こつこつと夜の道に靴の音が響いた。さっきまで煩くて賑やかだったからか、この静かな空間がとても心地良い。小鳥さんを送る程で彼女の前をゆっくりと歩いていると、遠くの方でまた木兎さんの笑い声が聞こえた。伊野さんは、2人と一緒にもう一軒飲みに行くとか、行かないとか(多分伊野さんは飲める歳ではないから2人が送りにいっているだけ)。

「緊張した‥」
「黒尾さん、なんか勘付いてるね」
「やっぱり赤葦君もそう思う‥?あんまり喋らないようにしてたんだけど‥」
「あ、いや。そういう‥一緒に住んでるとかそういうのじゃなくて」
「?」

自分でも少しずつだけど気付いていた。一緒にいると情が移るとか色々言うけど、それと同じように自分の中で小鳥さんという存在が大きくなっているのが。

最初は本当に可哀想だった、というだけ。というより、まあ下心がほんの少しあったようななかったような。嘘。ほんの少しだけあった、と思う。実際可愛い人だなと思ったのは事実だし、それはもう下心に充分繋がる理由だ。それでも、そういう想いになっていくなんて思っていなかったから。

「早くお化粧落としたい‥」
「じゃあお風呂先に使っていいよ」
「ううん、後で大丈夫。マシロに餌あげなきゃいけないし」

その声に俺はくるりと後ろを振り向くと、彼女はへにゃりと女の子独特の笑顔を見せた。守ってあげたくなるような柔らかい仕草に心穏やかではいられなくなっているのを、彼女は知っているのだろうか。多分小鳥さんが俺を好きなんだろうなっていうのは一緒に暮らし始めてからなんとなく分かっていたし、それを揶揄いながら1つ1つ距離を埋めていくのが楽しい。優しくて料理上手で揶揄い甲斐があって反応が可愛い。‥そして、試合の中で凛とするそのギャップ。

「‥小鳥さん」
「なにー?」

俺の家までもう少し。多分、今言ってしまえば2人の関係はまた変わる。ほんの少しだけ悩んだけれど、今言おうが後で言おうが変わらないのだ。だったら別にいいんじゃないか。柔らかい掌を引っ張って抱きとめて、君が欲しいってそう言ったって。

「へー。じゃあ俺と那津ちゃんっていうのもなくはねえよな〜?なあ赤葦〜」

黒尾さんにただ挑発されただけなのに、本当は柄にもなく焦っているなんてことを聞いたら小鳥さんはどう思うだろうか。小さい男だと呆れるだろうか、嬉しいと笑ってくれるだろうか。

「赤葦く、」
「手、繋いでもいい?」
「えっ!?な、なんで!?」

それはごもっともだ。俺達はただの同居人なんだから。彼氏でも彼女でもなんでもないただの同居人。だけど、俺はそれを壊したいと思ってる。手を繋いでもおかしくない関係に、触れてもおかしくない関係になりたいと思っているから。伸ばした手に困惑顔を浮かべる小鳥さんは酷く焦っていて、赤と青が混ざって紫色みたいな顔色になっているのが可笑しくて。

「っ‥ぐ、っふ」
「‥って、まさかまたからかってるの‥?!そうだ、さっきの居酒屋でもあんなに‥!!」
「違うんだ。ちゃんと聞いて」

がし、と握ったのは手首だった。するすると下へ下がって指と指を絡めて引っ張ると、俺の真面目そうな顔に目を見開いてちょこちょことついてきてくれる。そうしてそっと深呼吸をすると、ちらりと横を盗み見た。

「小鳥さんのこと好きなんだ」
「‥‥。へ、へえ‥?」
「付き合わない?俺達」
「っつ、‥え、っあ‥ええ"ッ!!?」
「‥すっごい声」

静寂だったそこに、大きくて聞いたことのない声を出した小鳥さんは自分でもその声に驚いていた。だから、そういうとこ。すっごい可愛いんだって。こっちは緊張していたっていうのに、そんな緊張すらぶっ飛ばしてしまう。嘘だ、なに言ってんの?!みたいな顔をしているけどごめんね、全く冗談じゃなくてさ。

「いや、っていうか?えーと‥もしかしてまたからかってる‥よね‥?」
「大真面目」
「んな急に‥でも、ええっとあの‥うわっ!」

あともう一押しだろうか。まだ信じていないらしい小鳥さんの手を更に引っ張って、頬に触れた。その瞳に映っているのは俺だけで、それが愛おしくて愛おしくてたまらなかった。ああ、俺家に帰ってから大丈夫かなあとぼんやり考えながら柔らかいであろう唇にそっと自分のそれを押しつけたのだ。しっとりとしていて、やっぱり柔らかかった彼女の唇は甘い。

「‥」
「小鳥さん、唇甘い」
「も、も‥の‥」
「‥おいしい」

まあリップの話しではないんだけど、何を勘違いしたのか唇をぎゅっと閉じてしまった。だが、今日こそこれでやめてあげるけど、俺がそれで諦める男だとは思わないでいてほしい。

「‥私も、その‥」

うん。知ってる。その声を押し留めて、俺は小鳥さんの口から発せられる言葉をじっと待っていたのだ。

2017.09.21

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