"負ける"という予想はしていなかった。というか、できる訳がなかったから。3セット目のラストで、ぎゅっと目を瞑って祈っていた時にホイッスルが鳴った瞬間、コートにボールが落ちていたのは烏野高校だった。ねえ、‥いつの間に、負けたの。コートの中で、床に突っ伏している皆の姿が見えてゆらりと目の前が滲んだ。

「うわー‥まじか、負けちゃった‥」
「琴ぢゃん‥」
「はっ‥は!?ちょ、何泣いてんのアンタ!」
「だっ、で‥負けるなんで‥」
「まあ‥そうね、アンタが泣いちゃう気持ち分かんなくはないけど‥」

でもさ、1番泣きたいのってあの場所にいるあいつらなんじゃないの。ぎゅうと肩を組まれて指を差した先は、ギリリと拳を握ったり、唇を噛んだり、床を大きく殴ったりする皆だった。

「1番に泣いてどーすんのよ‥」
「ごめ、でもめちゃぐぢゃ悔じい、皆が必死になっでだの見てだがら‥」
「わーかったから鼻噛んで鼻」

知らなかった。こんなに試合で泣けてしまうなんて。ぼろぼろと出てくる涙をぐりぐりとハンドタオルで擦ってくる琴ちゃんにされるがままになっていると、テンションの下がったコートの反対側で喜びの声が湧いた。対戦相手だった青葉城西の応援団から「おめでとう!」「やったね!」とお祝いの言葉を投げつけられていたのだ。

「‥あ」

ぽつりと零した琴ちゃんの声に反応して顔をそっと上げた。そこには、応援団こそいないものの烏野を応援しようと来ていた私達を含めた何名かに向かって整列をした皆がいた。‥テンション低い。当たり前だけど、凄く低い。

「応援ありがとうございました!」

澤村君の大声に、全員がばっと頭を下げる姿にまた涙が出て来る。こんなに酷い顏を晒してしまっているが、皆はきっと私の顔をじっと見る余裕なんてないだろう。

「‥」
「来海?」

そこでふと気付いてしまった。皆はそれぞれ、私の目をちらりと見てくれたり、目が合ったら少しだけぺこりと形だけの会釈をしてくれているのに、東峰君だけは私を一度も見てくれないのだ。やっぱり、悔しくて仕方ないんだろうな‥。でも、こちらを少しでも見てくれないのがちょっぴり悲しい。ねえ、東峰君かっこよかったよ、負けたって凄くかっこよかった。‥彼はきっとそんな言葉なんて求めてはいないと思うけれど。

「なんかさ」
「‥?」
「こういう時って何を言うのが正解なんだろうね」
「‥次、頑張れ、とか‥だと違うのかな‥?」
「だって、スガ君達に次ってあるの?」
「‥‥え?」
「うちらって3年じゃん。‥もしかしたらこの試合、最後だったりとかって思ったら」

ぼんやりとしながらそう呟いた琴ちゃんに、私の頭の中は真っ白になった。え、これが、最後?慌てて澤村君や菅原君の顔を見ると、整列後もくしゃりと歪んだまま立ち尽くしている。‥そうか、3年生は最後の大会だったのかもしれないのか。って考えるとまた目の前が滲んできた。












「じゃあ‥私本当に先に帰るよ?」

うん、大丈夫だから。そう言って会場で琴ちゃんと別れた私は、会場を出たすぐの階段で座り込んでいた。ぐしゅぐしゅと泣いていたせいで、涙がいつの間にか乾いた顔がぱきぱきだ。ああ、それより本当にどうするべきか。勝った時の言葉しか考えていなかった私は、携帯片手に項垂れるしかできない。何か東峰君に言葉をかけたいのに、どんな言葉をかけるべきかが分からなかった。

ぞくぞくと会場から出てくるジャージ姿の男子高校生は、喜びに満ち溢れていたり、男泣きをして悔しがっていたりと様々だった。小さくとも大きくとも、今日試合に出たそれぞれに色んなドラマがあったんだと思う。それは烏野だってきっとそう。

「‥‥また泣きそう‥」

こんな顔じゃ家に帰りにくいなあと、琴ちゃんにそのまま借りたハンドタオルで顔をごしごしと擦っていると、ふわり。‥後ろから手を止められた。

「ぅえ、‥あっ」
「‥知里さん、まだ帰ってなかったの?」
「東峰、君‥‥」

擦りすぎて目が赤くなってるよと、こんな時でも私を気にしてくれるこの人に、少しだけずきりと心臓が傷んだ。

「あれ、‥友達は?」
「えへ‥こんな顔だし、先に帰ってもらったの‥」
「あ‥‥危ないって言ってるのに‥」

大丈夫だよ、1人で帰るくらい。‥なんて、もう言えないか。だって、東峰君と一緒に帰ったあの日から、1人がなんとなく寂しいから。それよりも目元が少し赤くなっている東峰君の方が心配で、思わず顔に伸ばした手。触れる瞬間に自分の行動がおかしいことに気付いて引っ込めた。

「どうかした?」
「あ、ち、が‥‥ごめん、‥ごめんなさい‥」
「な、なんで謝るの?」
「言うこと、なんにも考えてない‥」
「無理矢理考えなくていいよ。‥今日、来てくれてありがとう」
「‥あ、」
「ごめんなあ‥‥‥勝つ、つもりでいたのに」

声が震えている。そんな声出さないでよ、私は今だに慰める言葉を探している所なんだから。でも、きっとそんなものはないっていうのも分かっている。彼等がバレーに本気だということを私ももう分かっているから、どんな言葉でも今の東峰君の心には届かないのだ。

2017.12.27

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