのか。なんて残念なんだろうと思いながら譜面を盗み見る。パラディドルとフラムばっかだな初見やべえ。‥って、そういえば初見大会するって言ってたなあ、譜面確認してなかった。その瞬間である。

「巴、巴!すっごいイケメンが呼んでるよ!」
「あれって新入生代表挨拶してた子じゃない‥?うわ、貫禄すご‥」
「ごめん浅川さんそういうことで」

ふと音楽室の扉の向こうから赤色が見えた。嫌な予感がする。そしてちょいちょいと手招きする先輩の近くに足を運ぶと、その予感は当たった。私の周りは空気が読めない奴が多くて困る。扉の向こうに赤司君がいたのだ。何故。

「巴、今日は放課後に学級委員会の顔合わせがあると言っただろう」
「うげっ、忘れてた‥!ごめん赤司君、今日初見大会あるからその」
「それは無理なお願いだ。僕もスカウティングがあるが遅れて行く。分かったら行くよ」

そんなこと言われたら断れない。ビシリと固まっていると、赤司君の視線が音楽室に動く。そして何かに気付いた赤司君は、ゆるりと私の腕を掴んだ。あああやめて浅川さんいるの!!!

「諦めの悪い人は嫌いではない。それでも、僕は彼女を選ばない。僕の隣に相応しい人は僕が決めることだ」
「うんそうだねごめん。てか分かった、行くから腕を離してほしい‥」

フッと笑った赤司君の顔つきに、近くで動向を見ていた知らない先輩達が可愛い悲鳴を上げた。これなんて言うフラグですか。浅川さんがいる方向へは恐ろしくて顔を向けることができなかった。‥私委員会後生きていられるかな。

2016.08.29

prev | list | next