「大会用の譜面は編曲されてるからカットが多いぞ。今日の放課後初見大会すっから、初見苦手な奴はちゃんと目ェ通しとけよ」

松阪先輩のその言葉を最後に朝練は切り上げられ、使っていた楽器を片付けていると後ろから肩を組まれた。くるりと振り向けばそこにいたのは松阪先輩と同格、もしくはそれ以上のチャラ男っぷりが雰囲気からだだ漏れる男子生徒だった。右だけ少し刈り上げられている黒髪は、ワックスで無造作に仕上げられている。

「やー、今日の練習姿もスティック捌きも、凛としててサイコーだったわ由衣ちゃん」
「‥‥‥」

誰だったっけ‥と、今本気で思っている。てかマーチング部チャラ男多くない?性格まで皆が皆チャラいとは言わないが、目の前のコイツは明らかに軽そうだ。関わって良いことは、まず、無い。‥‥と、私の本能が告げている。

「何その顔‥まさか俺の名前覚えてない!?」

とりあえず、無言で首を縦に振ってみた。そしたら、ええ〜‥なんて言いながら、スティック片手に項垂れた。

「‥あ」

そして傷のついていないスティックを見て漸く思い出す。吹奏楽でよく使われるローピッチのスネアドラムとは違い、マーチングのスネアドラムは高いピッチが基本だ。そして、派手さのあるオープンリムショット(スネアドラムの真ん中とふちを同時に叩くこと)も多く使われる。つまり、スネアドラム奏者たるもの、スティックに傷がついているのは当たり前ということだ。現に私のスティックも削れている。‥が、傷がついていないということは、余程スティックに傷をつけるような打ち方をしていないか、余程練習していないか、ということになる。そしてこの人は‥‥規矩哉太(きく かなた)先輩は、間違いなく後者だ。

「規矩だって!俺!規矩かーなーた。こないだの自己紹介聞いてたでしょ?雑誌のモデルもしてて、最近じゃあ人気急上昇中の黄瀬涼太君と表紙飾ったって言ったじゃ〜ん?」

そう、こういう奴だ。てかキセリョウタって誰だ。まあ第1印象があまりにもどうでもよかったから覚えていなかったけど、スティックを見て思い出した辺り私はやはりマーチングにしか興味がないらしい。てかこの人メッッッッッッチャウザい。

「アレ、無反応?まーいーや。今日放課後個人練習一緒にしない?俺のことなんでも教えてアゲル」

そう自信満々に発言するこの人に心底嫌気がさした。この間、顧問が言っていた"規矩と〜"とかいう人がこの人だから余計に。今日のパート練習で気付いた規矩先輩の実力は、オーディション時同様頷きたくなくても頷かざるを得ない物だったけど。

「そんな恥ずかしがんなくてもいーって。大丈夫、優しく教えてやるから」

頭ぽんぽん、ニヤリと歪んだと思った口からぺろりと舌が覗く。ああああ鳥肌!!!てか私の実力は貴様と同等かもしくはそれ以上じゃボケ!!!先輩とか知るか殴る!!!この握りしめた拳を後ろに引いてボディブローでも決めてやる!!!

「松阪くーんまた規矩が獲物漁りしてんよー」
「あ"ァ!!!?哉太テメーいい加減にしろっつってんだろが!!!」

ボディブローを決める瞬間、どっかのパートの女の先輩が呆れたように声を上げると、怒り任せに開かれた扉から松阪先輩が現れた。うげ、なんて呻く声が聞こえて顔を上げてみると、一瞬でシメられている規矩先輩が目に入る。十字固め‥中学ではまずあり得なかった光景に、楽器を片付け終えて私を迎えにきたらしい詩栄が、扉のすぐ側でお腹を抱えていた。













「まーアンタ顔面は可愛いしね〜。規矩先輩ちょ〜軽いらしいから気をつけなよ‥って、ミイには愚問か」
「私こんな高校生活望んでなかった!只!マーチングに青春を捧げたかったんだよ分かる!!?」

十字固めから肘打ちを食らわせていた松阪先輩に全てを託して、詩栄を引っ張って教室に戻ってきたが、戻るまでの間にマーチング部の色んなパートの先輩から「頑張ってね‥」と可哀想な物を見る目で声をかけられた。規矩先輩、かなりしつこいらしい。それこそ自分の物になるまではしつこいそうな。マジ勘弁して。情報源は全て詩栄だ。

「にしても規矩先輩、モデルしてるから部活あんまり参加できないらしいけど、松阪先輩と張る実力とか凄すぎ。てかそんなハンデある中洛山でレギュラー取るとか尋常じゃないよね」
「スティックの傷の無さはそういうことか‥」

部活参加してないとか言う割には、私部活入ってから規矩先輩と顔合わせ皆勤賞なんですけど。一体どういうことなんだ。頭痛い。

「今朝と比べて随分元気がないね」
「赤司君‥」
「あ、おはよう赤司君!」
「石川さん、だったかな。おはよう」

バスケ部の朝練が終わったのだろう、赤司君が教室に入ってきて、私に声をかけてきた。挨拶を返された詩栄は嬉しそうだ。挨拶返すのは当たり前の行為でしょうが。

「具合でも悪いのか?」
「いやーそれがね赤司君、ミイってばマーチング部の軽ぅーい先輩に気に入られちゃったみたいでー。もう朝から面白かったよー?」
「ほんと心から心配してほしい」
「してるよー。でもミイなら大丈夫、こんな音楽バカはそのうち先輩の方が飽きる!」
「規矩先輩と同じくらいの怒りを覚えそう」
「それ程巴が魅力的だということだね」

爽やかに言い切った赤司君にも同等の怒りが湧いてきそうだ。このクラス多分敵しかいない。規矩先輩はモデルをやっているからか、つい先程の事件が驚く速さで広まりつつある。何かを聞きつけた他のクラスの生徒が、私を見にきてコソコソと話しこんでは顔を赤くしたり青くしたり。羨ましいならこの謎のポジション、喜んでいくらでも譲ってあげるっての。むしろ奪え。

「そういえば、1ヶ月後にバスケ部の新人戦があるんだ」
「へえ」
「そうなんだ!赤司君も出るの!?」
「もちろん」

突如、思い出したようにそんなことを言い出した赤司君に、溜息と同時に声が出た。次いで目をキラキラさせた詩栄が机に掌を大きくつく。私の机壊れる。そして赤司君の目が私を見据えた。

「応援、楽しみにしているよ」
「‥‥はい?ちょっと待って、行かないよ、てか行くわけないでしょ」
「行きたくなくても、結果来ることになるさ」

何言ってんだこの人。

2016.08.23

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