少しだけ大きい鞄に詰め込んだ、下着と寝間着と化粧道具その他色々。その鞄は今現在繋心さんの部屋の奥で小ぢんまりと息を潜めている。初めて訪れた彼の部屋は、畳と煙草の匂いが混じっていた。

「ほれ」
「あ、りがとうございます」

あまりお腹に入れていなかったのを見兼ねたのかもしれない。部屋に戻ってきた彼が机の上に広げたのは恐らく夕御飯の残りだろう。今日はチキン南蛮だったのかなんて、食卓事情をぼんやりと読解しながらお箸に手をつけた。いきなり押し掛ける形になってしまって申し訳ないと思いつつ、そんな急な我儘に嫌な顔1つ見せない繋心さんはやはり大人だ。

「すみません、夜遅くなって」
「まだ22時前だろ。気にすんな」
「これでも気にしてます、」
「はいはい」
「‥ん!美味しい!」
「‥俺はゆかりが作ったのに慣れちまったなあ」
「?」
「お袋の味ちょっと濃いわ‥」

え、ええ。まさかのお袋の味を越えてしまった疑惑?少しだけ照れたように笑って、別に不味いとかじゃねえぞってぴしりと正した後にごくりと水を飲む。慣れたって。そんなに頻繁に作ってたっけなあと首を傾げる。‥まあ、嬉しいことに変わりはない。

「そういやあ、」
「はい」
「まだどうなるかわかんねーんだけど、月末辺り時間できそうだし、デートでもしねえ?」
「デート」
「おう」
「‥デート」
「なんだよ」
「デート!?」
「3回目な」

互いに味噌汁に手をつけていると、何かを思い出したようにこちらへ振り向いて、ふと何の気なしに口にした言葉。‥そういえば、まだ2人で遊びに出掛けたりとかってなかったっけか。付き合う前に買い出しに一緒に行ったのは、‥‥あれは買い出しだもんね。そう、お店の店主とアルバイトの買い出し。

「ど、どこ行くんですか?」
「なんも。まだ確実に時間ができる保証はねえし」
「そうですか‥」
「でも時間できたらどっか行きてえし、一応空けとけよ」
「空けます空けます!絶対!」
「仕事とかあるなら無理はさせねえから」

そんなの無理矢理にでも空けるに決まってるじゃないですか。遊園地とか、水族館とか、はたまた巷で有名なご飯屋さんとか?何度か縦に首を振って頷くと、満足そうな顔をした繋心さんの目がふと止まった。なに?と言う暇もないままぐいと顎を上げられて触れた熱い熱と息。‥鰹出汁の味、だ。

「‥また口についてる」
「何が‥」
「ネギ」
「‥‥どの料理にも、入ってませんでしたけど‥」
「ってことにしとけ」
「ええっ」
「ゆかり」

あれ、私達今普通にご飯食べてなかったっけか。頭の片隅ではそんなことがちらついていたが、ぐいぐいと近付いてくる彼の熱に絆されてどうでもよくなってしまう。やわりと押し返した胸板の掌は、拒むなって優しく掴み返された。暖かい白米もお味噌汁もチキン南蛮も、全部冷めちゃいますよっていう言い訳思考が食べられていく。

「‥布団、行くか?」
「ん、‥ん‥?」
「なんてな。‥冗談だよ、まだ」

まだ。それはいつかの予告ということでいいだろうか。乱れた呼吸を整えながら意味を理解して、抱きつくことで顔を隠す。わりーわりーって全然悪気なんてなさそうだけど、‥むしろ、私もその気になっていたのは内緒にしておこう。僅かに震えたiPhoneからのメールの通知に"朱袮"の文字がちらりと見えたのは、見なかったことにする。

2017.01.12

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